150 公爵邸訪問1
「ええと、オルコット公爵、腕を離してもらえますか?」
私は初対面にもかかわらず、突然腕を握ってきた相手を見上げると、至極当然の主張をした。
けれど、オルコット公爵は薄っすらとした笑みを浮かべただけで、腕を離してくれなかった。
それどころか、訳の分からないことを言ってくる。
「先ほども言ったが、ロイドだよ。僕ごときを敬称で呼んだら、セルリアンを呼び捨てることで、王族侮辱罪に問われるかもしれないよ」
本人からセルリアンと呼ぶようにと言われたのだから、そんなはずはない。
いえ、それよりも今、問題なのは……
私はオルコット公爵から掴まれた腕を、信じられない思いで見つめた。
おかしい、おかしい。
私は一人前の騎士なのに、どうして書類仕事ばかりやっている貴族の細腕を振りほどけないのかしら!?
心底不思議に思いながら、私の手首を握っているオルコット公爵の腕を引き剝がそうと、もう1度力を込める。
けれど、楽しそうな笑みを浮かべた公爵から握られている手は、ちっとも私の手首から離れる様子を見せなかった。
私は絶望的な気持ちでオルコット公爵を見上げる。
……そもそもオルコット公爵とは何者なのかしら?
王城の庭で薬草を摘んでいたところ、突然、馴れ馴れしく話しかけてきたのだ。
間違いなく初対面だと思うのだけれど、それにしてはフレンドリー過ぎる。
そう思ったものの、私は普段の公爵を知らないので、これが彼の普段通りの距離感なのかもしれない。
「ところで、フィーアは何をしていたの? 騎士の間では、草摘みが流行っているのかな?」
「草……まあ、そんなところです」
実際には薬草を摘んでいたのだけど、区別が付かない人には雑草に見えることだろう。
早く解放されたい一心で、薬草を草と言い切った公爵の言葉に同意する。
すると、オルコット公爵は納得した様子で頷いた。
「そうか。確かにどの種類の花も美しいから、選び取るのが大変だよね。なるほど、なるほど。植物というくくりで考えると、雑草と花は同じグループだから、思い切って草を飾ることにすれば、セレクトする時間が不要になるよね」
至極真面目な表情を浮かべるオルコット公爵を前に、私は正気かしらと彼の状態を疑った。
結論ありきで、色々と推測するタイプのようだけれど、その推測内容が普通じゃない。
シリル団長はきちんとした公爵だというのに、こちらの公爵は大変なタイプだわと考え、必要以上に近付くべきではないと、愛想笑いを浮かべる。
すると、タイミングが悪いことに、離れた場所で薬草を摘んでいたシャーロットの声が響いた。
「フィーア、向こうにライナの葉がたくさんあったわよ!」
それから、ばたばたとシャーロットが走ってくる足音が聞こえたかと思ったら、もう目の前に立っていた。
笑顔で私を見上げたシャーロットだったけれど、私の腕を掴むオルコット公爵に気付くと、笑みを収めて小首を傾げた。
「フィーアのお知り合いの方?」
いいえ、全く知らない人だわ、と口にしようとしたけれど、その前に公爵が口を差し挟んでくる。
「まさか! 僕はお知り合いどころでなく、フィーアの友人だよ。できれば親友になりたいと思っているけど、僕が気付いていないだけで、もうなっているのかもしれないな」
「シャーロット、これは公爵様の貴族専用ウィットよ。残念ながら私は貴族じゃないから、ちっとも面白さが分からないけど」
「あっ、そうなのね! だから、私も面白さが分からないんだわ」
至極真面目な表情で答えるシャーロットを見て、オルコット公爵は憮然とした表情を浮かべた。
一方、近くに立っていた彼の友人らしき男性は、ぶふっと噴き出した。
その姿を見て、私の勘がぴんとくる。
閃いたわ! 私たちの会話を面白いと思うなんて、公爵のお隣の方は平民に違いない!
