153 公爵邸訪問4
「やあ、いらっしゃい。よく来てくれたね」
オルコット公爵邸の玄関口で私たちを出迎えてくれたのは、オルコット公爵その人だった。
公爵ともあろう者ならば、部屋の奥でふんぞり返っていてもおかしくないのに、自ら迎えに出る気軽さに驚いて目を見張る。
けれど、これがオルコット公爵の通常スタイルなのか、シリル団長は特段そのことに言及することなく、普段通りのにこやかさで挨拶をしていた。
「ロイド、本日はお招きいただきありがとうございます」
一方、笑顔のシリル団長を前にしたオルコット公爵は、苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべただけで、返事をしなかった。
お招きした覚えがない身としては、そういう反応になるのだろう。
そうは言いながらも、結局のところ骨の髄まで貴族であるオルコット公爵は、気品のある仕草で私たちを応接室に案内してくれた。
正門から館までの距離と立派さ、館の大きさと豪華さ、廊下に敷かれた絨毯のふかふかさと飾られた絵画の額のぴかぴか具合、全てがオルコット公爵の財力を示している。
さすが公爵だわ、と感心している間に通された応接室は、大きな窓がある日当たりのいい部屋だった。
高級ながらも上品な家具が配置されている広い部屋を見て、本人と同じように個性的な部屋を想像していた私は、「普通だわ」と心の中で呟いた。
意外に思いながら部屋を見回していると、深緑のソファに1人の少女が座っていることに気が付く。
その少女は濃いピンクの髪を腰まで伸ばした滅多にないほどの美少女で、私より少し年上に思われた。
「紹介しよう、養女のプリシラだ。………………彼女は聖女様でもあるんだよ」
プリシラの名前を紹介しても、本人がソファから立ち上がる気配を見せなかったので、オルコット公爵は聖女であるという情報を付け足した。
すると、プリシラは納得がいったようで、無言のままソファから立ち上がる。
そんなプリシラに対して、シリルがにこやかに訪問者の紹介を始めた。
「はじめまして、プリシラ聖女。第一騎士団長を務めておりますシリル・サザランドと申します。そして、こちらは第二騎士団長のデズモンド・ローナンです」
プリシラは無言であったものの、紹介に合わせて、シリル団長、デズモンド団長……と、順に視線をずらしていった。
無言のままでいるのは、興味がないからではないらしい。
「それから、我が第一騎士団の騎士であるファビアン・ワイナーとフィーア・ルード、最後に王城勤務のシャーロット聖女です」
プリシラはシャーロットが紹介されると、値踏みするかのように頭のてっぺんから足の先まで視線を走らせた。
その視線に耐えかねたシャーロットが、「あの、よろしくお願いします」と小さく呟くと、プリシラはシャーロットのオレンジ色の髪の毛に視線をやり、考えるかのように目を細めた。
「ふふふ、どうやら僕の娘は恥ずかしがり屋でね。なかなか口を開かないのだよ。だが、これも個性だと思って、見逃してくれないか」
無言ではあるものの、強い視線で一人一人を正面から見つめてきたプリシラの姿は、決して恥ずかしがり屋に見えなかったけれど、養父である公爵が言うのならばそうなのだろう。
それぞれの紹介が終わると、オルコット公爵に促されてソファに座った。
同時に、香しい紅茶とストロベリータルトが運ばれてくる。
どういうわけか、私の皿にだけタルトが3切れも入っていた。
「え?」
不思議に思ってきょろきょろと辺りを見回していると、オルコット公爵と目が合う。
公爵は片手を口元に添えると、私の方に身を乗り出してきて、普段より小さな声を出した。
「友人だけに行う特別なえこひいきだよ。僕はフィーアを喜ばせたいんだ」
普段より小さな声ではあるものの、その場の全員に聞こえている。
公爵は一体何がしたいのかしら……と思っていると、すぐに答えが出た。
シリル団長が公爵の言葉を打ち返したからだ。
「フィーアからどこまでも他人扱いをされるロイドが、そのことを解消したいとの浅知恵の基に差し出す、安っぽい賄賂ですよ」
……ああ、なるほど。オルコット公爵はシリル団長をからかいたいのだ。
そして、そのことを十分分かっていながら、シリル団長は毎回律儀に対応している。
まあ、この2人は本当に仲がいいのね。
そう考えながら、私は大きな口でぱくりとタルトを食べた。
「わっ、美味しい! このタルトは本当に美味しいですね! さくっとした生地とトロリとしたクリーム、それにイチゴの酸味が利いていて、絶妙に美味しいです!!」
本当に美味しかったので、素直に感想を漏らすと、公爵は嬉しそうににこにことしていた。
けれど、それ以外の参加者は無言のまま、誰一人タルトに口を付けようとしなかった。
「どうして誰も食べないんですか? 美味しいですよ」
不思議に思って尋ねると、デズモンド団長が信じられないとばかりに顔をしかめた。
「フィーア、お前は本当に鋼の心臓を持っているんだな! どうしてこの状況で、食い物が喉を通るんだ! お前は緊張して胸が詰まるとかないのか?」
「えっ?」
緊張して胸が詰まる……
私は一旦フォークを皿に戻すと、片方の手を口元に当てて、視線を落とした。
「失礼しました。公爵家にお呼ばれするという栄誉に舞い上がり、緊張感がおかしな方向に作用したみたいです。……そうですね、胸が詰まって苦しいです」
全員がじとりとした目で見つめてきたけれど、私は物憂げな表情を崩さなかった。
何事もやり切ることが大切なのだ。
すると、オルコット公爵が楽しそうな笑い声を上げた。
「フィーアは面白いね。そして、『公爵家』だなんて、いつまで経っても他人行儀だよね。僕のことを名前で呼ぶようにと何度も頼んでいるのに、未だに『オルコット公爵』としか呼ばないんだから。お堅すぎるよ」
すねたように言う公爵に、ファビアンがにこやかに相槌を打つ。
「フィーアにはそういうところがありますね。私もフィーアに自己紹介した際、愛称で呼んでほしいと頼みましたが、あっさり無視されましたから。結果、私の希望は採用されることなく、今まで1度も愛称で呼ばれたことがありません」
そういえば、そんなこともあったわね。
そんな昔のことを覚えていて、このタイミングで披露するファビアンはどうなのかしら。
そう考えながら、私は恥ずかし気な表情を作ってうつむく。
「私はこう見えても慎み深いのです。そんな馴れ馴れしいことはしませんよ」
「「馴れ馴れしいことは、しない」」
シリル団長とデズモンド団長が同時に同じ言葉を呟いたけれど、その呟きに深い意味はないと信じることにする。
……それはそれとして、と私はもう1度フォークを手に取ると、ぐるりと全員を見回した。
改めて考えると、今日は何の集まりなのかしら?
