108 赤盾近衛騎士団長(300年前)
―――シリウス。
それは、天上で最も輝く星の名前だった。
見上げさえすれば、その圧倒的な輝きで存在を示してくれ、見守られている気持ちにさせてくれる。
いつだって、どこにいたって―――
……私、セラフィーナ・ナーヴは幼い頃、森の中で暮らしていた。
その森を単身で訪れ、王都に連れ戻してくれたのが、シリウス・ユリシーズ騎士団副総長だった。
訪れたのがシリウスでなければ、私が森から出ることはなかっただろう。
森の中には私が望む全てがあり、私は自分の役割を理解していなかったのだから。
シリウスはそのまま私の後見役になると、全てのものから守ってくれた。
亡き王弟の一人息子にして、王国一の大貴族ユリシーズ公爵。
加えて、次期騎士団総長の地位が確実視されている騎士団副総長。
そんなシリウスが後見についたことで、ずっと森の中で暮らしていた私に対して、「鄙者よ」と謗る声は一つも上がらなかった。
シリウスはいつだって物凄く忙しかったし、携わる業務は重要なものばかりだったけれど、必ず私を優先してくれた。
―――あれは、王都へ戻ってきて2年後の、8歳の頃のことだ。
シリウスは21歳で、次の春には騎士団総長になることが内定していた。
騎士団総長というのは名誉職だ。
王族、もしくは王家の血を引く大貴族が就くことが当然の役職であるため、王弟の息子であるシリウスに対して、誰一人反対する者はいなかった―――貴族たちは勿論、騎士たちでさえ。
なぜなら、シリウスは王国随一の剣士であったのだから。
力を美徳とする騎士たちにとって、一番強いものが一番上に立つというのは、最も分かりやすくて受け入れやすいものだった。
また、シリウスは誰よりも強かったけれど、誰よりも鍛錬していた。
そのことを騎士たちが身近で見知っていたことも、彼らに支持された大きな理由だろう。
そんなシリウスは、王国では珍しい銀髪白銀眼の顔をぐいと私に近付けると、唸るような声を出した。
「セラフィーナ、なぜお前が怪我をする! オレの言い付けを覚えていないのか!?」
幼い私でも分かるくらいに、シリウスは整った貌をしていた。
そんな滅多にないほど綺麗な顔が不愉快そうに歪められると、物凄く迫力があった。
どうやらシリウスは、午前中に行われた魔物討伐の際、私が怪我をしたことを聞きつけて飛んできたらしい。
勿論、今の私は服を着替えているうえ、怪我はきれいさっぱり治っているので、傷を負った痕跡は一切残っていない。
だというのに、シリウスは私が怪我をした右肩を正確に睨みつけると、悔し気に唇を噛み締めた。
私の怪我について、よほど詳細に報告を聞いているようだ。
無言で睨みつけてくるシリウスは非常に恐ろし気であったけれど、シリウスが怒る時はいつだって、私を心配しているからだということを理解していた私は、にこりと微笑む。
「シリウス、必勝法を見つけたわ!」
「……何だって?」
私の言葉を聞いたシリウスは、言われた意味が分からないとばかりに、端正な顔を歪めた。
常であれば、私を心配しているシリウスを安心させるところから始めるのだけれど、その時の私は興奮していたため、勢い込んで口を開く。
「あのね、シリウス、私は気付いたの! 今までの私は、戦闘中に自分の身を守っていたから、咄嗟の判断を下すべき時にも、無意識のうちに騎士たちではなく、自分自身を優先して防御魔法をかけていたことに! でも、それは、間違いだったわ! だから、これからは、自分を守るのをやめることにしたの。私の身は、騎士たちに守ってもらうことにするわ」
私の言葉を聞き終わったシリウスは、驚きに目を見開き、信じられないといった声を出した。
「……何を馬鹿なことを言っている? お前は聖女だ! 戦場で1番ひ弱な存在だ! お前は勿論、お前の身を1番に守るべきだ!」
シリウスの発言は至極もっともだと思いながら、けれど、私の口からは不同意の言葉が零れ落ちる。
「でもね、そうしたら、騎士と私が同時に危険な目に遭った場合、私の防御を優先させてしまうわ。それでは、せっかく最前線まで切り込んでいった騎士に、怪我をさせてしまうことになるのよ」
「それが騎士の役割だ!!」
シリウスは我慢ならないとばかりに、珍しく大きな声を上げたけれど、私は臆することなくこてりと首を傾げた。
「騎士であるシリウスはそう思うのね。でも、聖女である私は、一人の騎士も死なせないことが、私の役割だと思うのよ。それに、私が言っているのは、私の身は騎士に守ってもらうということで、誰も私を守らないということではないわ」
