140 私の近衛騎士団長(300年前)
「セラフィーナ、どうせオレの足を踏むのなら、せめてオレの顔を見ながらにしてくれ。足を見つめられたまま何度も踏まれると、まるで狙って踏まれているような気持ちになる」
シリウスの呆れたような声を聞いた私は、はっとして顔を上げた。
確かにシリウスの言う通りだわ、と思ったからだ。
実際にはシリウスの足を踏まないために足元を気にしているのだけれど、これだけ彼の足を踏み続けていては、彼がそんな気持ちになるのも仕方がない。
申し訳ない思いでシリウスの顔を見つめると、その綺麗な白銀眼と視線が合った。
相変わらず嫌になるくらい整った美貌ねーと思わず見惚れていると、その綺麗な唇が歪められ、美貌に似合わない辛辣な言葉が吐き出された。
「どの道お前は夜会当日、床に届くほど長いドレスを着用するのだ。お前がオレの足を踏んだところで、オレが顔を歪めでもしない限り誰にも分からない。だから、お前は顔を上げ、オレが苦痛を表情に表さないかどうかを見張っておけ」
優しさを見せながらも、酷い一言だ。
夜会当日まであと2週間もあるというのに、私のダンスが上達しないことを前提に話が進められているのだから。
私はむっとして頬を膨らませると、至極もっともな意見を口にした。
「シリウスなら無表情を貫いてくれるかもしれないけれど、他のお相手は私が足を踏んだら顔を歪めるに決まっているわ! そして、ダンスを踊る度に、『足を踏まれても無表情を貫いてください』とお願いできるわけないのだから、私はあなたの表情を見張るよりも、ダンスのレッスンを行うべきだわ」
「他の者のことを考える必要はない。夜会でお前と踊る相手はオレだけだ」
「えっ?」
あまりに極端な意見に、私は驚いて足を止めた。
けれど、部屋の隅に控えているピアニストは曲を演奏し続けたため、部屋には美しい音色が響き続ける。
「……どうした? ダンスのレッスンはこれで終わりか?」
「い、いえ、そうではなくて……。あの、シリウス、それはさすがに無理じゃないかしら。私が公式に出席する初めての夜会で、あなたとしか踊らないなんてことは。私はこれでも第二王女だし、大聖女でもあるのだから……」
「そして、オレはシリウス・ユリシーズだ。二言はない」
シリウスはそう言うと、何かを企んでいるかのような表情でにやりと笑った。
その表情を見て私は理解する。
……なるほど。実際に私が夜会で踊る相手はシリウスだけになるのだろうな、と。
なぜだか分からないけれど、シリウスがこんな風に笑う時は、必ず彼の言う通りになるのだから。
そして、こんな風に何かを企んでいるシリウスは、決して止まらないのだ。
私は諦めのため息を吐くと、ダンスのレッスンを再開した。
―――最近の私は、1日中大忙しだ。
というのも、2週間後に出席する夜会に向けて、準備することが満載だからだ。
これまでの私は聖女としての活動に重きを置いていて、王女としての活動をほとんどしてこなかった。
もっと言うならば、王女として必要な学習すらあまりしてこなかった。
そのため、いざ国王のお声掛かりで夜会に出ることになった今現在、身に着けるべきこと、準備すべきことがいっぱいで、てんやわんやの状態なのだ。
シリウスはそんな私に同情してくれたようで、時間を見つけては何かと手伝ってくれる。
彼自身が物凄く忙しいにもかかわらず、だ。
「シリウスがいてくれて助かったわ! 1か月前に突然、お父様から夜会に出席するよう命じられた時はどうなることかと思ったけれど、色んなものがやっと少しずつ形になってきたわ」
シリウスの言葉に従い、私は彼の顔を見つめて踊りながら感謝の言葉を口にする。
すると、シリウスは考え込むかのように首を傾げた。
「ふむ、オレの想像する夜会の準備の完成形と、お前のそれは全く異なるようだな。オレはまだまだだと思っているが、お前は形になってきたと言うのだからな」
「シリウス!」
「ははは、冗談だ。お前は十分頑張っている。さあ、少し休憩しよう」
シリウスはそう言うと、テラスへと続く大きな窓を開けた。
それから、私を庭の花々が1番良く見える席に座らせる。
着席した途端、待ち構えていたかのようなタイミングで、侍女たちから紅茶とお菓子がサーブされた。
「……私を休ませるタイミングまで完璧ね、近衛騎士団長様」
丁度疲れてきたから休みたいなと考えていたところだったので、どうして分かったのかしらと不思議に思いながらシリウスを見上げる。
