第三層 最初の異変
これは久信が【黄泉送り部隊】に所属する前の出来事である。
「うっし、今日も始めようかな」
久信には日課があった。
放課後の山登りによる筋トレ。これを毎日欠かさず行っていた。
何故こんな事をしているのか自分でも理解していない。こんな事をするくらいなら部活に入って友達と一緒に汗を流した方が余程健全だろう。
久信自身そう考えてた時期もあった。だけど彼はそれを選択出来なかった。
中学に入った当初。どこかの部活に入ろうと最初に選んだ部活が剣道だった。
しかしそれも長続きはしなかった。
部活がキツイから?
自分自身が強くなれないから?
違う。ただズレていたのだ。
竹刀がどうしようもなく軽く感じた。
部活の仲間たちの鍛錬が軽く感じた。
熱心に打ち込もうとしても空虚に感じた。
これ以上ないまでにやっている事が無価値に思えたのだ。
だから久信は僅か一ヶ月で部活を辞めた。
何を自分自身が求めているのか。その答えを見つけられず部活に入るのを辞めて一人トレーニングに励む道を選んだ。
「ふっ!」
片手には一本の木刀。
剣道を一か月で辞めたにも関わらず自ら作ってしまった木製の刀は不思議と身体に馴染んでいた。
この重さが欲しかったと心が満足したのか修行じみたトレーニングは早三年以上続けている。
体育の授業でもあれば陸上部にも負けない記録を叩き出し、剣道も師を持っていなかったにも関わらず圧勝してしまう。
当然勧誘もあったが久信は全て断り一人トレーニングを続けている。
何が久信を駆り立てるのか。
本人さえ理解出来ない衝動に駆られ、今日もただどこに向かうか分からないトレーニングを行っていた。
「はっ!」
上段からの振り下ろしからの切り替えしての振り上げ。
目の前に人がいたのならば丁度顎を捕らえる位置を的確に打つ。
足さばきも連動し逃げる相手を追う様に伸び上がる木刀は蛇を連想させる執着さで跳ね穿つ。
常人には目にも止まらぬスピードで行われたソレに久信は満足出来ず幾度となく型として反復した。
「はぁ、はぁ……」
遅い。ただ遅いと久信は感じる。
もっと速く出来ると。もっと正確に穿てると何か分からない確信めいたものに憑りつかれていた。
気が付けば夕刻。場所によっては【亡霊】が現れ暴れ出す時間帯。
もっとも久信には関係の無い話。ここは山奥であり、もしここに【亡霊】が現れるのだとしたらその前に立ち入り禁止となり入る事が出来なくなる。
対岸の火事ではないが【亡霊】を見た事の無い者にとってはそれこそ異世界。ニュースで【亡霊】が討伐出来なかったと取り上げられても自身の生活圏内の話でなければ興味の欠片も湧かないものだ。国が【亡霊】を本当に観測し切れているのなら。
「………え?」
バチッ、小さくも確かな雷光音。静かな山奥には大きく響き渡る重厚な炸裂音が久信の耳を打つ。
音の鳴る林の向こうに振り向き目を凝らす。
バジッ、ジッ、二度目は紅の光量が薄暗い森を下から照らす。
間違いなどでは無かった。それが何であるかなど小学生の時から知っている。
「仕事が怠慢じゃないの。これは…」
ようこそ異世界へ。
勇者を歓迎する様に一匹の虫が姿を現した。
「kyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!」
形振りなど知った事かと久信は全力で逃げた。
全長が大木クラス。原型はカマキリを模しているが阿修羅の如く生えた六本の腕には大鎌。足はムカデの様に伸びた怪物だった。
勝ち目などない。一目散に逃げたのは ―――間違いだった。
「aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」
カマキリモドキが久信へと迫る。
そう間違いだったのだ。【亡霊】の事など何処か他人事で対処方法などないモノに対して『一目』している時点で間違いなのだ。
赤い稲妻。これを見た、いや聞いたのならば全力で逃げなければ行けなかったにも関わらず【亡霊】が現れるまで目視してしまった久信は自身で生存率をこれでもかと下げてしまったのだ。
平和ボケの一言で表すしかない致命傷。しかしそれでも久信は他人に比べ恵まれている方であった。
「hyaaaaaaaaaaaaa!!」
襲い掛かる大鎌を空気の流れる感覚で避け躱す。それだけの身体能力と第六感が久信には身に付いていた。更に実体となった事でこの森自身が障害物となりカマキリモドキの行く手を遮った。
これなら逃げられる。テリトリーから逃げ切れば【亡霊】は襲って来れない。子供から大人まで誰もが知る方法を実践すれば後は【黄泉送り部隊】が処理をして終わりとなる。
筈もなくカマキリモドキはとんでもない荒業を駆使し始めた。
「うおっ!!」
微振動ながら響く大地の揺れに驚いた久信が薄暗くなった空を見上げ見たのはそれはさぞ立派なムカデの足の裏だった。
メキメキと躊躇なく潰される林と巻き上げられる砂埃。破壊の限りを尽くし獲物を追い込む。
前方には【亡霊】後方には破壊されて横倒しとなった大木の山。これで退路は無くなった。
久信に残されたのは一本の木刀ただ一つ。後は時間切れを待つ以外に手はないのだが二時間もの間逃げ場のない状況下でカマキリモドキの化物を退けられ続けるか。
無理である。
もしかしたらこの騒ぎを聞き【黄泉送り部隊】が至急ここに来る可能性がない訳でもないがその前に久信は死ぬだろう。
カマキリもムカデも捕食者だ。その捕食方法に違いはあれど小動物を好んで食べる。このカマキリモドキも久信がさぞ美味しそうに映るのだろう。口から溢れ出る液体で地面を溶かしながらジリジリと歩み進めて来た。
「僕は美味しくないよ?」
「shyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!」
いや、美味そうだ。そう叫んでいるのがありありと分かる雄たけびを上げながらカマキリモドキは急速に接近する。
六本の大鎌は久信の身体を細切れにしようと縦横無尽に振るい上げられる。
まるでミキサーだ。きっとバラバラになってジュースみたいに啜られるんだろうな…。そんなのは、ごめんだ!