「お前の発案に、新たな戦闘スタイルを確立する可能性があることは認めよう。だが、それはお前が試すべきことではない! 騎士たちが確実に、お前の身を守れる保証はないのだから! 現にお前は今日、怪我をしたではないか!!」
「……でもね、シリウス。この方法は、結構高度だと思うのよ。そして、私はなかなかに能力が高い聖女だと思うの。だから、私以上にこの方法を試すことが適任な聖女が、一体どれほどいるものかしら?」
私の言葉を聞いたシリウスは、ぎりりと私を睨みつけた。
「セラフィーナ、答えが分かっている質問をするな! 勿論、答えはゼロだ! お前以上に能力の高い聖女などいないからな」
それから、シリウスは忌々しげな表情で暫く私を見つめていたけれど、私の意志が固く、意見を翻すつもりがないことを見て取ると、何かを決意したかのような表情で目を眇めた。
「……分かった。お前に聖女としての矜持があり、騎士を守りたいという気持ちは理解した。が、同様にオレには騎士たちを司る者として、騎士の矜持がある。お前の行動を受け入れる代わりに、お前には、お前を守るための最適な騎士を付けよう。それでいいな?」
「シリウス!!」
私は大喜びでシリウスの元まで駆けて行くと、ばふんとそのお腹に抱き着いた。
「ありがとう! 私の気持ちを分かってくれて、嬉しい!!」
いいながら、ぎゅうぎゅうとシリウスを抱きしめる。
やっぱりシリウスだわ!
たとえばお兄様たちだったならば、子どもの戯言だと決して相手にしてくれないけれど、シリウスはいつだって最終的には私の考えを尊重してくれるのだ。
そう嬉しくなり、満面の笑みでシリウスを見つめたのだけれど……
翌日の午後、昨日の宣言通り、新たな戦闘スタイルを確立するために魔物討伐に出掛けようとした私は、驚愕の表情でシリウスを見つめることになった。
「……え、な、な、……シ、シリウス?」
言いたい言葉は山のようにあるというのに、動揺しすぎていて上手く言葉にすることが出来ない。
水面に顔を出した魚のように、ぱくぱくと口を開閉する私の言いたいことなどお見通しのはずなのに、シリウスはそ知らぬ振りで口を開いた。
「どうした、セラフィーナ?」
「ど、どうした、って……、シ、シリウス、あなた、その服は……、う、嘘よね?」
私は目の前に立つシリウスを見上げると、信じられない思いで何度も瞬きをした。
……お願い、お願い、誰か冗談だと言って!
けれど、何度瞬きを繰り返しても、目の前に立つシリウスは、赤い騎士服を着用しているように見えた。
そんなはずはない!! と心の中で叫ぶ。
ナーヴ王国の騎士服は青と白を使用しているはずだ。
シリウスは副総長という高位の役職にあるため、他の騎士たちよりも濃い青地を使ってあり、役職を示すための装飾が入ってはいたけれど、それでも青と白の騎士服だったはずだ。
なのに、どうして赤い騎士服を着ているのかしら?
だって、だって、赤い騎士服は……
顔を強張らせ、信じられない思いでシリウスを見つめていると、その整った唇が開かれ、恐ろしい言葉が発せられる。
「聡いお前のことだ、もう分かっているのだろう? ……今日から、第二王女であるセラフィーナ殿下を警護する『赤盾近衛騎士団』の団長職を拝命した。よろしく頼む」
「なに、……シリウス、何を言っているの? あなた、騎士団副総長だったじゃない!!」
シリウスの言葉ははっきりと聞こえたというのに、そして、シリウスがこの手の冗談を一切言わないことは分かっているというのに、シリウスの言葉を信じることが出来ずに真っ向から反論する。
けれど、シリウスは全てを吹っ切ったような、静かな表情で口を開いた。
「昨日付けで副総長の職位を辞した。既に国王の承認も得ている」
「な……、何を馬鹿なことを言っているの! あなた、春には騎士団総長になることが決まっていたじゃあない! あなたがどれだけ騎士たちを大事に思っているか、知っているわ! それから、あなたの能力がどれだけ高いかも! 騎士団トップにあなたが立ち、騎士たちを率いることで、どれだけのことが出来ると思っているの!! それを捨ててしまうだなんて……」
私は一生懸命言い募った。
シリウスは忙しいけれど、いつだって時間を見つけては私の側にいてくれた。
だから、一緒にいた時間の分だけ、彼が何を欲していて、何に努力をしているかなんて、もちろん私は知っていた。
彼が何よりも騎士たちを愛していることなんて、誰よりも私が理解しているというのに!
