138 霊峰黒嶽19
全員が砦に戻ったところで、その日はゆったりと過ごした。
つまり、顔見知りの騎士たちから無事の帰還を喜ばれる中、ザビリアを肩に乗せて砦の中を回ったり、騎士たちが訓練している様子を眺めたりした。
約束通りカーティスは、ガイ団長から肉料理攻めにあっていた。
どういうわけか、グリーンとブルー、私も巻き込まれて同様の攻撃を受ける。
出された料理の全てを4人で平らげたところ、ガイ団長から目をむかれた。
「マジか!? これは20人分の食料だったんだが!!」
そして、よっぽど腹が減っていたんだなと同情されたけれど、いえ、山の中でも毎日同じ量を食べていましたよ。
ただし、周りに竜しかいなかったので、食事量の感覚がおかしくなっていたのかもしれませんが。
夕食時、近くに座っていたカーティスから今後について提案された。
「フィー様、次はいつオリアに会えるか分かりませんので、この砦にしばらく滞在されてはいかがでしょうか」
「え、いいのかしら?」
復路にかかる日数を含めると、3週間の休暇を明らかに超えるように思われたため問い返すと、カーティスから問題ないと頷かれた。
「シリル団長も事前に了承済みの案件ですから、問題ありません」
確かにシリル団長から、この地に滞在する期間は業務扱いにすると言われたけれど、ただ滞在するだけの期間を業務と見做してもらっていいものだろうか。
「うーん?」
両腕を組み、首を傾げて考える。
けれど、すぐにいいものだろうと結論付けた。
「うちのご立派な騎士団長様は団員のことをよく理解しているはずだし、理解した上で指示を出したのだろうから、好きなだけこの地に滞在するのはありだわね。カーティスの言う通り、今後は姉さんと一緒に過ごせる機会なんてなかなかないだろうし」
私はルールを緩く解釈するタイプなのだ。
ということで、「黒竜不在時の霊峰黒嶽における竜たちの移動状況を確認する」目的で、私たちは引き続き砦に滞在することにした。
シリル団長も黒嶽から魔物が溢れ出して騎士たちが困っていると言っていたし、状況を正しく把握することは必要な業務だと自分に言い聞かせる。
類は友を呼ぶのか、私たちに合わせてグリーンとブルーも同じ期間だけ砦に滞在すると言い出した。
お国ではレッドが1人で家業を切り盛りしているだろうに、次男と三男は自由なことだわ。
そうレッドに同情していたけれど、この2人は器用で、頼まれたことは何でもそつなくこなすため、騎士たちから重宝されていた。
「……帝国にいるレッドには悪いけれど、砦にいる王国騎士にとってありがたいことだわ」
そう考えた私は、決して2人の帰国を急かさなかった。
それから暫く経ったある日の昼下がり、私は全てに満足しながら姉さんとお茶を飲んでいた。
さすがにゆったりし過ぎたので、明日にでも砦を発とうと話をしていたところ、ルード領から使いが来たとの伝言が入る。
「え、ルード領からお使いが来たの? まあ、誰かしら?」
疑問に思いながら姉さんと一緒に迎えると、顔なじみの女性騎士であるリンだった。
これはまた久しぶりに懐かしい顔を見られたわと、姉さんと一緒に歓迎する。
ルード領からこの砦まで遠くはないけれど、幾つも山を越える必要があるので、わざわざ何事かしらと尋ねると、リンは細長い布の塊を差し出してきた。
「これは何かしら?」
姉さんにも思い当たることがないようで、首を傾げながら尋ねている。
リンは困ったように眉を下げた。
「それが、1か月ほど前に突然、アルテアガ帝国の貴族に仕えているという騎士が訪ねて来たんです。何でも主である貴族が婚約相手を探しているとのことだったので、フィーアさんの肖像画をお譲りしました。その際、身元保証の代わりにとこちらを置いていかれたのですが、明らかに立派なものでしたので、判断を仰ごうとお持ちした次第です」
「えっ、私の肖像画!? こ、こ、こ、婚約ですって??」
寝耳に水の話に思わず椅子から立ち上がったけれど、姉さんもリンも動揺している私を微笑ましそうに見ただけだった。
