09 出発と野営
09 出発と野営
出発前に爺ちゃんから何通か手紙を預かる。まずはデメーテルという都市にいるパン屋のキャドラングルさん、次にニューソスにいるというシスターのセレスさんという人に届ける予定だ。なんでも爺ちゃんが子供のころからの知り合いで、何年かお世話になっていたこともあるらしい。
荷物は魔法鞄に詰め込むだけなので準備はあっという間だ。何年か爺ちゃんと『渡り』として過ごしてきたので慣れもある。旅では準備や撤収のスピードは重要なのだ。
出発日の朝、二人は東門の前まで見送りに来てくれた。
「メルくん、気をつけてね。」
「なに、デメーテルまでは街道整備も進んでおるし、心配ないじゃろ。あとは、あまり派手なことせんようにな」
「しないよ、おれ平和主義者だもん」
「…まあわしがいうのもあれか…」
「…そうだね」
「せっかくの旅立ちに何やってるの。さあ、いつまでも話しているわけにもいかないでしょ。いってらっしゃい!メルくん、あなたに神のお守りがありますように」
「うむ、神のお守りがありますように」
「うん、いってきます」
今生の別れと言うわけでもないので、さっぱりしたものだ。ふたりに手を振り出発する。街の東門でギルドカードを門番に見せた後、街道沿いにゆっくりと歩き始めた。
街をつなぐ幹線道路は石畳で、地球でいうところのローマ街道だ。路面となる表層石は魔法で作られ、大きな石を亀甲形などに組み合わせたもので、薄くて平らな敷石ではなく重量のある分厚い石を敷くことで道路の安定性を高めている。また排水のために真ん中が少し膨らむよう勾配が付けられて舗装されている。道幅は標準的には4メートルから5メートルくらいで、2台の馬車がすれ違える車道幅である。山中だと幅が狭くなったり、街が近づくと両脇にはさらに2メートルほどの歩道が作られていることが多い。
10から20キロメートルくらいごとに休憩所として使用できるような広場があり、宿場町も多数ある。馬車とは言ってもそれを引くのは、地球でみたことがある馬とは違い、ばんえい競馬など農耕種に近い。地域により地竜種と呼ばれる大蜥蜴もいる。見た目はまさに恐竜で、ノドサウルスっぽい。背中全体に鎧のようなうろこがあり、草食で気性は穏やかだがその防御力、安定性から魔獣が発生しやすい地域や山間部では重宝されている。どちらも身体強化の魔法を使えるので、その速度や馬力はすさまじく、初めて乗ったときはさすがファンタジー!と思ったものだ。
馬を借りたりすることも考えたし、爺ちゃんにも薦められたが、一人でのんびり行くほうが気楽なのことと、風景を見ながら薬草を探したりしながら歩くのが好きなので断った。
薄く雲が広がり、気持ちよい天気の中でときどき薬草を採ったり、小型の魔獣を狩ったりして街道をどんどん進んでいく。昼休憩も挟みつつ、夕暮れ近くなったところで、予定していた野営用の広場に到着する。街道から少し離れたところに周りは木で囲まれているが、草がところどころ生えている広場のようになっている。焚き火のあとがあり、ほかに野営する人はいないようだ。
「あーつかれた。さて準備準備」
独り言を言いながら野営準備を始める。
まずは杭の上に羅針盤が乗っかっているような見た目の道具を取り出し、そのまま地面に突き刺し固定する。上部にある円形部分には十字の回転するパーツがついている。その真ん中にある魔石に魔力を流し起動させた後に、十字パーツを人差し指でぐるぐると回すと、杭を中心に四角錐の結界が広がっていく。
四方結界杭と名づけたが、魔法障壁、防虫、防臭、温度調整、認識阻害の効果がある結界が展開されるようになっている。
