婚約者の話
「ミハイル様!何故あのような者と王女殿下が同席するのを見過ごしておられるのです!」
「落ち着くんだゴードン、君が私の為に怒ってくれるのは嬉しいよ」
「けれど」
ミハイル・ルナール、マリエラ国において公爵子息にあたる男は従者の怒りに苦笑を返した。貴族の従者としては直情的過ぎ、いっそ愚かと思う男を側に置いているのはミハイルのとある体質によるものであるがいくらなんでもあけすけだ。主人にやんわりと窘められてもなお言いつのろうとするゴードンに軽くため息をつき、書類から従者の顔へ視線を移した。
「覚えているかい、5年前セヴリン殿下が薨御なされたことを」
「忘れようにも忘れられません、どれほどこの国が悲しみに満ちたことか
「…あの方が生きていれば、きっと名君となったろうね」
背もたれに身を預けてミハイルは天井を見上げる、5年前次期国王とされていたセヴリンは辺境へ視察へ出向いたとき不幸な落盤事故に見舞われたのだ。巡回路に問題はなく、悪天候でもない、もしや暗殺かと噂もされたが本当に残念なことにただの事故。民を愛し国の未来を見据え、武勇にも優れた王子が神の国へ旅立ったときマリエラがどれほど失意で陰ったことか。一月ほどはすすり泣く声が聞こえない日はなかった、それほどに惜しまれる人物であったのだ。
お前にならば最愛の妹を任せてもいい、そう笑って言われたときの心はなんと暖かかっただろう。回顧を終えたミハイルはゆっくりまぶたを閉じて背もたれから体を離す。
「結果、ロクサーナ殿下に王位継承権が移ることとなった、元々政の才覚は彼女にもあったからその采配は正しい…けれど国の上に立つ者という自覚を背負うことと女王として統治するのを目指すことはまた違うものだ」
「しかし王女殿下も非常に優れたお方です」
「あぁ、何も私は殿下に重荷だと言いたいのではないよ。むしろ適任であるからこそ、思うことがあるのさ…まだ、男尊女卑の思想というものは消えないからね」
「…前時代の人間にいつまで席を与えておくつもりですか?」
「改革には新世代だけでは足りないのさ、時代の流れに取り残された価値観を持つ人間を一度でも排斥してしまえば恐怖政治だと批判される」
「まるで介護ですね」
「まあまあ」
歯に物着せない言い方に肩を竦める、意に沿わないものを蹴落としていては自分達が煙たがる彼らと同じことになってしまう。あまりにも荷物になる者に遠慮する必要はないにしろ、敬遠する中に確かな才のあるものがいればいくら古い価値観だろうが登用しておくべきだ。政治とは清濁併呑してこそなのだから、物語のように自分達が住みよいようにとはいかないのだ。
まぁ、女性に無理をさせたくはないという思いならミハイルにもあるのだけれど。
「…カミル殿下は幼過ぎるからね、精神が」
「はっ」
「いや、否定しようね。揃って不敬罪になるから」
「主の心は従者の心にございます」
「やれやれ、盲目にはならないでくれよ」
先日の騒動には本当に頭を悩ませた、いくら若いといっても14になるのだからハニートラップなんてものに引っかからないでほしい。王族として先が思いやられる、純粋に育ちすぎたのがいけないのだろうか。
「…ええと、つまり私が言いたいのは、彼女がどれほど偉業を成したとて女の癖にとか、女にしてはよくやるとか、その功績をこき下ろしたがる連中がいるってこと。ロクサーナ様は国の為であればどんな苦痛にも耐えるお方ではあるが…一時期は本当に酷かった、すっかり参ってしまっていてね」
「………ミハイル様、やはり俗物どもは掃除するべきでは?」
「ゴードン、君はもう少し社会の荒波に飲まれようか」
世のやるせなさというのを全く飲み込めない達の従者に形だけの笑顔を返して軽く頭を傾ける。剣の腕は確かではあるのだけど、この嫌を直ぐ口に出してしまうのは致命的すぎる。どこで間者が聞いているかもわからないのだし不用意な発言は控えてほしいのだが、そこが直らないからこそそばに置いているのだろうなと自分の甘さに苦笑いした。
