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夏の夜の酔っ払い

 アンリはこのところ、冒険者ギルド王都ダンジョン支部から回されてくる書類に記された事務方責任者のサイン署名(サイン)が心なし、力強さを発している気がしていた。

 いつもであれば活字のように美しいヒゲ文字にも似た『マルティナ・デイル』の署名がやけに荒ぶる筆致に見えるのは、恐らくたぶん……アンリの気のせいだけではないはずだ。


 随分前のこととは言え王都本部の事務方も経験している彼女のこと。本部の事務室長であるアンリが届けられた書類にチェックの目を通すことくらい、当然彼女も知っているだろう。

 署名からマルティナの無言の圧力を感じた。


 原因は、分かっている。

 テレースに支部まで会いに行くと伝言を頼んでから、すでに二月以上も経過していた。

 謝罪を入れるのは向こうである手前もあり来訪の催促は出来ないだろうが、たいがい焦れて来ている頃合いだろう。


 アンリは仕事に関しては"後回し"などしないのだが、私生活についてはつい面倒事を後回しにする傾向があった。

 仕事とは別で性格的に暢気な性格をしているせいだ……と、本人的には思いたかった。

 だが、暢気な人間はふつう虫の多い田舎暮らしに耐えかねたからと言って、17歳になった当日にもう自分は成人したと強弁して家を出たりはしない。

 17歳で成人と言うのは普人種や獣人種と言った常命の種族だけの話であり、エルフ種では正式な成人年齢は定められていないにしても、概ね40~50歳を超えた辺りで大人として認められていた。


 ちなみに、彼女の家庭の家族仲に問題はない。それどころかむしろシスコン傾向のある兄などは、エルフ種なら使えて当たり前の風や水の精霊魔法を習得出来ない彼女を心配し、アンリが家を出ることを最後まで反対し続けていた。

 と言うか、今も家に戻すのを諦めてはいないらしい。


 精霊魔法を使えない自分が田舎からの脱出を反対されるだろうとは、あらかじめ彼女も想定していたことだった。

 だからアンリはハイエルフでありながら魔法学を修めた変わり者の老人(ししょう)のもとへ弟子入りし、彼から魔法を学んだ。

 それは彼女がまだ6歳の頃の事。

 ついでに兄からは家を出る計画を伏せた上で武器の扱いと護身術も教えて貰っている。

 そんな、子供時代から妙に計画的でアクティブな人物が"暢気な性格"をしているわけがない。


 だったら私生活の後回し癖はなにかと言えば、普人種とハイエルフとの時間感覚のズレ由来だろう……と言うのが本人なりの推測だ。

 仕事には書類だと納期が、対人では相手の都合があるためにそれに合わせて動いているけれど、それ以外の部分では無意識にハイエルフの時間感覚が出てしまっているのだろう。

 王都ではエルフ種の人間自体が少なくて流布していないが、故郷近くの村や町ではエルフと約束するなら年月日を指定しなければ、自分の葬式の方が先に来るなどとも言われているのだ。

 そこまで酷くない……はずだとはアンリも思うが、友人との喧嘩別れからあっという間に40年以上が経っている事を考えれば、あの警句もあながち洒落や冗談ではないかも知れない。


 マルティナの署名(サイン)が平常時の三割増しに野太いラインに達したある日、アンリはギルドのダンジョン支部へ書類の届け物に向かおうとしている若手の事務員を呼び止めて一通の手紙を託した。


「書類のついでに私用で申し訳ないけど、向こうの事務室長にこれ渡してもらっていいかしら? マルティナには私からだって言ってくれたら、たぶんその場ですぐ返信くれると思うの」

「お安い御用すよ。どうせあちらの支部長さんの署名も貰わないとですし、その間待たされるの確定すから。ついでに向こうの窓口のお嬢さん達にこないだ声かけた合コンの返事も貰うつもりっすし」


