135 霊峰黒嶽16
ゾイルがぐりぐりと自分の頭を地面にめり込ませている姿を横目に見ながら、私は慌ててザビリアに話しかけた。
「ねえ、ザビリア、本当にこのまま私と王都に戻っても大丈夫なの? ザビリアは王になりたいから、この山に来たのでしょう? 私はザビリアのやりたいことを邪魔したくないわ」
ザビリアに会いたくてこの山を訪ねたけれど、元気な姿を見て安心できた。
寂しがって迎えに来たと思われたのかもしれないけれど、ザビリアを邪魔するつもりは全くないのだ。
「フィーアと離れていることに、僕が限界だったんだよ。会いたいなと考えていたら、僕のところに来てくれるんだもの。これはもう、一緒に戻るしかないよね」
「まあ……」
ザビリアと一緒にいたい私の気持ちを肯定するような言葉を掛けられ、嬉しくて声が零れる。
ザビリアも私と一緒にいたいと思ってくれているのなら、ともに帰ってもいいのじゃないかしら―――と、思考が180度転換する。
そんな私をそそのかすように、ザビリアが言葉を続けた。
「それに、ここでやるべきことはあらかたやりつくしたし。竜は群れる傾向があって、種別が異なるもの同士でも同様なことが分かったからね。ともに過ごしたことで、ここにいる竜たちと絆ができたし、僕が呼びさえすれば、声が聞こえる限りどこへでも来てくれるだろう」
「それは凄いわね! でも……」
私は言葉に詰まると、何と説明したものかしらと考えながら、ザビリアの頭に生えた1本の角にちらりと視線をやった。
1つだけ問題が残っているわね、と思ったからだ。
私の視線に気付いたザビリアは、私が気にしていることを理解したようで、前足で器用に角に触れる。
「ああ、角は1本のままだけれど問題ないよ。僕は3本の角を生やした姿になりたかったのではなく、フィーアを守る力がほしかっただけだから」
「確かにそういう話だったけれど……」
本当にそれでいいのかしら、と心配になる。
けれど、ザビリアは何でもないといった様子で言葉を続けた。
「僕がやりたいことをやっているだけだから、フィーアが気にすることはないよ。そもそも、これだけ竜たちを統制してきたのに1本しか角が生えないのは、大勢の竜を守り従えた時、竜王の証として角が3本になると考えた僕の推測が間違っていたのだろうからね。角が生える条件は別にあるのかもしれない。どちらにせよ、見た目の問題だからどうでもいいや」
そう言うと、ザビリアは片方の翼を広げた。
「フィーア、一緒に帰ろう」
迷いなく言い切ったザビリアを見て、彼も私とともにいることを望んでくれているように思えて嬉しくなる。
思わず手を差し出しそうになったけれど、周りを囲む竜たちのしょんぼりとした視線を感じ、はっとして表情を引き締めた。
そうだった、まだ問題が残っていたわ。
昨日見て回った時に気付いたけれど、ザビリアはいい王様だ。
そんな王様を連れ去ってしまったら、竜たちは間違いなく落胆するだろう。
「ええと、ザビリア、勿論私は嬉しいけど、竜たちは寂しがらないかしら?」
気落ちした様子で周りを取り囲む多くの竜たちを見ながら、恐る恐る質問する。
ザビリアは集まった竜たちを見回しながら答えた。
「うーん、でも、全ての竜を王都に連れて行くわけにはいかないよね」
「へっ?」
ザビリアの提案を聞いた瞬間、黒竜を先頭に、空を埋め尽くすほど多くの竜を付き従わせて王都に戻る姿が頭の中に浮かび青ざめる。
「ダ、ダメに決まっているわ! 誰だって、私が竜とともに王都を攻め滅ぼしに来たと考えるわよ! むしろ私が魔王じゃないの!!」
「なるほど、黒竜である僕を従えているんだから、魔王と称してもあながち間違いじゃないと思うけど」
面白そうに肯定するザビリアをきっと睨みつける。
「勿論、間違いに決まっているわよ! 私は黒髪黒瞳ではないし、こう見えても善良な騎士なんだから」
ザビリアは含みのある表情で尻尾をぷるりと振った。
「ふーん、善良な騎士ねぇ。傍から見ている分には面白くもあったけど、今後はこちら側にいるのだから、僕も苦労するんだろうな」