そして、一年ほど前までずっと張り詰めていた彼女の横顔を思い出した。決して弱音は吐かなかったが周りからの期待と嘲りにあんなに穏やかだった顔がどんどん険しいものになっていたことを今でも覚えているし、守ることができなかった自分に歯痒さを覚える。
「…あのパーティで、殿下があの方にお声をかけられたのは半分は自棄もあったと思うよ。それでもあの無謀とも取れる行いをあの方は肯定したんだ。それに彼女がどれほど救われたことか」
「所詮は魔性の気紛れでしょう!王女殿下の美貌に惹かれたのやも!」
「それは無いよ、そんな揺らぎは私の目に視えなかった」
ミハイルはそっと目元に触れてゆるゆると頭を振った、この目に宿ったスキルはあの神話の魔王の心さえ読んでみせたのだ。
感情視、非常に有用な異能ではあるが使用者の人格形成に多大な影響を及ぼす厄介極まりないもの。閉ざせない視界のせいでミハイルは幼少期人間不審に陥りかけたものだ。
笑顔で品定めをする大人達、笑いながら見下す貴族、愛し合いながら憎み合う恋人達、まっさらな子供の心にぶちまけられた醜さがどれだけミハイルを苦しめたか。そして、美しい人々の心にどれだけ救われたか。ゴードンを側に置いているのはそんな理由なのだ、醜いものなどいくらでも視られた、だからこそ側にいる者にはせめて嘘をついてほしくはなかったのだ。
「…あぁ、だけど君のいう通りかもねゴードン」
「そうでしょう、いくら国益とはいえ遠ざけるべきです!
「違うよ、気紛れさ。あの方は気紛れで他人を殺めるし、気紛れで他人を救うんだ」
魔性の読心をしたのは初めてのことだったが、それでも分かったことはある。あの魔獣の王は王女を蔑んでもいなければ慕情を抱いているわけでもない。勿論自分が言った気紛れという行動にも向こうにしてみれば核とする行動規範があるのかもしれないが、彼女に滅多なことが起こらないと読み取れただけでも十分だ。
納得いかずに口をへの字に曲げる従者にミハイルは苦笑して晴れ渡る窓の外を眺めた。
「私は、ロクサーナ様のどんな苦境におかれようとなお純粋な心に惹かれたんだ。その心が一層輝く瞬間があるならそれを見たいと思う、彼女の最後のモラトリアムを幸せにしてみせることが未来の伴侶として重要だと思うのさ」
「ミハイル様……」
「だからゴードン、この話はもう終いにしよう。紅茶を持ってきてくれるかな」
「…は、畏まりました」
「ありがとう」
何かを言い掛けたゴードンが渋々頭を下げて下がるのを見てから、ミハイルはやれやれと頭を振った。
言葉にされなくても言わんとしたことは読める、彼は魔王でなくても、ミハイルでもロクサーナを幸せに出来ると言いたかったのだ。それは嬉しいしいつかはそうなってほしいと思うけれど初恋に心惑わせる今でなくてもいいのだ。むしろ、余計な口出しは極力したくない。ここは見えるものとそうでないものの意識の差だろうから如何ともし難いものだ。
だが、ゴードンに話した言葉に嘘はない、魔王はきっとロクサーナを害さないし愛しもしないと確信している。
「…まぁ、恐ろしくはあるけれど、ね」
起こりようはずがないのだ、その確信のわけは見透かしたその心。
あの王はヒトという生き物、人間という種に一匙の興味関心を抱いていなかったのだから。もしかすれば同属である魔性にさえ何の感慨もないのかもしれない。
恐ろしいのはそれでもなお彼が会話の合間に見せた喜怒哀楽に偽りがないことである。何も思っていない相手に笑って、呆れて気遣いさえする。こんなに薄寒いことがあるのだろうか。
極限まで希釈された無関心は優しさと区別がつかないとはいうけれど、あれはその域を軽々と超えている。
きっとあの琥珀の眼に映っているのは虫だ、それでも当たり前のように手を差し伸べる。その行動理由をミハイルには理解することができない、心の底で真の怪物とはあのようなものをいうのだと思ってしまっている。
だが、しかし。その恐ろしい生き物に自分が恋する姫は心を奪われた、ならばそれは化け物だと糾弾なぞすまい。
御伽噺の真相は言わぬが花、と相場がきまっているのだから。




