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春の萌芽

 アンリがこの世界に生まれ変わって64年。前世の記憶を持っている事に関して彼女は比較的早い時点で


『そういうこともあるよね』


 と、受け入れることが出来ていた。


 何かきっかけがあって突然すべてを思い出したのではなく、幼少期にジワジワと小出しに思い出していったのが良かったのかもしれないし、過去世で世界の不思議特集的なTV番組や映画などで前世の記憶を持つ人間はいるとの認識を持っていたのが幸いしたのかもしれない。

 現実に自分がそうであるのだから否応なしにその事実を受け入れない訳にはいかなかっただとも言えるが、とりあえずその状況は受け入れた。

 だがしかし、常命の普人辺りであったならすでに老人と呼ばれてもおかしくない年齢になってなお、自分が生まれ変わった世界のファンタジーさには微妙に納得していない。


 獣人がいて竜がいてダンジョンがあり、モンスターが跋扈する剣と魔法のファンタジー世界。

 ……何の冗談かと彼女は思うのだ。

 特に、自分がある意味そんなファンタジー世界の花形種族とも呼べる"エルフ"……それも"ハイエルフ"なんてものに生まれ変わったところなど、ツッコミを入れたくて仕方がない。

 言える先があれば苦情を入れたいところだ。


 精霊魔法があったり神聖魔法と呼ばれる神の力を地上に顕現させる魔法があったりは、まあ、あるのだから認めるけれど、出来ればせめて普人……一般的な人間に生まれていれば良かったのにと思わずにはいられなかった。

 すでに生まれ落ちてから64年。

 いまさらどうにもならない事ではあるが。


 そして、彼女が納得いかない最たるものは、恐らくこの世界で彼女だけが持つのだろう能力『称号鑑定』だ。

 何しろアンリの師匠によれば


「そんなもの、聞いた事も見たこともない」


 と言う謎の能力。

 ソレを指す正式名称など当然存在する訳もなく、なんとなくの便宜上『称号鑑定』とそれらしい名前を自ら名付けはしたけれど、本当に称号を鑑定しているのかと言うとどうなんだろうと本人も首を傾げるしかなかった。


 例えば、今現在アンリの目の前にいる男についても


「アードンから王都までの隊商護衛依頼の報酬受け取りですね。依頼主からの署名入り完了書類の提出をお願いします」


 風邪での病欠二人が出たせいでの人員不足を埋めるべく、アンリは久方ぶりに冒険者ギルドの窓口業務を行っていた。

 ふだんは奥の事務所での書類仕事がもっぱらで、対応する客と言えばどこかのお偉いさんや王都内外の支部の者らばかりだから、この雑多な感じのする賑やかさは懐かしくも新鮮に感じられる。


「はいこれ、隊商の責任者からの署名。ねぇそれよりさ、お嬢さん美人だね。エルフなんて王都じゃ滅多に見ないけど、田舎が住みづらくて出て来たハーフエルフかな? 俺ら王都(こっち)のギルドはよく来るけど先週まではいなかったよね。もしかしてここ、入ったばかり? 良かったら仕事上がりに俺と夕食でも一緒にどう?」


 こういうナンパも久しぶりだな……と思いつつ、アンリはこのナンパ男にギルドカードの提出を求め、クリップでカードと書類をまとめながら能力の発動を意識してみた。

 途端に男の顔の横や上にポップアップする謎のウインドウ。


『ナンパ成功率0.001%』『口先軟派純情派』『年齢=童貞歴』


 今回表示された彼の称号は三つ。

 ……口先だけで実はそれほどチャラいわけじゃないと言うのは果たして称号のなのか既に謎だし、ナンパの悲しい成功率や比較的結婚年齢の若いこの世界で二十歳を過ぎてもナンパ師のくせに経験がないとの暴露は果たして『称号』なのか……。

 一体この表示が何なのか、どういった力が何に加わりどうやってこんな形で目の前に現われているのか、アンリには分からない。

 彼女だけでなく、彼女より遥かに長い時を生き、この北大陸だけでなく海を渡っていろんな国を渡り歩き多くの物事を知るアンリの魔法の師匠も


「お前の能力(ちから)はわけが分からん」


 と言い、あまり他言しない方が良いだろうと彼女にアドバイスした。


 なんとなくぼやっとした記憶と言うかイメージだけしか残ってはいないのだが、前世で自分が死んでから生まれ変わるまでの間、神様っぽい何かに出会って


『別世界から来た迷い魂に、この世界に生まれるにあたっての(はなむけ)に』


 と、この謎能力を貰ったような貰わないような……そんな気もする。

 変な能力の上にこんな妙なことを言い出したなら、絶対におかしな目で見られることは間違いなだろうから、確かに他言はしない方が良いだろうとアンリ自身もそう思っている。


「ハーフエルフではないですよ。……はい、カード確かにお預かりしました。パーティー名『天穿の槍』……代表のヨハン・グライツさんで間違いないですね。まだお若いのにCランクなんてすごいんですね。ヨハンさん、ここによくいらっしゃるならお分かりになるでしょうけど、見ての通り今、風邪で休みの職員が多くて人手不足でして、とっても忙しいんです」