「っく」
身体を丸め接触率を低くしながら久信はミキサーと呼んだ大鎌の内側へと突っ込んだ。
右二番目の大鎌と三番目の大鎌の脇の内側へと侵入した久信はダメ元で二番目の鎌の付け根を木刀で叩いた。
「かたっ!」
細く脆そうに見えた鎌の付け根は鉄骨を叩いた様な衝撃を返され木刀を落としてしまう。
即座にカマキリモドキの背中に回り込み離脱を成功させるも想像以上に絶望的だった。
衝撃を緩和出来ずに痺れた腕を振りながら何とか木の陰に移動する。
この間僅か十秒。とてもじゃないが【亡霊】が消える二時間はもちろん、【黄泉送り部隊】がここに到着するだけの時間避け続けるのは不可能に等しい。
今なおカマキリモドキが執拗に辺りを見回して久信を探している状況下でまた見つかれば先の様に上手く行くとは限らない。
もし、あのカマキリモドキが上から押し潰す形で久信の上に着地し、六本もある大鎌を避け間違えていれば命は無かっただろう。
これも日頃から鍛えているお陰であるが他人より多少命のロウソクが長いだけだ。直ぐに同じ状況下へと戻され殺される。
「どうしよう…」
漏れ出る声には悲愴感が入り混じる。
持っていた木刀も消えた。体力的にも【亡霊】が出る前から動いていた為に疲労の色は濃い。
手札一枚でポーカーしろとでも?ルールが成り立たないのでは話にならない。いや、あちらは手札が五枚の騒ぎじゃない。山札を全て握りこんで勝負している程の反則だ。つまり端っから勝てない。
「だけど何もしないで諦めてたまるか」
強く握った拳が熱くなる。
負けが前提の勝負なら放り出せばいい。
体力がなくなり喰われるか範囲外まで逃げ切れるかの逃走劇。
「取り立てが命なんて割りに合わないよ!」
無謀過ぎる悲劇の幕が上がった。
走り出した久信は脇目も振らずに山の中腹から駆け降りる。
「hyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」
ぐるんっと獲物を見つけたカマキリモドキが鎌を振り回しながら久信を追い詰めに掛かる。
久信はなるべくカマキリモドキの正面に立たない位置取りで走る為に木々を利用し右往左往する。
林の中を身を隠しながらジグザグに走る効果か、時折動きが止まるカマキリモドキに好感触を得ていた。
「はっ…はっ…はっ」
壊れそうな呼吸も無理矢理繋ぎとめて足がけして止まらない様に懸命に動かし続ける。
林そのものが立派な障害物となり木々を切り飛ばしながら進むカマキリモドキの速度と逃げる久信の速度は奇跡的に同じであった。
が、その速度の維持は早くも限界を迎えていた。
山を走り回るトレーニングを積んでいる久信もここまで猟奇的に追い詰められながら走る事を想定していない。
時にあぜ道、時に獣道を走る。更には木から木へと飛びついて逃げる。こんな無茶な走り方が維持出来る方がおかしかった。
それでもこうして逃げなければ間違いなく払い飛ばされた木によってか、はたまたカマキリモドキの鎌が久信の身体を突き破ったであろう。
「くそっ!」
またしても飛んで来た大木が久信を追い詰める。
必死に回避する為に今度は崖を飛んだ。
「うわあああああああああああああっ!!」
飛んだ場所は崖であっても木々がしっかりと生い茂った場所で枝葉がクッションとなり比較的少ない傷で久信は降り立つ。
粗い呼吸を整えながら上を見る。
「……逃げ切れた?」
そんな筈がない。
「ksyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」
久信が躊躇なく飛んだ崖をカマキリモドキも飛び降りた。
「Gyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!」
地面に大規模な亀裂を造って久信の前に降り立った化物が口から液体を振りまきながら一際大きな咆哮を放つ。
「少しは怪我してくんない?反則でしょ」
トンを超すであろう図体が崖を飛び降りたのであればその下半身は少なくとも自重で潰れていてもおかしくはない。
しかし久信の前を陣取るカマキリモドキの足に一片の傷はなく、ミサイルでも倒せない噂はここで証明されてしまった。
背後は飛び降りた崖。目の前にはカマキリモドキ。奇しくも先と似た状況へと久信は追い込まれる。
「…………………」
「…………………」
見つめ合う一人と一匹。
「め、召し上がれ?」
「hyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」
