136 霊峰黒嶽17
『ザビリアを危険な目に遭わせないよう気を付ける』と発言した途端、1頭の竜が反論するかのように叫び声を上げた。
何か気に障ったかしらと顔を向けると、竜は片方の翼を広げ、地面に落ちていた鳥真似の羽を指し示した。
「うっ、それは……」
さすが上位種の竜だ。知能が高く、痛いところを突いてくる。
「ええと、その、黒い羽……ですね」
咄嗟に目に映ったことを口にしてみたけれど、無駄な足搔きであることは分かっていた。
なぜなら、この世界に存在する黒い翼持ちは黒竜しかいないからだ。
にもかかわらず、地面に落ちている羽は明らかにザビリアのものでない。だとしたら、それは様々に変態する特定の存在のモノで……
「ご、ごめんなさい! それは魔人の羽です。どういうわけか今日はたまたま魔人と遭遇しましたが、次からは危険な目に遭わないように気を付けますので!」
誤魔化しようもないため、素直に謝罪する。
ああ、失敗した。危険な目に遭わないよう気を付けるといった舌の根も乾かないうちに、300年間姿を見せなかった魔人に遭遇したと告白するなんて、全く信用できないと思われたに違いない。
がくりと項垂れていると、しんとした沈黙が落ちる。
呆れられていると顔を上げられずにいると、おかしそうなザビリアの声が響いた。
「ふふふ、どう? 僕の聖女は可愛らしいだろう。いつだって正直で、誠実で、僕を守ろうとしてくれる。そもそも僕が王になろうと思ったのはフィーアを守るためだから、彼女がいなければ、この地にきて王を目指すこともなかっただろう」
だからねぇ、とザビリアが続ける。
「彼女は僕の主だから、むしろお前たちが礼節を尽くすべきだろう。僕が想定していた形とは異なるけれど、……フィーアは主であるにもかかわらず、頭まで下げて僕を大事にする気持ちを示してくれた。だから、僕に従うお前たちが、この時点でフィーアに膝を折るべきじゃあないのか?」
その瞬間、突然ザビリアの声質が変わったように思われ、びりびりと空気が痺れたような錯覚を覚えた。
それは竜たちも同じだったようで、彼らはびくりとした様子で背筋を伸ばすと、まるで硬直したかのように動きを止める。
そんな中、ザビリアは冷めた視線で竜たちを見つめた。
「お前たちは、フィーアが僕の主だという意味をきちんと理解すべきだな」
氷のような声で言い切ると、ザビリアはするすると体を小さくしていった。
そして、あっという間に普段通りの小ささになると、私の肩に乗ってそっぽを向いた。
……まあ、黒竜王様はご機嫌斜めですよ。
分かりやすく拗ねたザビリアを見て、どうしたものかと困ってしまう。
けれど、ザビリアの態度は私以上に竜たちに衝撃を与えたようで、彼らはおろおろとした様子で翼を広げたり、その場で足踏みしたりと落ち着かない様子を見せた。
それから、首を伸ばしてくると、普段よりも高い声で甘えるかのように何事かを訴えていたけれど、ザビリアは明後日の方向を向いたまま一切返事をしなかった。
まあ、これほど竜たちが反省の気持ちを表しているのに、一切取り合わないなんて、ザビリアは心底お冠だわ。
そんなザビリアを取り囲み、頭が地面に着くほどしょげ返っている竜たちをみて、可哀そうな気持ちが湧き起こる。
人より優れていると自負している竜たちが私に敬意を払わないことも、王と認めたザビリアに忠誠心の全てを捧げることも納得できる、仕方がないことだと思ったからだ。
私はザビリアの頭をよしよしと撫でる。
「ザビリア、私を大事に思ってくれてありがとう。滅多に怒らない王様が怒ったから、竜たちは打ちのめされているように見えるわよ」
それでもつんとそっぽを向いたままのザビリアに、心が温かくなる。
そもそもの計画は、私に凄いことができると示すことで、竜たちから契約なしで守ってもらおうというものだった。
けれど、守ってもらうこと自体が間違っていると思われたため、私がザビリアのためにできることを示して竜たちを安心させようとしたところ、説明内容が不十分で納得させることができなかった。
そんな話だというのに、私の説明に納得せず、私を受け入れなかった竜たちに、ザビリアは怒っているのだ。
それもこれも、私を大事に思っているからだろう。
「ザビリア、私のために怒ってくれてありがとう。ザビリアの気持ちは凄く嬉しいわ。だけど、私がザビリアを好きなのと同じくらい、竜たちもあなたのことが好きだと思うから、仲直りをしましょう。これから私と一緒にこの地を離れるのだから、喧嘩をしたまま別れる訳にはいかないでしょう?」