 私用のお使いを頼まれる代わり、自分も待ち時間を私用に使うと悪びれずに言う若手にアンリは苦笑い一つ。


「向こうの仕事の邪魔にならない程度にね」


 と、彼を送り出した。


 最初の予定では自分で直接支部の方を訪れマルティナに合うつもりのアンリだったが、考えてみれば人目のある場所で彼女からの謝罪を受けるなど、互いの立場を考えれば出来る訳がなかった。

 仕事上がりにでも時間を合わせ、どこかで待ち合わせて一緒に食事でもしながら話するのが無難だろう。


 渡した手紙……と言うか、メモ紙には、アンリが早上がり可能な日時をいくつかと、待ち合わせの候補の店舗の名だけを列挙していた。

 日時と店名だけが並ぶメモは知らぬ人間が見れば首を傾げる内容だろうが、仲たがいする以前、同様のやり取りを彼女とマルティナはよく行っている。


 ……覚えてる、よね?


 メモを託した配達人(メッセンジャー)が経って後、そんな不安に駆られるも、杞憂。ダンジョン支部からの帰参の報告と書類の提出のついで、手渡された封筒の中にはアンリが先方に書き送ったメモ用紙が一枚、直近の日付を囲むように大きくひとつ丸印、続く待ち合わせ候補地の全てに大きくバツ印が、そして最後に王都内でもそこそこのグレードのレストランの名と


『ご馳走させて。私の名前で個室取っておくわ』


 と言う言葉が活字のように几帳面なマルティナの筆跡で書き記されていた。


 支部の事務室長としての署名や報告書、レポートに書くまでも無いちょっとした付箋での業務上の連絡以外の私信など、自分と彼女の間では一体どれほどぶりかと感慨深い。

 ()()()()()さえなかったなら、きっとアンリとマルティナとのこんな風なやり取りも、きっと途切れることなく続いている筈だった。

 そうであったら今のように何年もまともに彼女の姿を見すらせず、あまりに老け込んでいたらどうしようなどと狼狽えて約束の先延ばしはしなかっただろう。


 一体何が悪くてこうなったのだろう、と、アンリは思う。

 幸せな花嫁だったマルティナに、これから先も幸あれと願った思いに二心はない。

 結婚後に彼女の配偶者となったグスタフの母親と彼女の折り合いが悪く、家庭内で諍いが多かったらしいと言う話を聞いて、アンリは本当に彼女の事が心配だった。

 子供が出来てからグスタフが家に寄りつかないようになり、義母との関係と育児に追われたマルティナが疲れ果て、暗い表情をしているのを見るたびどれだけ心を痛めたことか。


 だから彼女はたまたま街で見かけたグスタフに声をかけ、もっとマルティナや家庭内の事に気をかけて欲しいとそう伝えたのだ。

 そんな彼女にグスタフは、結婚し、子供が出来てからマルティナはすっかり変わってしまったのだと訴えた……。


 家の空気が重く、安らぐ場所がないと、彼は言う。


 家庭内の空気が悪いのは、マルティナとグスタフの母親の仲があまり良くないせいだろう。

 マルティナの友人としては出来ればもっと彼女をフォローして、彼には母親との間を取り持つ緩衝材役になってもらえないかと思ったけれど、マルティナにとっては意地悪な義母も彼には大事な母親。あまりキツイ事は言いたくないだろうと、せめて家庭に不満を持つグスタフの愚痴を聞くことでストレス解消の一助になればいいかと考えた。


 前世もそう長生きすることなく人生を終えたアンリには、自分にも自分と身近な友人にも結婚経験と言うものが無かった。

 人を見る目が足りず、しかも若くて潔癖だった彼女は当時、いまのように自分の持つ『称号鑑定』を活用して人を観察するのをズルいこと……と、そう考えて戒めていて、だからアンリは相談に乗ってほしいと幾度か彼女を呼び出したグスタフに


