第十二層 【亡霊】?
落ちかける太陽が仕事の時間だと告げるのを視覚的に理解しながら事務所に着いた二人を出迎えたのは何故か驚愕を貼り付けた顔をする六角とノエルであった。
「どうしたんですか?そんな変な顔して」
珍妙な年上たちに怪訝な表情になる久信は椅子に腰を掛ける。
千勢は特に気にする様子もなく久信の隣に座った。
「「……おお」」
ただ座っただけにも関わらず感嘆とする。久信には何を驚いているのか理解出来なかった。
「だからどうして驚いているんですか?」
そこで思わず千勢を見る。
「私に分かる訳ないでしょ」
「まあね」
付き合いでは六角たちとそこそこ経つ久信に分からないのなら他人を拒絶する千勢に分かる道理はなかった。
ならば何なのか。
不明過ぎる六角たちを見れば二人は揃ってこちらを指差していた。
「どうやって手懐けたんじゃ?」
「狂犬が大人しいな」
「随分と酷い言い草ですね」
かなり失礼な物言いをする。
手懐けるなど犬や猫の様な扱いは人としてどうかと思う。
「エサやろうとしたら威嚇するタイプじゃろ」
「手を叩いて落ちた所を強奪するだろうな」
「あんたら水で流されたいのかしら?」
いつの間にやら【幻想兵装】を取り出して肩に担ぐ千勢の額に青筋が浮かんでいた。
「僕は止めたんだからやるなら二人にやってよ」
「同罪よ。大人しく受けなさい」
「絶対に逃げてやる」
「なら私は背中から流して上げるわ。嬉しいでしょ?」
「どうしてだよ。その台詞は一緒にお風呂でも入った時に聞きたいよ」
「セクハラで思わず背中の皮も落としちゃいそうね」
「剥ぎ取っても素材の価値はないけど?」
「私のストレスは解消されるから問題ないわ」
「僕の肉体に問題ありだよ」
漫才をする二人の様子は昨日とは全然違うものだった。
気の置ける仲になったと感じさせるなら問題はないだろうと六角とノエルは思う。
この年上二人も何だかんだで久信を気にしていたのだ。内心拾う骨も消え去っていると予想していたのでいい意味で裏切ってくれたと喜んだ。
「さて時間だ。遊ぶのはこの辺にして現場に向かうぞ。昨日と同じく久信と鈴原、俺とノエルだ。よろしく頼む」
六角は時計を見ながら隊員に指示を促す。
「分かりました。それじゃあ行こっか」
「誰に命令してるのよ。さっさと行くわよ」
意気揚々と出かける二人はとても頼もしく、そして恐ろしかった。
戦場に出向く。下手をすれば命を持って行かれる場へと悠々と赴ける二人に六角は感服の念を向ける。
「おっと。俺たちも行こうか」
「妾たちには奴らのマネは出来ぬがのう」
あくまでも安全に確実に。
昨日の六角たちの【亡霊】の討伐は二か所だと報告したが、それは戦闘が長引いての二か所。道路事情など一切理由にならない程に安全マージンを取った戦闘を行っていた。
【亡霊】によって一生消えない傷を負った者もいる。帰らなければならない場所がある者にとって傷を負う事は避けるべき重要な行い。
だからこそ無茶と呼ぶに足りない久信たちの生き急ぎ方は危うくも眩しく映る。
羨ましいとさえ思える修羅の背中を見送りながら六角は一人呟く。
「ちゃんと帰って来いよ。二人とも」
これ以上は無粋と口に出す事なく六角たちも現場へと向かうのだった。
・・・
「ここね」
昨日と同じく観測班の男性に送ってもらった現場は町から大分離れた森林であった。
路面もあまり整備されておらずここに来るまでの道中では車がよく揺れ、あまり快適なドライブとは言い難かった。
「誰もいなさそうだからっていきなりぶっ飛ばさないでよ?」
揺れの酷さにより顔を青くした久信はダルそうな表情で地面にしゃがみ込む。
「だらしないわね。そんな調子で【亡霊】相手に出来るわけ?」
「出たらちゃんとやるよ」
呼吸を落ち着けて全身の血の巡りを意識する。
全身を余すところなく意識を巡らせて支配下に置く事で万全のコンディションへと切り替えて行く。
戦いにおいて不調は許されない。そうした乱れが死線を渡れなくすると、……あれ?誰に教わったんだっけ?
