83 慰問式7
儀礼式典は、まだ真っ暗い夜明け前に始まった。
朝食の際に聞いた話によると、サザランドでは大聖女に一族を救われた時間帯を最も尊い時間帯としているとのことで、それが夜明け前後の時間帯だそうだ。
そのため、本日の慰問式典を始め、重要な行事はその時間に合わせて始められるとのことだった。
その説明を仲間の騎士から聞いた時、私はこてりと首を傾げた。
……そういえば、前世で私がこの地の黄紋病を治した時間帯は、夜明け前後だったかしら?
夜通し、というか2日くらい続けて馬を飛ばしてきた後だったので、ふらふらに疲れていて、時間帯についての記憶が残っていない。
ううむ、本人もよく覚えていないことを、300年もの間伝え続けている離島の民って、恐るべしだわ。
大聖女クイズ大会なるものを開いたら、この地の住民たちに負ける気がするわね。
いや、でも、本人が負ける大会ってのもどうなのかしら?
そんなことを考えている間に時間となったようで、号令役の騎士が高々とした声を上げた。
「これより、サザランドの紛争により命を落とされた方々の慰霊式典を開催する」
その声を合図に、王城から派遣された100名の騎士と文官、その数倍もの住民たちが軽く頭を垂れ、黙祷を開始する。
「サザランドの嘆き」は、わずか10年前の出来事だ。
亡くなられた方々の身内や知り合いは大勢いるだろう。
私は亡くなられた方々、そして、この地の住民全てが安らかであるようにと祈った。
続いて、王位継承権第2位であるサザランド公爵の立場として、シリル団長が前に進み出た。
王族の名代であることを示すため、胸には王家の紋章である黒竜を象った胸章が飾られている。
シリル団長は美しい所作で歩を進めると、亡くなった住民たちを追悼するために建立された石碑の前で立ち止まり、深く頭を下げた。
「犠牲になった方々に対して、心より哀悼の誠を捧げる」
団長の心に染み入るような深い声が、普段よりもゆっくりとした口調で辺り一帯に響き渡る。
それから、シリル団長は石碑に対して、聖水と聖花を捧げた。
聖花は全て、アデラの花だった。
式典は一つ一つ、丁寧に進行していった。
全てのプログラムが滞りなく終了し、後は閉式の号令を待つばかりとなった時、突然の強風が吹き、崖近くに立っていた一人の騎士がバランスを崩したようによろめいた。
「うわ……っ!」
よろけた騎士が上げた声に驚いたように、隣に立っていた騎士が手を伸ばしたけれど、1度よろめいた騎士はその手を上手く掴むことができなかった……結果、一直線に海の中へ落ちていった。
派手な音とともに、一人の騎士が海の中に吸い込まれる。
「お、落ちた! 大変、助けないと!」
私は突然の事態に驚いて、崖の淵ぎりぎりまで近寄ると、崖下に広がる海を覗き込んだ。
けれど、真っ暗い海の中でたった1人の騎士を見つけることは、月の明かりだけでは不十分のようで、波間の中に落ちた騎士が見つからない。
「ダン! おい、返事をしろ!」
何人かの騎士が私と同じように、海を覗き込みながら声を掛ける。
私も必死になって目を凝らしていると、後ろからひそひそ声で、でも、全く緊迫感のない住民たちの声が聞こえてきた。
「……騎士ってのは、泳げるんだろ? ここの海は深いから、飛び込んだ時に怪我をする心配はないし、今日の波は穏やかだから溺れる方が難しい。何が心配なんだ?」
「あのご立派な騎士服が、海水でダメになることを心配しているんじゃないか?」
「ああ……」
それらのひそひそ話を耳にした私は、救い主を見つけたような気持で、勢いよく振り返った。
そうだわ! サザランドの住民たちは、水かき付きの手を持っているじゃあないの。
盗み聞いた話を参考にするに、住民たちにとって、この程度の海は困難とは感じないようだから、彼らに助けてもらうのはどうだろう。
「ええと、皆さん、よければ助けて……」
けれど、言いかけた私の言葉は最後まで続けることができなかった。
不自然な体勢で振り返っていたところに、再び吹いてきた強風を受けて、私自身がバランスを崩してしまったからだ。
「え、あ、ちょ……」
自分自身が崖から落ちかけていることに気付き、必死で近くにいる騎士に向けて手を伸ばしたけれど、私の手は仲間の手を掴むことなく、空を掴んでしまう。
「あ、あれえ……」
上半身が崖からはみ出る形で後ろに倒れたので、ぱたぱたと鳥のように手を振って落ちるのを阻止しようとしたけれど、努力むなしく足が地面から離れてしまう。
「ひ、人助けをしようと思ったのに――!!」
その言葉とともに崖から投げ出された私は、数瞬の浮遊感を味わった後、どぼんという大きな音とともに海に沈んだ。
