113 霊峰黒嶽1
霊峰黒嶽の麓に着いてみると、結構な急斜面だということが分かったため、馬を置いて歩いて登ることにした。
馬に括り付けていた荷物を降ろそうとすると、三方から手が伸びてきて、それぞれに私の荷物を持ってくれる。
「え? あれ、私が持つ分がないんだけど?」
困った思いで質問すると、「喉が渇いたり、腹が減ったりした時は言えばいい」とグリーンから返された。
いやいやいや、私は何かを食べたり飲んだりしながら歩きたいがために、発言した訳じゃないから! グリーンの中で、どれだけ私は食いしん坊なイメージなのかしら。
そう不満に思っていると、何を勘違いしたのか、ブルーが紙に包まれた小さなお菓子を差し出してきた。
「フィーア、機嫌を直して。ほら、歩きながらつまめるお菓子をあげるから」
……まあ、ブルーまで! ふん、いいですよ、そっちがその気なら、あなた方のイメージのまま、お菓子を食べるというものだわ!
そう思い、お菓子を口にした私だったけれど、あまりのおいしさに、ふふふと笑い声が零れる。
それを見た3人が、『やっぱり甘味が足りてなかったんだな』とばかりに、納得した様子で頷いていたけれど、……いや、違うから、私の方が乗っかったんだからね!
そう主張したかったけれど、大人な私は黙って言葉を飲み込むことにした。
ふふふ、この場で一番大人なのは、私のようね!
「……ところで、カーティス、あなたは道順が分かっているのかしら?」
しばらく山道を歩いた後、先頭を歩いているカーティス団長に、私はそう声を掛けた。
迷う様子もなく、黙々と先を目指しているカーティス団長を見て、そういえば目的地が分かっているのかしらと心配になったからだ。
霊峰黒嶽にザビリアの棲み処がある、ということさえ分かっていれば何とかなると考えていたけれど、実際に黒嶽に来てみると、その広大さに驚かされた。
そうよね、山だもの、大きいわよねと思いながらも、一方では、この大きな山の中で、どうやってザビリアの棲み処を見つければいいのかしら、と心配になる。
カーティス団長は足を止めると、振り返って口を開いた。
「クェンティンから黒竜の棲み処についての情報を得ております。頂に近い場所に横穴があり、以前はそこを棲み処としていたようですので、同じ場所を目指しているところです」
「な、なるほど!」
言われてみれば、クェンティン団長は実際にザビリアの棲み処を訪問したことがあるんだったわ。
そうよね、クェンティン団長に教えてもらうという方法があったわよね。思い付きもしなかったけれど。
そう感心していると、当のカーティス団長が軽く肩を竦めた。
「とは言っても、結局のところ不要な情報であったようですが」
「え?」
言われた意味が分からずに問い返すと、グリーンとブルーがはっとしたように体を緊張させるのが見えた。
2人は警戒するように辺りに視線を走らせると、無言で佩いていた得物に手を掛ける。
「えっ!?」
山に分け入ってそう時間も経っていないというのに、もう魔物が出たのかしらと、2人が見つめている前方に目を凝らすと、木々の隙間に赤い色が見えた。
「え、な、何、赤色の魔物?」
まだはっきりと視認できる距離ではないため、全体像を把握できないけれど、木々の先から頭のようなものが見えているので、魔物だとしたら大型の部類に入るものと思われる。
咄嗟に腰の剣に手を掛けると、カーティス団長から安心させるような声が掛かった。
「問題ありません、フィー様。確かに魔物ではあるようですが、敵意はありませんので」
「え? 敵意のない魔物なんているのかしら?」
信じられない思いでカーティス団長を見上げると、彼は小さく肩を竦めた。
「私も初めての経験ですが、……そうですね、従魔の部下という立ち位置ならば、あり得るのかもしれません」
「じ、従魔の部下!?」
え、それはつまり、ザビリアの仲間ということかしら?
そう思いながら、警戒心なくすたすたと前進するカーティス団長の後を、恐る恐るついていく。
グリーンとブルーはさり気ない様子で私の左右に位置すると、そのまま歩を進めていった。
しばらく歩くと、周りの木々がなぎ倒された一角があり、その倒れた木々を踏みしめる形で、1頭の赤竜が直立していた。
「せ、赤竜!」
驚いて、思わず声を上げる。
ガイ団長から、黒嶽の上空には赤竜が飛んでいると聞いてはいたけれど、自分の目で見るのでは、驚きがまた異なった。
5メートルはあろうかという深紅の竜が、美しい鱗を惜しげもなく晒し、堂々と目の前に立っている姿は圧巻だった。
赤竜は火口付近にしか棲まない竜のはずだ。それなのに、活火山ではない黒嶽に棲みついているとしたら、よっぽどのことだ。
けれど、驚く私とは異なり、カーティス団長は全く気にならない様子で赤竜の横に並ぶと、小さく頷いただけで、その横を通り過ぎて行った。
赤竜は従順な様子で、直立したまま、カーティス団長や私たちが通り過ぎるのを眺めている。
「カ、カーティス、あの赤竜は一体なぜ、あそこに立っているのかしら?」
恐る恐る通り過ぎた後、小声でカーティス団長に尋ねてみると、小さく肩を竦められた。
「恐らく道案内のつもりでしょう。フィー様の到着を待ちきれない黒竜が、フィー様が迷わないようにと、道道に魔物を配置しているものだと思われます」
「えっ!?」
カーティス団長の言葉を聞いた私は、驚いて声を上げた。
ザビリアが私たちのために、竜を配置してくれた?