「フィーア、落ち着きなさい。肖像画を渡すことはよくある話よ。ただし、10枚渡しても1回のお見合いにつながるかどうかだから、そう期待するものではないわ」
「あ、は、はい……」
「でも、帝国からの打診というのは……」
姉さんが考えるかのように目を眇めたところで、リンが言葉を引き取る。
「そうですね、帝国からのお話は初めてですよね。対応した騎士によると、最も位の高そうな騎士は年若い青髪の美丈夫だったそうです」
「青髪の美丈夫!」
リンの言葉を聞いた瞬間、思い当たることがあり声を上げる。
そうだわ、この間ブルーからルード家に立ち寄ったと告白されたのだった。
初めて出会った時同様、ルード領の近くにある中級者の森をうろうろしていたところ、たまたま我が家に立ち寄ったとのことで、その時に一緒にいたブルーの仲間が、彼の剣と誰かの肖像画を交換したとの説明を受けていたのだった。
しかも、肖像画をほしがったのは婚約うんぬんという話ではなく、お国の占い師の占いに基づく行動との話だった。
初めて出会った時も、占いの結果だからと魔物の左手をほしがっていたことを思い出し、色めいていた話が一気にそうでなくなる。
恐らく占いの結果とは言い辛かったブルーたちが、我が家では婚約者を探していると説明したのだろう。
「あー、姉さん、その騎士はブルーよ。ブルーは前からあの辺りをうろうろしていたみたいだし、たまたまルード家に立ち寄ったって話を聞いたのだったわ」
気持ち的にがっかりして説明すると、姉さんがおかしなことを言い出した。
「あら、ブルーは父さんに挨拶するつもりだったのかしら?」
いえ、家族に苦情の申し立てに来るほど、私はブルーに迷惑を掛けてはいませんよ。
そんな意志表示を込めて首を横に振ると、姉さんは考えるかのように顎に手を当てた。
「でも、フィーアの肖像画と引き換えに剣を置いてくなんて、騎士家への対応としては悪くないわね」
それから、姉さんは布の包みを解いて剣を取り出す。
「……え?」
けれど、その剣を見た瞬間、私は息が止まったような衝撃を受けた。
目を見開き、硬直したように動けないでいると、私の様子に気付いていない姉さんが感嘆したような声を上げた。
「まあ、確かにこれは立派な剣ね! 柄部分に大きな石が入っているし……これは魔石かしら? フィーア、この大きさの魔石だなんて、ブルーは一財産置いていったんじゃ……」
顔を上げ、私の表情を確認した姉さんの言葉が止まる。
なぜなら、私の両目からはぼたぼたと大粒の涙が零れ落ちていたからだ。
「フィーア?」
驚いたように立ち上がった姉さんの元にふらふらと近寄ると、私は無言のまま、美しい黒い剣を手に取った。
「……っ」
300年ぶりに手にした剣は手に重く、ずしりとした感触を伝えてくる。
ああ、長い年月を超えて、私の手の中に再びこの剣が戻ってくるなんて……
私の両目からは、ぽろぽろと涙が零れ続ける。
―――これは、300年前に私がシリウスに贈った剣だ。
彼の剣を抱きしめながら言葉もなく涙を流していると、慰めるように私の肩に手を置いていた姉さんが、何かに気付いたような声を上げた。
「ブルー、ちょうどよかったわ! たった今ルード家から剣が届けられたのだけれど、これはあなたのものかしら?」
「剣って………えっ、フィーア、どうかしたの!?」
焦ったような足音が聞こえたかと思うと、ブルーがすぐに側まで来て、驚いたように顔を覗き込んできた。
それから、私の頬を流れる涙に気付くと、ぎょっとしたように後ろに跳び退った。
「フィ、フィ、な、涙。え、あ、ハンカチ。あっ、ポケットから出てこない。あっ、どうしてこんな肝心な時に!」
びりりっと派手に布地が裂ける音が続く。
頭上では取りなすような姉さんの声が聞こえた。
「落ち着いて、ブルー。あなたの方がフィーアよりよっぽど酷い顔色に見えるわよ。フィーアはね、この剣を見た途端に泣き出してしまったの。これはあなたのものでよかったのかしら?」
「いや、これは私の剣ではなくて、ぶ……仲間の剣だ。ええと、その仲間はかつて立派な帝国騎士だったため、国から褒賞としてこの剣を与えられたと言っていた」
