134 霊峰黒嶽15
ザビリアの言葉に思い当たることがあった私は、はっとして自分の腕に視線を落とした。
そう言えば、魔人を箱に閉じ込めるために自分で傷をつけたのだった。
傷自体は既に治癒したけれど、べったりと血が付いたままになっている。
私には分からないけれど、この血は甘く香り、魔物を惹き付けるらしい。
思い返してみると、初めてザビリアに出逢った『成人の儀』の夜や、従魔舎で従魔たちを見て回った時など、確かに魔物たちは私に寄って来ていた。
ということは、ザビリアの言葉通り、竜たちは私の血に惹かれて来たのかしら、と考えながらもう一度空を見上げた私の目が、驚きで大きく見開かれる。
喉の奥からは、掠れた声が漏れた。
「ひっ!」
なぜなら、このわずかな時間の間に竜の数が増えており、空が見えなくなるほど多くの竜が集結していたからだ。
色とりどりの竜たちの中に灰褐色まで見える。
馴れ合う様子がなかったゾイルまで寄ってくるなんて、と驚いた私は、慌ててザビリアに言い募った。
「ザビリア、ゾイルまでいるわよ! 竜たちが集まった理由の幾らかは私のせいかもしれないけれど、ゾイルが私に惹き付けられるはずないから、全てが私のせいではないと思うわ! きっと、ほんのちょびっとのちょびっとよ」
なぜなら、竜は魔物の中でも上位種だ。
竜自身がそのことを理解しているため、人間ごときに惹き付けられるなんて許しがたいと考え、寄ってくることはないはずだ。
「多分ザビリアに用事があって、指示を受けに来たんじゃないかしら?」
「……ふうん。確認してみようか」
ザビリアは気のない様子で返事をすると、ついと首を高く掲げた。
すると、それが合図でもあったかのように、ゾイルを先頭に1頭、また1頭と次々に竜が降下してくる。
どん、どんと派手な音を立てながら、あるものは生えていた木をなぎ倒し、あるものは砂ぼこりを巻き上げながら竜たちは地面に着地し、気付いた時には、十重二十重と多くの竜に取り囲まれる形になっていた。
あまりの迫力に、黙って様子を見守っていると、地面に降り立った竜たちは私の方に顔を向け、まるで甘えるかのように首を傾げたり、翼を広げたりしてきた。
あ、あれ、おかしいわね。
どの竜もザビリアではなく私を見ているわよ、とは思ったものの、初めて見る竜たちの仕草に視線を奪われる。
私の何倍も大きな体をしながら、おもねるように一心に見つめてくる姿がすごく可愛かったからだ。
「……まあ、可愛らしいわね! ザビリア、竜たちは何をしているのかしら?」
隣にいたザビリアに尋ねると、つまらなそうな声を出される。
「フィーアが見たままじゃないかな。竜たちはフィーアに甘えて、歓心を買おうとしているんだろうね」
「か、歓心って」
「前にも言ったけれど、フィーアはちょっと魔物にモテ過ぎだよね。『星降の森』で青竜がフィーアに惹き付けられた例もあったし、『封じの箱』をも魅了する聖女の血に、竜種が抵抗できるはずないよね」
「え? 青竜が何ですって?」
ぽかんとしてザビリアを見つめると、肩を竦められた。
「ああ、気付いてないならいいや。わざわざフィーアのモテモテぶりを説明することはないし。……フィーアの血は凄いよ。僕ですら、あるいは、僕だからこそクラクラする」
ザビリアの言葉に驚いて目を見開く。
「え、ザビリアもなの? 前世で聖女の血に惹かれたのは精霊だけだったから、すごく意外に聞こえるわ。……ああ、でも、それは精霊が力を貸してくれていたおかげって話だったわね」
「うん、300年ぽっちで魔物の性質は変わらないから、元々魔物は聖女の血に惹かれていたはずだよ。精霊が目くらましを掛けていたんじゃないかな」
「そうなのね?」
私は大きく首を傾げた。
