【挿話】魔王の右腕 前
「フィー様はお休みになられたのか?」
つい先ほどフィーアを寝所に案内しに行ったザビリアが、ほんのわずかな時間で戻ってきたのを目にしたカーティス団長は、訝し気な表情で尋ねた。
長い時間を掛けて行われた、全員のとっておきの話が終了したのはほんの少し前だ。
夕食とともに開催された交流の時間がお開きとなったため、それぞれに用意された寝所に案内されたのだけれど、フィーアは当然のように黒竜の寝所に連れていかれた。
一方、カーティス団長は少し離れた寝所に案内されたのだが、そのまま休むことなく取って返すと、遠くからでも彼の存在を確認できる開けた場所でザビリアを待っていた。
先ほどの思わせぶりなザビリアの発言から、カーティス団長に何か聞きたいことがあるのだろうと推察されたためだ。
実際、ザビリアはカーティス団長に2人きりで話したいことがあると気付かせるため、敢えて思わせぶりな発言をしたのだけれど、そのことを正しく読み取られたことを嬉しく思ったようだった。
その証拠に、ザビリアは顔をほころばせると頷いた。
「うん、フィーアは寝つきがいいからね。僕が小さくなってフィーアのお腹の上に乗ったら、いつだってすぐに眠ってしまうんだよ」
誰からも恐れられる伝説の魔獣は、さらりと抱き枕替わりにされていることを告白した。
「……そう、なのか」
ザビリアの返事を聞いたカーティス団長は、複雑そうな表情で押し黙った。
ぬいぐるみ遊びの年齢は終わりましたといさめるべきか、最強の従魔に眠りの時間まで守護されていると安心するべきかと逡巡しているようであった。
ザビリアはそんな様子のカーティス団長を考えるような表情で見つめると、不思議そうな声を上げた。
「そうやっていると、ただただ主に従順な姿に見えるんだけどな。……けれど、あんたは一番やっかいなタイプだよね。考える部下なんて」
そう言うと、ザビリアは威嚇するかのように大きな翼を広げてみせた。
カーティス団長は月明りに美しく輝く黒竜の全身をじっと見つめた後、地面に視線を落とす。
「黒竜殿、脅してみせなくとも、フィー様に背信する気など一切ない。私は心から、フィー様がお幸せになられることだけを望んでいる」
それから、カーティス団長は視線を落としたまま、両手をぎゅっと握りしめた。
「先ほどの発言は申し訳なかった。『体験したことがない者に、あの喪失感は分からない』というのは、特定の体験をしなければ反論できない論調だった」
自分の発言を後悔し、謝罪するカーティス団長に対し、ザビリアはあっさりと答えた。
「いや、いいんじゃない。正直、僕にとってフィーア以外どうでもいいから、フィーア以外の者について、『この者の真意は何だろう』なんて思考することは一切ないから。だから、僕に伝えたいことがあるなら、はっきり言ってもらわないと僕も理解できないし」
ザビリアの言葉を聞いたカーティス団長は、俯いていた顔を上げると、ザビリアと視線を合わせた。
「理解いただき感謝する、黒竜殿。それから、先ほどの貴殿の発言は正論だ。……フィー様の正義観はまっすぐで歪みがなく、全ての決断を任せるべきで、何事かを意図的に隠したり、思考を誘導したりすべきではないというのは……正しい考えだ」
そう発言しながらも、カーティス団長の表情は自分の発言を納得しているようには見えなかった。
むしろ、どんどんと苦し気に顔が歪められていく。
「しかし、……しかしだ、黒竜殿! フィー様の決断は300年前もいつだって正しかったけれど、……結果として、不本意な最期を迎えられた。……『他人を盾にしてでも、生き抜かなければならない』という強い思いが、生き残るためには必要だと、私は考える。そうでなければ、あの立場の方は生きながらえない。300年前に、結果としてそう出たのだから」
訴えるかのように一気にたたみかけるカーティス団長に対し、ザビリアは用心深い表現で同意を示した。
「……確かに、フィーアの前の生は不本意な終わり方だったね」
それから、ザビリアは表情を変えないままに口を開く。
「ねえ、質問があるんだけど」
「……分かっている」
だからこそ、ここで待っていた……
続けられなかった言葉を正確に読み取ったザビリアは、「うん、待っていてくれてありがと」と言うと、威嚇のために広げていた翼をしまい、カーティス団長の前に腰を下ろした。
