103 特別休暇9
「ええええ!?」
突然のブルーの告白に驚いた私は、椅子から立ち上がると、彼の全身をくまなく眺め回した。
「呪いですって? あああ、どうしよう! どんな呪いが掛けられているのかが、全く分からないわ!! ブルー、それはきっと、物凄く大掛かりで、凶悪な呪いに違いないわ!! 直接目にして解呪方法が分からない呪いなんて、初めてだもの!!」
何度ブルーを眺めてみても、どの部位にどんな呪いが施されているかが一切分からない。
私は自分の不甲斐なさを悲しく思い、へにょりと眉を下げると、困り果ててブルーを見つめた。
すると、ブルーは動揺したかのように視線をうろうろとさせ、上ずった声を出した。
「あ、うん、そ、そうかもね……。ええと、ごめんなさい、すみません、申し訳ありません」
どんどんとブルーの顔が赤くなるので、不思議に思って名前を呼ぶ。
「ブルー?」
すると、ブルーは首まで真っ赤にして目を逸らしたまま、落ち着かない様子で言葉を続けた。
「……ええと、私が掛けられたのは、そ、そう! 上級呪術師だとか上級聖女には解けない呪いだから、フィーアには解けないかもしれないね。そ、その、能力が低い者にしか解けないという、特殊な呪いだから」
「へ? そ、そんなのがあるのね!?」
驚いて声を上げると、隣からカーティス団長の冷静な声がする。
「そのような呪い、あるはずもございません。それから、皆さんはお忘れのようですが、そもそも通常の聖女には状態異常の回復などできませんので、上級聖女であろうが下級聖女であろうが、呪いを解くことはできません」
「カーティス?」
あれ、何か今、カーティス団長は重要なことを言ったわよと、酔った頭で考えようとするけれど、上手く纏まらない。
切れ切れの思考をかき集めていると、遅ればせながら大事なことを思い出し、はっとして両手で口を押えた。
……そうだった! 以前、グリーンとブルーの前で聖女の力を使ったため、彼らの前では聖女でいても問題ないような気持ちになっていたけれど、あの時は、『私は呪いを受けていて、呪いの力で一時的に聖女の力が使えるようになった』って説明をしていたのだったわ。
あぶない、あぶない!
今の私は呪いが解け、聖女の力が使えないという設定だったはずよ。
つまり、「通常の聖女」どころか、「聖女」でもないはずだわ!
先ほどの、『ブルーに掛けられた呪いが見抜けない』と言った、いかにも聖女っぽい私の発言を、誰一人指摘もせずに受け入れてくれたものだから、聖女の立場で発言してはいけないことに気付きもしなかった。
だけど、こんな重要なことに誰も気付かないのは、全員が物凄く酔っぱらっている証拠で、このまま放置しても問題ないわよね、……と思ったけれど、念のために驚いたような声を出してみる。
「あっ、あれー!? ブルーの呪いにつられて、解呪されていた私の呪いも一時的に復活したようだわ! やだ、ということは聖女の力も使えちゃうのかしら?」
この発言で、先ほどの聖女っぽい発言をカバーできるかしら、と思って3人を見回すと、グリーンとブルーはぽかんとして私を見つめており、カーティス団長に至っては頭痛がするとでもいうように頭を押さえていた。
「……カーティス?」
何か発言を間違えたかしらと、恐る恐るカーティス団長の名前を呼ぶと、団長は軽く頭を振り、呻くような声を出した。
「フィー様、私が間違っておりました。この場で冷静に指摘をすると、より面倒事が発生することが理解できました。なるほど、フィー様は既に詳らかになっている事実を隠そうとされているのですね?」
「へ?」
「いえ、この2人であれば立場が邪魔をして、軽々しくあなた様のことを語ることなどできませんし、誤魔化しようもないほど力を行使されたご様子でしたので、隠し事を話されるおつもりかと思っておりました。どうやらここにいる全員で誤解していたようですが。……なるほど、つまり、当たり障りのない話に戻すならば、帝国には何と都合のいい呪いがあるものかと、感心しておりました」
カーティス団長は何だか難しいことをごちゃごちゃと言っていたけれど、……そして、酔った私の頭では全てを理解することは出来なかったけれど、……カーティス団長の最後の発言だけが頭に残り、にやりとする。
うふうふうふ、よく分からないけれど、私の発言について誰一人指摘せず、別の話に切り替わったということは、上手く誤魔化せたということじゃあないかしら?
