神々の話
死したからといってもその魂が直接神界へ招かれるわけではない、神々の閨たる星へと招かれるだけだ。地上に生まれたものはその地で死して眠る、それは神にも同じ事で決して地上に降りることは許されない。宙にある星々はそんな地上の命と神の架け橋であり、境界であるのだ。
神は神以外と交わってはならない、それはとある出来事が発端で定められた掟であった。魂の状態でしか両者は相見えることはなく、触れ合うことはない。神が夢に現われたとしてもそれは所詮映像を流しているにすぎないのだ、かつての過ちを繰り返すことが無いように決して破ってはならない絶対のもの。
そう、なので、わざわざ魂の一部を切り離して能動的に神界へ意識を送ろうと考える者などこの世界にたった1人でいい。
地上で魔王と呼ばれる青年がゆっくり目蓋を持ち上げてあたりを見回すとそこは一面の白であった、天井も床も何も無いまっさらなだけの空間。初めての試みではあったが漠然と成功したのだろうという感触がある。連絡を取っていたこともあるし、多少力不足であっても向こうが引き上げてくれているだろう。
ただ、何もないということはこの青年にも少しばかりの不安を抱かせるものらしく、どこにともなくこうべを垂れるとやや気後れした声を上げた。
「主よ、ルキウスが参りました」
「面をあげよ」
ルキウスが顔を上げると先程とは全く違う景色があった。四方は太く大きな柱に支えられていつの間にか出来た水晶の床は鏡のよう、壁には精緻で繊細な絵が描かれている。そんな絢爛でいて神聖な神殿の中に青年はいた。
そして真正面の玉座には踝を覆ってなお余る金髪とルキウスと同じ琥珀の瞳を持つ美しい男が座っている、青年と男の距離は離れていたがそれでも男の発した声は取りこぼされることなくルキウスへと届いた。
当然のことだ、それはこの世界を創りたもうた最高神ラディウスの言葉なのだから。
「口上は省かせてください、俺は形式というものに馴染みがないので」
「許す。して汝、何用で我が前へと参じたか」
「ですからお伝えした通りです。俺と貴方の事に他の神だとか俺の身内を巻き込まないでください、わりと申し訳ないしめんどくさいんですよ」
「………う、うむ」
途端ルキウスは取り繕っていた態度を平時のものへと戻し、創造神を相手にしているとは思えない物言いをした。その様子に神も威容を崩して曖昧に頷く、この両者は一応親子という関係にあるのだが今のこの光景はそういった気心の知れたものではなく希薄さしか感じない。なんとも気まずい空気が流れる中、ルキウスの背後の扉が開いて美女が転がり込んできた。
「御子様!」
「あ、シーズ。いつもお疲れ」
「有難いお言葉ですが御前であります!どうかこう、柔らかく…柔らかく!お願いします!」
「あ、うん?なんかごめんな?」
シーズと呼ばれた彼女は癒しの神と呼ばれ肉体や心の傷、病からの回復などを司る神であった。地上での信仰も篤い大神の一柱であるのだが、神界では専ら創造神専属のセラピストとして働いていたりと中々苦労性である。
そんな彼女の諌めに、苦労させている自覚のあるルキウスは苦笑しつつ頷いた。
もっとも自覚があるだけで直りはしないので青年の謝罪にさほどの意味はないのだ。自分の何かしらの行動で父神が心を痛め女神に泣きつく、だから詫びを入れておこう、それだけ。
顔面蒼白のシーズを手で制し、ルキウスは小さく咳払いすると改めて創造神へと向き直った。
「俺達の問題は第三者を介さずに俺達で解決すべきです。お誘いは光栄ですが現状俺の好きなものは全て下にあるのでお断りさせてください。いつ貴方の御許に招かれるかはわかりませんが、どうかその時までは」
「…我はそなたが心穏やかに日々を過ごすのであれば構わぬ」
「ありがとうございます」