 と、営業用のスマイルを崩すことなく、まとめた書類とカードとを窓口の後ろの男性事務員へと手渡し答える。


「お、ホントだ。そう言やリンちゃんもアネッサちゃんも、カリーナちゃんも姿が見えねぇ」

「そうなんです。まあ、リンちゃんは今ちょうどお昼の休憩に入ってるだけなんですけどね。それで、私も今日は残業ですし、明日は早出で……とてもじゃないけど出かける余裕なんてなくて、本当に残念なんですけど、お食事は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()その時にでもまたぜひ声をかけてくださいねー」


 ……ちなみにアンリが最近この窓口業務を担当したのは、三人姉妹でここに勤めていた職員が実家の不幸で休みを取った時以来、8年ぶりのこと。

 その前が15年前で、その前が21年前。さらに前ともなると窓口から奥の事務所に移る以前で、30年以上も昔の話になる。

 たぶんこのナンパな男とは窓口で再び出会うことはないだろう。


「ヨハンさん。依頼料すぐご用意しますからお支払い窓口の方で少々お待ちください。お護衛依頼お疲れさまでした」

「え? あ、おう。あ、エルフのお嬢さん、食事は今度でもいいけどさ、せめて名前だけでも教えてよ」

「次にここで会ったら、その時にでも。───次にお待ちの方、どうぞ」


 まだ何か言いたそうにしている彼を鉄壁の営業スマイルで封殺し、アンリはヨハンの後ろに並んでいたフードを目深に被った大きな男へと声をかけた。

 なんとなし、その大きな男性の姿に見覚えがある気がする。


 などと適当にこたえながら意識的に『称号鑑定』の能力を発動させた彼女の前、見覚えある『称号』がポンポンとポップした。


『戦斧の鬼』『娘大好き父ちゃん』『注・純普人』『状態:ホームシック』


 意味の解らぬ能力だし、ハイエルフの村で過ごした前半生ではむしろ邪魔だったものではあるが、時には便利な力でもある。


「フレイド君?」


 虚空に表示された見覚えのある称号に、彼女は男の名を口にした。


「……姐さんとここで会うなんて、珍しいな」


 パサリとフードを払い、男がいくつかの皺と傷痕を刻む日焼け色の顔を晒す。

 分厚い胸に広い肩幅。普人と言うより鬼人あたりの混血(ハーフ)と言った方が収まりの良い厳つい恰幅。


「わ! ……血斧のフレイド……!?」


 未だ窓口の周りをウロウロしていたナンパ男が彼の顔を見て驚きの声を上げた。

 北大陸でも数少ないAクラス冒険者、フレイド・ワング。

 一般男性では持ち上げることすら困難な巨大な戦斧を軽々と振り回し、彼の行く手を阻む者はその斬撃に血煙と化す。

 50代を迎えてなお、王都のダンジョンを主な活躍の場としながらも時々北大陸各地を巡り、『血斧』『戦斧の鬼』の名を巷間に轟かす冒険者フレイドを前に、アンリは営業用の鉄壁スマイルを自然な物へと変えた。


「お帰りなさいフレイド君。トーランスのダンジョン都市だったかしら。今回は結構長い出稼ぎだったわね。その様子じゃもしかして家より先にこっちに顔を出してる感じ?」

「おうよ。帰路で護衛依頼受けてなぁ……明日改めてここに来るってのも億劫だし、先に報酬の分配済ませちまおうと思って。ほい、これ完了の署名(サイン)とカード」

「ふふっ。そりゃエリサとサイラちゃんが待ってるお家にやっと帰って来たんだもの。出たくなるものも仕方ないわよね。……ホジー君出来るだけ急ぎでこれ、お願い」


 受け取ったものを内部の男性職員に手渡し振り向けば、フレイドの後方、依頼や素材の買取価格一覧の貼り出される掲示板がいくつも並ぶ辺り、見慣れない小柄な少年がそれらを眺めているすぐ傍、見覚えのある彼のパーティーメンバーの姿が見えた。

