【挿話】第3回騎士団長会議1
「初めに謝罪します」
騎士団中央棟の長い廊下を抜けた先にある豪華な会議室で、円卓に着いた面々を見回しながら、シリル第一騎士団長は謝罪の言葉を口にした。
「本日の会議では、私が上手くディレクションできない可能性があります。通常であれば、事前に議題内容を検討し、方向性を確認してから会議にかけるのですが、今回は不明要素が多すぎて、内容を完全に理解することができませんでした」
会議を始めるにあたって、議事進行役が議事内容を理解できていないと発言するのは、通常、あり得ないことだった。
しかしながら、シリルの発言に文句を唱える者は、一人もいなかった。
むしろ、聞きたくなかったとばかりに顔をしかめている者がいるくらいで、残りの者は無表情を貫いていた。
なぜなら本日の出席者は、王都在住の騎士団長以上の者に限られていたからだ。
シリル第一騎士団長。
デズモンド第二騎士団長。
イーノック第三魔導騎士団長。
クェンティン第四魔物騎士団長。
クラリッサ第五騎士団長。
ザカリー第六騎士団長。
カーティス第十三騎士団長。
サヴィス騎士団総長。そして、この8人が出席者の全てだった。
というのも、今回に限っては、騎士の随行が許されていなかったからだ。
つまり、極秘中の極秘議題について話し合うことが事前に暗示されており、そんな状況下におけるシリルの『不明要素が多すぎて、内容を理解しきれません』発言は、出席者の顔を曇らせるものでしかなかったからだ。
「それで? 聞きたくない議題から、耳を塞ぎたい議題まで、本日の予定はぎっしり詰まっていると思うが、まずは何を聞かされるんだ?」
デズモンドが手に持ったペンをくるりと回しながら、シリルに尋ねた。
「オレはどのような内容でも受け止める覚悟ができているぞ。さあ、こい!」
勇ましい様子のデズモンドを無言で見つめた後、シリルは手に持っていた書類を指でパチンと弾いた。
「……そうですね。それでは、デズモンドが既知の情報から始めましょうか。ご存じの方もいらっしゃるでしょうが、我が第一騎士団所属のフィーア・ルードには従魔がいます」
シリルの言葉を聞いた途端、デズモンドはびくりと体を跳ねさせ、「え、そんな重大なやつを最初にやるのか!?」と独り言ちた。
クェンティンとザカリー、カーティスはすっとシリルから視線を外し、円卓を見つめる。
残りの者は、不思議そうな表情を浮かべた。
「フィーアちゃんが従魔を持っていたのは初耳だけど、わざわざ御前会議にかける内容かしら?」
フィーアの従魔の話が初耳の騎士団長を代表して、クラリッサが疑問を口にする。
すると、シリルがさらりと返事をした。
「ええ、この会議にかける内容でしょうね。フィーアの従魔は黒竜ですから」
シリルの言葉を聞いた途端、クラリッサはぷっと噴き出した。
「ぷふふ、シリルもそんな冗談を言うのね! 意外過ぎて、ちょっと面白かったわ」
「それはどうも。ですが、あなたの想像通り、私はこの手の冗談は口にしません」
「えっ、たった今、言ったじゃないの!」
何を言っているのかしら、とばかりに訝し気な表情を浮かべるクラリッサの前で、シリルはため息を吐いた。
「全てが冗談であればいいと何度も考えましたが、残念ながら事実です。ご存じの通り、黒竜は我がナーヴ王国の守護聖獣です。フィーアはその黒竜を従魔にしており、先日、ガザード辺境伯領に視察に出掛けた際、霊峰黒嶽から黒竜を王城に連れて帰りました」
「ええー?」
半信半疑の表情で声を上げるクラリッサに対し、シリルはぐっと眉を寄せた。
「黒い翼持ちの生き物が王城の庭を飛び回っている姿を目にした時は、私だとて自分の目を疑いました。ですが、どういうわけかフィーアは黒竜に擬態させることなく、自由に王城内を飛び回らせているのです」
他人への同調能力が高いクラリッサは、あっと息を呑むと、シリルの言葉に同意する。
「……見た、私も見たわよ! フィーアちゃんが黒い鳥に向かって、楽しそうに話しかけていた姿を! 鳥が人の言葉を分かるはずもないのに、熱心に話しかけるなんて、フィーアちゃんはよっぽど鳥が好きなのねと思っていたけど……」
しかし、そこで一旦言葉を切ると、言いにくそうに続けた。
「でも、フィーアちゃんの手のひらに乗るサイズだったし、あれは普通の鳥だったわよ! 黒竜は見上げるほどに大きいはずだし、そもそも人よりはるかに強大で、賢くて、上位の存在なんだから、従えさせられるわけないわ」
ねえ、と言いながらクラリッサがクェンティンを見やる。
クェンティンは両手を広げると、クラリッサの言葉に大きくうなずいた。
「その通りだ。黒竜王様は偉大で壮麗で神々しいご存在だ! 卑小なる人ごときに従うはずもない!!」
クェンティンはさらに何事かを続けようとしたけれど、聞きたい言葉を聞き終えたクラリッサは、ほら見なさいと言わんばかりにシリルを振り仰いだ。
そのため、クェンティンは口をつぐむ。
シリルは硬い表情のまま、説明を続けた。
「そもそもフィーアが黒竜を従えたのは、我が騎士団に入団する前です。フィーアの父親であるドルフ副団長に確認したところ、『黒竜ではなく、黒っぽい竜っぽい何かを従えさせた』と言っていましたが、黒竜で間違いありません。黒い翼持ちは、黒竜しかいませんからね」
「ええー?」