でも、私がザビリアを訪問することなんて、伝えてもいないのに!
そう考えたところで、あっ、そう言えば、私が考えたことはザビリアに伝わる、と本人が言っていたことを思い出す。
ということは、私があの子を訪問しようとしていることを、ザビリアは知っているのかしら?
そして、私が迷わないように、用意周到にも道案内役を準備してくれている?
まあ、何て便利なの! そして、ザビリアは優しいわね!
嬉しくなった私は、笑顔でカーティス団長を振り仰ぐ。
「従魔ってすごい便利なのね!!」
「今回のケースが特殊なだけです。黒竜の能力が突出して高いがために、彼の者に出来ることが多すぎるのです。加えて、あなた様に従順なため、能力を出し惜しむこともない」
「ふ、ふうん……」
確かに、ザビリアは黒色だものね。
警告色を纏うことができる進化した個体のはずで、だからこそ、他の魔物には出来ないような多くのことが出来るというのは納得だわ。
私は理解したという風にこくこくと頷いたけれど、両隣にいたグリーンとブルーにとっては理解し難い光景だったようで、2人とも「信じられない」と小さく呟きながら、震えるような息を吐き出していた。
ありがたいことに、カーティス団長の予想通り、それ以降の私たちが進む道には、一定の間隔で竜が佇んでいた。
「まあ、これは全く道に迷う心配はないわね! 何て至れり尽くせりなの」
感心したように呟くと、グリーンから困惑したように返された。
「いや……、フィーア、至れり尽くせりという話じゃ、もはやねぇぞ。これは、新たなる従魔の仕組みを解明するような、先進的な光景だ。従魔の隷属が、従魔が従える他の魔物にまで及ぶなんて話、聞いたこともねぇからな。……フィーア、オレは純粋にお前を手伝おうと思って付いてきた。そこに嘘はないのだが、これではまるで、……オレが王国の秘密を盗みに来たと疑われても仕方がない状況だ」
真剣な表情で言葉を続けるグリーンがおかしくて、私はふふと笑い声を上げた。
「ええ? グリーンがそんなことをするはずがないじゃない! そもそも、王国の秘密なんて、何もないんだから。私は私の従魔に会いに来ただけだし、あの子がお友達を揃えて私たちを歓迎してくれているという、それだけの話だもの」
「フィーア、お前はすげぇな……。絶対にそんな単純な話ではないというのに、お前の手にかかると、いとも簡単な話に変換されてしまうんだな。いや、女神仕様ならばそうかもしれないが、オレは人間だから、人間の話をさせてくれ」
グリーンは大きく溜息を吐くと、意味不明なことを言い出した。
困惑した私は、説明を求めるようにブルーを見つめる。
「……女神? ブルー、グリーンが訳の分からないことを言い出したわよ。もしかして、グリーンが落ち着いて見えるのは見せかけで、本当は恐怖で錯乱しているのかしら?」
ブルーはぱちぱちと瞬きをすると、居心地が悪そうに口元を覆った。
「ああ、いや、うん、そうだね。こんなに多くの竜を見たのは初めてだから、兄さんは錯乱しているのだろうね。旅始めの決意を忘れてしまっているようだから。……そうだろう、兄さん? フィーアを女神として扱わないことにしたんだよね?」
ブルーの言葉を聞いたグリーンは、はっとしたように目を見開いた。
「そうだったな! フィーア、オレの発言は気にするな。つまり、『女神の加護がありますように』との帝国のまじないだ」
「ふうん?」
そう言えば、グリーンとブルーは帝国出身で、帝国は女神信仰の強い国だったわねと思い出す。
生活の中心に女神への敬愛があって、色々な言い回しに「女神」を使用するのかもしれないわ。
「ふふ、グリーン、素敵なまじないね。では、『私の可愛いザビリアに女神の加護がありますように!』」
「その新たな名前はお前の従魔……、なのだろうな。ははっ、この地で色とりどりの竜たちを従える魔物がお前の従魔か。一体何者なのかと聞く必要もねぇな、……は、は、そうか、お前については、もう何があっても驚かねぇと決めていたが、無理な決断だったな! 規格外の……」
冷静なグリーンにしては珍しく、何事かをぶつぶつと呟き始めたけれど、彼は最後まで言葉を続けることができなかった。
次の瞬間、どん! という大きな音とともに1つの物体が空から垂直に落ちてきたからだ。
地面が揺れるほどの衝撃とともに、辺りの岩や石が飛び散り、砂ぼこりが舞い上がる。
カーティス団長が咄嗟に私の前に立ちはだかってくれたので、私は傷一つ負わなかったけれど、彼自身に大小幾つもの石が当たったことは音で分かった。
「カーティス、大丈夫!?」
確認するように声を掛けたけれど、カーティス団長は返事をすることなく、私を庇うような形で立ち尽くしていた。
もうもうと立ち込めていた砂埃の中から、1つのシルエットが浮かび上がる。
人の何倍もある大型の体格と、翼のような輪郭が見えた。
その大きさから、一瞬、ザビリアかと思ったけれど、ぎらりと光る瞳の色もその鋭さも、ザビリアとは全く異なっていた。
―――粉塵の中から姿を現したのは、10メートルはあろうかという灰褐色の竜だった。