 アンリの視線に気づいた何人かが彼女に小さく手を振っている。


「フレイド君が帰って来たんだもの。きっと今晩は大女将とエリサが腕を振るったご馳走が並ぶわね。出来立てアツアツのを食べたいのに、残業なのが残念だわ……」


 彼らに手を振り返しながら、アンリは料理上手の下宿の夕餐を思いながら無念そうに肩をすくめた。


「アネッサとカリーナ、風邪だって?」

「聞いてた通りよ。季節変わりは体調崩す人が多いわよね。……フレイド君も、帰ったら風邪ひかないようにうがいと手洗い忘れずに!」

「おう。姐さんにもお土産買って来たから、楽しみにしててくれ」

「いつもありがとうね」


 支払い窓口の方へと向かうフレイドの姿を見送ってから視線を戻せば、ポカンと口を開けて彼女を眺めるヨハン某とか言うナンパ男の顔があった。


「……フレイド"君"? "姐さん"?」


 なりたて冒険者ギルド職員と間違えられるほどに若い、まだ少女のような容姿のアンリが50歳を過ぎた大の男を"(くん)"呼ばわりしているのだ。不思議に思うのも無理はないが、特徴的な先の尖った長い耳を目にしてヨハンとて彼女を『エルフ』と判じていたと言うのに、なぜ見た目とおりの年齢でないとは気づかないのか。

 思わずアンリは苦笑いした。

 エルフの長命は知られていても、王都や街中で暮らすエルフは本当に少数派。知識と現実がかみ合わないのも無理からぬ事。


 まあ、わざわざ年齢を言うこともないわよね……。


 固まったままのヨハンを放置して、アンリは有名冒険者フレイドへと目を意識を奪われているらしい順番待ちの冒険者へと


「次にお待ちの方、どうぞ」


 と、声をかけた。






 奥の事務仕事に窓口業務。人手不足の職場の穴を誤魔化しこなしてクッタリ疲れた仕事上がり。

 冒険者ギルドの周辺の飲食店からは、そろそろ酔いの回った客たちの騒ぎ声が聞こえ始めていた。


「……寒い……」


 職員用出入口から外へ出たアンリは澄み切った空に輝く月と星をちらりと眺めて独り言つ。心なし長い耳がしおりと萎れているようだ。 

 結局あまりにも忙しすぎて彼女はお昼の休憩を取れずに終わった。当然まともな昼食も口に出来ず、空腹なためか夜の寒さがよけいに身に染みる。

 日中は日差しの下に赤く輝いていた木々の蕾も、今は石畳の街路を頼りなく照らす魔導灯の青白い光に冷たく暗い色に艶めいていた。


 王都の外壁入り口は閉門時間まで残り僅か。駆け込みで入場したと思しき馬車がガラガラと石畳の車道を走り、歩道にはちらほらと夕餉を外食で済ませたと思しき人らが家路をたどる姿があった。

 自分の横を最終運行まで残り僅かだろう辻馬車が通り過ぎて行った後、アンリは馬車を呼び止めるべきだったかと少しだけ後悔を覚えた。

 彼女の暮らす下宿は正門通りの繁華街の外れ。歩いたところでさして苦を覚える距離ではないし、実際ふだんは健康のために歩いて通っているけれど、仕事で疲れたこんな日くらい楽をしても良かっただろう。


 はふ……っと小さく吐息を一つ。

 本当は、こんなに疲れる必要などアンリには無かった。

 冒険者ギルドは大きな王都の中に一つきりなわけはなく、ダンジョン前と東門側にも存在している。

 特にダンジョン前の支部は迷宮からの魔石その他のドロップ品の買取が多く出る都合上、窓口職員の数も多い。

 事務所の主任の立場にある彼女が打診すれば、一人ふたりは手伝いに回してくれた筈だ。


 確かに自分がいつもよりよけいに働けばダンジョン支部の手を煩わせないで済ますことが出来たのは事実だけれど、これが仕事上の面子からだけなのかと問われたなら、すぐに頷く事は難しい。

 ……私情を挟んだ自覚がアンリにはあった。


 今現在、冒険者ギルド王都本部のギルド長は北大陸連合の冒険者ギルド総会への出席の為、王都を離れて不在中。

 ギルド長代理のナンバーツーが窓口人員不足を補うために他支部へ人員派遣の打診へなど出向けるわけもなく、かと言って一般職の人間に向かわせるのも相手にとって失礼な話。

 支部への人員派遣要請はアンリの仕事になってしまうのだが……。


「……マルティナ、かぁ……」


 溜息紛れに呟いたのは、冒険者ギルドダンジョン支部の事務主任をする者の名前。

 思いもせぬ勘違いと行き違いの果て、今はまともに話をすることすら無くなってしまったアンリのかつての同僚にして、親友だった女性の名だ。


 ()()からもう、何十年も経っている。

 確かに多少考えが足りない部分はあったかも知れないけれど、自分に非のある話ではないとも思う。

 ……なのだけれど、散々に罵られ詰られた過去を思えばなるべく顔を合わせたくないと考えてしまうのが人間と言うもの。

 はぁあああ……と、胸の底から大きく息を吐き、小さく頭を振ってアンリは思考を切り替えた。


 今日と明日、最悪でも明後日まで頑張れば、恐らく風邪ひき二人も職場に復帰してくるだろう。そうすれば、明々後日には週一での定休以外に月に二度取れる輪休日がやってくる。