全く信用していない様子でクラリッサが高い声を上げ、その隣ではイーノックが居心地が悪そうに体を動かしていた。
シリルは困った様子で眉を下げる。
「分かり難くて申し訳ありません。自分でも説明が上手くないことは理解しています。内容が信じ難いものであることに加え、提示できる確たる証拠がないことから、順番通りに説明しても話が流れていくだけだと考え、結論から先に申し上げました。そのせいで、余計な混乱を招いたようですね」
「……証拠がないの?」
クラリッサが尋ねると、シリルははっきりとうなずいた。
「証言者ならいますが。……以前、この会議で黒竜探索を議題にしたことがありましたよね。その後、クェンティン、ザカリーがフィーアを連れて森林探索を行いましたが、そこで2人はフィーアが黒竜を従える姿を目にしています」
「ええ!? クェンティン、あなたさっき、『人ごときに黒竜は従わない』って、自分で言ったじゃないの!」
クラリッサがクェンティンに詰め寄ると、彼はじろりと同僚を見やった。
「オレの話を途中で遮ったのはお前だ。オレの話には続きがある。もちろん卑小なる人ごときに、偉大なる黒竜王様が従うはずもないが、フィーア様は例外だ! なぜなら絶対的存在である黒竜王様を、瞬きほどの時間で完全調伏された素晴らしい方だからな!!」
黒竜について語る時の常で、興奮した様子で拳を握りしめるクェンティンに、誰もが冷めたような視線を送った。
そんなクェンティンの言葉をザカリーが引き取る。
「オレもその場に居合わせたが、フィーアは間違いなく黒竜を従えていたことを証言しよう。クェンティンが聞いた説明によると、フィーアは偶然、黒竜が大怪我をしている場面に出くわしたそうだ。その時、たまたま持っていた回復薬で黒竜の怪我を治し、そのことに恩義を感じた黒竜がフィーアの従魔になったらしい」
それまで黙って話を聞いていたイーノックが、いかにも信じられないといった様子で口を開いた。
普段は無口で言葉を差し挟まないタイプのため、よっぽど興味を惹かれたのだろう。
「話にすると綺麗にまとまっているが、相手は伝説の魔獣だ。それほど簡単に契約できるはずがないだろう。そもそもフィーアは、騎士として凡庸だと聞いている。黒竜を抑え込むほどの力を持っているとは……」
言いかけたイーノックをシリルが遮る。
「失礼、イーノック。必要な説明を終えていませんでした。クェンティンが口にしたように、フィーアは黒竜を完全調伏しましたので、彼らは常につながっている状態にあります。そのため、黒竜はフィーアの感情と思考を読み取れます。フィーアが対峙する相手に少しでも負の感情を抱いたら、黒竜が相手を切り裂きにくる可能性は高いでしょう」
「え……、何だ、その最上級のホラーは…………」
イーノックは自分の口元を両手で押さえると、きょろきょろと中空に視線を巡らせた。
「いや、だが、フィーアがこの場にいるわけでもないし、今のオレの言葉は聞き取られていないよな?」
恐怖に目を見開くイーノックに対し、シリルは慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。
「そうであればいいと、私も心から思います。ですが、黒竜は王城内に生息していますし、魔物の聴覚の優秀さは不明ですので、軽率な発言は控えていただくのがいいでしょうね」
「あ、ああ……そうだな」
恐怖の色を浮かべ、未だ心配な様子で周りを見回すイーノックに視線を定めたデズモンドが、「昔のオレを見ているようだ」と感慨深げに呟いた。
そんな2人を放置すると、シリルは残りのメンバーに向かって口を開く。
「フィーアが自ら口にしない以上、フィーアの従魔が黒竜であると広めることで、『フィーアの希望に反した』と黒竜から捉えられる恐れがあります。そのため、これまでは、黒竜に殺される覚悟を持った、最小限の者のみでの情報共有に留めていました」
ごくりと唾を呑むメンバーに、だからこそ、フィーア自身に尋問などできるはずもなく、本日もこの場に召喚していないのですよ、とシリルは続けた。
「ですが、もうのっぴきならない状況になってきましたので、苦渋の選択で情報を共有することにしました。もちろん、フィーアが黒竜をサイズダウンさせただけの姿で自由にさせているので、フィーアが黒竜を隠す気が失せたのだと判断したことも、要因の一つではありますが」
「シ、シリル、のっぴきならないというのは……」
恐る恐ると言った様子でデズモンドが問いかける。
すると、シリルは複数枚にわたる手持ち資料をひらひらと振ってみせた。
「それはこれからゆっくりとご説明します。端的に言うと、この次の議題も、次の次の議題も、そのまた次の議題も、フィーア・ルードに関することだということです」
「ひっ!」
「嘘だろ!?」
イーノックのみならず、デズモンドやザカリーといった面々も驚いた声を上げると、がたりと音を立てて椅子から立ち上がった。
彼らの視線を無言のまま受け止めたシリルは、美しい笑みを浮かべる。
「お座りください。議論すべき話題はまだまだありますので」
「「「…………!」」」
『……ああ、死神はこのような笑みを浮かべているのかもしれない』
なぜだか騎士団長たちは同じ感想を抱き、嫌な予感しかしないと考えながら、浮かせた腰を再び椅子に戻したのだった。