125 霊峰黒嶽13
「ザビリア、グリーンにお願いした件だけれど、あれでよかったと思う?」
朝食後、ザビリアとともに草の上に座りながら、私は腕の中のお友達に問いかけた。
つい先程、グリーン、ブルー、カーティスの3人は霊峰黒嶽の探索に出掛けてしまったので、留守番役の私はザビリアを抱えたまま、グリーンとのやり取りを思い返していたのだけれど……
結局、グリーンが申し出てくれたままに、魔王の箱の確認を頼むことになってしまった。
彼は問題ないと安請け合いしていたけれど、本当に実行可能なのかしらと今更ながら心配になったのだ。
「グリーンは男気を見せてくれたのよね……」
私は小さな声でぽつりと呟いた。
彼はきっと、カーティスに断られた私を見て何とかしなければと考え、名乗り出てくれたのだろう。
けれど、グリーンのお家は魚屋か肉屋で、よくても商会のはずだ。
貴族でもないグリーンが、ナーヴ王国の騎士団長であるカーティスですら入室不可能な大聖堂の最奥の部屋へ、一体どうやって招かれようというのだろう。
約束をしてしまったからと、無理をしなければいいのだけれど。
心配して考え込んだ私をちらりと見たザビリアは、興味の薄い様子で返事をした。
「きっとフィーアが考えもしないような伝手があって、何とかなるんじゃないかな」
「まあ、ザビリアったら。他人事だと思って、何て適当なの!」
私はグリーンを思い浮かべ、改めてザビリアの発言を考えてみたけれど、大した伝手はなさそうだと結論付ける。
グリーンが言っていた『ちょっとしたお偉い知り合い』とやらが、もしかしたら凄く偉い人なのかもしれないけれど……でも、グリーンには偉そうな知り合いがいるようには見えないのよね。
「グリーンは人に頼らず、何だって自分で突破してきたタイプに見えるから、一人で出来る範囲のことしかできないんじゃないかしら」
そう言うと、ザビリアは同意するように頷いた。
「うん、フィーアは見る目があるね。僕もそう思うよ。つまり、自分で何とかするんじゃない?」
グリーンには伝手がありそうだ、との前言をあっさりと翻したザビリアを見て、本当に興味がないようねと顔をしかめる。
「でも、相手は大聖堂よ。個人がどうこうできるレベルでは……」
けれど、言いかけた言葉を途中で止める。
ザビリアは人間世界とかかわりのないところで生活しているから、こんな話はつまらないだろうと思ったのだ。
それに、既にグリーンに頼んでしまったのだから、今更あれこれ考えても手遅れよね。
私は気持ちを切り替えると、よしよしと腕の中のザビリアを撫でた。
そもそも相手は、300年もの間、全く姿を現さなかった魔人たちだ。
今日、明日、突然出現する可能性は限りなく低いだろう。
だから、性急に何事かをしなければならないということはないはずだ。
私は自分の中にある魔人への恐怖を振り払うためにも、そう自分に言い聞かせる。
けれど……
いつの間にか思考が先程の会話に戻ってしまったことに気付き、私はふぅとため息を吐いた。
けれど、……思いもしなかったわ。
まさか、『魔王の右腕』が1紋だったなんて。
思い出してみれば、確かにあの魔人に刻まれていた紋の数は1つだけだった。
紋の数と魔人の強さは比例するから、冷静に考えれば、右腕はそれほど強い相手ではないということだ。
だというのに、私はなぜこれほど右腕を恐れていたのだろう。
殺された相手のため、恐怖が何倍にも膨れ上がっていたのだろうか?