 身体を休め、春までには絶対に仕上げておきたいある物を少しでも作り進めることだって出来るだろう。

 

 今頃彼女の下宿では皆が夕餉を取り終えて食後の語らいでもしているだろうか。

 帰宅した下宿の娘婿フレイドを囲み、下宿人や家族らが穏やかに楽しく過ごしているに違いない。思春期を迎え微妙に男親であるフレイドとは距離を取るサイラも、今日ばかりは文句を言いつつも父の傍に侍っているだろう。

 王都に出て来て以来ずっと住み着いているあの下宿が、彼女にとって帰るべき"我が家"だった。

 アンリ程ではないけれど、彼女と同じように長く居ついている住民も多く、見知り馴染んだ者ばかり。


 外套の合わせをかき合わせて風除けのフードを深くかぶり、王都には珍しいハイエルフは冷たい外気の中を足早に家路を辿った。

 大きな通りの近辺は治安も良く、この時間ならよほどの不運がなければ一人歩きの女でも酩酊した者に絡まれる事はない。

 よしんば絡まれたとしても、彼女はいくつか()()()をする酔っ払いへのお仕置きの手段を持っているが、今夜はそんな手段を使わずにどうやら下宿へとたどり着く事が出来たようだ。


「ただいまー………………ん?」


 勝手知ったる我が家とばかり、古びているが大きく立派な玄関ドアを潜り入り、外よりは暖かな屋外の空気の中で外套のフードを外したそこで、アンリは見知って馴染んだ者ばかりである筈の下宿内に見知らぬ少年の姿を目にして暫し固まる。


「あ……」


 相手の方も自分の方を向いて動かない彼女に驚いたのか、玄関ホールを照らす灯火の下に素顔を晒すハイエルフの顔を凝視したまま、小さく口を開けていた。


 13歳か14歳程度の小柄で痩せた少年だ。

 手には盆を持ち、恐らく使用済みと思しき食器をその上に載せているのを見れば、出て来たのは皆が団欒を楽しむ食堂からだろう事が察せられる。不審な人物ではないだろ。

 下宿には住人の他に大女将やその娘のエリサ、さらにその娘のサイラでは賄いきれない仕事の手伝いに近所から通いで来る者もあり、長い彼女の下宿歴の中には住み込みで働いていた人間もいた。

 この時間にまだいるなら通いではなく住み込みの者だろうし、少年も新しく雇われたその類だろうかと思いついたアンリの脳裏に、ふとこの少年が完全に"見知らぬ者"ではないとの記憶が過る。


「ええと……確かキミ、フレイド君のパーティーの人達と一緒に、お昼に冒険者ギルドに来てたよね?」


 依頼や素材の買取価格表の貼りだされた掲示板の前、彼のパーティーのメンバーに連れられ、物珍し気にウロウロと視線をさ迷わせていた姿を思い出し、アンリが少年へ問うと


「あ・はい。……その、ここにお世話になることになった……えと、名前は、ルークス、と、いいます」


 痩せた身体つきを見ればどこかの寒村の出身なのだろうか。黒い髪に焦げ色の目。朴訥そうで垢抜けぬ印象はあるが、顔立ちは決して悪くはない子供だった。


 黒い髪か……珍しいな。


 と、アンリは思った。

 北大陸に住んでいる人々は普人も獣人もその他の種族の者達もだいたいが西洋風の顔立ちをしており、髪の色にせよ目の色にせよ黒や焦げ茶まで暗い色は多くない。

 目の前の少年は顔立ちこそ洋風であるものの、前世では自分をはじめ周囲にありふれていた色彩を持っていたせいか、なんだか懐かしいような気持ちになった。


「私はアンリ。アンリ・グラスよ。よろしくルークス君」


 ニコリと笑った彼女を凝視したまま少年の顔が真っ赤に染まって行く。

 そにアンリが気づかなかったのは廊下が薄暗かったせいではなく、ポンっと視界の中、少年の周囲にポップアップした『称号鑑定』の幾つかのウインドウに


『英雄の卵』『剣聖の卵』


 と言う言葉を見つけ、そこに意識を奪われたからだった。

 なお、もう一つ浮かんだウインドウに


『状態:初恋(new!)』


 がリアルタイムで現れたことは完全にスルーされた模様である。

 ……割とよくあることなので。




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