お仕事しましょう
☆☆☆で視点が変わります。
ある日、妹が言った。
「お姉ちゃんも、あたしと一緒で、拾われっ子なんでしょ」
金色の双眸で見下ろされて、えっ、以外の何が言えよう。
私の頭は残念仕様で、何でもすぐに忘れてしまうのだけど、妹は拾われた当時をきちんと覚えていた。偉いわ。
「実りの森で拾われたの、緑の目が同じねって母さんが言ってね。お姉ちゃんはどこで拾われたの?」
お、覚えていない。
と言うか、私の可愛い妹が拾われっ子だなんて夢にも思わなかった…それに、私も捨て子だったなんて。唖然とするしかないよ。
でも、そうか。
心のどこかで納得した。
私の髪は、母や姉の朱金色と全然違うし、顔立ちも似ても似つかなかったのは、そのせいだったのだ。でも妹とも血の繋がりがないなんて。
妹の瞳の色が成長に連れ、緑から金色に変わったように、私もこの重い髪色から栗色になるかもって密かに期待していたのに。
じゃあ。
背もこのままで、小さい手もこのままで、私はこれ以上強くなれず弱いまま、なんだ。母や姉たちのように〈戦士〉になる日は永遠に来ない。
「あたしは獣人なんだって。見て見て、お姉ちゃん。ほら耳と尻尾」
頭部には三角耳がぴこぴこ動いて、そっと撫でるとお尻の尻尾がふさふさ揺れる。とても嬉しそうに。
「獣人は成熟が早いんだって」
ぱさり。
ふさふさ尻尾が力を失くす。
「旅立つ許可を貰ったの、だからあたし、獣人の国に行くの。この国よりずっと大きな国なんだって」
「ニイニ、行っちゃうの?」
「うん。ごめんね。お姉ちゃんより先に行くね」
申し訳なさそうに謝る妹をぎゅっと抱きしめると、長い腕と尻尾を使って抱きしめ返されて、とても温かい。
「おめでとう、ニイニ」
「お姉ちゃん、きっと来て?獣人の国、楽しそうでしょ?」
「ふふ、そうね。でも、何時になるかな、私、弱いから」
弱いことはいけないこと。
女は強くあらねばならない。
そしていつか〈戦士〉となって旅をして、この国を守りつなぐ。それは民の義務と教わったけれど、私は剣も弓も不得手なのだ。
行けないかも、と弱気の発言は、妹ににっこりと阻止された。
「大丈夫、お姉ちゃんはちゃんと武器を持っているから」
晴れやかに手を振って、妹は旅立った。
その日から私は考えた、私の武器って何だろう。握力がないから素手では戦えないし、妹みたいに俊敏でもない。
そんな私だけど、確かに武器を持っていたのだ。
「先生、先生、私、選ばれましたっ」
ばたんと扉を開けると、部屋の中央に置かれた丸椅子に座り、美味しそうにお茶をいただく先生。
「そうなるって言ったでしょ」
藍色のローブを纏った先生は、目尻の皺を深くしてにっこりと笑い、頼もしいなあと足元に取り縋ってしまった。
頭を撫でて下さる手が、とても温かい。
「ありがとうございます、先生。ザザ国への派遣には姉のナデリアも選ばれました。とても心強いです」
「じゃあ一層努力しないとね。ザザは難問よ」
ぱちりとウインクする先生に私は、顔を引き締めて、はいと返事をした。
私の国は、アマゾネスの国と呼ばれている。
競い合って決定した、強く美しい女王様が治める国。
温暖で、資源豊かで、魔物をも寄せ付けない桃源郷。なので幻の楽園だと言われている。女性だけの小国だから、世の男性にとっては別の意味で楽園らしい。
明るく快活で、互いに助け合っていると思う。
強さが至上だけれど、私のような弱き者も手厚く保護してくれる。拾われっ子でも愛情を疑ったことなんてなかったし。
でも、女性でないとだめだけどね、男性はこの国にいらないから。
女性だけで、何故、国が成り立つのか。
不思議だけど、この国の女性は女児しか産まないの。
年頃になって、相応の力を有していると認められたら〈戦士〉の称号を女王様から賜る。そうしたら力を試すため、または知恵を得るため、諸外国へ旅立つ許可を得る。
心の赴くまま旅すること。
それは大事なお仕事なの。