「……そうかもしれないわね。そもそも『魔王の右腕』の紋の数が1つだったことを、ついさっき思い出したくらいだから」
前世の記憶というのは不思議なもので、一度に全てを思い出すわけではないらしい。
大半は最初の数日で思い出したのだけれど、ぽつりぽつりと遅れて思い出される記憶もあるようだ。
だから、今回、『魔王の右腕』が1紋の魔人だったことを思い出したのだけれど、……不思議なことに、右腕への恐怖が減ることはなかった。
魔王を封じてぼろぼろになったところに現れた魔人だから、狡猾で抜け目がないことは確かだけれど、強さ自体は大したことないはずなのに。
―――そう考えても、頭のどこかが否定する。
『いいえ、あの魔人は恐ろしく強い』―――と。
……けれど、なぜそう感じるのかが分からなかった。
私はまだ、思い出せていないことがあるのだろうか。
そう不安に思いながらも、相手を知ったことで敵の形が見えてきたように思われ、少しだけ安心する。
『残っているのは合計6紋の魔人。……紋なしについては不明。
紋持ちのうちの1紋は「魔王の右腕」、もしくは「一紋の右腕」。
もしかしたら、6紋に加えて「十三紋の魔王」も解放されている。
―――それが全て』
私はほっと息を吐き出すと、大丈夫、大丈夫、と自分に言い聞かせながら、ぎゅうっと膝の上のザビリアを抱きしめた。
グリーンがなぜ、あれほど魔人の情報について詳しかったのかは不明だけれど、―――もしかしたら、『ちょっとしたお偉い知り合い』が物凄い情報網を持っているのかもしれないけれど―――カーティスの態度から、グリーンの言葉は事実だろうと思わされた。
なぜなら、カーティスは前世で私の護衛騎士をしていたため、大聖女が持つ情報の全てを共有しており、魔人について多くのことを見聞きしていたからだ。
加えて、王国の中枢に位置していたシリウスからも多くの情報を入手しており、私の死後も魔人たちの動向を見てきたはずだから、魔人についての情報量は相当なはずだ。
そのカーティスが否定しなかったということは、グリーンの発言に誤りはなかったのだろう。
……本当は、カーティスに色々と聞いた方が手っ取り早くはあるのだけれど、前世での私の最期の話をした時、彼は泣き出してしまったから。
その際、カーティスの心を軽くしようと、魔王と相打ちし、痛みもなく死んでいったと嘘をついたのだけれど、それでも彼はぼろぼろと大泣きしてしまったから。
だから、カーティスに魔人の話をすると、私の最期を思い出して再び悲しむように思われ、話をすることを躊躇ってしまう。
「何にせよ、今回はカーティスに聞かなくても、色々なことが判明したから問題ないわよね」
幾人かの魔人がこの世界に残っていることは予想外だったけれど、それでも絶望的な状況ではないはずだ。
どのみち、これ以上考えても恐怖が降り積もるだけで、何も解決しないだろうから。
だから、今はそれよりも、……と気持ちを切り替えて、ザビリアを見つめる。
「ザビリア、えーと、その……」
けれど、いざ口を開くと、どのように切り出すべきかが分からなくなる。
「どうしたの、フィーア?」
「その、これはただの質問なんだけど、ザビリアはいつまでこの山にいるのかしら?」
きょとんとしたザビリアの表情を見た瞬間、直接的すぎたわ、これでは『帰ってきて』と言っているようなものじゃないと反省する。
ザビリアは王になることを希望しているのだから、邪魔をしてはいけないと、あれほど自分に言い聞かせていたというのに、ぽろりと本音が零れてしまった。
私は慌てて、誤魔化すための言葉を重ねる。
「ええと、つまり、ザビリアは存在感があるなと思って。この山に戻ってきた途端、恐れをなした魔物たちが山から溢れ返るなんてよっぽどだわ」
けれど、そう発言したところで、姉さんから頼まれごとをしていたなと思い出す。
「……だから、黒嶽から逃走した魔物たちの対応で、この地の騎士は大忙しらしいわよ。そのせいで、騎士たちからもう少し逃走する魔物を減らしてもらえないか、ってお願いされたんだけど」
ザビリアは面白い話を聞いたとでもいうかのように、耳をぴょこりと動かした。
「なるほど。フィーアのお姉さんから頼まれたのなら、何とかしないわけにはいかないね」
「えっ、私は姉さんからの頼みごとだなんて、一言も言ってないわよ?」
ザビリアったら相変わらず鋭いわね、いや、これが私と繋がっているということなのかしら、と感心して見つめると、わざとらしい流し目を送られる。
「うむ、予はこの山の王だからな。この山のことなら何でも知っているぞよ」
「まあ、王様復活! だったら、この哀れな私のお願いを聞いてくださいな」
「フィーアは全く哀れではないけど、お願いは聞くぞよ」
それから、ザビリアは全く想定外のことを口にした。
「じゃあ、魔物流出の根本原因を取り除くことにしようかな。よし、予はフィーアと山を下りるぞよ」
「……へ?」
ぽかんとして口を開ける私をおかしそうに見つめていたザビリアだったけれど、突然、びくりと体を強張らせた。
続けて、何かを探るかのように首を伸ばしたかと思うと、全身の動きを止める。
驚いて見つめていると、ザビリアは目に見えて全身を強張らせ、何かに集中するかのような様子を見せた。
そのため、緊急事態が起こったのかもしれないと黙って待つ。
けれど、しばらく経ってもザビリアは静止したままだったので、恐る恐る声を掛けた。
「……ザビリア?」
すると、ザビリアは一拍の間の後、まいったなという様子で首を振った。
「噂をすれば影が差す、って本当だね」
「え? 影?」
言われた意味が分からずに聞き返すと、ザビリアから困ったような表情で見つめられた。
「どうやら、カーティスたち3人が魔人に遭遇したようだよ」
「……えっ!?」
反射的に聞き返し、耳にした単語を繰り返す。
「ま……じん?」
信じられない気持ちで問い返す私に対して、ザビリアははっきりと頷いた。
いつも読んでいただきありがとうございます!
5/15にノベル5巻が発売されることを記念して、出版社に特設ページを作成していただきました。
主要キャラのキメ台詞(?)をセットしたPVが掲載されています。
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〇アース・スターノベル「大聖女」特設ページ
https://www.es-novel.jp/special/daiseijo/
どうぞよろしくお願いします。