オルコット公爵の話では、最近養女を迎えたので、年が近い私に仲良くなってほしいとのことだった。
聖女ならば私のお仲間だし、会いたいと思ったのがそもそもの始まりだから、できればプリシラ聖女と話をしたいのだけど……先ほどから、彼女は無言で紅茶を飲み続けている。
うーん、どうしたものかしら、とシャーロットに視線をやると、彼女はもじもじとスカートをいじっていた。
それならば、とシリル団長、デズモンド団長、ファビアンを見ると、相手の出方を窺うかのように、よそ行きの表情を浮かべている。
あれ、この3人は招待もされていないところに、勝手に公爵邸に押し掛けた形になっているのよね。
ということは、少なくともそれをけしかけたシリル団長には、何か用事があったのではないのかしら?
それなのに、どうして様子見の態度を崩さないのかしら、と訝しく思っていると、オルコット公爵が楽しそうに口を開いた。
「フィーアは表情が豊かだよね。何も話さなくても、見ているだけで楽しいな。対して、うちの聖女ちゃんは表情が崩れないんだよね。真面目っていうのか。だから、正反対のタイプ同士で仲良くなれるんじゃないかな」
すると、それまで沈黙を守っていたプリシラが、冷めた目でオルコット公爵を見つめた。
「私はそう思いませんわ。聖女と騎士では接点がありませんから、会話も成り立たないでしょうし」
「それはどうかな。君が筆頭聖女になったら、騎士たちの魔物討伐に同行することになるのだし、君にとって騎士は身近な者になるはずだよ。だから、今のうちから仲良くしておくといいのじゃないかな」
にこやかに提案するオルコット公爵だったけれど、プリシラにとっては聞きたい内容ではなかったようで、返事をすることなく再び紅茶のカップに手を伸ばした。
すると、前かがみになったプリシラの髪がはらりと顔にかかり、彼女の視界を塞ぐ。
プリシラは前髪も後ろ髪も全て腰の長さまで伸ばしており、リボン等で結んでいないので、動く度に髪が顔にかかっていた。
邪魔になるように思われたものの、綺麗なピンクの髪だからできるだけ伸ばしたいのだろうし、リボンやピンでとめたくもないのだろうと納得する。
「プリシラ聖女は前髪も含めて、腰まで髪を伸ばしているんですね。綺麗な髪ですから、切るのが躊躇われますよね」
思ったことを口にすると、一瞬、しんとした沈黙が落ちた。
そのため、あれ、私は何かおかしなことを言ったのかしら、と心配になっていると、プリシラが口を開いた。
「まあ、ご存じないのね」
「えっ?」
私が何を知らないのだろうか。
ぱちぱちと瞬きをしていると、隣に座ったシリル団長が丁寧に説明してくれた。
「多くの聖女様は、プリシラ聖女と同じように、前髪を切らずに伸ばされるのですよ。というのも、『筆頭聖女の髪型』というのがあって、それは片方の目元を髪で隠すスタイルになっているのです。恐らく、聖女様のお美しい髪色を強調するための髪型として、代々伝えられているのでしょうね」
まあ、そんな髪型のルールは、300年前にはなかったわよ。
「ですから、筆頭聖女の選定が行われる時期には、どなたが選ばれてもいいように、聖女様の多くは前髪を伸ばされているのです。補足しますと、来月、筆頭聖女の選定が行われる予定です」
「そうなんですね」
頷きながら、私は確認するため、シャーロットにちらりと視線をやる。
すると、私の記憶通り、シャーロットの前髪は、目元にかかるくらいの位置で切りそろえられていた。
……シャーロットは前髪を伸ばしていないけど、もしも筆頭聖女に選ばれたらどうするつもりかしら?
小首を傾げて考えていると、シャーロットが慌てた様子でぶんぶんと首を横に振った。
「フィーアの考えていることが分かるような気がするけれど、そんなことは絶対に起こらないから大丈夫よ!」
「そう?」
シャーロットはなかなか優秀な聖女だと思うけど……でも、そうよね。彼女はまだ子どもだものね。
長年訓練をしてきた、経験の多い聖女には敵わないかもしれないわ。
そう納得して頷いていると、大人しく紅茶を飲んでいたデズモンド団長が、慌てた様子で声を上げた。
それから、カップを絨毯の上に落とす。
ふかふかの絨毯の上に落ちたカップは、なぜか真っ二つに割れていた。
……まあ、デズモンド団長にしては珍しい失敗ね。
慌ててカップに手を伸ばす団長を見ながら、私はそう思ったのだった。