『浮気癖:重度』


 の称号がある事に気づかないまま、友人(マルティナ)との決別の日を迎えることになってしまった……。





「……私もね、誤解受けるような行動とって迂闊だったとはね、思ってるのよぅ」


 テーブルの上の酒杯に手酌で果実酒を満たし、アンリは小刻みに頭を左右に振って久方ぶりに至近に対峙した友人の顔に視線を向けた。


「若かったなって……本当にそう思ってるの」


 溜息混じりの彼女の言葉に『美魔女:レジェンドクラス』『仕事の鬼』『孫・命』のアンリにだけ見える称号ウインドウを虚空に浮かべたマルティナが


「今も若いくせに、なに言ってるんだか……」


 と、呆れと笑いと優しさに苦味を添えた表情で呟いた。


「えぇ~? それを言ったらマルティナだってじゃない。どんなアンチエイジングすればそんなインチキ臭いことになるのぉ? 前から私、時々ダンジョン支部の事務室長は人間じゃないって噂きいてたけど、それって仕事に関して厳しいって意味だと勘違いしてたのよ。でもあれって、マルティナが"魔女"って意味だったのね」


 変に構えて緊張し、朝からあまり食事が喉を通らなかったこと。それから思いのほか若々しい姿での再会が叶ったマルティナからの謝罪と言う、もっとも胃の痛むイベントを終えて気持ちが緩んだこと。

 さらには緩んだ気持ちのまま、空腹の胃袋の中にアルコールを流し込んだことが重なって、現在アンリは誰の目にも分かりやすく『酔っぱらい』になっていた。


「アンチェージン? なんの話なんだか分からないけど、人間じゃないとかって失礼だわね。誰そんなこと言ってるの。見つけたら、〆てやる。だいたい私には魔力なんてないのに、魔女ってなによ!?」


 現世では通じないアンリの言葉に首を傾げつ、やはり彼女同様に若干酒量を過ごしつつあるマルティナも、余人の耳も目もないレストランの個室の気楽さで、職場ではない砕けた口調で文句を返す。


「魔女は魔女よ。美~魔~女~。いつまでも歳を取らない女は魔女なんだから」

「それ言ったら、エルフ種の女は全員魔女ってことになるじゃない?」


 喋りながら自分の前の酒杯にチビチビと口をつけるアンリの前に、マルティナは水差しから別のグラスに水を入れて差し出した。


「えー……エルフだって、歳は取るのよー」


 直に水を受け取りつつも唇を尖らせ不満げなアンリのその表情も無理からぬこと。

 一部、常命の種族の間には、エルフ種……ことにハイエルフ種は一切としを取らぬまま長い時を過ごし、若い姿のままで寿命を迎えるとの間違った情報がまかり通っているのだから。


「え、そうなの?」


 己の前の酒杯で口を湿らせ首を傾げるマルティナも、どうやらこの誤報を信じる一人であったようだ。


「そりゃあ普人種より若い期間はすごーく長いけどー……歳取り始めるとけっこう早いんだから。まあ、エルフの人達コミュニティの外出たがらないし、お年寄りのエルフなんてあんまり見かけることないかもだけど。私のお師匠さまだってオジさんとお爺ちゃんの中間な感じだったし、今頃きっといい感じにしわしわっとしたお爺ちゃんになってるよ」

「いい感じにってあんた……もしかして、お爺ちゃんマニア?」

「脂と灰汁の抜けきったお爺ちゃんとお婆ちゃんは世界の宝でしょ。可愛いは正義って言葉を知らないの、マルティナ」

「知らないわよ……」

「あー思い出したらお師匠さまに会いたくなっちゃった。……シオシオでしわしわのお爺ちゃんお師匠ステキ」


 アンリは目を細め、かつて子供時代に師事したころには枯れかけロマンスグレーだった師匠の今の姿を想像し、ほう……っと溜息をついた。


「確か……魔法とか魔方陣の作り方を教えてくれた人なんだっけ?」


 二人でよく食事やお茶や休日のショッピングに出かけ、そのたびに声がかすれるくらいお喋りをしたおした過去を思い出しながら彼女の師匠についての記憶を辿る"友人"に、アンリは嬉しそうに口元を綻ばす。