冗句を言える久信が余裕かと問われれば違う。ただ今度こそ逃げられる自信が無くなったのだ。
カマキリモドキの懐に入るだけの速度が出せるだけの余力は残っていないとガクガク動く下半身には相当な乳酸が溜まっており、もしも最初と同じことをしたのならば首、胸、胴、腰、足と見事にバラバラになって終わりだろう。
もはや出た言葉は辞世の句。やけっぱちに吐いたのが『召し上がれ』でしかなかったのだ。
頭上へと振り上げられた鎌は夕刻の灯りで赤銅色の輝きを放ち久信へと迫る。
マリーアントワネットが首を切り落とされる前はこんな気分だったのだろうか。絶体絶命の危機に陥り諦めや後悔、様々な思いが駆け巡る。
気が付けば鎌は緩やかに落下を開始した。
現実ではもっと速い速度で振り下ろされている鎌も久信には亀の歩み並みに遅く感じていた。
ならば避けられると思って見ても身体は岩に変わった様に動きはしない。
………ああ、僕は死ぬのか。
思い返せばよく分からない人生だった。
物心が付いた頃には友達と遊ぼうとはせずに身体ばかり鍛えていた。
筋肉質な男を目指したとかそんな理由だったのなら幾分マシだっただろうが気が付けば木刀を握っているのだから狂気の沙汰だ。
毎日飽きもしないで続け、部活では物足りないと一人でこんな山奥に籠った。
その結果がこれだ。
無価値としか言い様のない結果を受け入れなければならない不条理。
このまま何もしなければ縦に裂かれて死んでしまう現実。
許容出来る筈も無かった。
「あああああああっ!!」
行ったのは後退。
しかしそれは自殺行為に他ならなかった。
自らを岩壁へと叩きつける所業は少なからず久信の身体を痛めつけた。
打ち所も悪かったのだろう。額を流れる血液が右目を侵食し視界を殺す。
でも、生きている。
一度は死を覚悟しつつもカマキリモドキの鎌は地面を突き刺し紙一重で躱せたのだ。
だが、寿命を僅かに伸ばしただけの行為に過ぎない。
悪あがきが十秒足らずの余命を作っただけに過ぎない行為に何の意味が有るのか。
―――これが私ですよ―――
誰かの声が聞こえた気がした。
土にまみれ、枝木が身体に小さな裂傷を作りボロボロ。絶体絶命の状況がよく分からない幻聴を与えただけに過ぎない。
―――たった数十秒で皆さんを救えるのなら私は喜んでここを死守します―――
なのにそれは懐かしく、バカな男がいたと笑いたくなる衝動が込み上げる。
―――行きなさい。生きなさい。私はもう長くないのですから―――
だから最後まで足掻けと言いたいのか。
紺色の着物が血で真っ赤に濡れたバカな男の背中を僕は幻視し、その背中を必死になって手を伸ばす。
後少しで触れられる。
「―――ッ―――ッ!!」
なのに遠く感じる血濡れの男を声にならない声で叫んで振り向かせようと躍起になる。
男はようやくこちらに気付いたのかゆっくりと振り返り一本の刀を久信へと手渡した。
「kyuaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」
鎌を避けられた事に憤慨したカマキリモドキがここ一番の大きな奇声を上げる。
地面に刺した鎌を引き抜き、確実に久信を仕留める為に六つの大鎌を振り上げた。
「aaaaaaaaaaaa!!」
それは勝利を確信した雄叫びだったのか。
カマキリモドキは歓喜の声を森全体に響かせながら久信を切り裂いた。
ギィーーーン
しかし歓喜の声を阻害する鋼の音色が澄み渡る。
無意識に振り上げた一本の何か。
視線をその先へと導けば、幾人も斬り続けて深紅に染まったかと疑う程に刀身の赤い日本刀がそこにはあった。
「これって…」
紛うことなき対【亡霊】兵器である【幻想兵装】。それが久信の手の中に納まっていた。
戸惑うと同時にこの日本刀が戦況を変える。そんな確信が久信にはあった。
その証拠に日本刀でカマキリモドキの大鎌を防ぎきった。例え無意識に行った行為であれ奇跡を起こす力がここにはあるのだ。
「syhaaaaa…」
出方を疑うカマキリモドキのその姿勢は捕食者にあってはならない警戒の意志。今この時より一方的な狩りではなくなる。
後は如何に久信が力を発揮できるか。
行けるか、と久信が両手で日本刀を構えた瞬間、それは起こった。
『殺してやるよ』
ドクンっと強く鼓動が跳ね上がる。
(………今、僕は何を言った?)
いつもの久信であれば有り得ない台詞とそこに込められた無意識な憎悪。
それを境に身体が自分のものではなくなっていく違和感を強烈に感じ始める。
(な、何これ?意識がとっ…)




