94 大聖女への贈り物6
カーティス団長と私が黙ってしまったことで2人の間に沈黙が落ち、ちょっと気まずくなって視線を逸らすと、ラデク族長と話をしていたシリル団長と目が合った。
どうやら、団長と族長は今後について細かい打ち合わせをしていたようだ。
けれど、シリル団長は打ち合わせをしながらも、周囲を警戒するために目を走らせていたようで、偶然にも団長の方を見つめた私と視線が合ってしまう。
すごい偶然ねと、目が合ったことが嬉しくて、片手をひらひらと振ると、なぜだか団長は小さくため息をついた。
え? と思って見返すと、シリル団長は族長に断りを入れてその場を辞し、私に向かって歩いてきた。
それから、団長は私の目の前で立ち止まると、呆れたような声を出した。
「すごいですね、フィーア。……サザランドの住民たちの忠誠心に、稀有で貴重な石。領主である私を護衛騎士にしたばかりか、この地の騎士団長すら心酔させて王都に連れて戻るなんて。……会話こそ聞こえませんでしたが、カーティスがあなたに心服している様子は遠目にもよく分かりましたよ。全く、10日にも満たない期間で、どうやったらここまで魅了できるのでしょうね? ……ええ、カーティスの言う通りです。もはや、サザランドはあなたのものですよ」
「…………」
全く嫌な言い方だわと、シリル団長をじとりと見返すと、今度は、団長の後方に位置していた総長と目が合った。
古傷が痛むのか、総長は右目の眼帯に片手を掛けていた。
その長い指が眼帯をなぞる仕草に既視感を覚え、つい最近、総長の同じ動作を見た場面を思い出す。
―――そうだわ。同じように眼帯をなぞっていた総長から、サザランドでの役目についての指示を受けたんだったわ。
その際、総長から言われた言葉が頭の中に蘇る。
『お前は、まだ訓練中だ。「将来、騎士として在る者」として赴け。騎士という立場ではなく、公平な立場であの地を見てこい。お前のその目で……誰が、弾劾されるべき者なのかを』
あの時の総長は、複雑な感情が入り混じった表情をしていて、真意が読み取れなかったのだけれど、今なら何となく分かる。
総長はシリル団長と同じように、サザランドの民と騎士たちが対立していることを憂いていて、何とかしたかったんだわ。
私は総長を見つめると、にこりと微笑んだ。
『総長、弾劾される者は誰一人いませんでしたよ』
周りに大勢の住民たちがいる場での報告は相応しくないことが分かっていたため、正式な報告は後でするにしても、取り急ぎ笑顔に変えて報告してみようと思ったのだ。
すると、総長も同じようにふっと微笑んでくれた。
「……つ、通じた! 以心伝心とは、このことだわ!!」
騎士団に入団して苦節1か月半、やっと総長と通じ合えるようになったわ!
そう思い、両手を握りしめて感動に打ち震えていると、シリル団長の呟く声が聞こえた。
「あなたが何を考えているのかなど、非凡ならざる私には想像もできませんが、フィーア、間違いなくあなたが今考えていることは外れています」
まあ、失礼な。
それに私が考えていることが分からないのに、外れていると分かるなんて、可笑しな話じゃあないですか。
そう思いながら、ふふんとふんぞり返る。
「ふふふ、残念ですが、今回は私が色々と勘違いをしているという話ではなくて、サヴィス総長の受信能力が高いという話です。私の笑顔から私の言いたいことを読み取って、笑顔で同意の合図を返してくれたんですよ」
「……総長が非常に優れていることは間違いありませんが、そのこととあなたの考えを想像できることは、全く別物です。あなたは間違いなく、あなたが伝えようとしたことを、後ほど言葉で総長に報告すべきです」
……あくまで、私を評価しようとしないシリル団長であった。
―――その後の式典は……あるいは宴は、ただ賑やかで楽しいものとなった。
料理はおいしく、誰もが笑顔で、騎士とサザランドの住民は垣根なく言葉を交わす。
私は勧められるままにどんどんとサザランドのお酒を飲んで、とてもいい気分になった。
……ああ、楽しい。この楽しい会話の全てを、明日の朝には忘れてしまうことが難点だけど。
そう思いながら、ふっと視線を逸らすと、暗闇の中に一人の男性が佇んでいるのが見えた。
―――カーティス団長だ。
暗くて顔の部分はよく見えなかったけれど、彼を見間違うはずがない。
どうしたのかしらと近付いて行くと、カーティス団長は黙って植えられたばかりのアデラの若木を見つめていた。
「……フィー様。10年後にこの木の花を見に来る時は、私もご一緒させてください」
カーティス団長まであと1メートルというところまで近付いた時、彼は振り返りもせずにそう口にした。
実はちょっと驚かしてみようかしら、なんて思って、足音を忍ばせて近付いていたので、気付かれたことに驚いてしまう。
「へ? どうして私がいるって分かったの? 騎士としての全スキルを駆使したのに……」
「……逆にどうしたら、私があなた様に気付かずにいられるのでしょう?」
質問に質問で返された私は、「う、うん」と曖昧な返事をする。
アルコールの影響か、少しだけ頭がぼんやりとしているので、いつも以上に上手く返せる気がせず、そうだわと、言いたいことを口にする。