すると、シリウスは無言で肩を竦め、さり気ない様子で私の紅茶にミルクを入れた。
……私の紅茶の好みまで完璧に把握されている。
「……分かったわよ。いつだってシリウスは誰よりも私のことを理解しているということね」
私は紅茶を口に含むと、前々から不思議に思っていたことを質問する。
「ねえ、シリウス。シリウスはいつダンスが踊れるようになったの? あなたは人生の大半を騎士であることに捧げていて、とてもそれ以外のことをやる時間はないように思われるのだけれど。それなのに、どうしてそんなに上手にダンスが踊れるの?」
私は人生の大半を聖女であることに費やしてきたので、聖女の役割以外について恐ろしく出来が悪い。
けれど、人生の時間は限られているのだから、全てを上手にできるわけがないわよね、と出来が悪いことを仕方がないと考えていたけれど、シリウスを見ていると間違っていたような気持ちにさせられる。
なぜならシリウスは王国最強の騎士であり続けているにもかかわらず、国内最大貴族であるユリシーズ公爵としての政治力も、貴族としての品格も備えているからだ。
「オレは騎士という職業柄、体力があるからな。お前よりも眠らずに済む分、暇な時間に少しずつ手を出しているだけだ」
シリウスは簡単に言うけれど、たとえ今日から私の睡眠時間が半分になったとしても、シリウスと同じように多くのものを身に着けられるとは思えない。
「あなたの時間と私の時間は、流れ方が異なるのかしら? それとも、物事に取り組む真剣さが、私には足りていないのかしら? シリウスと同じ時間起きていたとしても、とても同じように多くのものを身に付けられるとは思えないわ」
ふうっと大きなため息を吐きながら、困ったようにシリウスを見つめると、不思議そうに見つめ返された。
「……お前以外の者は、そのようなことを疑問にも思わないぞ。『シリウス・ユリシーズだから』の一言で理解したつもりになり、全てを片付ける」
まあ、シリウスは何てことを言うのかしらと思った私は、むっとして彼を睨みつける。
「あなたが何だって完璧にできることは否定しないけれど、努力もせずに素晴らしい結果を出せる人なんていないわよ! 『シリウスであること』のために物凄く努力をしたことは、あなたが出した結果を見れば明白だし、同じように、『シリウスであり続けること』のためにどれほど努力をし続けているかは、現状のあなたの素晴らしさを見れば一目瞭然だわ」
私の言葉を聞いたシリウスは、眩しいものを見つめるかのように目を細めた。
「……お前はいつだってその金の瞳でオレを見つめ、全てを肯定してくれるのだな。そして、オレを救ってくれる」
「え?」
こてりと首を傾げて尋ねると、シリウスは何でもないという風に笑った。
「いや、お前に認められるのは、存外嬉しいということだ」
そう言いながら、シリウスは片手を差し出してきた。
そのため、条件反射で彼の手に自分の手を重ねる。
すると、シリウスは私の手を持ち上げ、その甲に軽く唇を落とした。
それから、視線を上げて見つめてくると、一言一言をゆっくりと誓うように口にする。
「至尊なる我が王国の大聖女。お前を構成する全てをオレは守ろう。美しく輝く深紅の髪を、慈愛に満ちた金の瞳を、奇跡を生み出す白い腕を―――未来永劫守ることを、約束しよう」
その真摯な様子に胸が詰まったような思いを覚えたけれど、なぜだか気恥ずかしさを感じた私は、あえて軽い調子で言葉を返した。
「まあ、王国最強の騎士である赤盾近衛騎士団長様にお約束いただくなんて、心強いことですわ。ありがとうございます」
それから、私は席を立つと、わざとらしくも畏まった様子でドレスを摘まみ上げ、正式な淑女の礼を取った。
それを見たシリウスも立ち上がり、片手を背中に、もう片手を胸に当て、正式な騎士の礼を取る。
しばらくそのまま静止した後、私たちは2人で顔を見合わせて笑い合った。
そんな私たちの上に、暖かい太陽の光が燦々と降り注ぎ、遠くからは鳥たちのさえずりが聞こえてくる。
……ああ、シリウス。あなたとともにあった時間は、いつだって輝いていた。
誰よりも素敵な私の近衛騎士団長。
思わず、そう心の中で呼び掛けたけれど……
「……どうした、オレの大聖女?」
―――シリウスからそう、優しく呼び返された気がした。
いつも読んでいただきありがとうございます!
おかげさまで12/10(金)にコミックス5巻が、12/15(水)にノベル6巻が発売予定です。
詳細が決まり次第お知らせしますので、よろしくお願いしますo(^-^)o