120 霊峰黒嶽8
「…………」
はっきりと形にはならないけれど、もやっとしたものを感じた私は、きゅっと唇を噛み締めた。
黒皇帝は300年前の皇帝だった。
その皇帝が、帝国の始まりから崇拝されていた『創生の女神』を、「癒しの力を持った赤髪の女性」と定め直したという。
300年前の赤髪の聖女といえば、前世の私のことじゃないかしら……と考えるのは、ちょっと図々しいだろうか?
自意識過剰のような気もしたけれど、気になって思わず口にする。
「……300年前の赤髪の聖女様と言えば……」
けれど、やっぱりそんな訳はないよねと途中で思い直し、言葉に詰まった私に代わって、ブルーが話を続けた。
「そうだね。黒皇帝は決して明言しなかったけれど、大聖女セラフィーナ様を女神と見做されていたように思われるよね」
「…………!!」
や、やっぱり! と思いながらも、でも、どうして? と疑問が湧く。
黒皇帝はどうして、前世の私にそれほど拘ったのかしら?
「く、黒皇帝はナーヴ王国出身という話だったわよね? も、もしかして、どこかで大聖女様を目にしたことがあって、彼女の美しくて、優雅で、気高い姿に心臓を鷲掴みにされたのかもしれないわね!?」
はっと閃いて口にすると、一瞬にしてしんとした静寂につつまれる。
え、な、何かおかしなことを言ったかしらと思って押し黙ると、静寂を破るかのようにカーティス団長が口を開いた。
「正におっしゃる通りですね! 黒皇帝は大聖女様を目にされたことがあって、その美しさと優雅さと気高さに、心の臓を鷲掴まれたのでしょう!! ええ、間違いありません」
「ああ……!」
カーティス団長の言葉を聞いた途端、私は恥ずかしくなって両手で顔を覆った。
自分で発言した時は間違いないと思ったのだけれど、他人の口から聞くと、絶対にあり得ないように思われてくる。
そ、そうよね!
帝国の女神として、未来にわたって据え置こうなんて、よっぽどの話だ。
前世の私を見て感銘を受けたから、なんて単純な理由であるはずはないわよね。
複雑な政治的駆け引きだとか、様々な裏事情とかがあって、黒皇帝は創生の女神の解釈を変更したに違いない。
そして、その真実の理由は、代々帝国皇家に伝わっているくらいで、私たちが預かり知ることなんて決してないはずだ。
そう思って、両手で顔を覆ったまま俯いていると、ブルーが困ったような声で取りなしてきた。
「フィーア、大丈夫だよ。確かに君は大聖女様もかくやという程の、……つまり、創生の女神もかくやという程の赤い髪をしているけれど、……でも、先ほどの心臓鷲掴みの話は、君が自分のことを念頭に置いて話をしたなんて誰も思っていないから」
「ああ……!!」
ブルーの言葉を聞いた私は、呻くような声を上げる。
……いや、思っていました! 思っていたんです。
前世の自分を思い浮かべて話をしていました。
ええ、私は非常に図々しかったと思います。
そう考えながら、顔を覆っていた指を少し広げ、指の間からちらりとブルーを覗き見る。
「本当に大変な勘違いをして失礼したわ。……そもそも私は、黒皇帝のことを全く知らないのだから、その考えを分かるはずはないわよね。帝国の英雄を歪めるような話をしてしまったのだとしたらごめんなさい。そうよね、大陸の北部統一を成し遂げたような英雄様には色々な政治的な駆け引きがあるはずだから、深い考えの下、大聖女様を創生の女神に据えたのでしょうね」
失言を取り戻そうと、思い付いたことを次々に口にすると、そのことが真実のように思われてくる。
そうよね! 黒皇帝は帝国史上における最大領土を獲得した英雄のはずだもの。
そんなひとかどの人物が、会ったこともない前世の私に心を奪われるなんて荒唐無稽な話を、どうして一瞬でも考えてしまったのかしら?
300年前も今も、政治的な話にはとんと疎いことを自覚しながら、気を付けて発言しないと!
そう反省する私を慰めるかのように、グリーンがぽつりと言葉を零した。
「勿論、黒皇帝が亡くなられた今となっては、彼の皇帝の真意を測れるはずもねえが、……オレもカーティスの言うように、黒皇帝は大聖女様に心の臓を捧げられていたのだと思うぞ」
「え?」
グリーンの言葉を聞いた私は、顔から手を外すと、驚いて彼を見やった。
私贔屓がひどいカーティス団長の発言と、帝国出身であるグリーンの発言は、同じ内容でも重みが違うと感じたからだ。
「黒皇帝は恐ろしい勢いで領土を増やしていったけれど、……そして、一般的に広大な領土を獲得した皇帝の思考は、その領土の全てを自分の血を引く継嗣に継がせようとする方向に向かうはずなのだけれど、彼の皇帝は一切そんな思考がなかったからな。黒皇帝は生涯独身だった―――恐らく、焦がれ続けるどなたかが、そのお心にいたのだろうよ」
「へ?」
皇帝の立場にある者が生涯独身だなんて、そんなことが許されるものかしら?
そう驚く私に対して、ブルーも兄の発言を補強する。
「そうだね。皇城の者に頼み込んで、黒皇帝の寝所に忍び込んだ上位貴族のご令嬢を不審の者と見咎め、自ら手打ちにしたという逸話まで残っているくらいだからね。『英雄色を好む』と言うけれど、黒皇帝には全く当てはまらなかったみたいだよ」
「まあ」
「だから、先ほどのフィーアの発言は、あながち外れてはいないと思う。勿論、外交にも戦争にも優れていた黒皇帝のことだから、様々な思惑があったことは間違いないだろうけれど、根幹には大聖女様への深い憧憬があったんじゃないのかな」
ブルーの発言に、グリーンも言葉を続ける。
「そうだな。黒皇帝は元々ナーヴ王国出身だからな。王国で瀕死の重傷を負った際、大聖女様に救われたんじゃないのか、というのが最近の歴史家の見解だ」
「な、なるほど」
あれれ、話が想像とは違ってきたわよ。
黒皇帝が大聖女に治癒されたのだとしたら、私が知っている人だということよね?
そう考えた私はちらりとカーティス団長を見つめたけれど、一切の感情を表さない無表情で見つめ返されただけだった。
……ああ、そうだったわ。
元王女付きの護衛騎士で、現在進行形で王国の騎士団長なのだから、カーティス団長がその気になったら全く感情を読ませてくれないのよね。
けれど、感情を読ませたくないと思う程、何かを警戒しているのかしらと不思議に思う。
そうして、―――制止がかからないのをいいことに、私は好奇心に負けて質問を口にした。
「その……、ところで、黒皇帝の名前は何と言うのかしら?」
私の言葉を聞いたブルーは、何でもないことのように口を開いた。
「ああ、それは……」
けれど、その名前を聞いた私は、「えっ!」と驚きの言葉を零してしまった。
なぜなら、―――それは、前世の私にかかわりがあった名前のように思われたからだ。
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