「覚えててくれたんだぁ。……そう、そのお師匠さま」

「会いたいなら、休み取って会いにいくといいわ。有給この数十年分あまりまくっているんでしょ? 本部の手が足りないのなら、支部の方から人手回すわよ」

「うん……その内には、一度くらい実家に顔は出したいんだけどね……」


 果実酒の酒杯を脇に除け、水のグラスに口をつけるアンリが長期の休暇などほぼ取らず、王都に出て来て以来郷里には一度も帰郷していないことはマルティナも立場上知っていた。

 だからこそ、師匠に会いたいと言うアンリの気持ちを慮り


「ご両親は……まあ、まだ若いんでしょうけど、お師匠様はアンリが出かけるまではお元気で長生きしていただけるといいわね」


 と言う発言をしたのだが……。


「いやー……お師匠さまは、早く死んじゃえばいいと思う」


 との彼女の手のひら返しに目を剥いた。


「死ねばいいって……あんた……」

「だってお師匠さま、長生きし過ぎ。ハイエルフでも二千歳近いとかだと冗談みたいで怖いから。お迎え来るの遅すぎるわよ!」

「酔っ払い過ぎでしょ……アンリ」

「うん。楽しいから、酔っぱらっちゃった……」

「……そうね、私も今日は楽しくて飲み過ぎてるわ」


 アンリは水のグラス。

 マルティナは酒杯。

 喉の奥に落ちていく液体はそれぞれ違っていたけれど、短い沈黙の後のに零れた言葉は同じような意味のもの。


「……もっと早くに」

「───うん。早く仲直り出来てれば、良かったね」

「私があんたの事、疑ったりしなかったら」

「さっき言ったじゃない。私も、迂闊だったんだもん。あれじゃ疑われてもしかたなかったよ」

「それでも、切れて怒鳴り散らすだけじゃなく、ちゃんと話をしてたらって」

「無理。だってあの頃の私、マルティナに信じて貰えなかったのが悲しくて悔しくて、すっごくすっごく不貞腐れてたんだもの。話になんてならなかったよ。そっちだってそうでしょ?」

「まあ……親友とダンナに裏切られたと思ってたから、そりゃあね。実際あの後すぐにあのクズ、女作ってその女の家に入り浸りになってるし」

「うわぁ……」

「……しかも、お義母さんまで嫁に貰うならあんたの方が良かったとか言い出すしで……」

「それは、酷いね」

「酷いのよ。だいたいあのクズ野郎だってね、人の事を『子供産んだ途端にあっという間にババアになった。詐欺だ』とか言い出したのよ。育児とお義母さんの嫌味&嫌がらせで疲れ果てて窶れたんだっていうのに冗談じゃない。……しかもアイツ『お前に比べてアンリちゃんは若くて今も美人なうえに、オレの事を優しく癒してくれる』なんて言って……!」


 ハイエルフと普人種の女を比べてどうするのか……とのツッコミは、当時のマルティナの精神状態では入ることなく終わったようだ。


「優しく癒してなんてないから! 愚痴聞いてあげれば家にさっさと帰るかと思ってただけで! ……あぁもう、本当に私も馬鹿だった。そんなの疑われても仕方ないもん。人様の家庭、なんとかしてあげようなんて上から目線な考えで動くとか、今考えると思い上がりも酷い話だわ。それなのに信じて貰えなかったなんて傷ついて凹むなんて……マルティナの方がずっと辛かったのに」

「当時はね……そりゃあ辛かったわよ。でも私も友達の事信じられないのはダメだったと思うわ。アンリはそんな子じゃないって言ってくれる人だって何人もいたけど、意固地になってたわ。私との喧嘩のせいで、変な噂も立っちゃったでしょう……?」