神の声には少しばかりの無念があったが、子は知らぬふりをした。この青年は情に流されるような心の暖かさなどは持ち合わせていなかったからだ、そもそも親子であるというだけでその他に思い出やら繋がりやらをあまり感じたことのない身としてはそこまで親切にされても困るというのが本心である。創造神の子であるからこそ色々な蛮行が見逃されていることを考えると流されるべきだとは思うのだが、ルキウスは周囲が思う以上に子供っぽい気性だったのだ。
はらはらとシーズが両者を見守る中、ルキウスはどこかやる気なさげだった表情を変えて手を打った、まるで本当の用事を思い出したという様子にまた神の心が傷付いたのは敢えていうまでもない。
「あ。そうそう」
「な、何だ?」
「レイテの術式の話ですが、あれはどうなっていますか?」
「…あれか。あの生贄達は呼び水だ、異世界を探ることは我が力を以ってしても許されぬことだが、向こうで生き返るということはありえぬだろうな」
「そうですか。よかったです、こちら側の人間が向こうに適応できるとは思えませんから」
ルキウスがずっと気にかけていたことは異世界召喚の術式についてだった。簡単な事は魔法陣を見る事で読めたのだが任務は「罪人の処刑と術式の破壊」であったため解析は許されなかったのだ。
生贄を使うことで別世界の人間を引きずりこむ、その基本は分かったが確かに死体だった花子、そして同じ境遇であったはずの来夢が生き返った理由が分からなかったのだ。死者蘇生も禁忌の1つだというのに、あの新興国の魔導師は怖いもの知らずにも程があるといっそ感動したものだ。魔法の神であるイグラジェラスをせっついて真相を何度か聞き出そうとしたのだがルキウスへの返答は「御子様は絶対やらかすから教えないよ」だった。
結局、また自分の立場に甘える羽目になったのだが仕方がない。あの魔法の正体はというと「死ぬはずだった人間に生きるはずだった人間の寿命を譲渡する事で擬似的に蘇生させる」というものだったらしい。身体はこちらで新たに作られたようだが命は貰い物、ということだ。
そしてレイテの魔導師が誤解していた1つのことはあの術式は決して強大な力を持つものを呼ぶわけではないということ。花子があまりに残念だったためルキウスも誤解していたが、別世界の人間を呼び出すこと以上のことは出来なかったのだ。つまり来夢が猛者と呼べる力を持って召喚されていたのが全くの偶然だったということらしい。
人騒がせな事だと顔をしかめたルキウスを見て神は少し怪訝な顔で尋ねた。
「招かれたものを還してやりたいとは考えぬのだな」
「神が禁忌を語るべきじゃないでしょう、それに還しても骨だったらどうするんですか」
「そ、そうだな…」
ここと向こうの世界の時間の流れが等しいとは言えないのだ、帰すことが必ず両者の望む結果になるとはルキウスには到底思えなかった。特別な情を持つわけではないが、放り出すほど非情ではない。魔王と呼ばれるこの男は冷めたぬるま湯のような心を持っていた。いまいちよく分からないそのアンバランスさに神はまた不思議そうな顔をする、こうしていると気まずい関係の親子に見えないこともない、のかもしれない。すっかり蚊帳の外の女神は気休めにそんなことを思ってみた。
「それにあの2人、頑張ったとこで60年かそこらでしょ?知らない間柄でもなし、看取るくらいはしますよ」
「ふ。そうか…」
「で、主神。貴方は俺に何を期待してるんですか?」
「えっ」
「えっ、じゃないですよ。定期的に切なそうな顔で夢に出るのやめてください、言われなきゃ何してほしいかわからないんで」
「御、子、様…ッ!」
「マジ?このレベルもダメ?」
シーズが気を抜いていたのも束の間、ラディウスの身体がびしりと硬直した。息子を可愛がりたいがやり方が分からず、嫌われたくもないが見守りたいなどと思う面倒で繊細な父神の精神面はどうして子に継がれなかったのだろう。シーズにそこそこ力のこもった手で肩を掴まれたルキウスはきょとんとした顔で瞬きなどしている。
