89 大聖女への贈り物1
族長の横で膝を突いている住民が捧げ持った大きな器の中で、燦然と輝く透明の宝石を見た私は、驚いて目を見開いた。
「ぞ、ぞ、族長、これは『聖石』ですよね………」
思わず焦った声が出る。
そんな私に対して、サヴィス総長が声を掛けてきた。
「フィーア、お前は何を手にしたのか分かっているのか?」
総長が質問する気持ちは、よく分かる。
こんなにきらきらとした宝石を一抱えももらうなんて、分不相応だと言いたいのだろう。
私はごくりと唾を飲み込むと、真剣な表情で総長を仰ぎ見た。
「も、もちろんですよ! すごく綺麗で、きっとご婦人方が競って欲しがる素晴らしい石だということです。こ、こんなものを貰ってしまったら、私は大金持ちになりますよ!!」
「お前は………」
総長は一旦言葉を切ると、思い直したように言葉を続けた。
「それは、お前が言ったように『聖石』と呼ばれる貴重な石だ。その石には、『魔石』以上に有用な付加価値がある」
「へ? そ、そうなんですか?」
300年前にもごく稀に目にしていた石だったけれど、特別な効果があることには気付いていなかった。
少しだけ回復魔法を溜められる綺麗な石、としか認識していなかったのだ。
一体どんな効果があるのだろうと、わくわくした気持ちで『聖石』を見つめる。
すると、いつの間にか横に立っていたシリル団長が、真剣な表情で口を開いた。
「『聖石』には回復魔法を溜めることができます。つまり、『聖石』を携帯することで、聖女様の御力と同様の効果を得ることができるのです」
「はい」
そのあたりまでなら、当然私だって知っている話だ。
とは言っても、『聖石』に溜められる回復魔法はほんのちょっぴりなので、その効果は重宝されるものではないはずだ。
この後、私の知らないどんな素晴らしい効果の話が続くのだろうと、期待する気持ちでシリル団長を仰ぎ見る。
胸躍らせながら瞳を輝かせて団長の次の言葉を待っていると、そんな私の表情を見たシリル団長は一旦口を閉じ、困ったようにぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「……失礼ですが、フィーア、私が言ったことを理解できていますか? これは聖女様の御力と同様の効果を発揮できる石だと説明したのですが」
「はい、もちろん理解していますよ。『聖石』には聖女様の力を少しだけ溜められるということですよね?」
どうしてそこから話が進まないのかしらと不思議に思いながら、こてりと首を傾げる。
すると、シリル団長は腑に落ちたという風に少し大きな声を出した。
「ああ、違いますよ! そこを誤解していたのですね! この石には複数人の聖女様の御力を溜めることが出来ます。つまり、数人分の聖女様の回復魔法を、この小さな石一つで行使できるということです」
「へ? でも、その石に溜められる回復魔法なんて、ほんのちょびっとだけですよね?」
「いえ、ですから、聖女様数人分の御力を溜めることが出来るほど、多くの魔力を保持できると説明しているのですが」
「へ?」
「え?」
いつもは説明上手なはずのシリル団長なのだけれど、団長の言っている意味が全く理解できず、私は大きく首を傾けた。
すると、そんな私を見兼ねたのか、カーティス団長が慌てて間に入ってくる。
「フィ、フィー様! 聖女様が傷を治される場合、お一人で対応することは難しいので、複数人で治癒にあたりますよね? この石には、その複数人の力を全て溜め込むことができるということです! それどころか、満杯状態から枯渇状態になるまでの聖女様の魔力量で勘案しても、数人分の魔力を溜めることができます。つまり、現在の聖女様の全魔力を数人分も溜めることが出来る、素晴らしい石だということです」
「………ああ!」
遅まきながら言われていることを理解した私は、大きく目を見開いた。
