92 大聖女への贈り物4
「族長、お言葉を返すようで申し訳ありません。確かにサザランドの地は王都から離れていますが、ナーヴ王国にとって重要な地であることは間違いありません。だからこそ、公爵領として指定されたのです」
シリル団長は驚いたような表情から一転、気を取り直したような表情に改めると、族長に対して説明を始めた。
対する族長は、全て分かっているという風に深く頷く。
「ええ、そのことは承知しております。この地の価値を上げた理由が、……『聖石』が採取できる土地だからということは、正しく認識しています」
「何を……」
シリル団長は思ってもみなかった言葉を聞いたというように、短く呟いた。
そんなシリル団長に対し、族長は申し訳なさそうに言葉を続ける。
「私、なのです。かつてこの石を市場に出してしまったのは」
「え?」
「30年ほど前に息子が結婚することになった際、出来るだけ多くの者をもてなしたいと考え、『聖石』を売りに出してしまったのです。『聖石』は深い海の底に棲む貝からしか採取できず、その生息場所の深度から、水かき付きの手を持つ離島の民しか採取できない希少な石であることは分かっていたというのに、実に安易な考えで売りに出してしまったのです」
ラデク族長は昔を思い出すかのように遠くを見つめると、言葉を続けた。
「当時から、『聖石』の効果については承知しておりました。その効果に加え、ほとんど市場に出回らない希少性から、この石が重要視される可能性があることも理解していました。そのため、争いの火種になる虞があるのなら、『聖石』をこの地の外には出すまいと、100年ほど前に一族で決めたのです。にもかかわらず、めでたい席の話でもあるし、1個くらいならばいいだろうと、王都に出掛けた際に商会に持ち込んでしまったのです」
族長はそこまで話すと、当時のことを思い出したのか、困ったように額に手を置いた。
「そうしたら、別室に通されて、騎士を呼ばれて、どこから入手したのかと訊問されて、大変な目に遭いました。私はたまたま海から拾ったのだと繰り返し、何とか解放されましたが……多分、怪しまれていたのでしょうね」
族長は苦笑するかのような表情でシリル団長を見つめた。
「それからしばらくして、長年王家が管理していたサザランドが、新たに公爵領として指定される旨の通知がありました。その時に私は気付いたのです。ああ、新たな公爵様は『聖石』の入手ルートを探しにくるのであり、この石はそれほど価値があるのだと。そうでなければ、貴族の頂点に位置する公爵家が、王都から離れた僻地の領主に、このタイミングでなることなどないはずです。それほど重要視されている石ならば、争いの火種にしかならないと、私たち一族は、『聖石』を見つけた場合は必ず海に戻すことを、それまで以上に徹底しました」
シリル団長は何か言いたげに口を開いたけれど、言葉にならなかったようで、再び口を閉じた。
そんな団長を見て、族長は話を続ける。
「『聖石』は貴重な石であり、やり方によっては一財産築けることは分かっていました。けれど、私たちには虐げられてきた歴史があります。そして、贅沢な暮らしにも興味がありません。心のどこかでは、この石を上手く使うことで、助かる人たちがいることは分かっていたのですが、無用な争いに巻き込まれ、再び虐げられることを恐れました。そのため、知らぬ存ぜぬを押し通すことを優先してしまったのです」
族長はふうと大きなため息を一つつくと、私を見つめてきた。
「けれど、フィーア様を見て、……ただただまっすぐに、ご自分の正義を貫き通される姿を見て、私たちは自分を恥じました。大聖女様に助けていただいた命だったというのに、私たちは誰も助けようとしなかったのです。きっと、大聖女様ならば出来ることは全て行って、一人でも多くの命を救おうとされたでしょうに。……そのことに気付いた時、『聖石』をフィーア様にお捧げしなければと思ったのです。間違いなく、私たちよりも正しく使われるでしょうから」
「え、いや、信用してもらうのはありがたいですが、必ずしも私が正しい使い方を出来るという訳では……」
あまりに私を信用し過ぎる話に聞こえたため、思わず横槍を入れてしまう。
すると、そんな私の言葉に被せるように、族長が言葉を重ねてきた。
「フィーア様、私たち一族が『聖石』を使うとしたら、子ども用のおはじきにするくらいです」
「あ、はい、多分、私の方が素敵に使えるかもしれませんね」
私が引き下がると、族長はシリル団長に向き直り、言葉を続けた。
「聞かれた通りです、公爵。我が一族はこの石の全ての権利をフィーア様に明け渡しました。加えて、騎士の方々とのわだかまりもなくなりました。もはや、この地に憂うべきことは何一つありません。優秀な騎士団長をこの地へ留め置く理由はないのです」