 冒険者ギルド近くの飲食店でグスタフと話をしているところを彼女に罵られ、不倫の糾弾を受けたため、確かにその当時、たまたま現場に居合わせた顔見知りや、彼らから話を聞いたらしい人々の間でひそひそされる事もあった。

 アンリが街では珍しいエルフ種として多くの人に顔を覚えられていたことも、噂が広く拡散した原因となっている。


「あったあった。そんな噂。身近な人は全然信じなかったけどね」

「あれが原因でアンリの縁談が流れたり、愛人になるよう迫られたって……人づてに聞いたわ」


 酷く沈痛そうな面持ちのマルティナに驚きながらアンリはそれを否定した。


「やだ。縁談なんてあったこと、ないわよ?」

「え!?」

「私、結婚する気なんてないから、そういう雰囲気の話持ち込みそうな人には前もって全部お断りしているもの。彼氏を作った事もないし、結婚話が流れたことなんて一度もないから!」

「そうなの!?」

「あ、愛人の話はあるか。でもアレ、噂がどうこうじゃなく、亡くなった前妻さんへの義理立てで向こうが自主的にそう言ってるんだよ。第一それも私、ずっと断ってるから関係ないと思う。彼氏つくる気とかないんだもの」

「……そっか。そうなんだ……。縁談、流れてないのね……」

「うん。流れてないよ」


 長い白金色の睫を瞬かせたビックリ顔のアンリの目の前、マルティナの赤味の強い薄茶の目から、ポロリと涙が転がり落ちる。


「ちょ……っ! なんでいきなり泣くの!?」

「私が、あんな人目のあるところで無実のあんたを罵ったせいで、縁談流れたって……聞いたから、私……」

「流れてないから。そもそも縁談なかったから!」


 慌てふためいたアンリが渡そうとした刺繍だらけのハンカチを手振りで断り、マルティナは実用性の高そうな綿布のハンカチを手荷物から取り出すと、それで自分の目許を拭った。


「あのバカ男の間に何にも無かったってこと、義母が亡くなった時に知ったの。お義母さんの日記にね、期待してたのに次の嫁があんたにはならなそうで残念だわって、グスタフが嘘ついてたことも書いてあったのよ。ホントのところずっとね、ちょっと可笑しいなとは思ってたんだけど、それ見てああ……やっぱりって」

「そうよ。無実なのよ私。だったら、どうしてその時にでもすぐ……」


 マルティナの前夫グスタフは王都の出身。

 その母の訃報は随分前にアンリの耳にも入っている。


「───どの面下げて、ごめんねなんて言えるのよ……っ」


 自分のせいで結婚話がフイになり、よからぬ噂が立ったためにおかしな男に絡まれるようになった相手。

 何年も何十年も年月が経ち、そんな嫌な思い出も薄れているだろう頃に謝罪を入れさせてくれなんて、自己満足以外の何物でもない。

 今回の事も、もし娘のテレースがたまたまアンリに出会っていなければ、そして彼女が母親が長年胸に抱いている後悔について知らずにいたならば、きっとなかったことだろう。


 唇を震わせ、ハンカチを握りしめるマルティナの顔は酔いによる赤味が薄れて見えた。


「私が、変な風にマルティナのこと、避けたりしてたから……」

「避けられるのも当たり前だわ。バカみたいに嫉妬に狂って、信じるべき相手を信じられないで罵倒したんだから」


 アンリはハンカチに顔を埋めて身を震わせる友人の背に手を伸ばし、そっと摩った。


「でも勘違いされるような行動とってた私も悪かったって、さっき言ったでしょ。それにね、マルティナのこと避けまくってたのだってね、ちょっと喧嘩した友達と顔合わせにくくてバツが悪くて……ってのの延長線上だったのよ。子供じみた意地みたいなものだったんだけど、私ってちょっと長生きしちゃう分、時間感覚も皆とズレちゃってるのよ。夏季休暇前に喧嘩した子と休み終わったら仲直りしようって程度の気持ちだったんだもの。それなのに……」