「カーティス、王都に一緒に戻ってくれること、ありがとう! あなたを自由にするわと言ってはみたものの、一緒にいられるのだと思うとやっぱり嬉しいわ」
「フィー様…………」
私の笑顔を見たカーティス団長は虚を衝かれたように押し黙ると、参ったと言った風に顔の上半分を片手で押さえた。
「あなた様のその緩急をつけた攻撃に対して、私は昔から対応できませんので、手加減いただければありがたいのですが」
「……え?」
「いえ、あなた様は昔から変わらないなと申し上げました。私の方こそ、お礼を申し上げます。私の同行したいという気持ちを理解していただき、ありがとうございました。また、サザランドの民の『聖石』を献上したいという気持ちを受け取っていただき、ありがとうございました」
カーティス団長の言葉を聞いた私は、慌てて声を上げた。
「とんでもないわ、カーティス! 私の方こそ助かったわ。あなたが教えてくれなければ、住民の方々の気持ちを理解せず、『聖石』に対価を払います、なんて失礼なことを言い続けるところだったもの」
カーティス団長は否定するかのように、小さく首を横に振った。
「いえ、私こそ差し出がましい口を挟みました。離島の民の気持ちになってしまい、思わず口を出しました」
「もちろん、あなたは正しかったわ。……でも、そういえば、族長たちはどうして突然、宴会の途中にもかかわらず『聖石』を私に譲ってくれようとしたのかしらね?」
不思議に思ったので、カーティス団長に尋ねてみる。
すると、カーティス団長は何かを思い出したかのように、ふっと小さく微笑んだ。
「いずれにしても、あなた様にあの石を捧げるつもりではあったでしょうが、……あのタイミングだったのは、あなた様が懐かしい間違いをしてくださったので、とても嬉しくなったからだと思いますよ」
「懐かしい間違い?」
「離島の民の言葉は、発音に独特のものがありまして、いくつか発音しにくい音があります。そして、あなた様は300年前から『深海貝焼き』を正しく発音できていませんでした」
「へ? オアチィーでしょ?」
私の発音を聞くと、カーティス団長は昔からある大切なものを聞いたとでもいうかのように微笑んだ。
「ふふ、少しだけ音が違うように離島の民には聞こえるのですよ」
「ふ、ふーん。難しいわね」
どうしよう、私にはカーティス団長の発音も私の発音も同じに聞こえるのだけど、と思いながら曖昧に微笑む。
すると、団長はふっと真顔になり、寂しそうに微笑んだ。
「フィー様、私は今でも時々、あなた様と過ごす時間は夢ではないかと思う時があります。特に今夜のように、あなた様と穏やかに300年前の話をするなんて、前世では想定もできなかった情景です」
それからしばらく押し黙った後、カーティス団長は途切れ途切れに言葉を続けた。
「……このような場面を『黒騎士』が見たならば、……やはり美しい夢だと思うのでしょうか?」
喧騒から切り離された静寂の中、ぽつりとカーティス団長の声が落ちる。
けれど、私は耳慣れない単語に、はて? と首を傾げた。
「黒騎士?」
300年前の生で、国旗の色に基づいて選ばれた『青騎士』と『白騎士』なら聞いたことがあるけれど、『黒騎士』というのは初めて聞いた気がする。
黒は……ええと、今世の騎士団が「黒竜騎士団」って名前ではあるわね。
ということは、強い騎士のことを、最近では「黒騎士」って呼ぶのかしら?
そう思って、ぱちぱちと瞬きをしていると、カーティス団長から驚愕したように見つめられた。
「え? あの、カーティス?」
驚く理由が分からず、不思議に思って声を掛けると、カーティス団長は何かを思い巡らせているかのように、目を伏せたまま無言になった。
そのまま、一言も発せずゆっくりと片手を顔に持っていくと、その大きな手で顔の下半分を隠す。
けれど、よく見ると、その手はうっすらと震えていた。
「……そうでした。フィー様は黒騎士に会ったことがないのでしたね」
そう言うカーティス団長の手が、だんだんと大きく震えてくるので心配になる。
……え? こ、これは悪酔いの兆候じゃないかしら?
カーティス団長は見た目が変わらないから、たくさんお酒を勧められていたわよね? 実は気分が悪いのかもしれないわ。
そう思った私は、慌ててカーティス団長に声を掛ける。
「カーティス、お水をもらってくるわね!」
そう言いながら、慌てて駆け出したので、私はカーティス団長の次の言葉を聞き逃してしまった。
「黒騎士は………大聖女様の死で狂ってしまった、歴代最強の騎士ですよ」
カーティス団長が苦し気に呟いた言葉は、誰にも拾われずに静寂の中に消えていった……
―――その日から2日後の午前中、慰問式に参加するためにサザランドを訪れた騎士や文官たち一行は、10日に亘る滞在を終えると、王都に向かって出発した。
その際、到着した時とは異なる光景がサザランド領内のあらゆる場所で見られた。
―――多くの住民たちが歩道に連なり、騎士の姿が見えなくなるまでずっと、笑顔で手を振り続けていたのだ。
これにて、サザランド編は終了です。
長かったですね。お付き合いいただきありがとうございました!