わざとらしくため息を吐くザビリアに、思わず言い返す。
「まあ、ザビリアったら! 私は一人前の騎士だから、自分のことは自分でできるわよ。しかも、時には聖女の役割も果たせる、優秀な騎士なんだから」
「うん、正にそのことが問題なんだと僕は思うよ。騎士は騎士であるべきなのに、超希少職の聖女にもなれるって、誰が聞いてもおかしな話だよね。そして、今のフィーアは全ての竜たちから擦り寄られているし。……あれ、そう言えば、竜たちは僕よりもフィーアに夢中だよね。一本の角が生えて、竜王になりつつある僕よりもフィーアに従うなんて、フィーアこそが竜王なのかな?」
そう言うと、ザビリアはわざとらしく私の頭をちらりと見た。
まるで角が生えているかどうかを確認するかのように。
私は両手で頭を押さえると、慌てて言い返す。
「さ、三本角の竜王? ザ、ザビリアったら、何を言っているの! 私の頭から角が生えたら、それこそ魔人じゃないの!!」
「なるほど、フィーアが恐れていたのは自分自身だったってこと? ……深い話だね」
ザビリアの表情は生真面目そうに見えたけれど、間違いなく面白がられていることを理解した私は、真っ向から否定する。
「いや、物凄く浅いから! そして、私は黒髪の魔人ではなく、赤髪の騎士だから!」
私の言葉を聞いたザビリアは、肯定するかのように頷いた。
「そうだね、もしもフィーアの頭に角が生えても、黒い翼が生えても、間違いなくあなたは聖女だよ。そして、魔人の髪色が何色であったとしても、角がなくても、魔人である以上僕の敵だ」
ザビリアの言葉はとても心強かったけれど、誤りがあったので訂正する。
いつだって賢いザビリアだけど、多くの時間を山に引きこもっていたため、私でも知っている常識を知らなかったからだ。
「ザビリア、全ての魔人は黒髪黒瞳だし、角が生えているのよ。鳥真似だって、そうだったでしょう?」
ザビリアは一瞬何かを考えるような表情をした後、素直に私の言葉を首肯した。
「……そうだね」
それから、ザビリアは顔を高く上げると、集まってきた竜たちを見回しながら、気軽い様子で口を開いた。
「それじゃあ、僕は山を離れるよ」
竜たちがはっとしたように硬直する。
そんな竜たちに対し、ザビリアは安心させるような笑みを浮かべた。
「とは言っても、僕は時々この山に戻ってくるから、皆はこのまま残ってもいいし、それぞれのねぐらに帰ってもいい。ただ、僕が呼んだ時に声が聞こえるよう、皆の居住地を考慮してほしい。僕の声が聞こえる範囲に数頭の竜がいて、その数頭の竜の声が聞こえる範囲に数頭の竜がいて、……と、どこまでも遠くへ繋がるように。ゾイル、皆のテリトリーを調整して」
気落ちした様子の竜たちだったけれど、ザビリアの言葉を聞き終えた後は、新たな役割を与えられたことに奮起したのか、明るい表情で嬉しそうな声を上げた。
その様子を見て、ほんの数言で竜たちの士気が上がるなんて、ザビリアは本当に立派な王様なのねと感心する。
すると、その王様は考えるような表情で私を振り返り、ちらりとこちらを見てきた。
「ザビリア、どうかした?」
尋ねると、ザビリアから肩を竦められる。
「いや、どんな未来を想像しても、僕以上にフィーアの方が危機に陥る絵しか浮かばないなと思って。だとしたら、竜が守るべきは僕ではなくてフィーアだよね。フィーアを守るよう竜たちに動機づけすべきかな」
大真面目な表情でそんなことを言ってくるザビリアに、私の方が慌て始める。
「えっ、竜たちは私のことをよく知りもしないのだし、そんな大変なことを頼んではダメよ!」
「フィーアの言うことはもっともだけれど、僕はずっと、魔物と人との関係で気になることがあってね」
「え、何かしら?」
賢い私のザビリアが気になることは何だろう、と驚いて見上げると、ザビリアは考えるような表情を浮かべていた。