「回復薬は効果が現れるまで時間がかかります。そのため、回復薬を使用した場合、傷が治るまでの間は戦場を離脱する必要がありますが、この石を使用すれば、継続した戦闘への参加が可能になるのです」
カーティス団長は私が頭の中を整理する時間を作れるようにと、類似情報を不自然ではない形で提供してくれる。
……な、なるほど。そういうことなのね。
カーティス団長の言葉を聞いた私は、やっとシリル団長の説明を理解することができ、心の中でしょんぼりと俯いた。
たった今説明されたことを信じて、現在の聖女の魔力量はすごく少ないのかもしれないと思い直してみると、色々と符合する。
思い返してみると、騎士として初めて魔物討伐に出掛けた際に目にした聖女の能力は、前世とは比べ物にならないほど低かった。
腕の怪我を治すために3人がかりで、数十秒の時間が必要だったのだ。
加えて、治癒を終えた聖女たちは、かなり疲労していたように見えた。
今思えばあれは、1回の治癒で保持する魔力量の多くを使ってしまったことの表れだったのかもしれない。
けれど、弱体化した話を聞き、実際に聖女の能力を目にした後でも、私はどこかで聖女の可能性を信じていた。
つまり、1度における回復魔法の出力量は少ないけれど、魔力量自体はそれなりにあるのかもしれないと勝手に思い込んでいたのだ。
なぜなら、あの魔物討伐の時だって、20名の騎士に対して3名の聖女しか割り当てられていなかった。
つまり、3名の聖女で20名の騎士が負う全ての傷を治癒することが想定されており、騎士が怪我を負う頻度が前世と同じであれば、討伐全体では結構な数の治癒をすることになると思ったからだ。
けれど、実際に騎士が怪我をする頻度は、前世よりもずっと低いのかもしれない。
そういう視点で思い返してみると、確かにあの時は、普段出遭わないような強力な魔物を相手にしたから怪我人が多かったのかもしれないし、別の理由で怒っていたからではあるけれど、私の怪我は聖女に治癒してもらえなかった……
そこまで考えた時、遅まきながらシリル団長とカーティス団長の説明がストンと胸に落ちてくる。
……そうか、そういうことなのね。
この容量が小さい『聖石』に数人分の魔力を込めてしまえるほど、今世の聖女の魔力量は少ないのだわ、きっと。
私はしょんぼりとした気持ちで、カーティス団長をちらりと見上げた。
「……理解したわ。つまり、数人分の聖女様の回復魔法を溜めると、(ほんのちょっとしか容量がない)『聖石』が一杯になる(ほど現在の聖女は魔力量が少ない)のね」
「……そうです」
私が理解したことを理解したカーティス団長が、気遣うような表情で私を見た。
……カーティス、心配しなくても大丈夫よ。私が勝手に聖女に夢を見ていただけだから。
そう安心させようとしたところで、不審気な表情で私を見つめているシリル団長が目に入った。
しまったと思った私は、慌てて嬉しそうな表情を作ると、大袈裟なくらいに両手を広げる。
「わあ、理解が悪くて、申し訳ないです! やっと、すごさが分かりましたよ! すごいなー、すごいなー! 聖女様の魔力を何人分も閉じ込めてしまえるなんて、これはすごい石だあ!!」
「フィーア、あなたの演技力の酷さは、今さら指摘するまでもありませんが……。あなたには、この石のすごさが理解できないのですか? ……ああ、そうですね。あなたはあまり実戦経験がありませんので、聖女様の御力の重要性が分かっていないのでしょうね」
シリル団長は独り言ちると、困ったことだというように総長に向かって肩をすくめた。
サヴィス総長は正面から私を見つめると、感情を窺わせない表情のまま、落ち着いた声を出してきた。
「フィーア、『聖石』の効果については、シリルとカーティスが説明した通りだ。戦場におけるその価値は計り知れず、間違いなく騎士たちを救うだろう。それを……唯一の確立した入手方法を持つ一族から、未来に渡って受け取る権利をお前は提示されているのだ」
「え………」
本当にやっと、事の重大さを理解できた私は、ごくりと唾を飲み込んだ。