油の差していない機械のようにシーズが首を動かすとうろうろと視線を動かして美しい手を合わせたり離したりと落ち着かない神の姿、いつ思春期を終わらせてくれるのか。女神は自分が癒しの神でなければ痛んでいたはずの胃をさすった。
「………………そ、その、だな、虫のいい話だとわかってはいる、いるのだが…我を父と思ってほしい、というか…うむ…」
「え?思ってますけど。間違いなく貴方は俺の父親じゃないですか」
「……………!!」
神がまるでか弱い地上にある生命のように、やっとの思いで振り絞った言葉はあっさりと受け入れられた。それにはシーズも目も丸くする、あの恥ずかしがりが遂に言った、そしてこの心の機微に疎い男が肯定したという二重の驚きで。そんな衝撃など知らずルキウスは気怠く腕を組み、億劫そうな眼差しで父たる神が驚愕に固まる姿を見据えた。
「そりゃー、まぁ、母のことは何してんだと思わなくもなかったですけど。済んだ話ですし、なかったら俺生まれてませんし、昔のことうだうだ言うほど傷付いてるかっていうとそんなことないので…母は母ですし、貴方は父です。ダメですか?」
「だ、ダメじゃないっ!大丈夫だっ!」
「創造神様」
「構わぬ」
予想しなかった展開に乱れる二柱をルキウスは首を傾げて見つめていた。ただの事実確認なのだ、結局は。ラディウスは自分の父である、そこを否定する材料など1つもないのだから頷いただけなのにどうしてそこまで慌てるのだろうかと思ってさえいた。全く噛み合っていないことに気がつくものは残念ながらこの神殿にいない。
「えっと、それだけだったんですか?なら俺適当に神界回って帰りたいんですけど…あ、シーズ、せっかく来たしフェニックスに会いたい」
「え!?あ、お、お連れいたします…」
「ま……………待て」
感動シーンに見える一瞬は続くことはなく、ルキウスはさっさと神殿から出ようとする。彼の致命傷を文字通りその命を燃やして癒した魔獣は神獣として癒しの神の神殿に住んでいるのだ、その会いたいと思う気持ちは責められないがシーズは空気の読めない御子に遂に肩を落としてしまう。
けれども背に縋る声があった、息子がわざわざ神界まで出向いてきているというほとんど奇跡に近い機会をどうして逃せよう。それがどちらかというと個人的な興味によるものだとしても嬉しいのが親心というものである。振り返ったルキウスは不思議そうな顔で玉座にある父の顔を見上げた。
「あっ…ええと…その…父だと思っていてくれるならば、我を…ち、父と呼んでは…くれない、だろうか……」
「いいですけど…」
「…………!………!!」
「創造神様!おさえて!堪えてください!」
胸を抑える神に女神が声を上げる、横目で伺う御子の顔は相変わらずで、どうして神の方が人間らしいのだろうと嘆息してしまう。ルキウスは口元に手を当てて片目を瞑り考えるような表情をした。別にその程度は構わないのだ、主という呼び方が父という言い方に変わるだけなのだから。
「んー具体的にどう呼ばれたいとかありますか?」
「えっ。え、え、あっ…パ………父、父上とか、は、いけない、だろうか…?」
「いいですよ、父上」
「……………っ、う………うむ」
「よくぞ!よくぞ耐えました!さ!御子様!フェニックスの元へお連れいたします!ささ!」
「え?いいの?帰りの挨拶とか」
「問題ありません!むしろ卒倒しないうちに!早く!」
「俺そこまで疲れてないんだけど…?」
「早く!!」
「あ、はい」
結局最後まで父であるラディウスのしたかったことの意味など通じないまま、ルキウスはシーズに肩を押されて神殿の外へと歩かされる。その背後には夢にまで見た展開に震える神がいることは知りもしない、もっとも完璧な成就ということでは全く無いのだが。
一応距離は縮まってくれたと思うしかない、そう、自分を含めた神の為にも。シーズはすれ違い続ける親子に深い深い溜息をついたのだった。




