111 ガザード辺境伯領7
「へっ? あ、あの、ガイ団長!?」
尋問から一転、突然ガイ団長に頭を下げられた私は、ぱちくりと目を瞬かせた。
思わず呼び掛けてみたけれど、ガイ団長が頭を下げたままだったので、どうしたものかと助けを求めて視線を彷徨わせる。
初めに目が合ったのは、グリーンとブルーだった。
世間を見てきているはずの2人だから、助けになってくれるはずだわと手を差し伸べようとすると、ブルーが呟く声が聞こえた。
「……さすが、創生の女神だ。入団してからわずか4か月ほどで、数多の上級騎士たちを虜にするとは。もちろん、勇敢で慈悲深き女神を前にしたら、たちまち魅入られてしまった騎士の気持ちは理解できる」
「…………」
どうやらブルーは、ガイ団長の意味不明な言葉を聞いて、つられて錯乱しているようだ。
常識派だと思っていたブルーが、うっとりとした表情でガイ団長並みに意味不明な言葉を呟いている。
これはダメだと視線を動かすと、目を丸くしている姉さんと目が合った。
はっとして、慌てて口を開く。
「ね、姉さん! 今のは違うからね、あれはガイ団長が勝手に……」
早口で言い訳の言葉を口にしていると、困ったような表情で見返された。
「フィーア、あんたの噂話は私も聞いていたのだけど、ガイ団長に語らせると何倍も酷くなるわ。噂話というのは、人を介すごとに酷くなることが良く分かったわ」
「姉さん!」
さすが私の賢くて、思慮深い姉さんだわ! ガイ団長の根も葉もない噂話の聞きかじりを一蹴してくれるなんて!
嬉しくなって姉さんに飛びつこうとした私の視界の端で、カーティス団長が俯いていたガイ団長の襟首をぐいと掴むのが見えた。
ちょっと乱暴じゃないかしら、と驚いてカーティス団長を見つめると、言い聞かせるかのようにガイ団長に語り掛けていた。
「これが正解だった、ガイ。お前はまず、謝罪から話を進めるべきだったのだ」
「お、おう! 悪かったな!」
無理やり顔を上げさせられたガイ団長は、明らかに理解していない様子でカーティス団長の言葉を肯定していたので、カーティス団長は頭痛がするとでもいうように頭を押さえた。
「返事はよいが、私の言葉を理解していないな。私が費やした昨日の時間は、一体どこにいったのだ?」
「ああ、それは……」
何事かを言いかけたガイ団長を片手を上げて制すると、カーティス団長は唇を歪めた。
「分かった。私の対応が間違っていた。ガイ、お前への話はもっとシンプルにすべきだった。いいか、ガイ、フィー様はオリアの妹だ。オリアの血族としてフィー様を尊重しろ、分かったか?」
「とてもよく分かったぞ!!」
真理を掴んだかのような得意満面な表情で笑いかけてくるガイ団長を冷ややかに見つめると、カーティス団長は一つため息を吐いた。
それから、話は終わったとばかり私に向き直る。
「フィー様、大変ご不快な時間を過ごさせてしまい申し訳ありませんでした。ガイは、根は悪くないのですが、直情的なところがありまして、配慮と想像力が不足しているのです」
「お、おう、カーティス、それは完全にオレの悪口だな! 目の前で悪口を言うお前のスタイルは、ありなのか?」
「騎士団長クラスの職位に就くと、誰もが指摘も注意もしなくなる。大多数の騎士団長は自戒自重しているため問題がないが、お前は助言が必要なタイプだと判断したゆえの行動だ」
「なるほど! つまりお前の行動は、オレのためということだな! 感謝する」
素直に頭を下げてくるガイ団長を見て、カーティス団長が肩を竦めた。
「フィー様、見ての通り、ガイは悪い奴ではないのです。思慮深い副官が付けば、非常に優秀な騎士団長たりえます」
「な、なるほど……」
何となくガイ団長の扱いを理解した私は、こくこくと頷いた。
一方、カーティス団長の言葉を聞いたガイ団長は素早く顔を上げると、不審気な表情で彼を見つめてきた。
「カーティス、だがな、お前のその態度はどうなっちまったんだ? お前はいつだって礼儀正しくはあったが、そこまであからさまに迎合するような態度は見たことねぇぞ。しかも、フィーアに対してだけだなんて。よっぽど弱みを握られているのか?」
ガイ団長の質問を聞いた姉さんまでが、興味深そうにこちらを見つめてくる。
……そ、そうなのよね!
