121 霊峰黒嶽9
黒皇帝の名前は―――『カストル』だよ。
さらりと告げられた名前を聞いて、私はぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「へ? カ、……カストルですって?」
思ってもみなかった名前の登場に、驚いて声を上げる。
それは、……お姉様の子どもの名前だったはずだ!
前世の私には、兄3人と姉1人がいた。
姉というのは元第一王女であり、その後、バルビゼ公爵夫人となったシャウラお姉様のことだ。
そのお姉様だけど、最後に見た姿はご懐妊されていて、お腹が可愛らしく膨らんでいた。
そんなお姉様のたっての希望で、生まれてくる子どもには、私が名前を付けさせてもらうことになっていたのだけれど……
『男の子だったらカストル、女の子だったらアダーラという名前はどうかしら?』
笑いながらお姉様に話をしていた姿が思い出される。
結局、私は魔王城で命を落としてしまったので、生まれたお姉様の子どもを見ることはできなかったのだけれど、義理堅いお姉様のことだから、私が遺していった名前を自分の子どもに付けてくれたんじゃないかと思う。
そして、カストルというのは、お姉様の子どもが男の子だった場合にと用意していた名前だ。
「え? お姉さ……い、いえ、その、大聖女様が遺した(ってのは、言ってもよいのかしら)……『カストル』の名前を付けられた者が、帝国の皇帝になったの!?」
驚いて、思わずカーティス団長に尋ねる。
けれど、答えを聞く前に、あり得ない話ではないわねと頭の中で結論付けた。
前世の父であるナーヴ王国国王には弟が1人いた。
シリウスの父親であるユリシーズ公爵だ。
そして、ユリシーズ公爵夫人は―――シリウスのお母様は、帝国の公爵家出身だった。
前世の記憶によると、帝国皇帝は壮年で、多くのお妃様とご愛妾様がいたけれど、子どもは1人もいなかった。
だから、帝国とつながりがあるナーヴ王国から高位貴族の子どもを養子とすることは、それほどおかしな話ではないはずだ。
むしろ帝国内から養子をとるよりも、色々な家の利権が絡まない分、やりやすい面もあるだろう。
そう考える私の質問を肯定するかのように、カーティス団長は私をしっかりと見つめたまま返事をした。
「ええ、その通りです。大聖女セラフィーナ様が遺された『カストル』の名前を引き継いだ者が、『黒皇帝』になられました」
「まあ、本当にそうなのね!」
私は納得した思いで声を上げた。同時に、流れた時間の長さを改めて感じる。
……お姉様に赤ちゃんが生まれて、そして、その子が立派に成人して、帝国の皇帝にまでなっただなんて。
そうよね、死んでから300年も経つのだもの、色々なことが起こっているはずよね。
あれ? でも、黒皇帝は黒髪黒瞳って話だったわよね?
お姉様(赤髪)とバルビゼ公爵(茶髪)を混ぜたら、黒髪になるのかしら?
「フィーア、髪の色はそういう混ざり方はしないよ。親のどちらか一方の色を受け継ぐんだ。あるいは、それ以前の祖先の誰かの色をね」
私の心を読んだザビリアから、さらりと指摘される。
「え、ええ、そうだったわね! もちろん分かっていたわ」
さすがザビリア、物知りだわと思いながらこくこくと頷いたけれど、ザビリアは私が納得したのを確認すると、すぐにカーティス団長に視線を移した。
それから、探るようにカーティス団長を見つめていたけれど、カーティス団長はザビリアを見返すだけで、一言も言葉を発しなかった。
暫く、しんとした沈黙が落ちる。
何も答えようとしないカーティス団長から答えを読み取ったのか、ザビリアは考えるかのように呟いた。
「……ふうん。元側近だというのに、主に隠し事をするなんてね。もちろん、全ては主のためになると考えての行動だろうけれど、……それは、主のためになるとあんたが想定しているだけで、事実としてためになるかどうかは分からないよね?」
ザビリアの言葉を聞いたカーティス団長は、苦し気に顔を歪めると、かすれた声で呟いた。
「黒竜、君の言うことは正しいが、……だが、体験したことがない者に、あの喪失感は分からない……」
「カーティス……」
カーティス団長が両手で顔を覆って俯いてしまったので、思わず声を掛ける。
私に、あるいは、グリーンやブルーに知られたくない話なのか、カーティス団長の話は、わざと主語をぼかしていたと思う。
だとしたら、カーティス団長の意思を尊重して、色々と尋ねない方がいいのかしら、と思いながらも気になって、座っている団長の前にしゃがみ込むと顔を覗き込んだ。
すると、カーティス団長は少しだけ顔を上げ、弱々しい声で続けた。
「フィー様、私は昔から一番近くであなた様を見てきました。そのため、あなた様がご自分では気付いていないお心の動きも把握しているつもりです」
突然、思ってもみないことを告げられ、どぎまぎして思わず声が裏返る。
「そ、それはありがとうございます」
「そんな私が心の底からお願いしたいことは、……あなた様はもっと、ご自分を大事にするべきです」
「えっ、結構大事にしていると思うけれど!?」
カーティス団長の要望を聞いた私は、驚いて声を上げた。
どっ、どうして突然、そんな話になるのかしら? でも、心配されなくても、私は十分自分を大事にしているわよ。
「食べたいものを食べているし、眠りたいだけ眠っているし、今だって、ザビリアに会うために霊峰黒嶽に来ているし、やりたいことをやっているわ!」
けれど、具体例をあげて丁寧に説明したというのに、カーティス団長は私の言葉に全く理解を示さないどころか、縋るように両手を握りしめてきた。
「では、騎士たちを犠牲にしてでも、ご自分が助かる道を選んでくれますか?」
「へ? い、いや、それはさすがに……」
カーティス団長の話は極端すぎるわね、と思いながら私は次の言葉に詰まる。
困った思いで団長を見つめたけれど、彼に妥協するつもりはないようで、さらに言葉を重ねてきた。
「フィー様、昔から申し上げていることですが、誰もが同じことが出来る訳ではありませんし、人によって戦場での価値は異なります。あなた様を説得しやすい言葉に置き換えるとするならば、……あなた様の力が多くの騎士を救います。騎士たちを未来にわたって救うために、あなた様はご自身の安全を優先してください」
「な、なるほど……」
カーティス団長の言いたいことが分かったため、そして、護衛騎士だった時分は私を守ることを最優先にしていたため、その思いがまだ強く残っているのだろうなと思いながら、同意の言葉を呟く。
すると、私が理解を示したことで安心したのか、カーティス団長は「では1つだけ」と言葉を続けた。
「私の言葉をご理解いただけたのであれば、1つだけお約束ください。せめて、あなた様のために、騎士たちが危険に身を投じることを受け入れてください」
「そ、それは、もちろんよ!」
カーティス団長の1つだけのお願いが受け入れやすいものだったので、私は勢い込んで同意した。
私だって聖女として、騎士たちのために危険に身を投じるし、逆だってあり得ることは、十分理解しているわ!
私はしっかりとカーティス団長を見つめると、こくこくと何度も頷いた。
けれど、そんな私をほっとしたように見つめながらも、カーティス団長はまだどこか心配そうな表情をしていた。
……本当に、私の元護衛騎士は心配性だわ。
カーティス団長の表情を見た私は、心の中でそう苦笑したのだった。