あああああ、私はそんなに泳ぎが上手じゃないのに……
ぶくぶくと背中から海に沈みながら、顔を上げて水面を見つめる。
取り敢えず、水面に顔を出さないと……
そう思っている私の視界で、ざぶん、ざぶんと何かが海に沈みこんできた。
「へ?」
思わず声をあげたことで、海水が口の中に入り込んでしまう。
……し、しょっぱい。やっぱり海水って、しょっぱい。
慌てて両手で口元を押さえようとしたけれど、それは叶わなかった。
なぜなら次の瞬間、私の左右からそれぞれ腕が引っ張られ、そのまま水面まで引き上げられたからだ。
「ぷふっ!」
行儀が悪いなとは思いながら、口の中に入り込んでいた塩水を吐き出す。
ああ、暗闇で良かったわ。
塩水であろうとも1度口に含んだものを吐き出すなんて、淑女としてあるまじき行為だもの。
いくら満月で月明かりがあるにしても、至近距離で見つめられない限り、今のあるまじき行為は誰にもバレはしないわ。
そう思ってほっと安堵のため息をついたところで、左右から至近距離で覗き込まれていたことに気付く。
「ひいいいいい!」
驚いて、思わず背中から倒れかけたけれど、両側から伸びてきた手に背中を支えられたので、倒れることはなかった。
「大丈夫ですか、フィーア。どこか、痛むところはありませんか?」
「フィー様! ああ、ご無事でよかった……!」
左側にはシリル団長、右側にはカーティス団長がいて、それぞれ私の片手を握っている。
どうやら、私を助けるために飛び込んでくれて、引っ張り上げてくれたようだ。
だからこそ、どちらの団長も全身濡れそぼっていて……
「き、騎士団長ともあろう方たちが、一介の騎士のために海に飛び込むなんて! あああああ、どうしよう? 高級布地で作られた礼装が、海水に濡れている! 銀糸で複雑な刺繍が施されていた騎士服も、飾帯も水浸しだなんて!!」
私は信じられないとばかりに声を上げた。
騎士団長というのは、全体を指揮する立場だ。
部下の一人が海に落ちたからといって、自ら飛び込んで助けに来るような立場では、間違ってもないはずだ。
それに、2人とも気にしているようには見えないけれど、式典に参加するため、本日は誰もが常装ではなく礼装を着用していた。
団長クラスになると、礼装は一層豪華になり、服の襟元や袖口、飾帯などに複雑な刺繍が施されている。それが海水に浸かるなんて……
素敵な服が台無しになってしまったと、私はしょんぼりした気持ちで、団長たちの騎士服を見つめた。
そんな私を見て、シリル団長はきょとんと目を丸くしていた。
カーティス団長に至っては、なぜだか痛々しいものを見る目つきになっている。
「服……、私たちの服の心配ですか? そうですね、礼装の替えはあります、と言えばご安心いただけますか?」
シリル団長が不思議そうに目を細めながら、口を開いた。
「ああ、フィー様ともあろう方が、これしきの服の心配をしなければならないとは! フィー様はよもや、金銭的にお困りなのでしょうか?」
カーティス団長が心配そうな表情で、尋ねてくる。
カーティス団長の言葉を聞いたシリル団長は、驚いたように私を見つめてきた。
「そういえば、クェンティンが給金日に、開封もしていない給金袋をあなたに渡していたことがありましたよね? フィーア、あなたはもしかして、ものすごく困窮しているのですか?」
……ダメだ、これは。
時々ある、『騎士団長が複数集まると混沌となる法則』が適用されそうな気がしてきた。
ええ、この法則は私が発見しました。
一人一人は立派な騎士団長なのに、なぜだか複数人が集まるとおかしくなる傾向があることに、最近気付いたんです。素晴らしい発見だと思います。
これを『騎士団長混沌の法則』と名付けましょう。
けれど、法則について考えるよりも、団長たちの混沌とした状態に巻き込まれないよう、この場を離脱することが先だと判断する。
そのため、早々にこの場を脱出しようと考えたけれど、どういう訳か私の進路を塞ぐように、次から次に人が降ってくる。
「シリル団長! 大丈夫ですか?」
「カーティス団長! どちらですか?」
「フィーア! お前何をやっているんだ?」
思い思いのことを口にしながら、騎士たちが。
「大聖女様! ああ、大聖女様!!」
「大聖女様、ご無事ですかぁ!?」
焦ったような声を上げながら、住民たちが。
……どうしよう、更に混沌としてきたんだけど。
「見つけた……って、何だ、ダン、お前か! フィーアはどこだ?」
……いや、その騎士、待って! どうしてごっつい男性騎士と私を間違えるの?
というか、そもそも彼を見つけることが目的だったわよね?