「そんな由緒ある剣を、あなたの仲間は置いていったの?」
「あっ、その……、な、仲間は変わり者でね。元々、肖像画と剣を交換しなければならないと占いで出ていたところに、ルード家で『領内練習試合1000敗記念の逆勲章』を見て感銘を受け、こういう騎士にこそ立派な剣を持ってもらい、強くなってほしいとか何とか……」
ブルーの声は尻すぼみになって聞こえなくなったけれど、大体のことを理解した姉さんが言葉を引き取った。
「なるほど、その逆勲章を取った全敗の騎士は幼いフィーアだから、フィーアに強くなってほしかったってことかしら? それにしても、帝国騎士絡みの由緒ある剣を簡単に置いていくなんて、お仲間は豪気な方ね」
姉さんの声は感心したような響きを帯びていたけれど、私はそれを否定した。
「いいえ……これは帝国の剣ではないわ。ナーヴ王国の剣よ」
なぜならシリウスは、我がナーヴ王国が誇る騎士だったのだから。
そして、恐らく彼はこの剣を、決して手放さなかっただろうから。
それとも、シリウスが亡くなった後に、ナーヴ王国からアルテアガ帝国へこの剣が譲られたのだろうか。
詳細は分からないけれど、………いずれにせよ、シリウスの剣は再び私の元に戻ってきてくれたのだわ。
私はぎゅっと両腕で剣を抱きしめた。
「……姉さん、私、この剣がほしい」
顔を上げ、姉さんを見つめながらお願いすると、姉さんは確認するかのようにブルーを見た。
「ブルー、由緒ある立派な剣のようだけど、本当にもらってもいいのかしら?」
「勿論だよ! フィーアに所持してもらうなら、この剣も本望だろう」
ブルーは何度も大きく頷いてくれた。
そのため、姉さんが嬉しそうに私を見下ろす。
「だそうよ、フィーア。よかったわね、今からこの剣はあんたのものよ」
「……ありがとう」
私は2人に向かって大きく頭を下げると、再び剣を抱きしめた。
それから、シリウスに思いを馳せる。
……シリウス、この剣を大事に使ってくれてありがとう。
おかげで刃こぼれ1つない状態で、300年経った今、再びあなたの剣に巡り合うことができたわ。
「一目惚れした剣を所持できるなんて、フィーアは幸せ者ね」
そう言いながら、姉さんは私が泣き止むまで抱きしめてくれた。
突然剣を抱きしめて泣き出した私を見て、姉さんはそう結論付けたようだった。
確かにシリウスの剣は一目惚れするほど美しいわと考えた私は、それ以上説明することもできなかったため、黙って姉さんの言葉を受け入れた。
―――その日、私はシリウスの剣を枕元に置いて眠った。
シリウスの夢を見ることはなかったけれど、ぐっすりと眠ることができ、そのことが彼のおかげのように思われる。
シリウスの剣が戻ってきたことの報告とともに、カーティスにその旨を告げると、戸惑ったように瞬きをされた。
「フィー様はいつだって安眠されると思っていましたが……。逆にお尋ねしますが、最近、寝つきが悪かった日がございましたか?」
「……そう言われれば、基本的に毎日ぐっすり眠っているわね」
いつだってカーティスは、私に真実を見つめ直させてくれるのだった。
―――翌朝、カーティス、グリーン、ブルー、ザビリアとともに、私は第十一騎士団の砦を後にした―――長らく滞在する間に仲良くなった、多くの騎士たちに別れを告げながら。
私は片手でシリウスの剣を握りしめながら、もう片方の手を振ると、笑顔で姉さんやガイ団長に別れを告げた。
魔人には遭遇したけれど、ザビリアは戻ってくるし、姉さんには会えたし、カーティス、グリーン、ブルーとは旅ができたし、シリウスの剣と再会できたしと、この地にきてよかったと心から思いながら。
私の肩の上にはザビリアが乗り、霊峰黒嶽を見上げていた。
私も真似をして黒嶽を見上げると、その背景に雲一つない青空が見えた。
……こんなに気持ちがいい快晴だなんて、王都に戻ってからの楽しい未来を暗示しているのじゃないかしら。
私はそう嬉しく思いながら、砦を後にしたのだった。