 外から見る顔かたち、立ち姿は老いを感じさせない美魔女ぶりを発揮している友人も、直接触れてみればやはりそれなりの老いを刻んでいる事を知り、胸がツンと痛む。


「気がついたら、あの小さなテレサは成人済みの子供の母親になってるし、マルティナは60歳過ぎのオバサンになってるし、ビックリしちゃうわ」

「オバサンじゃないわよ。もうとっくの昔に()()()()()よ」

「美魔女だけどね」

「若作りしてるのよ。意地が、あったから」

「ああ」

「……なによ」


 生ぬるい笑みを浮かべるアンリをひと睨み、マルティナは不快そうに唇を歪めた。


「マルティナは、グスタフのこと本当に好きだったものねって」

「……見る目がなかったのよ」

「顔はすごく良かったよね、ヤツ」

「面食いだったの」

「知ってる」

「でも中身はグスタフじゃなくクズ駄夫(ダフ)だったわ」

「あー……うん。色々噂、きいてるよ」

「結局5回も離婚したらしいわ。今ので6人目」

「記念すべき第一回がマルティナね」

「過去の自分を蹴り飛ばしたい……暗黒の歴史だもの。あんなのに惚れて馬鹿みたいに振り回されて、あんたのこと疑って。……テレースを授かった事だけは感謝してるけど……」

「ねえ。もう……さ、面倒くさいし悪かったのは全部アイツってことでいいんじゃない?」

「……全部?」

「そうよ。私達が仲違いしたのも、忘れた頃にタンスの角に足の小指ひっかけちゃうのも、貴族院のクソ役人が人のお尻触ろうとするのも、全部ヤツが悪い」

「新採用の職員が一週間後に母親連れでやって来て、まっとうな事しか言っていない新人教育担当をクビにしないと辞めてやるって騒ぎだすのも?」

「そうそう。全部」

「あのクズのせい、ね」

「うん」

「……そう、ね」


 酔っ払いの彼女と酔っ払いな彼女による多数決により、そう言う事に決定した。

 その後もしばらくの間二人の酔っ払い女によりグダグダな会話が交わされたのだが、それは割愛する。


 窓口業務の遅番勤務とさほど変わらぬ頃合いに座は開け、二人は個室を使ったレストランが提携している業者の手配でそれぞれ小型の馬車に乗り込み、帰途に着いた。

 夕食を外で摂ることとある程度の飲酒の可能性について示唆されていた下宿では、彼女の部屋までの介助要員としてルークス少年が待ち受けていた。

 比較的高級な下宿とは言えいたれり尽くせりの世話であるが、それも無理からぬ話。

 お酒にはあまり強くない彼女が過去借り受けている自室に向かう際に階段の途中で躓き、落ちはしなかったがそこで力尽きて寝こけた為、翌朝二階住人が迷惑を蒙ったと言う悲しい歴史がこの下宿にはあったのだ。


 予測できる事は対処する。

 現女将マリベルの方針と機転により、(見た目)若い娘が捲れたスカートで膝頭までを人目に曝した上、浮腫んだ頬に段差の痕をがっつり刻んだ寝姿を人々目撃されると言う悲劇を避けることが叶った。


「ごめんねぇルークス君。私……お酒臭いでしょ?」


 後半は果実酒を控えて水に切り替えていたおかげ、若干正気に近づいた彼女はさすがに酔っぱらって人様に介助される状況を恥ずかしく感じ、詫びの言葉を口にした。

 若女将エリサの夫であるフレイドは現在ダンジョンアタック中で不在。大女将マリベルは元気ではあっても61歳と言う年齢で、エリサにせよサイラにせよこのところ身体がしっかり出来て来たルークス少年に比べれば、階段での酔っ払い介助と言う力仕事に向くとは言えない。