でも、良かった。最初に海に落ちた騎士は、無事だったのね。
漏れ聞こえる声を拾って、ほっと安心していたけれど、気付いた時には、辺りは人だらけになっていた。
にもかかわらず、未だに次々と海に飛び込んでくる着水音が続いている。
見かねたカーティス団長は崖の上を振り仰ぐと、大声を上げた。
「私は第十三騎士団長のカーティスだ! フィー様及びシリル団長の身柄は確保し、無事を確認した! ぶつかって怪我をする恐れがあるため、これ以降の飛び込みは禁止する!」
それから、カーティス団長は周りを見回すと、再度大声を上げた。
「全員、速やかに陸に上がれ!」
崖の淵で鈴なりになっていた住民たちは、カーティス団長の言葉を聞いた途端、くるりと方向を転換し、全員で走って移動をし始めた。
「タオル! タオルを持ってこい!」
どうやら、私たちの足が立つポイントまで、陸を回り込んで移動するようだ。
「フィーアは泳ぐことができますか?」
崖の上に気を取られていると、シリル団長に腕を取られたまま質問された。
ふっふっふ、いい質問ですね、シリル団長!
「はい、1度顔が水の外に出てしまえば大丈夫です! 何と、私は水に顔をつけずに泳ぐことができるんですよ!」
得意げに答えると、シリル団長は静かに微笑んだ。
「……そうですか」
私はシリル団長に私の泳ぎをお披露目しなければと思い、口を開く。
「はい、だから、手を放してもらっても大丈夫ですよ。……カーティス、あなたも手を放してくれるかしら?」
取られた左右の手を見ながら言うと、シリル団長とカーティス団長は恐る恐るといった様子でゆっくりと手を放した。
私は水中から頭を出したまま腰をかがめると、ばたばたと足を交互に繰り出した。
加えて、肘を曲げたままの手を胸の前で交互に動かすと、あーら不思議、顔を水中から出したまま前に進みだすではないか!
「どうです、すごいでしょう! 海に顔をつけるから、息継ぎの時に海水が口に入ってきて、しょっぱくなるということに気付いたんです! でも、この方法なら、顔を浸けないからどれだけでも泳げますよ。以前、動物たちが海で泳いでいるのを見て、閃いたんです!」
得意気にシリル団長に説明すると、幼い子どもを見るような目つきで見つめられた。
「……そうですね。自分で泳法を開発するなんて、素晴らしい発想だと思います。ただ、獣と人の骨格は異なるので、もしかしたら、人に適した泳法が他にあるかもしれませんね」
それから、どうしたものかという風に私を見つめてきた。
「フィーア、あなたの泳ぎ方は個性的で素晴らしいのですが、スピードに改善の余地がありそうです。よければ、私の背中につかまりませんか? 皆さん、あなたを心配されているので、早く岸に上がって元気な姿を見せてやるべきだと思われるのですが」
そう言われて改めて周りを見回すと、移動を促されていたにもかかわらず、多くの住民たちは海に留まったまま、私たちを取り囲んで心配そうに見つめていた。
……あ、あら、心配をかけることと、迷惑をかけることは、やってはいけないことだよね。
そう考えた私は、シリル団長の申し出をありがたく受け入れて、背中にしがみついた。
「団長、よろしくお願いします」
「はい、落ちないように、しっかりつかまっていてください」
シリル団長はちらりと私を振り返ると、最初はゆっくりと、けれど、私がしっかりとつかまっていることを確認すると、どんどんとスピードを乗せて泳ぎ出した。
「うわぁ、こんなにスピードが出るなんて、まるで船に乗っているみたいですね!」
嬉しくなって声を上げる。
しがみついている団長の背中は広いし、細身だと思っていたけれど、必要な筋肉は十分付いている感じでどっしりと安定感があった。本当に船に乗っているようだ。
「船ですか? 船にたとえられたのは、初めてですよ。フィーア、初めての経験をありがとうございます」
シリル団長からは、可笑しそうにお礼を言われた。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
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いただくご感想の一定数が「更新頻度を上げて!」という内容である現状において、すごく勇気のいるお知らせですが、新作を始めました。
〇「悪役令嬢は溺愛ルートに入りました!?」
https://ncode.syosetu.com/n2907ga/
ゲームの世界に転生した貴族令嬢が、自身の身の安全を優先させようと努力するけれど、忌避している攻略対象者たちから寄ってこられたり、構われたりしてどうしよう!? という話(のつもりですが、どういうわけが今は魔術戦の真っ最中です)。
投稿して2週間ですが、【異世界転生/転移_恋愛】ジャンルで月間5位に入れていただきましたので、少しは面白いと思ってもらえるのじゃないかと思います。きっと、多分、だといいなと思います。
楽しんでいただけると、嬉しいです(。>人<。)どうぞよろしくお願いします。
ちなみに。
本文中のクェンティン団長の話に、「?」と思われたWEB読者の方はご慧眼です。
こちらは、書籍2巻掲載の小話になります。
こんなこともあっています、とのご紹介も兼ねて触れさせていただきました。