そう理解し、嬉しくなった私は、カーティス団長の発言の最後にあった『感心した』という言葉を拾ってにまにまする。
「ブルー、カーティスが感心するなんて凄いことよ! 褒められたわ!」
嬉しくなってブルーを見つめると、彼は両手で顔を覆っていた。
「いや、フィーア、これは婉曲な嫌味だよ。そして、カーティス、粗い設定なのは理解しているから、見逃してください。……ええと、フィーア、それで私が掛けられた呪いなんだけど、『王国騎士について行き、騎士が従魔に会うところを見届けないと、伴侶を娶れない』という内容で……」
ブルーの声が段々と小さくなっていくことを不思議に思ったものの、それ以上にブルーが話す内容に驚き、隣に座るカーティス団長を仰ぎ見る。
「何と言うことかしら! ブルーの呪いは、以前、彼らと冒険をした時、私が自分に掛けられたと説明した呪いとほぼ同じだわ!!」
「それはまた、本当に雑ですね」
カーティス団長の呆れたような声を聞いたブルーは、びくりと体を強張らせると、諦めた様に顔を覆っていた手を外した。
それから、破れかぶれという風情で口を開く。その顔は真っ赤で、少し涙ぐんでいるようにも見えた。
「フィーア、私を含めた帝国民は皆、女神の僕だ! 君に命じられ、従うことは、私にとって喜びでしかないから、どうか霊峰黒嶽へ同行させてほしい!!」
「はい?」
ブルーの話の唐突さに戸惑い、ぱちぱちと瞬きをする。
けれど、ブルーは縋りつかんばかりの熱心な表情で見つめてきた。
「つまり、君が君の従魔と邂逅するところに同席させてもらうことで、私を呪いから解放してほしいんだ! その、ええと、下級呪術師が言うには、解呪が失敗すると悪い形で跳ね返ってくるから、可能な限り、呪術師による解呪ではなく、呪いの条件を満たして解放される道を採るべきだと……、だから……」
始めの勢いはどこへやら、言葉を続けるにつれて、またもやブルーの声がどんどんと小さくなってくる。
私はそんなブルーを不思議に思いながらこてりと首を傾げると、提案された内容について考えてみた。
「ええと、グリーンもブルーも強いから、同行してもらうのはありがたい話だけれど、3週間とか4週間とか5週間とかになるから、そんなに長い間、レッド1人に家業を押し付けても大丈夫なものかしら?」
「「問題ない!!」」
間髪入れずに、2つの声が上がる。
私は真剣な表情で私を見つめるグリーンとブルーを見て、ぱちぱちと瞬きをした。
……まあ、声が揃ったわよ。
レッドの与り知らぬところで、グリーンとブルーの1か月に亘る追加休暇が確定しそうな勢いね。長男、可哀そう。そして、次男と三男は自由ね。
そう考えながら、2人の勢いに飲まれて肯定の返事をしようとしたところで、同行者のカーティスの意思を確認していなかったことに気付く。
「そ、そうね。だったら、一緒に来てもらってもいいような気がしないでもないけれど、……どうかしら、カーティス?」
「フィー様がお望みであれば。……私はフィー様の望みを形にするために、お側にいますので」
「あ、ありがとう、カーティス」
300年も経ったというのに忠義者だわ、と思いながらお礼を言うと、グリーンとブルーも深く頭を下げていた。
「ご決断、感謝する。ご同行させていただく」
「カーティス、ありがとう! 私はフィーアを守る盾になると約束するよ」
嬉しそうな2人の表情を見て、よっぽど冒険に行きたかったのねと思う。
というか、長男のレッドとともに家業を継いだという話だったけれど、レッド1人を働かせて、自分たちだけ更に1か月以上の休暇を取得してもいいものかしら?