だというのに、シリウスは私の目を見つめると、はっきりと首を横に振った。
「それは違う。オレは副総長の地位を捨てたのではない。赤盾近衛騎士団長の地位を得たのだ。現行の騎士団総長には暫く、今のままの地位でいてもらう。まだ40代の有能な騎士だ、問題ないだろう?」
それは勿論、現在の騎士団総長はその職位を何年も務められている有能な騎士だから、そのまま残留することに何の問題もないけれど、でも、そういう話ではないはずだ!
「シリウス、あなたは騎士団総長になりたかったのでしょう? そのために、何年も何年も努力してきたじゃあない!!」
私は悲鳴のような声でシリウスに詰め寄ったけれど、シリウスからは至極冷静な声が返ってくるだけだった。
「ああ、その通りだ。だが、同時にオレはお前を守りたいと思っている。お前が危険な場所に身を投じるというのならば、隣で守護するのはオレの役割だ。……オレは言ったな。『お前を守るために最適な騎士を付ける』と。オレ以上に最適な者が他にいるか?」
意趣返しのように、昨日私が述べた言葉と同じような論調でシリウスが話を進める。
「オレに剣で勝てる者は見当たらないし、オレ以上に全てを捨ててお前を守ろうとする者は他にいない。違うか?」
シリウスはそこで口をつぐむと、返事を待つかのように私を見つめてきた。
まるで昨日のシリウスの再現であるかのように、私はぎりりと彼を睨みつける。
「シリウス、答えが分かっている質問をしないでちょうだい! 勿論、あなたが最適よ! あなた以上に強くて、あなた以上に私のために全てを捨ててくるお馬鹿さんなんて、他にはいないに決まっているわ!!」
私の言葉を聞いたシリウスは、おかしそうにニヤリと笑った。
「さすがは、深紅の髪を持つ聖女様だ。理解が早い」
そう言って、シリウスは声を上げて笑い出した。
―――笑うことで、全てを爽やかな笑いの下に終結させてしまった。
騎士団を指揮する立場に立つことは、シリウスの21年の人生の大半を費やしてきた、彼の望みであったはずなのに。
だというのに、私の「騎士を守りたい」という願いを補佐するため、シリウスはあっさりとその地位を捨て去ってしまった。
……いや、違う。あっさりと捨てられるはずなんてない。
シリウスにとって、騎士たちはそんな軽いものではなかったはずだ。
だからこそ、物凄い葛藤と懊悩があったはずなのに。
だというのに、そんな雰囲気は一切見せず、全てを昇華させたような表情で先を見つめ、「ともに在ろう」と満ち足りた様に口にしてくる。
だから、―――私は口を開いた。
「だったら、……私は唯一無二の至尊の聖女になるわ。そうすれば、側にいるあなたは騎士団総長よりももっと大きなことが成せるし、価値があると見做されるはずだもの」
シリウスは驚いたように目を見開くと、考えるかのように口を開いた。
「すごい目標だな。お前が至尊の聖女となったら、オレはどれだけ誇らしい気持ちになるのだろう」
「それはもう、物凄く誇らしい気持ちになれるわよ! だって、あなたは近衛騎士団長なのだから、あなたの手柄だわ」
勢い込んで言葉を続ける私を、シリウスはおかしそうに見つめた。
「……オレのことを考えていたのか? はは、尊ばれるのはお前であるのだがな。まあいい、よろしく頼む、未来の至尊の大聖女様?」
そう言うと、シリウスは目を細め、幸せそうに微笑んだ……
―――そんなシリウスの笑顔が浮かんできて、私の胸はつきりと痛む。
……ああ、シリウス。
そうやってあなたは、いつもいつも私を優先させてきた。
生き様を変えてまで私を優先させ、守護してくれた。
どんな時も、私を否定することなく寄り添ってくれた。
だから、……楽しい時に、そして、困った時に思い出すのは、いつだってシリウス、あなたになってしまった……









