152 公爵邸訪問3
誰もいない空間に向かってたくさん言い訳をしたことで、少しは落ち着いてきたようだ。
私は気を取り直すために咳払いをすると、よそ行きの表情を作って、こちらを見つめていたザビリアに近付いた。
ちなみに、同室のオルガは夜勤続きで、すれ違いの日々だ。
寂しくはあるけれど、今のようにザビリアに話がある場合には、こそこそせずに済むのでありがたい。
「ザビリア、ちょっとお願いがあるのだけど」
にこやかに切り出すと、ベッドの上で丸まっていたザビリアが、少しだけ首を伸ばした。
「フィーアの『ちょっとお願い』は、僕にとって好ましくないものばかりだよね」
まあ、相変わらず勘がいいわね。
でも、私は負けないわ。
心の中でそう呟くと、愛想笑いを浮かべる。
「それはザビリアの考え方次第よ。明日、私は仕事でちょっとお城の外に出るのだけど」
「それはよくあることだよね。ただし、わざわざ僕に報告してくることは初めてだね」
話の内容を先読んで、さり気なく牽制してくるザビリアに気付かない振りをすると、私はあくまでにこやかに続けた。
「ええと、それでね、訪問先は公爵家なの。公爵と言うのは貴族の頂点だから、我儘だったり、偉ぶったりしている人が多いのよ。だから、公爵家の人たちがうっかり失礼なことを口にしたとしても……」
私が最後まで言い終わらないうちに、ザビリアが了解したとばかりに話を引き取った。
「なるほど、僕が飛んで行って、そのくそったれ貴族を黒焦げにすればいいんだね」
ザビリアの酷い提案に、私は慌てて首をぶんぶんと横に振る。
「ちっ、違うわよ! ザビリアの炎だったら一瞬にして黒焦げになるし、死んだ者は生き返らせられないから、ダメよ!!」
すると、ザビリアは鼻の頭に皺を寄せた。
「じゃあ、ぎりぎり1%くらいで生かしておくってこと? そんな繊細なことやったことないんだけど」
できるかな? と呟くザビリアに、私は手をぶんぶんと大きく振る。
「ザビリア、そうじゃないわ! 私が何を言われたとしても、おとなしくしておいてちょうだいということよ。せっかくザビリアが黒竜だとバレていないんだから、ここは静かにしておくべきだわ」
私の言葉を聞いたザビリアは、首を高く伸ばした。
「え、僕は黒竜だとバレてないの? フィーアがなぜそんな風に思い込んだか分からないけれど、もちろんバレてるよね。だからこそ、皆への牽制と抑止力になっていると思ったけど」
「けんせーとよくしりょく。ザビリアったら難しい言葉を知っているわね。……ええと、でも、ザビリアの擬態は完璧だから、クェンティン団長以外は、この可愛らしい生き物が黒竜であることに、気付いていないと私は思うわよ」
シリル団長は常識が邪魔をして、この小さな生き物が巨大な黒竜とは思いもしないだろうし、忙し過ぎるデズモンド団長と、筋肉以外に興味がないザカリー団長、魔法以外に興味がないイーノック団長は、黒い生き物がお城の中を飛び回っていることすら気付いていないに違いない。
唯一ヒヤリとしたのは、クラリッサ団長にザビリアを見られた時だけれど、「この世界に黒色の鳥はいない」との常識の下、着色した鳥だと勘違いされて、事なきを得たのだ。
その時の安堵した気持ちを思い出し、私はふふふ、と高らかに勝利宣言をする。
「灯台下暗しとはこのことよ! まさか鉄壁を誇るお城の中に黒竜が入り込んでいるなんて、夢にも思わないみたいだもの! 実際にザビリアを目にしても、別の生き物だと勝手に解釈してくれるから、常識という固定観念万歳だわ」
そう言いながら両手を挙げていると、ザビリアから横目でちらりと見られる。
「僕はやっぱり気付かれていると思うけどね。そして、フィーアのあれやこれやの能力からしたら、もう今さらだって、見て見ぬ振りをされているんじゃないの?」
ザビリアのとんでもない発言にびっくりして、目を丸くする。
「お、恐ろしいことを言うのは止めてちょうだい! 明日は、聖女であることを隠して、公爵家の聖女を訪問するのよ。聖女仲間にしか分からない何かを感じ取られるかもしれないと、精一杯用心しているのだから、私の擬態能力には一片のミスがあってもいけないのよ!」
「…………」
納得したのか、ザビリアが口を噤んだので、私は明日の訪問に思考を飛ばす。
オルコット公爵は個性的だから、おかしなことを言ってくる可能性が高いわよね。
ただでさえ不安な要素が多いのだから、その場にザビリアが闖入してきたら、大変なことになるのは火を見るよりも明らかだ。
少なくとも、シリル団長からお説教を受けることは間違いないだろう。
私は肉祭りの時に受けたお説教を思い出し、もう1度あの場面が再現されるかもしれないと想像して、ぶるりと震える。
なぜならあの時、シリル団長の疑問を満足させるために、お説教だか尋問だかを長時間受けたのだけれど、その間ずっと、おいしいお肉を食べることを我慢させられていたのだ。肉祭りだというのに。
今回、シリル団長が自らストロベリータルトを公爵家に要求したにもかかわらず、もしもそのデザートを前に説教をされるとしたら堪らない。
「ザビリア、約束してちょうだい。何が聞こえたとしても、空間を切り裂いて現れてはいけません。いいわね?」
私の真剣な表情から本気度が伝わったようで、ザビリアはひょいと片方の羽を広げた。
「フィーアのお願いだから、僕は聞くけどね。だけど、騎士団長たちがぞろぞろと雁首揃えて訪問するような、それなりの聖女が相手なんでしょ? 1つ助言をすると、魔物の世界では舐められたら終わりなんだよ。だから、出合頭にガブリと噛みつくのが正解だからね」
「いや、聖女は私のお仲間だから。間違っても、争う相手ではないからね」
必死になってそう言うと、ザビリアはやっと納得したかのように呟いた。
「……ふーん」
あるいは、面倒くさくなって、適当に返事をしただけかもしれない。
―――さて、その翌日、私は朝早く目覚めると、手早く身支度をして、待ち合わせ場所に向かった。
約束の時間の10分前だったにもかかわらず、デズモンド団長以外は揃っていた。
「フィーア、おはようございます」
「おはよう、フィーア」
「フィーア、おはよう。今日はよろしくね」
騎士服をすっきりと着こなした2人と、白いローブを着た1人を見て、私の顔に笑みが浮かぶ。
「おはようございます、シリル団長、ファビアン、シャーロット」
筆頭公爵家の特権をちらりと示し、オルコット公爵家の訪問権を勝ち取った経緯を考えれば、シリル団長は貴族服を着るのかなと思っていたけれど、着用していたのは騎士服だった。
……ふふ、シリル団長はやっぱり騎士服がしっくりくるわね。
そう考えながら空を見上げると、雲一つない青空だった。
そのため、オルコット公爵家で楽しい出来事が待っているように思われ、わくわくしてくる。
「公爵家で楽しいことがあるといいですね!」
そう笑顔で話しかけたというのに、……シリル団長、ファビアン、シャーロットの3人は微妙な表情を浮かべて私を見つめたまま、誰一人返事をしなかった。
……なるほど。この反応の鈍さを見る限り、全員、朝が弱いタイプなのかもしれない。