王都では慣れっこになっていたけれど、普通に見たらカーティス団長の私に対する言動は、騎士団長が一介の騎士にするものではないわよね。
王都には、他にもクェンティン団長だとか、おかしな言動をする団長がいるから、いつの間にか他の騎士たちも当たり前に受け入れてくれていたけれど、そうね、ちょっと普通じゃないわね。
さて、どう言い訳したものかしらと考えていると、カーティス団長が何でもないことのように口を開いた。
「お前も知ってのとおり、私はサザランドを任地とする第十三騎士団長を拝命している」
「ああ? そうだな」
突然始まった話の流れが見えないようで、ガイ団長は当たり障りのない相槌をうった。
カーティス団長はガイ団長の困惑など知らぬ気に、言葉を続ける。
「そして、あの地では、赤い髪に金の瞳であった大聖女様が信仰されている。フィー様は式典に参加されるためサザランドを訪問されたが、その際、見た目の色合いから、サザランドの住民たちに下にも置かぬ歓待を受けた」
「なるほど! 確かにフィーアの髪は、聖女様の中にも類を見ないほど、見事なまでに赤いからな!」
カーティス団長の言葉を聞いたガイ団長は、納得するかのように大きく頷いた。
「ああ、そして、フィー様がサザランドを発つ際、住民らからフィー様の護衛として付き従うよう、依頼を受けたのだ。そのため、私は大聖女様に接するような気持ちでフィー様に接している」
「ほほう、つまり、フィーアがお前の大聖女様ということか! それは、見たこともないほど馬鹿丁寧な言葉遣いにもなるよな!」
面白い話を聞いたとでもいうように笑い出すガイ団長だったけれど、その発せられた言葉にどきりとさせられる。
わ、私がカーティス団長の大聖女だなんて、恐ろしい発言をするわね!
きっとガイ団長は何も考えずに話をしているのだろうけれど、真実をついているわ。
野生の勘恐るべし! と思いながらガイ団長を見つめていると、カーティス団長が雰囲気を変えるかのように片手を上げた。
「お前の疑問は解消したな。そうであれば、今後は適切な礼節を以てフィー様に接するよう努めることだ」
「お、おう! 分かった!」
ガイ団長の言葉を聞いたカーティス団長は、小さく頷いた。
「……さて、ここからが本題だ。今回の訪問は元々、オリアに会いたいというフィー様の希望を叶えるためのものだったが、どうせならばと、シリルから業務を言いつかった。なんでも最近、この辺りの魔物が狂暴化しているので、増員騎士として対応するようにとの話だった」
「その通りだ! 『黒き王』が霊峰黒嶽に戻ってきたため、この地は現在、荒れに荒れまくっている! それを増長させているのが、王自身だ。何を考えてるのか分からねぇが、突然、王が宗旨替えをして、派手に立ち回り始めたんだよ。おかげで、ここら一帯の魔物の分布図がぐちゃぐちゃになって、誰もがてんやわんやだ!」
「というと?」
カーティス団長が何も知らぬ風に続きを促す。
ガイ団長は片手を首の後ろにやると、後ろ頭を乱暴にかきまわした。
「霊峰黒嶽は昔っから、『黒き王』の棲み処だった。あの広い山全部を王が管理していて、他の竜の一匹だって上空を飛ぶことを許さなかった。ところがだ、幼生体として生まれ変わり、この地を離れていたはずの王が3か月ほど前に戻ってきて、他の竜たちを引き入れ始めたんだよ! 信じられるか? 黒嶽の上を、青竜や赤竜が飛んでいるんだぞ!?」
「なるほど」
「だから、あの山は今、荒れ放題だ! 強弱織り交ざった魔物たちが、玉石混淆の様相を呈している。はじき出され、山から降りてくる魔物たちの対応に手一杯で、何が起こっているのかなんて探りようもない!」
「……なるほど。では、その役目を担わせてもらおうか」
「は?」
興奮しているガイ団長とは対照的に、カーティス団長が静かに言葉を差し挟んだ。
意味が分からないといった様子で顔を顰めるガイ団長を正面から見つめると、カーティス団長は落ち着いた口調で言葉を続けた。
「私とフィー様、それから、グリーンとブルーの4人で、これから霊峰黒嶽に向かう」
「……はあ?」
はっきりと言い切ったカーティス団長を、ガイ団長はぽかんとして見つめていた。