137 霊峰黒嶽18
霊峰黒嶽を下山するにあたり、訪問した時と同じように、カーティスと私はザビリアに、グリーンとブルーはゾイルに乗せてもらうことになった。
空を飛翔することは非常に便利で快適ではあったものの、騎竜したまま騎士団の砦まで進んだら大変なことになるため、麓付近で降ろしてもらう。
「ゾイル、色々とありがとう。後はよろしくお願いするわね」
ゾイルを見上げながら今後のことをお願いすると、灰褐色の竜は了解したとばかりに大きく頷いた。
素直に従ってくれる様子を見て、よかった、最後は仲良くなれたようだわと嬉しくなる。
私はこれまでのお礼を笑顔で伝えると、手を振ってゾイルと別れた。
さて、ここから先はどこに人目があるか分からないため、徒歩で進むと決めた途端、ザビリアが小さなサイズになって肩に乗ってきた。
その様子を見たブルーが遠慮がちに口を開く。
「黒竜殿、もしよければ私の肩に乗りませんか?」
ザビリアを肩に乗せ続けることで私が疲れるのではないかと、ブルーは気を遣ってくれたようだけれど、予想通りザビリアは返事をしなかった。
「私は大丈夫よ、ブルー。心配してくれてありがとう」
代わりに私が返事をしていると、遠くでかすかに人の声が聞こえた気がした。
こんな山の中に誰かいるのかしらと目を凝らしていると、木々の間からちらちらと騎士服らしきものが見え始める。
「え、騎士?」
どうしてこんなところに騎士がいるのかしらと不思議に思っている間に、その姿はどんどん近付いてきて、先頭に見知った顔が見えた。
「姉さん!」
嬉しくなって走り寄って行くと、驚いたような表情の姉さんと視線が合った。
「フィーア! 無事だったのね」
「えっ?」
またもや何か心配をかけたようだわと、焦りながら姉さんの腕の中に飛び込むと、ぎゅううっと抱きしめられる。
「霊峰黒嶽の中腹に、数十頭もの竜が集結していたのが見えたから、急遽捜索隊を編成して迎えに来たところだったのよ! 無事でよかったわ」
姉さんの後ろを見ると、ガイ団長以下十数人の騎士が見える。
まあ、お忙しい騎士たちに捜索いただいたなんて申し訳ないことをしたわ。
そう考えて眉をふにゃりと下げていると、騎士たちの間からガイ団長がずかずかと歩み寄ってきて、焦った様子で大声を上げた。
「とりあえず砦に戻るぞ! もはやオリアが言っていたような数十頭の竜どころの話ではないからな! いいか、この付近に『黒き王』が潜伏している!! つい先ほど、『黒き王』とその側近らしき灰褐色の竜がこの辺りに舞い降りるのが見えた。しかし、再び飛び立ったのは灰褐色の竜だけだった。つまり、『黒き王』が間違いなくこの付近に潜んでいる!」
「えっ、そっ、そうなんですか?」
しまった、ここまでザビリアに乗って来たのは失敗だったと反省しながら、何も知らない様子で言葉を返す。
心臓がばくばくとして挙動不審になる私とは異なり、カーティス、グリーン、ブルーの3人は誰1人慌てる素振りもなく、私の肩に乗っているザビリアに視線も向けなかった。
全員ともに素知らぬ様子でガイ団長の話を聞いているのだ。
犯人が犯行現場に戻るという話でもないけれど、普通なら誤魔化そうと思いながらも、どうしても視線がザビリアに吸い寄せられるはずなのに凄いわね。
そう感心しながら成り行きを見守っていたけれど、汚れ仕事はやりたくないのか、誰1人積極的に説明しない。
そのため、ここは私が誤魔化すしかないと、それらしき話を捏造するため口を開く。
「ええと、実はですね、……黒竜は太ったみたいなんですよ」
ここだけの話である感じを出したくて、声を潜めたのがまずかったのか、ガイ団長は聞き返してきた。
「ふと……何だって?」
毒を食らわば皿までよ、とガイ団長を騙し切ることを決意した私は、生真面目そうな表情を作ると言葉を続ける。
「実はこの数日間、黒竜のねぐら近くに潜んでこっそりと観察していたんですが、黒竜は太ったようでダイエットのために色んな場所を歩いているんですよ。恐らくガイ団長が見たのは、黒竜がウォーキング開始地点まで飛んできた場面で、今頃は少しでも痩せようと、ねぐらに向かって一生懸命歩いているんじゃないですかね」
「そ……んな生態が、黒竜にはあったのか!?」
驚愕した様子で大声を上げるガイ団長を見て、あっ、信じたわよと嬉しくなる。
よかった、ガイ団長は人の話を真に受けるタイプだったのね。
「ということは、『黒き王』は頂上へ向かって歩いているんだな? よし、鉢合わせの危険は無くなったぞ!!」