何故か急に降って湧いたような天啓に驚きながらも既にいつも通りに動ける事を自覚して立ち上がった。
「もういいの?」
「うん。大丈夫だから」
スッキリと思考がクリアになった久信は大きく伸びをして深呼吸をする。
オーガが相手でも一人で何とかなる程度には問題なかった。
今日出てくるのは蛇か鬼か。藪をつつかなくとも湧いて来る【亡霊】にどう対処するか。取り敢えず初手で飛ばさない様に念を押す。
「分かってると思うけど。最初は僕が出るから」
「いいわよ。その代わり一緒に巻き込まれても知らないから」
「そこは普通に任せたで良くない!?」
「嫌よ。面白くないもの」
「背中に攻撃するのは止めてよ」
「分かってる」
千勢は見たことのない満面な笑みを浮かべた。
「絶対に攻撃する気だよこの人!」
「冗談よ。半分だけ」
「全部冗談でお願いします」
「え?うん、大丈夫よ」
「本当かなー」
【第一深層領域解放】をした久信は【幻想兵装】である赤刀を右下に構える。
それに呼応して【第三深層領域解放】する千勢はロングソードに白鎧を身に纏う。
これで準備は整った。後は【亡霊】が出るのを待つばかり。
「こうして改めて見るとそれ物々しい剣だよね」
淡い水縹色の柄はまるで海の中から空を見上げたように綺麗で底が見えず、刀身も彼女が使う為に拵えた最適な細さでありながらその存在感は普通の大剣を凌ぐ。
「一応勇者の剣だから」
「勇者の剣?」
千勢に関して何も知らない久信はオウム返しに聞き返す。
「私は別の世界で勇者だったのよ。何で勇者をやっていたか何て覚えてないけど大方あの世界に魔王がいて討伐しろって陳腐なものでしょ。この剣はその時持ってた物よ」
「へー、そうなんだ」
言われればそんな気がする?
幸運の壺売りますと笑顔で迫るセールスマンよりは剣の力を見ている分、勇者であったと聞かされても久信はすんなり信じられた。これを秀吉辺りが言っていれば中二なんだな、で一蹴されて終わっただろう。
魔王を倒す。強ち本気で彼女は行っていたのではないのだろうか。
敵に対して躊躇しない心の強さ。何を犠牲にしてでも達成しようとする使命感。これらは前世の彼女が培った価値観なのかも知れない。
「なら今度から勇者様って呼んで上げようか?」
「止めて。言ったら首切りドM男爵って呼ぶわよ」
「要らないオプション付けないでよ!って掲示板を見たのか!?」
「偶にね。あんたネットでかなり愉快な事になっているわね。とても面白かったわ」
「僕は冤罪が付けられ続けてるだけなんだけどな」
「案外間違ってないと思うけど?」
「いやぁああああ肯定しないでぇぇえええええ!!」
バチチッ、二人の漫才に地面から紫色の雷が笑い声の様に木霊する。
「さっさと構えなさい。出るわよ」
「あー、もうタイミングいいな。今宵の僕の八つ当たりは一味違うぞ」
時代劇に使ったら批判を受けそうな久信の言動に呼応して一体の巨岩が姿を現した。
その巨大さは周りの木々を押し潰して自らのスペースを確保しなければならない程であり、久信たちも見上げなければ全体が見れない程だった。これが住宅街にでも現れれば軒並みの家屋はこいつの餌食と化しただろう。
つくづく住宅離れた森の中で良かったと安堵する。
「どうぞ。八つ当たりでもしたら」
「分かってて言ってるよね?どう見ても刃こぼれしそうなんだけど。そもそもこれは生物なのかな」
出現の際に木々を潰しはしたものの、それ以降は動きを見せない巨岩に焦る様子も無く話し合う二人はとにかく何とかしようと結論付ける。
「あの爆水で流すのは無しね。多分それじゃあ周りに被害出すだけでビクともしないと思うから」
「分かってる。行くわよ。リヴァイアル・スピア!」
巨岩へと突き出した千勢の剣先から高水圧の三つの刺突が放たれる。
真っ直ぐに突き進む刺突が岩へと当たり、強烈な削岩音を響かせた。
「「は?」」
水霧が晴れた先にいた巨岩に傷一つ無かった。
千勢の放つリヴァイアル・スピアは一つだけでもコンクリートブロックに風穴を開ける力を有している。
それを三本となれば硬い岩盤でさえ楽に砕ける力を持つ。なれば岩程度なら過剰と呼べる攻撃をして砕けて当然なのにも関わらずびくともしなかった巨岩に対して呆然とするのは致し方なかった。
自身に害のある行動をされても微動だにしない巨岩は敵と値していないからかその存在感を悠々とさらし続ける。
「どうなってるのよあれは」
貫通力に自信があった千勢は珍しく迎撃の手を止める。
頑丈過ぎる巨岩にどう攻めるべきか決めかねているのだ。
千勢の剣の力でも傷一つ付かない巨岩を久信の刀で傷付けられるとは思わない。全力で斬り込めば刀の方がダメになるだろう。
八方塞がりな状況にどう対処するか迷う千勢が久信を前へと押しやる。
「ほら行きなさい」
「え、何?」