果たして、シャーロットに対して、2人は改めて自己紹介を始めたのだけれど……
「初めまして、小さな聖女様。オルコット公爵家の当主、ロイドだ」
「バルフォア公爵のノエルだ」
「あうっ!」
何ということでしょう。外れてしまったわ。
改めて視線をやると、バルフォア公爵と名乗った男性は高級そうな貴族服を着ていた。
……うん、間違いなく貴族だわ。
そうだった、そうだった。もの凄く真剣に考えない限り、私の勘は外れるのだったわ。
私はがくりと項垂れたものの、公爵なんて雲の上の存在、どのみち私の生活とは何のかかわりもないわ、と2人から離れようとする。
「それでは、お声掛けいただきありがとうございました。さようなら」
けれど、それでもオルコット公爵は私の腕を離してくれなかった。
そのため、足止めされた私がじろりと睨んだけれど、公爵は気にした様子もなく、新たな話題に切り替える。
「最近、僕には娘ができたんだよ。フィーアと同じくらいの歳だから、仲良くしてやってね」
「えっ? それはおめでとうございます。ですが、私は15歳でして、赤ちゃんと同い年ではないと思います」
先ほどの雑草を飾る発言あたりから、オルコット公爵は正気じゃないかもしれないと思っていたけれど、やっぱり思考が普通じゃないように思われる。
それとも、『15歳以下は等しく同じ』と考える、大雑把なタイプなのかしら。
あるいは、全く面白くない貴族ウィット第2弾なのかも。
公爵の真意が分からず、じっと見つめると、彼は自由な方の片手をひらひらとさせた。
「ああ、娘と言っても養女だよ。だから、今16歳だ。彼女も聖女様だから、王城勤めのシャーロット聖女とは話が合うかもね。そうだ、今度2人でうちに遊びにこない? 義娘のプリシラは長年東部で暮らしていたから、王都に友達がいないんだよ。仲良くしてもらえると嬉しいな」
「まあ」
聖女と聞いて、私の頬がぴくりと動く。
ちらりとシャーロットを見ると、「フィーアが行きたいならいいわよ」とばかりに頷いてくれた。
そのため、ぜひ公爵家の聖女に会ってみたいわ……と返事をしようとしたところ、後ろからよく見知った声が響いた。
「フィーア、どうかしましたか?」
振り返ると、シリル団長がデズモンド団長とともに、こちらへ向かって歩いてきているところだった。
あら、2人揃っているなんて珍しいわね。
というか、さすが騎士団の双璧、2人でいると迫力があるわね、と思って見つめていると、歩み寄ってきたシリル団長がオルコット公爵の腕に手をかけた。
えっ、シリル団長がオルコット公爵の腕を捻った? ……と思った瞬間、公爵がぱっと私の腕を離した。
「は、離れた!」
私は慌てて、自分の腕を背中の後ろに隠した。
けれど、シリル団長が腕を伸ばしてきて、今度は団長に手を取られてしまう。
「シリル団長?」
何のつもりかしら、と不思議に思って団長を振り仰ぐと、隣からオルコット公爵の不満気な声が響いた。
「フィーア、シリルが手を掴んでいるのに、放せって言わなくていいの?」
すると、シリル団長が勝ち誇った表情で公爵を見やる。
「彼女にとって私は安心できる友人ですからね。あなたのように、警戒心を露にしなければならない相手と、対応が異なるのは当然です」
オルコット公爵は心外だといった様子で声を上げた。
「何を言っているの? 僕はフィーアに、表の顔と裏の顔の全てを見られたのだよ! もはやフィーアは僕の全てを理解しているのだから、警戒する必要なんてないだろう」
「逆ですね。全てを見たからこそ、あなたは信用ならない相手だと判断したのではないですか?」
突然、言い合いを始めた2人を見て、私は驚いて目を見開いた。
「まあ、お2人とも仲がいいんですね!」
すると、2人から間髪入れずに反論される。
「フィーア、私たちの何を見て仲がいいと思ったのですか?」
「そうだよ、フィーア! シリルが隣に立つと、いつだって僕がかすんでしまうんだから。そんな相手と仲良くしようなんて、思うはずもないよね」
「ほら、そうやって、同時に同じことを言っていますよね。そういうところですよ」
まるで子どもの喧嘩だわ、と呆れながらも、ちょうど良かったわとシリル団長に質問する。
「ところで、シリル団長、私とシャーロットはオルコット公爵からお招きを受けたんです。公爵邸に遊びに行ってもいいですか?」
シリル団長の返事は、予想外のものだった。
「……あなた方だけでは心許ないでしょうから、私とデズモンドが同行しましょう」
シリル団長の答えを聞いたオルコット公爵は、ぎょっとしたように団長を見やる。
「え、僕はシリルを招待していないんだけど!?」
けれど、シリル団長は気にした様子もなく、穏やかに微笑んだ。
「貴族社会は横のつながりこそが全てですよ。まさかロイドが、私の訪問を拒否するはずもないでしょう」
オルコット公爵は嫌そうに顔をしかめた。
「うわっ、これは筆頭公爵からの明らかな脅迫だよね! フィーア、こんな独裁的な男の下で働かされて大丈夫?」
「……私はシリル団長の下で働けて、幸せだと思いますよ」
少し考えた後、私は1番被害が小さそうで正直な答えを返した。
すると、オルコット公爵は不満いっぱいの表情を浮かべ、シリル団長はそんな公爵を笑顔で見つめた。
「おやおや、不満そうですね。やはりこれは、フィーアから忌まれる言動を取るあなたに、手本となる私の言動を観察する機会を、早々に与えなければいけませんね」
「え?」
言われた意味が分からずに聞き返すオルコット公爵に、シリル団長は綺麗な微笑を見せた。
「善は急げと言います。明日の午前中、ここにいる4人で……いえ、ワイナー侯爵家のファビアンを含めた5人で、オルコット公爵邸を訪問いたします。……ああ、フィーアはストロベリーが好きなので、お茶請けはストロベリータルトにしてください」