「平気、です」


 彼の実父も生前はお酒を好み、しかも山奥に住む樵がアンリのような高級飲食店で供される香り高い果実酒など口に出来たわけもなかった。

 彼女から漂ってくるのは彼が知る酔っ払いの匂いとは全く別。フワリと甘い芳香は、少年の鼻先をただ優しくくすぐった。


 手すりにつかまり、このところ体つきがしっかりして来た彼に二の腕辺りをつかまえて貰いながらヨタヨタとしているアンリには、言葉少なくそう答えたルークス少年の耳が真っ赤に染まっていることなど気づけるわけもなく。


「今日は喧嘩してた友達と仲直り出来てねぇ、ちょっと飲み過ぎちゃったのよ。足元フラフラしちゃって、危なっかしくてごめんね」


 などと、正気には近いがやはり酔っ払いらしく、よろけては少年に支えられながら一段一段階段を昇りながら酔いが回った人間の陽気さで少年に話しかけていた。


「全然、アンリさんは重くなんてない、です」

「そぉ? そっか、最近ルークス君背も伸びてガッシリして来てるものねぇ」

「……ここに拾ってもらったお陰です」

「良かったねぇ」

「はい」


 なんとか悲しい歴史を繰り返すことなく無事に階段を昇り切り、部屋の扉をくぐるまでは見守るようにと指示を受けている少年に連れられ、アンリは廊下を歩いていく。


 ……見た目、ごくふつうの男の子って感じ、なんだよね。


 過去世を思い出す黒い髪に焦げ茶の目。

 少しだけ王都では珍しい色彩を持ってはいるけれど、こうして見て会話する分にはなんの変哲もない少年が、この先の未来で『剣聖』『英雄』と言う人物になるなんて、何度も自分の『称号鑑定』で確認しなおして尚、不思議な気がしてならなかった。


「皆さんに、恩返し出来るといいなって、思うんですが……」

「エリサやマリベルも、ルークス君来てから助かってるって言ってるよ」

「大女将さんもフレイドさんご家族も、ここに住んでる人達も、親切な人ばっかりで……ありがたいです」

「ホントにねぇ。……まあ、酔っ払いもいるけど」

「や、それは」

「たまにだから、許してね」

「全然、大丈夫なんで」


 やや慌て気味の不器用なフォローの言葉を述べる少年の様子に、アンリはフフフと笑って目を和ませた。


 マルティナと仲直り出来たし、もうちょっと今よりあっちの支部の方に伝手も作れるようになったから、ダンジョンの中とかで何か変な事起きたりの情報も集めやすくなって、そう言う意味でも今日のこと、良かったのかも……?


 冒険者ギルドの王都本部は国内のギルド支部の統括管理も行っている。

 アンリの耳や目にも各地の情報は入るようになっているが、現場の声はやはり書類や窓口業務職員から上げられる報告書よりも鮮度がよくて鮮明だ。


「私はねぇ、きっとキミは将来一角の人間になれると思うよ」


 少なくとも彼がいつの日か『英雄』にはなれることを知っている彼女は、迷いなくそう口にしていた。

 長年の不和が解消されたうえに酔いが回り上機嫌な彼女は、自室の扉を開けて室内へとよろめき入ると気分よくルークス少年に手を振ってさらに言う。

 王都本部の方だけじゃなくダンジョン支部の方の情報もなるべく気を付けて見ていようと言う意味で


「私も見てるからね」


 と、少年に告げると


「じゃあ、おやすみなさーい」


 と自室へと引き上げ、よろめきながらもなんとか靴を脱いでベッドの中へと潜り込んだのだった。


 パタリとしまった扉の前、黒い髪の少年は返せなかった


「おやすみなさい」


 の『お』の形に口を開けて暫しの間その場に佇みながら、気持ちも新たに命の限りの努力を胸に誓った。



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