「あんたもやってみなさいよ。私だけ頑張るなんて不公平じゃない」
「不公平も何もあんなの斬れないし。刀が折れちゃうから」
「どうせ折れても新しく出したら元に戻るんだから気にする必要ないわよ」
「気分的に嫌なんだけどな」
拒否権はないと背中を押す千勢に嫌々ながら刀を構える。
でもこれはどうすればいいのか。斬るイメージがまるで湧かない。不敵の要塞に竹槍一本で挑むようなもので無謀としか言い様がなかった。
最もこんな動かない岩よりも後ろの自然災害の方が恐ろしい。
取り合えず一振りしてしまおうと集中する。
首の骨は硬い。だからこそ隙間を縫うように刃を滑らせる。それは今も変わらない。全体的に高硬度なのは理解しているが全てが均一の硬さでない事は岩の表面のひび割れが物語っている。ならば出来得る限りの急所に叩き込む。
「はぁあああっ!」
今までも修行として岩並みに硬い物を斬ってきた。代償として刀が刃こぼれしたり折れてしまって凹んだ事もあったがお陰で斬る事に関しては誰よりも上手だと自負している。
そんな久信の渾身の一刀。
岩と岩の隙間を確実に捕らえた一刀は達人が見ても惚れ惚れとする会心の一撃。
「………だよね」
弾かれた感触を刀が伝え、結果は見るまでもない。
千勢のリヴァイアル・スピアが通さなかった巨岩を久信が傷付けられる訳もなかった。
だが、何かがおかしい。
直に触れて斬ったからこそ感じる違和感を久信は捉えていた。
「やっぱり駄目じゃない」
「分かってるよ。それよりさ。この岩変じゃないかな」
「変?確かに変なのは分かるわよ。傷付けられないんだもの」
「そうじゃなくてさ」
久信はポン、と岩肌を撫でる。
「これ硬さが矛盾してないかな」
「どういう意味よ」
言いたい事の分からない千勢が久信と同じように岩に触れるがそこらに転がっている石と何ら変わらない感触が返って来るだけだった。
「普通の岩じゃないの」
「そうだね。普通の岩だよね。感触もそして感じる硬さも」
久信は己の刀身を見るが折れるどころか刃こぼれ一つしていなかった。
「待ってよ。硬さが一緒だったら傷どころか粉砕出来るわよ。なのにこれは粉砕どころか傷一つ付いてないじゃない」
千勢の困惑も当然だった。
もしもこの巨岩がそこらに転がる石と同程度の硬さしかないのならば千勢のリヴァイアル・スピアでなくとも久信の刀で斬れてしまう。
それなのに久信はそこらの岩と同じ硬さだと言い張った。
「だって僕の刀が刃こぼれしてないから。これが岩以上に硬いなら間違いなくこの刀が打ち負けて刃こぼれしてる。それなのに両方とも傷付いてないのならこの巨岩は実はあまり硬くなくてダメージを受けていないと見せかけているだけのゲームのオブジェクトだ」
久信はこの巨岩を一定のダメージ量を蓄積しないと傷一つ付かず破壊が出来ない言わばゲーム的代物だと結論付けた。
HPバーに左右され、最後の一メモリまで削り落とさなければ形の変わらない特別仕様。そうならば一見ダメージが無いように見えるのも硬度がそれ程ないのも理解が出来る。
「ならこれが割れるまで攻撃してればいいわけね」
「そう、……だと思う」
「何でそこで自信が無くなるのよ。嫌よこれをひたすら攻撃して徒労に終わるのは」
「僕だって嫌だけどやるしかないでしょ」
終わりが見えない単純作業程に嫌になるものはない。
本当にこれがゲームのオブジェクトと同じならばとした前提が実は違ってましたなんてなれば久信の明日は来ないだろう。
そんな未来が訪れないように祈りを込めて刀を握りしめる。
「どんだけかかるのやら」
「泣き言言ってないでさっさと終わらすわよ」
これよりただの作業が始まった。
この作業が終わったのは一時間も経過した後だった。
バキッと鈍い音を立てて砕けて行く巨岩に二人は謎の達成感を感じていた。
「お、終わった」
「いい加減リヴァイアル・バーストを使う所だったわ」
「使わないでくれて良かったよ」
二人は派手な音を立てながら消えて行く巨岩を眺める。
「最後の方は変なテンションだった」
半ばやけっぱちに刀を振るっていた久信は先ほどまでの失格と呼べるチャンバラじみた動きに自己嫌悪に陥っていた。
振っても振っても切りがない上に変化も見られないとあっては倒しがいもない。
これならばまだ落ち武者相手の方が倒している成果が分かるだけマシだった。
「でも終わったよ」
「そうね。今日はあと一ヶ所くらいかしら」
「だろうね」
【亡霊】の一日の滞在時間は僅か二時間。この巨岩のせいで半分の時間を持っていかれたとあれば移動を含めると一ヶ所を様子見か討伐出来るかの微妙な時間となる。
かなり頑丈な【亡霊】を相手していたからとしてあの【鬼姫騎士】と組んで一ヶ所とは少しばかり情けない。
「行きますか」
また岩なら諦めるが普通の【亡霊】ならば討伐したい。
二人は車に乗り込むと次の場所へと向かうのだった。