精霊だけでなく、魔物も聖女の血に惹かれるなんて、改めて考えると不思議な話だと思ったからだ。
そもそも、『封じの箱』が聖女の血に反応するのはなぜだろう。
300年前においても、聖女の血が『封じの箱』に反応することは知られていたけれど、理由は不明のままだった。私の死後に新たな発見はあったのかしら。
ちらりとカーティスに視線をやると、無言のまま見返されたため違和感を覚える。
あれ、仕事に関しては有能極まりないカーティスが、私が何を聞きたがっているかに気付いていないわけないわよね。
それなのに口を開かないということは、言いたくないのだわ。つまり、何かを知っているのね。
「カーティス、『封じの箱』はどうして聖女の血に反応するのかしら?」
でも、私は質問するわよ。
カーティスのいいところは、質問したら必ず答えてくれることだもの。
私の推測通り、カーティスは咄嗟に顔を歪めたものの、すぐに普段通りの表情を取り戻すと、淡々とした声を出した。
「……ご存じの通り、あの箱は過去に封じられた魔人の一部で作られています。魔人には同胞を取り込もうとする性質があるので、その性質を利用して封じの箱を作っております」
「ええ、そうだったわね」
ここまでは、前世でも聞いていた話だ。
そして、なぜだか箱を閉じるための結合の役目を、聖女の血が担っていたのだ。
「箱に使用している魔人の一部に生命や自我はなく、魔人としての特性を残しているだけです。研究の結果、封じの箱には同胞を取り込もうとすること以上に、聖女の血を取り込もうとする性質が見受けられました。そのことから、魔人は聖女の血に惹かれる性質を持っているのではないか、と現在では考えられています」
「えっ?」
魔人が聖女の血に執着する?
「封じの箱は聖女の血と結合する性質を持っていたのではなく、聖女の血を取り込もうとしていたの?」
それは考えもしなかった発想だった。
だというのに、なぜだかカーティスの言葉に、ちりりと過去の記憶を刺激されたような感覚を覚える。
けれど、その理由を突き止める前にカーティスが言葉を続けたため、そちらに意識を持っていかれた。
「黒竜殿の言葉通り、やたらと聖女の血に惹かれる者が出ないよう、以前は精霊が力を貸してくれていたのではないでしょうか? だからこそ、私たちも事実を見誤っていたのだと思われます」
「精霊が……」
言葉に出した途端、ずっと私を守ってくれていた精霊の姿が頭の中に浮かんでくる。
……確かに、私と契約していた精霊はとても力が強かった。
あの子が私の気付かないうちに、私を守ってくれていたということ?
いつの間にか助けられていたのだと考えた途端、前世で契約した精霊に会いたい気持ちが湧き上がってくる。
「カーティス、精霊はどこへ行ってしまったのかしら?」
私のあの子はどこにいるのかしら。
人間よりも遥かに長い時を生きる精霊だから、消えてしまったことはないはずだ。
カーティスは視線を逸らすと、地面を見つめた。
「……精霊の居場所は分かりません。フィー様ほど精霊に愛された方はおりませんので、あなた様が精霊の存在を感じ取れないのであれば、この地から離れた場所にいるのでしょう」
「そうね」
300年経ったことで、多くの環境が変わってしまった。
周りに存在する国々や国境は300年前と全く異なるし、私が精霊と初めて出逢った森も、今ではアルテアガ帝国の一部になってしまった。
「……いつか帝国を訪れ、あの森にもう1度踏み入ってみたいわね」
ぽつりと零すと、グリーンとブルーがはっとしたように目を見開いた。
「フィーア、帝国に来てくれるのなら、どこにだって案内するよ!」
「ああ、お前に行きたい場所があるならば、帝国内の全ての場所を解放しよう」