「魔物と人が主従関係になる隷属の契約だけど、あれって要は命乞いだよね。殺されるかどうかって瀬戸際に、死ぬよりはマシだからと、魔物が人に従うことを受け入れる契約。だけど、僕の場合は少し違っていたんだよね」
「え?」
「隷属の契約時、救命された直後だったからなのか、フィーアの側にいて、その力の恩恵にあやかりたいと強く思った。同時に、フィーアを守るための力になりたいとも」
確かに、初めて会った時のザビリアは瀕死の状態だった。
これほど強い魔物だから、生きたいと願う気持ちが強かっただろうことは容易に想像がつく。
それから、ザビリアは友達思いだから、私の力になりたいと思ってくれただろうことも。
―――そう言えば、あの時だって、従魔の契約についてはザビリアから言い出してくれたのだ。
「結果―――契約後の同調具合は完全だった。互いの命と魔力が繋がり、フィーアから思考と感情が流れてくるんだからね」
ザビリアの話を聞いていて、似たような会話をしたことがあったなと思い出す。
「そう言えば、クェンティン団長の話でも、ザビリアと私の同調具合は驚くほど良いってことだったわよね。ザビリアが上位の魔物だから、こんなにも強く結び付いたのかしら?」
「それも理由の1つだと思うけど、加えて、契約時の魔物の感情も関係してくるのじゃないかな。つまり、『契約主に隷属したい魔物の思いの強さ』と『魔物のレベル』、この2つで決まると僕は思うんだ」
「……そうなのね」
つまり、ザビリアが嫌々契約していたら、私とはほんのちょっぴりしか結びつかなかったということね。
「それでね、『従魔の契約』は生涯にわたる長期契約だから、おいそれとは結べないけれど、契約にも満たない『期待を利用する方法』なら、試してみるのも面白いかなと思って」
ザビリアの提案について、聞き返す。
「期待?」
「そう、フィーアがどれほど凄いことができるのかが分かったら、『フィーアを守れば、この力の恩恵にあずかれる』と期待して、契約なしでも竜たちは頑張って働くんじゃないかってこと。人と契約済の従魔には効果がありそうだったから、ここにいる自然の魔物相手でも可能じゃないかと思ってね」
「まあ、面白いことを考えたわね」
そう言えば、『星降の森』に黒竜探索に行った際、第四魔物騎士団の従魔たちも同行していたけれど、私と連動して戦った後は、契約主よりも私に従ってくれたことを思い出す。
あの時と似たような状態を作り出そうと言うことかしら。
「そのために私の凄さを見せつける?」
けれど、魔物の中でも上位種である竜たちに、一見して分かるほどの凄さを見せつけるのは、かなりの難題だ。
それなのに、竜たちから守ってもらうため、何か凄いことを披露するなんて……と考えたところで、はたと我に返る。
あ、違うわね。
ザビリアの言葉につられて、竜たちから守ってもらうことを前提に考えていたけれど、そもそも竜たちが守りたいのはザビリアであって私ではないのよね。
むしろ私は王様であるザビリアを攫っていく立場だから、私の方がザビリアのために何ができるかを示して、竜たちを安心させるべきじゃないかしら。
うーんと頭を悩ませたけれど、……私がザビリアのためにできることなんてそんなに多くはないのだ。
だとしたら、せめて私がどれだけザビリアを大事に思っているかを分かってもらい、安心してもらうべきだろう。
私はぐるりと竜たちを見回すと、彼らに向かってぺこりと頭を下げた。
それから、皆に聞こえるよう大きめの声を出す。
「こんにちは、フィーア・ルードです! 皆さんの大事なザビリアをお預かりしていきます。ザビリアは大切なお友達なので、決して……は無理かもしれませんが、あまり、それほど危険な目に遭わせないよう気を付けます」
本当は私が全てからザビリアを守る、と言い切りたいところだけれど、『どうやって?』と聞き返されたら返答に困るため、自分ができそうなことだけを約束する。
両手を握りしめ、必死になって力説していると、ザビリアの笑いを含んだ声が聞こえた。
「……本当に、可愛らしい聖女だね」