族長は両手を広げると、すっきりとした表情で微笑んだ。
「公爵、騎士の方々にはこれまで、十分手厚く対応していただきました。打ち解けない我々のために、カーティス団長を派遣いただいたことにも感謝しています。ですが、もう我々はどの騎士とでもやっていけます。先ほどからフィーア様とカーティス団長お二人のやり取りを見ておりましたが、フィーア様はカーティス団長を非常に信用されていて、カーティス団長もフィーア様に適切に対応されている」
それから、族長はカーティス団長を親しみのこもった表情で見つめた。
「……カーティス団長は3年間こちらにいらした間に、まるで我々一族の一員のように慣れ親しんでいただきました。おかげで、今日一日を見ていても、カーティス団長は我々の代弁者のようでした。ですから、図々しい話ですが、……我々の代表のような気持で、フィーア様の側にカーティス団長を送り出したいのです」
全ての話を聞き終わったシリル団長は、しばらく言葉が出てこないようだった。
無言で族長を凝視していたけれど、すぐに気を取り直したように表情を引き締め、族長に対し頭を下げる。
「ラデク族長、そこまで多くのことを見通されていながら、これまで不問にしてくださったことに対して、感謝申し上げます。確かに父がこの地の領主となった理由は、『聖石』にあります。ですが、あなた方から不当に『聖石』を搾取しようと思ったことは一度もありません」
シリル団長は頭を上げると、まっすぐにラデク族長を見つめた。
「そもそも『聖石』はずっと以前から存在が確認されていましたが、重要視されていなかったため、誰一人その入手ルートを把握していませんでした。けれど、100年ほど前にこの石の有用性が見直されたため、それ以降はずっと、国中で『聖石』を探し求めていたのです。ですが、国中のどこからも『聖石』が発見されることはありませんでした。そんな中、初めて現れた手掛かりがサザランドだったのです」
シリル団長は真剣な表情のまま、ぐるりと周りにいる住民たちを見回した。
まるで一人一人に話しかけるかのように、団長の声が響く。
「領主として赴いてきたものの、この地のどの場所から『聖石』が採取されるのか、あるいは採取場所を特定できている者がいるのかどうかすら、私たちには分かりませんでした。ただ、皆さんにこの石の有効性を説いて、私たちの目的を分かっていただき、この国をよりよくすることに協力していただければと考えていました。同時に、『聖石』を確保する技術を確立し、その富でこの地を豊かにできればとも考えていました。そのように、より豊かになれる土地であろうことを見込まれて、この地は公爵領に指定されたのです」
「……ええ。公爵様のことをわずかながらも理解できるようになった今では、その言葉は真実だと思います」
シリル団長の説明に対し、族長は全てを肯定するかのように大きく頷いた。
それを見た団長が、ふっと弱々しく微笑む。
「ありがとうございます、族長。……ですが、私の志とは裏腹に、現状はご存じの通りです。非常に重要で繊細な案件なので、まずは皆さんの信頼を勝ち取ってから説明を行うべきだとタイミングを見計らっているうちに、『サザランドの嘆き』と呼ばれる事件が起こり、『聖石』などと言っていられる環境ではなくなってしまいました」
「そうですね。……ですが、それらは全て過去の話です」
族長は申し訳なさそうな表情のシリル団長に対して、穏やかに微笑みかけた。
「お互いに告白の時間は終わりました。さあ、これでもう、私たちの間に隠し事はありませんね。……はあ、すっきりしましたよ。どうも我々一族は秘密を持つということが非常に苦手でしてね。こう、むずむずとして思わず全てを告白してしまいたくなるのですよ。この気持ちの悪い感じを持つ人間を減らすため、深海貝を採取する者を限定していたくらいです」
言いながら、族長はほっとしたような笑顔を見せた。
「大聖女様の護衛騎士は離島の民出身でした。私たちはずっと、そのことを誇りに思ってきました。ですから、……大聖女様をお守りするお役目を授かられた公爵とともに、離島の民の代表としてカーティス団長にフィーア様をお守りいただきたいのです」
族長を援護するかのように、住民たちから次々と声が上がる。
「族長の言う通りです! カーティス団長をお連れください! 大聖女様をお守りする者として!」
「カーティス団長、大聖女様をよろしくお願いしますよ!」
「承知した」
シリル団長が返事をするよりも早く、カーティス団長が声を上げる。
驚いてカーティス団長を仰ぎ見ると、彼は至極満足そうな表情をしていた。