あとは魔獣除けのための線香に火をつけて、周囲に燃え移ることがないように注意しながらいくつか設置していく。線香といっても太さが1センチくらいあり、1日くらい燃え続ける。
次に大きな袋にいれた簡易天幕と名づけた道具を取り出す。
平らな場所を選んで、真ん中にある魔石に魔力を通すと、気球のように膨らんでドーム型のテントになる。
魔合金製の細いパイプが骨組みとなっており、白鎌蜘蛛の糸で編みこみスライム素材でコーティングした防水布を使っている。中は2畳位の広さで、床には絨毯を敷いて寝袋を広げておく。
外に出て、魔導焜炉を取り出す。
薪ストーブとバーベキューコンロの中間のような形状で、上に大き目の鍋が2つ置ける位の大きさがある。上部の部品を取り替えれば網焼き用のコンロとしても、通常の鍋でスープをコンロとして使用することも可能だ。近くに折りたたみイスも出しておく。
土魔法でテーブルを作り、お皿にのせた下ごしらえ済みの食材を置いていく。飲み物はアルコール度数が低い白ワインを魔法で冷やしておく。
炭を魔法でおこして、その上に網を乗せる。1人用の片手鍋も置いて、下ごしらえしておいた野菜や出汁を入れて、簡単なスープを作る。後で仕上げに途中で採取したねぎのような山菜を刻んで入れて完成だ。
串焼きは網の上に載せ、遠火の強火でじっくり焦げないように焼いておく。肉から滴り落ちる肉汁が炭火に落ちると、ジュジュジュという音が鳴り、脳の食欲中枢を刺激する匂いが立ち上がり、自然に口の中で唾液が溜まってしまう。ついでに網の端っこで丸パンを乗せて暖めておく。
食事の準備が出来たころにはあたりは暗くなり、夜空に大小二つの月が光っている。チラチラと星が見え始めている。明日の朝まで雨が降ることはないだろう。
順調に1日目が過ぎようとしていることに感謝しつつ、誰にも聞こえないような小さな声で「いただきます」とつぶやくと、串焼きにかぶりついた。
丁寧に焼き上げたので中まで硬くなってはおらず、肉汁のジュースが口の中いっぱいに広がる。下味につけたスパイスと塩がアクセントになって、その旨みを何倍にも増幅してくれる。
スープは体を冷やさないように生姜とにんにくを入れている。仕上げにゴマ油を少しだけいれたのでどちらかというと中華風な味付けだ。
パンはパリパリと皮をちぎる感触を楽しみながら食べ進めていく。水代わりのワインを飲みながらそれぞれ食べ進めていく。もちろん水もあるのだが、爺ちゃんと一緒に食事をするたびに飲んでいたので習慣になってしまった。加水しているようでブドウの味も薄く風味程度で、飲みすぎなければ酔っ払ってしまうこともない。
食べ終わったところで食器に《浄化》をかけて、魔法鞄に入れておく。金属のコップを出して、赤ワインに少しスパイスと砂糖を入れてホットワインを作る。
残り火に少し炭のかけらを足すと、静寂の中で炭のパチパチと弾ける音が聞こえる。
ふと空を見上げると降って来そうな星空で、それだけで心が震えるのがわかる。前世でアウトドアが趣味だったので、満天の星空というのは何度か見たことはあるが、こんな気持ちになることはなかった。
感じているのは自然に対する敬意とか感動だけではない。いま自分の胸を満たしているのは感謝だ。この世界は、厳しくも優しい。育ててくれた爺ちゃんや、旅の途中で出会った人たちと繋がっていくこと、思ってもいない風景や出来事に出会えること。そんな世界に転生させてくれた神様に対して、感謝の気持ちでいっぱいになる。
「ありがとう、神様」
静かにつぶやいた言葉が夜空に向かって消えていく。
一人で旅をすることの不安や高揚感もあるけれど、この夜空を見ているときっと何とかなる、大丈夫だと思えてくる。
そんな星々とは別に、闇夜から二つの光がメルを見つめていた。