団長が安心したような笑顔を浮かべたのを見て、カーティスと姉さんが冷たい視線を送っていた。
視線の意味は、騎士団長という立場上、もう少し人の言葉を疑いなさいということだろう。
ごもっともな話だけれど、今回に限っては私の誤魔化し方が上手だったということなので見逃してください、と私は心の中で2人にお願いした。
「とりあえず、全員無事で何よりだ! さあ、砦に戻るぞ」
ガイ団長はそう言うと、カーティスとグリーン、ブルー、私の4人を先に進ませ、その後から警護するかのように付いてきてくれた。姉さんや他の騎士たちも後に続く。
少し歩いたところで、ガイ団長はザビリアに気付いたようで、まじまじと見つめてきた。
「フィーア、その肩の鳥はどうした? 山の中で捕らえたのか? えらくお前に慣れているが、いかんせん汚れすぎて真っ黒だな! 肩に乗せただけで服が汚れるんじゃねぇか」
世界中を探しても、黒い翼持ちは黒竜しかいないため、ガイ団長らしい解釈に基づいた発言だ。
けれど、問題はザビリアがその発言をどう思うかだ。
恐る恐るザビリアに視線をやると、不満気な表情でガイ団長を睨みつけていたため、これはまずいと慌てて団長を諫める。
「ガ、ガイ団長、お言葉を返すようですが、黒はとっても素敵な色ですよ! 必ずしも汚れた色というわけではありません。少なくとも私は黒が大好きです」
「そうかー?」
首を傾げるガイ団長の隣では、姉さんが優しい瞳でザビリアを見つめていた。
姉さんは領地でザビリアの姿を見たことがあったため、恐らく私の肩の上に乗っている黒い生物が何モノであるかを正確に把握しているはずだ。
賢い姉さんならば滅多なことは口にしないだろうけれど、説明は必要よねと考えて口を開く。
「姉さん、この間の話では、黒嶽から多くの魔物が溢れてきて、騎士たちが応対しきれずに困っているとのことだったけれど、今後は改善すると思うわ。だって、黒竜は新天地を求めて別の地に旅立つ予定だから!」
けれど、間髪入れずにガイ団長から反論される。
「は!? そんなわけねぇだろ! 竜は基本的に棲み処を変えねぇ。今さら『黒き王』がこの山を出て行く理由がない!!」
ガイ団長の発言は一般的な知識に基づいた、納得できるものだった。
そのため、通常であれば肯定される話なのだろうけれど、全ての事情を分かっている姉さんは考えるかのように顎に手を当てると真っ向から否定した。
「一般的な竜と伝説の古代竜では、生態が全く異なるかもしれないわね。もしかしたら、『黒き王』はもっと棲みやすい場所を見つけたんじゃないかしら。たとえば、王都とか?」
姉さんの発言を聞いたガイ団長は、驚愕して飛び上がる。
「ひっ、オリア! お前は常識派に見えて、時々、突拍子もない発言をするな。『黒き王』が王都に現れたら、あの美しい街並みは一瞬にして焼け野原になるぞ。そして、誰もが『黒き王』は王国の聖獣ではなく、最強最悪の魔獣だということを理解するだろう」
「……その前に、ガイ団長が焼け野原になりそうですけどね」
ガイ団長を睨みつけているザビリアを見て、オリア姉さんは至極有用な警告を発した。
けれど、警告を発せられたガイ団長は全く気付いていない様子で、カーティスに話しかけていた。
「ところで、カーティス、お前たちはここ数日間、山の中で何をしていたんだ? フィーアの話じゃあ、遠くから『黒き王』を観察していたとのことだが、そればかりじゃあ飽きただろう。全く怪我をしてないし、その綺麗な姿を見ると、ほとんど魔物に遭わなかったみたいだな」
そう言いながら、ばしばしと背中を叩いてくるガイ団長を、カーティスは呆れたような表情で見つめていた。
「お前は平和だな」
カーティスがそう返したくなる気持ちはよく分かる。
怪我は全て魔法で治癒したし、服を着替えたため見た目はすっきりしているけれど、カーティスは魔人との死闘を繰り広げた直後なのだから。
にもかかわらず、何の悩みもなさそうな表情で能天気なことを言われれば、溜息の1つも吐きたくなるというものだ。
けれど、ガイ団長の方がある意味勝っていたようで、「図星か。魔物に遭わなかったんじゃ、食料に困っただろう」と心配そうな表情で続けていた。
それから、「砦にはいっぱい食い物があるからな! 吐くまで食え!!」と言いながら、カーティスの背中をばんばんと叩いていた。
……ガイ団長は恐ろしく鈍いだけで、悪い人ではないのだ。