この2人は心根がいいし、悪い人間ではないのだけれど、きっと、ちょっとばかり怠け者なのね。
そう考えながらも、再び2人と一緒に冒険が出来ることを嬉しく思っていると、グリーンが感心したような声を上げた。
「はあ、しかし、フィーア、……お前は本当に、言葉の端々から凄さが滲み出るな」
「へ?」
「お前が見て、解呪方法が不明な呪いは今までなかったって、どれだけだよ! ……いや、それ以上しゃべるな。お前は酔っ払い状態だから、そんなお前から情報を引き出すような真似はしたくねぇ。だが、お前がこんなにべらべらとしゃべるのは酔っているからだよな? 普段はもう少し、用心深いはずだよな?」
突然、心配するような表情に変わったグリーンを、カーティス団長はにべもなく切り捨てていた。
「何かあったとしても、私が側近くに仕えているので問題ない。フィー様は貴殿が考えるより何倍も素晴らしい方だ。そのことを理解し、分を弁えて、必要以上に近寄らないでいただきたい」
けれど、カーティス団長の言葉を聞いたブルーは、弾かれたように顔を上げた。
「申し訳ないが、それは無理な相談だよ! フィーアが私たちに、何をしてくれたと思う? ……フィーアはね、私たちの運命を覆してくれたんだ!! 勝てるはずのない魔物が相手だったから、せめて誇り高く死んでいこうと思っていた私たちの前に現れ、顔を上げろと言ってくれた! どんなに格上の相手でも、前を向き、立ち向かっていくことで、勝利するということを教えてくれたんだ!!」
「ああ……!」
カーティス団長が呻くような声を上げる。
「そして、フィーアが一緒だと、決して負ける気がしなかった。魔物がどんな攻撃をしてきても、絶妙なところで防げるし、面白いように攻撃が入る。怪我をしたとしても、瞬時に治るんだ。絶対的な格上の魔物を相手にして、あれほど負ける気がしない戦いは初めてだった」
きらきらと瞳を輝かせながら熱く語り出したブルーを見て、カーティス団長は片手で顔を覆った。
「ああ、なんということでしょう! フィー様は戦いの中で、あの感覚を彼らに味わわせてしまったのですか! それは、控えめに言っても、やり過ぎです……」
がくりと項垂れるカーティス団長に止めを刺すかのように、今度はグリーンが口を開く。
「魔物を討伐した後、為し遂げた出来事の大きさに半信半疑で、呆然としていたオレたちとは異なり、フィーアは普通の顔をして川の水を汲んだりしていた。だから、こんな大事件ですら彼女にとっては何でもない出来事で、真に至高のご存在なのだと震えるような気持でいたら、……次の瞬間、何の予兆もなく突然、今度はオレと兄の呪いを解いたんだ。生まれてからずっと掛けられっぱなしだった、死ぬまで解けないと思っていた呪いを、瞬きほどの時間でだ」
グリーンの話を聞き終わったカーティス団長は、手に負えないといった様子で両手で顔を覆った。
「……ああ、聞けば聞くほど、手遅れに思えてくる話ですね。ですが、私に慰めがあるとしたら、たとえ私が同行していたとしても、止められなかっただろうということです。フィー様の本質にかかわる話なので、お止めするべき行為では決してありませんから」
覆われた両手の下から、呻くようにカーティス団長が声を出す。
グリーンは深く頷くと、ゆっくりと言葉を続けた。
「フィーアに出会ったことで、オレたちの運命は変わった。誇りを取り戻せたし、未来へ向かって歩むことを許された。オレたちは命の続きを与えられ、帝国の未来を創ることを許されたのだ」
何かを決意したような様子のグリーンを、カーティス団長はしばらく無言で見つめていたけれど、諦めた様にため息を1つ吐いた。
「……そのことが帝国民にとって、幸いであるように祈っている。私にとっても帝国は見も知らぬ国ではなく、……私が2番目に尊敬していた方の……国であることだし」
カーティス団長は顔を上げると、珍しく言葉を選ぶ様子で、途切れ途切れに話をしていた。
その様子を見て、私はとっても嬉しくなる。
「ふふふ、やっぱり、友達の友達は友達だったわね!」
すると、しばらく黙っていた私が突然口を開いたことに驚いたのか、見開いた3対の目に見つめられた。
「友達、……フィー様の目には、全ての物事を好意的に解釈する『幸せフィルター』がかかっているのですね。今の会話が友人同士の仲の良い会話に見えるなんて」
「幸せフィルターというか、……単純フィルターというか、……ああ、いや、確かに幸せフィルターだな。お前のその全てを善意で解釈しようとする見方を、オレは心底尊敬するわ」
「そんな兄さんこそ、フィーアに関することならば何だって素敵に見える、素敵フィルターが掛かっているようだね!」
ほらほら、いつの間にか3人で仲良く話し始めたわよ。
「ふふふ、明日からの旅程が楽しみね……」
にこりとして口を開くと、ブルーがすかさず返事をした。
「フィーア、私は今度こそ君の役に立つからね!」
グリーンもブルーに同意するかのように頷く。
「そうだな。与えられた役割を、幾ばくかでも果たさないといけねぇな」
カーティス団長は諦めたように、ため息を吐いた。
「……フィー様、あなた様は昔からそうでした。大変な騒動に巻き込まれることが多々ありましたが、周りに集まるのはいつだって、あなた様のために何かをしようとする人間ばかりなのです」
そんな風ににこやかにその夜は更けていき、そして、翌朝―――前夜に集まった4人で、王国最北端であるガザード辺境伯領に向けて出発したのだった。