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アスペルガー京大博士エッセイ集

どうしたら「余計なことを言わない力」はつくのか

作者: 小島 剛

 「助けよ、だが傷つけるな」は有名な古代ギリシア時代の医者の警句であるが、医療に限らず何にでも当てはまると思う。今、私はホスピスでの召されゆく方、悲嘆にある方の研究の準備をしているのだが、こんなことは座学でできることは知れている。重要なのは、こういった方に対して、「余計なことを言わないこと」であって、「気の利いたことを言うこと」ではない。もちろん気の利いたことを言えるに越したことはない。だが、こういった方の特徴は心理や状況に個人差が激しいことにあり、よく相手の状況を理解していないとできない。結局、初めは聞くことのほうが言うことよりずっと重要になるだろう。



 よく、この「余計なことを言わない力」を感じるのは、タモリと黒柳徹子である。要するに長寿トーク番組の達人である。タモリがトークコーナーを持っていた番組はもう終わってしまっているが。確かに彼らは時に、きわどい発言はした。しかし、かなり機微に触れる人物、たとえば「笑っていいとも」では安倍晋三なども出演したわけで、それでも番組が続いている数十年、彼らの舌禍によって番組やコーナーが危機に瀕したという記憶がない。彼らに「面白いことをいう力」があることはだれでも気づくが、彼らにどれだけ強靭な「余計なことを言わない力」があることに気付く人は少ないのではあるまいか。政治家やある種の社会学者はテレビに出ると実に余計なことを言う。馬鹿ぶりがよくわかるというものである。



 では、どうすれば「余計なことを言わない力」がつくのだろうか?おそらくは余計なことを言われて傷ついてみることであろう。痛みが分かれば、どう言われて痛いかがわかるからである。しいたげられた経験と感受性、熟考があればこの力はつきそうである。逆に言えば驕るものは、余計なことを言いやすいのではないだろうか。


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