2人の大袈裟な言い方がおかしくて、笑いが零れる。
「まあ、大きく出たわね!」
帝国内のどこにでも案内するだなんて、もしも私がアルテアガ帝国の皇城に行きたい、と言い出したらどうするつもりかしら。
勿論、私が行きたいところは許可などいらない森の中だから、大きく出ても問題はないのだろうけれど。
私はふと気になっていたことを思い出し、カーティスに質問した。
「そういえば、カーティスはどうして『封じの箱』を持っていたの?」
カーティスは伏せていた視線を上げると、生真面目な表情で口を開いた。
「以前、私は再び魔人に出遭うことがあれば、必ず封じることを自分に誓いました。その際に複数の箱を入手し、異なる場所に隠しておりました。先ほどの箱はサザランドから持ち帰った分です」
なるほど、用意周到なところがあるカーティスらしい行動だ。
「先程の箱の閉まりが悪かったのは、作製されてから長い時間が経っていたため、どこかに不具合が生じていたのかもしれないわね」
そう口にしながら、私は称賛の眼差しでカーティスを見つめた。
なぜなら、カーティスは最初から箱を持っていたにもかかわらず、誰にもそのことを気取られなかったなんてさすがだわ、と感心したからだ。
「カーティスったら、魔人に気取られないため、箱を持っていない振りをするなんて機転が利くわね! 用心深い私ですら、まんまと騙されてしまったわ」
「ねえ」と言いながら、同意を求めるようにザビリアを見上げると、私の賢い竜は直接的な返事をすることなく、質問で返してきた。
「用心深さの基準は人それぞれ異なるからね。僕とフィーアの基準は異なるようだとだけ答えておこう。それよりも……フィーアは大丈夫?」
ザビリアの質問は、シンプルだけど核心を突いたものだった。
言葉の裏に、ザビリアの思いやりが見て取れる。
私が魔人を恐れ、身を潜めていたことを知っているため、心配してくれたのだ。
はっとしたように息を飲んだカーティスが、こちらを振り返ったのが目の端に見える。
……そうよね、カーティスが1番気になっていることで、でも、彼の性格では直接聞けなかったことよね。
私はカーティスにも聞こえるような大きな声でザビリアに答えた。
「心配してくれてありがとう。鳥真似は『魔王の右腕』と全く異なる魔人だと自分に言い聞かせたら、大丈夫だったわ!」
私の言葉を聞いたザビリアとカーティスは、しばらくの間探るかのように私の顔を見つめていたけれど、同じタイミングでふっと体の力を抜いた。
それから、ザビリアが安堵したかのように微笑む。
「そうか、それはよかったよ」
私の大事な1人と1頭が安心した様子を見て、私もほっと胸を撫で下ろしていると、ザビリアが何でもないことのように口を開いた。
「それじゃあ、色々ときな臭くなってきたことだし、やっぱり僕はフィーアと一緒に山を下りることにするよ」
「へっ?」
驚いて目を丸くすると、ザビリアがおかしそうに笑う。
「ふふふ、先程の言葉は冗談じゃないからね。僕にとって1番大事なのはフィーアだし、一緒に王都に帰るよ」
「そ……」
「ヒギャアアアア!」
私が何かを答えるより早く、ザビリアの言葉を聞いたゾイルが、断末魔のようなうめき声を上げながら地面に突っ伏した。
ゾイルにしたら寝耳に水の話だし、衝撃を受けたのだろう。
けれど、取りすがるような表情を浮かべるゾイルを見下ろしたザビリアは、呆れたように頭を振った。
「いや、そういつまでも僕がここにいるとはお前も思ってなかっただろう。ゾイル、お前は上位種なんだから、後は任せるよ」
ザビリアの言葉を聞いたゾイルは、絶望的な表情で頭を地面に押し付けた。
大変お待たせいたしました。(今後は定期的に更新していきたいです。)
引き続きよろしくお願いします。