第一層 家族との日常
「おはよー…」
「お、起きたか高給取り」
朝一に不快な物言いを吐いた男に久信は視線を向ける。リビングに置かれた椅子に残念過ぎる安月給がいた。
「久信よ。何か不遜な事を思っていないか?」
「別に思ってないよ。|安月給(お父さん)」
「ほ、ほんとかい?何故か涙腺が潤んでくるんだが気のせいじゃないんだよな?」
「年のせいだよ」
新聞に少し皺を作りながら悶える痩せたメガネの中年の絵面は見続けるのが厳しいものがある。
久信は椅子に座ると軽やかな足取りで歩いて来る母親がスクランブルエッグやソーセージの載った皿と牛乳の入ったコップを運んで来た。
「おはよー久信。今日も頑張ってね」
「あー…、うん。頑張るよ」
「あれ?お父さん今までそんな事言われた事ないよ?」
「あら、まだ居たんですか?」
「お父さん号泣しちゃうよ!?」
「はいはい」
「扱い雑!」
何故朝から漫才を見なければならないのだろう。出来立てで温かく美味しいはずのスクランブルエッグの味が分からなくなった。
悲しいかな。二ヶ月前より久信は『黄泉送り部隊』に従事している。その結果笠梨家のヒエラルキーは崩壊を起こした。
サラリーマンの年収の倍貰える職場へと無事に就職し、将来が安定となったまでは良かった。しかしそれが父親の存在意義を危ぶんだのだ。
今までのヒエラルキーならば母親→姉→越えられない壁→父親→久信の順だったのが母親→姉→久信→越えられない断崖絶壁と登頂不可能な高山→父親に変わってしまった。もはや父親の立場は窮地に立たされたと言っても過言ではない。
久信はヒエラルキーが変わろうと扱いが今までとそこまで変わる訳ではないので気にせずテレビを見る。
『昨日未明、洞窟町で発生した【亡霊】の討伐は難航しており、付近一帯の夕刻の立ち入りが未だ禁じられ国の式典に大幅な遅れが…』
ニュースで淡々と伝えられる事実に難航の一言で絞めるにはモノを申したくなる久信であったが黙ってテーブルに置かれたパンを手に取った。
「このニュースの【亡霊】は久信の担当か?」
「そうだよ」
「何で昨日の内に討伐出来なかったんだ?」
アレに対して一言で表すならばただ一つ。
「数が多すぎたんだよ。落ち武者五千ってなんだよ五千って」
「それだけ聞くと父さん特務部隊に入らなくて良かったって思う」
「そもそも入れないでしょ。寝言言ってる暇があるなら給料上がる様に頑張りなさい」
「ああ、この塩パンが美味いな」
母親に罵られた父親が普通の丸パンを齧る姿が哀愁を漂わせた。
「あいつら斬っても減らないから泣きたくなったよ。三人で対峙してたから終わらないし」
「久信に怪我がないから良いけど無茶したら駄目よ?」
「分かってる」
本来であれば五千人の数の暴力に三人程度の勢力など押し潰されて当然なのだが昨日相対した落ち武者に関して言えばそれは当て嵌まらない。
【亡霊】には自己進行領域が存在する。これは一説に【亡霊】はある一定の領域から出ると存在を維持出来なくなるのでは?と仮説が立てられているが真偽の程は定かではない。
しかし現にある一定の領域に到達すると途端に動きを止める事から【亡霊】への対策に発生箇所から特定された領域内への住民の立ち入りを禁止して被害の拡大を防いでいる。
更に【亡霊】の出現箇所には赤い稲妻が一週間前より発生するので余程の事が無い限り避難が遅れる事はない。
話がズレてしまったが【亡霊】には動ける範囲が決まっている。にも関わらず人数だけ多くなれば自然と一人一人が自由に動けなくなる。
つまり久信達の前には【亡霊】は存在していたが叫び声ばかりで全く久信達に手を出せていなかったのである。
狩り放題。ゲージに押し詰められたネズミをひたすら突き、疲れたら範囲外で休憩と一種のハメプレイをしていたのだ。ただし二時間以内に五千人の討伐をするには三人で行うには現実的に無理があり、結果的に討伐が難航してしまったのが真相だ。
久信達はひたすら落ち武者の首を狩っていたが、抵抗はしてくるので千人を狩って時間切れとなった。
と、回想する久信の後頭部に柔らかい感触が当てられる。
「ひーさーのーぶー」
「姉さん何の用?あと重い」
ソーセージを啄む久信の背中へとのし掛かって来たのは大学生の姉である笠梨葛。姉の鑑として世間的に認識されている者だが、このような場合その例から漏れている。
身長の高めな葛が頭に押し付けている母親譲りの豊満な胸は強烈極まるものだが身内にやっても効果は薄い。現に久信の目は、この姉はまたか、と訴えていた。
「重いって何よ。それより欲しい物があるんだけど」
「彼氏に言ってよ」
「甲斐性がないのよ。二次元だから」
「彼氏は現実で作ろうよ。それと僕にも甲斐性はないよ」
「そしたらお父さんゴミになるわよ?」
「それ酷くない!?キーーッ」
「父さんハンカチ噛むの止めなよ」
「だってここまで虚仮にされたらお父さんは、お父さんは……、あ、お父さんも欲しい物があるんだが」
「便乗しないでよ!」
「じゃあお母さんも」
「めんどくさい家族だな!!」
コップを取り牛乳を喉の奥へと流し込み一息吐く。
「で、何が欲しいの?」
「お母さんは洗濯機。最近調子が悪くて」
「私はドライヤー。共用で使ってたのがさっき壊れたのよ」
「お父さんはドライバー。最近飛距離がでなくて」
うん、と頷き判定。
「父さん意外は良し」
「「わーい、ありがとう」」
「ちょっ、何でお父さんはダメなんだい?」
むしろダメでない理由が聞きたい。そもそも二人のお願いは家族の為の物。これがブランド品の要求であれば断固拒否していただろうがきちんとした理由まで述べている以上断る理由はなかった。
しかし父親の要求は完全に個人的な物。ゴルフクラブなど家族で使う物ではない。それと姉のドライヤーに載せて言うのも小狡いものがあった。
「父さんは二人を見習いなよ。母さんたちは勝手に引き出してくれていいから」
席を立ち綺麗に食べ終わった皿を台所へと持って行く。
預金に関しては母親に一括管理をお願いしている。久信自身は消費癖はないのだが若い内から大金を持つのは気が引けたので扱いの上で高校を出るまではその体勢でやって行く事になっている。仮に必要な物があった場合は言えば貰える上、先の様に家族で欲しい物がある場合は事前申告があるので問題になっていない。
「「いってらっしゃーい」」
「久信ダメか?本当にダ」
最後まで聞く事なくリビングを後にする。
個人で欲しいのであれば個人の財布からお願いしたい。久信は父親のダメな一面を再確認してから家を出るのだった。