「………分かった」
不承不承という感じでそう口にしたザビリアだったけれど、竜たちに向き直った時は穏やかな表情をしていた。
ザビリアはつんと顎を上げると、―――といっても縮小化していたので、竜たちよりもだいぶ目線が低く、可愛らしい姿だったけれど、居並ぶ竜たちに向かって口を開く。
「心優しい主の言い付けだから今回は見逃すけど、次はないからね」
竜たちは目に見えてほっとした様子を見せると、私に感謝するかのような仕草を示し始めた。
その様子を見て、あれれ、もしかしてここまでがザビリアの作戦だったのじゃないかしらと思い至る。
私が何を示したとしても、竜たちを感心させるまでには至らなかっただろうから、最後にザビリアが怒って、私を大切に扱わないといけない、と思わせるところまでが1セットだったのではないだろうかと。
そうだとしたらザビリアは策士ね、と苦笑しながら、私は竜たちに問いかけた。
「ザビリアの仲間になってくれてありがとう! 最後に、あなたたちの怪我を治してもいいかしら?」
そもそも魔物は大なり小なり怪我をしているのが常態のため、集まっている竜たちも鱗が剥げたり、体のあちこちに治り切れていない傷が残ったりしていたからだ。
そのことが気にはなっていたものの、勝手に治癒したら、プライドの高い竜から『余計なことをして!』と怒られることが目に見えていたため、手を出せずにいたのだ。
けれど、ザビリアの助力により、私を受け入れることになった今ならば、どの竜も表立っては反抗しないはずだ。きっと、恐らく。
そう考え、ここがチャンスとばかりに竜たちに言い募る。
「あなたたちの大事なザビリアを連れて行ってしまうのだから、せめてもの逆はなむけを送らせてちょうだい」
そう言うと、私は竜たちの返事を待つことなく片手を上げた。
「癒しの光よ、眼前の忠実なる竜たちに降り注げ―――『回復』」
重ねて、もう1つ魔法を発動させる。
「守護なる鎧よ、現れ、覆いて竜たちの身を守れ。―――≪身体強化≫防御力20%増!」
使い慣れた魔法のため、通常であれば詠唱なしで行うものだけれど、少しでも効果の高い魔法を発動させたい思いから、一言一言を丁寧に口にする。
これからザビリアと離れてしまう竜たちが、できるだけ安全でありますようにと願いを込めた詠唱が終了すると、輝く煌めきとともに優しい魔法が竜たちの上に降り注いだ。
その瞬間、竜たちの体が光を帯びるとともに、剥がれていた鱗が再生し、傷が治癒する。
同時に、竜たちの体を薄い膜のようなものが覆い防御した。
―――瞬きほどの時間の後、目の前にいたのは、まるで生まれたてのように綺麗な姿をした竜たちだった。
「……ギャ?」
「……ャ?」
そして、そんな竜たちは、何が起こったのか分からないといった様子で首を傾げていた。
その様子が可愛らしく思われたため、思わず微笑みが零れたけれど、同じようにザビリアも微笑ましいと思ったのか笑い声を上げた。
「ふふふ、僕と主がこの地を旅立つにあたり、生まれたてのような綺麗な姿と、しばらく消えない防御効果を与えられるなんて、……これは僕も予想しなかったな」
「……ギャ!」
「……ャ!!」
竜たちが弱々しく何事かを主張していると、ザビリアがおかしそうに頷く。
「ああ、そうだね、フィーアが最初にこの魔法を行使すれば、話は簡単だったと思うが、それをやらないところが僕の主なんだよね」
というか、この魔法は明らかにやり過ぎだし、お前たちがフィーアに心酔し過ぎても困るから、事前に分かっていたら止めていたけど、とザビリアは続けて、竜たちから短い反論の声をもらっていた。
ひとしきり竜たちと会話をした後、ザビリアはご機嫌な様子で私を見上げた。
「フィーア、全ての竜たちはフィーアを守護するし、僕があなたに同行することに賛成のようだよ」
「……それはまた、信じられないほど物分かりがよくなったわね」
何だかんだで、最終的には上手に竜たちをまとめ上げるザビリアの手腕に感心していると、後ろでカーティスがぽつりと呟くのが聞こえた。
「契約もなしに、全ての竜がフィー様の味方になることを申し出るとは。……従魔というのは、300年前になかった新しい考えだ。もしかしたら、私たちは正しい在り方を理解しておらず、『聖女』によって完成するものかもしれないな」
……相変わらず、私贔屓が過ぎるカーティスのセリフなのだった。
そうして、私たちは竜たちにお別れを告げると、ザビリアとともに霊峰黒嶽を後にした。