カーティス団長は気持ちを落ち着けるかのように大きく息を吐くと、胸の前で両手を組み、口を開いた。
その声は先ほどと異なり、平坦なものになっていた。
「取り乱して悪かった。黒竜殿を待つ間、月を見上げていたのだが、……このように月が美しい夜には思い出すものがあって、心が乱れるようだ。大変失礼した」
それから、カーティス団長は穏やかな口調で続ける。
「フィー様の思考を共有できるという黒竜殿ならば、色々と疑問があって当然だ。私で答えられることならば何でも答えよう」
「あんたは本当に理解が早いね。さすが大聖女の護衛騎士だっただけのことはある」
ザビリアはさらりとフィーアとカーティス団長の前世の関係を口に出し、300年前の関係を知っていることを仄めかした。
カーティス団長は僅かに目を見開くと、「そこまで知っているのか」と小さく呟く。
それから、一瞬の逡巡の後、ザビリアの言葉に同意した。
「……ああ、そうだな。私はフィー様の護衛騎士だった。そのことを常に誇りに思っていたし、全力で役目を果たそうと尽力していた。その気持ちに今でも変わりはない」
カーティス団長はザビリアの仄めかしを正面から受け止め、誤魔化すことなく、真摯な態度で返すことに決めたようだった。
その様子を確認したザビリアは、思うところがあったのか、納得したように独り言ちる。
「なるほど、決断が早い。僕を味方として受け入れることを、一瞬で決めるとはね。そしてまた、誠実な騎士だ。前世の銀の守護者も、安心して護衛騎士を任せたはずだな」
その言葉が聞こえたはずのカーティス団長は、動揺する様子もなく、まっすぐにザビリアを見つめてきた。
それどころか、ザビリアの独り言を拾い上げ、質問として返してくる―――何事も隠し立てをしないという、表れのように。
「それで、黒竜殿は何を知りたい? その銀の守護者の行く末か? それとも、……」
「ああ、その辺りはいいや。フィーアの感情がまだ整理されていないようだし、そんな状況で他方からの話を聞いても、真実がより分からなくなりそうだからね。僕が聞きたいことは一つだけだよ」
ザビリアは尻尾をぶるんと振ると、正面からカーティス団長を見つめ返した。
「僕が知りたいのは、あんたがフィーアから何を隠そうとしているのか、ということだ。……フィーアに『生き抜きたい』という強い思いがなければ、フィーアを救えないとあんたは信じているんだよね?」
カーティス団長は瞳を伏せると、感情の見えない声を出した。
「ああ、そうだ。私には、……圧倒的な力はない。フィー様が手を伸ばしてくれなければ、お救いすることは難しいだろう」
「ふうん。まあ、たとえば崖から落ちかけていた場合、落ちていく者が手を伸ばすかどうかで救出の難易度は変わってくるだろうけれど。でも、あんたは300年前のフィーアの兄より強いよね? その上、魔王は既に封じられているんだよね? それでも、ぎりぎりのところでしか救えないと言うんだ? ……一体、何に対して?」
探るよう尋ねるザビリアに対し、カーティス団長はぐっと唇を噛み締めると、無言を貫いた。
ザビリアは暫く返事を待っていたけれど、返ってこないようだと気付くと首を傾ける。
「いいかい、僕の質問は一つだけだ。魔王が封じられた今、あんたはなにを恐れているんだ?」
「…………」
それでも返事をしないカーティス団長に対して、ザビリアははっきりとした爆弾を落とした。
「じゃあ、言い方を変えようか。『魔王の右腕』って、……アレは何?」
いつも読んでいただき、ありがとうございます!
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〇「悪役令嬢は溺愛ルートに入りました!?」
乙女ゲームの世界に「悪役令嬢」として生まれ変わったルチアーナ。このままでは断罪されると、できるだけ攻略対象者たちから距離を取ろうとしますが、ちょっとだけ正義感が出てしまい、気付いたら、……あれ、どうして攻略対象者から跪かれているのかしら? そして、私が世界で一人だけの伝説の魔法使いって、どういうことなの? あれー、大人しく暮らそうという当初の計画は、どこ行った??
読むと明るい気持ちになれると思いますので、どうぞよろしくお願いします(*ᴗˬᴗ)⁾⁾