そして、もしも自分より強き者に出会ったなら、求婚すること。猛き血の子どもを宿し国へと戻ることが何より喜ばれるのだ。
女児を産み、みなで育てることこそ、この国を未来につなげるのだ。
お相手の男性は、って、そんなの置き去りよ。
「だって子育てに必要ないでしょ。男なんて」
「そうそう。むしろ邪魔ね」
母さんも、ご近所さんも、みんなにこにこして言っている。
な、なるほど。
でも。
私は拾われっ子。
国の近くに出没した魔物退治の帰り道、私を魔の谷で、妹を実りの森で母さんが拾ってくれた。
「男だったら放って置いたけど、女の子だったから連れて帰ったのよ。とても可愛かった。ナデリアもヌゥトも大喜びだったわ」
母さん、拾ってくれてありがとう。
育ててくれてありがとう。
「私の可愛いネネ。ずっと一緒に暮らしましょう」
ありがとう、ナデリア姉さん。
「小さなネネ。どこにも行かないで」
大好き、ヌー姉さん。
拾われっ子の私は、子どもを宿した場合、女児だとは限らない。それって、とてもこわい。男児を産んでしまったら、子どもを手放すか、子どもと共に国を出なければならない掟がある。
それなら、私、子どもはいらない。
姉さんたちの子どもを育てるから、私は、いい。
弱い私が旅立ちの許可を得られることはないだろう、だから、私に子どもは出来るはずもない。ただ、どうしても外の世界には行きたいの。
「私、ニイニに会いたいの」
同じく拾われっ子だったニイニも男児を生む可能性がある。
獣人は愛情深き性質で、愛を交わした相手と離れたくないと感じるのだって聞いたけれど、ニイニに限ってそんなことないと思う。
でも、もしかしたらこの国に帰って来ないかもしれない。
だから。
約束した通り、可愛い妹のところへ、私が会いに行く。
ああ、そうか。
私の武器、分かった。
私のお仕事、見つけた。
「私、文官になりたい」
「文官?」
「うん、力は弱いし体格も貧弱だし、私はお姉さんみたいに〈戦士〉になれない。だから国の派遣団の一員になりたい」
「大変よ?」
「頑張る。そうしたら、お姉さんと一緒に旅する日も来るかもしれないでしょ?」
私の武器は、勉強、だ。
腕っぷしを誇る代わりに、国民の殆どが、長時間じっとしなければならない座学を不得意としている。私だって残念な脳だけど、そこは努力よね。
何とか頑張って、頑張って。
そして、夢は叶ったのだ。
文官として働き出し、金の枝の称号を持つ先生の師事を受けることができた。少しずつ仕事が認められて、銀の小枝と呼ばれることになった。
そして晴れて今日、女王様から賜ったのは、派遣団の一員としてザザ国への赴任辞令。すごく嬉しい。
今回の派遣はニイニのいる国ではなかったけれど、いつか獣国にも行けるかも知れない。
更に、先生が筆頭を務める派遣団にはナデリア姉さんも警護に選ばれた。
総勢8名の中に姉妹が選ばれるなんて、とても誇らしい。単なる調査派遣ではないけれど、だからこそ全力を尽くしたい。
ニイニ、お姉ちゃんはお仕事、頑張るよ。
☆☆☆
病の流行は夢にも思っていなかった事態だった。
まさか、我が国が。
幸いにも成人は罹患しないようだが、十にも満たない子どもが高熱に倒れ、看護も空しく亡くしては親の嘆きも深い。流した涙と悲哀の言葉が、暗雲のように国中を覆う。
まして、世継ぎの王子までも病の手が伸びようとは。
手を尽くしたが、わが国では最早どうする術もない。賢明な王が下した判断は、かの有名なアマゾネス国への協力依頼だった。
アマゾネスたちは苛烈な戦士であり猪突猛進の印象が強いけれど、その実、様々な国を旅して集められた知識を有する国だ。どの国にも権力にも傾くことなく、中立を保つ、女性だけの国。
お伽話の中の住人が、今、目の前に立っている。
「圧巻だな」
隣に立つ上司は、典雅な衣装がもったいないと思う程に憔悴していた。普段からでは考えられないことだ、年嵩を経ても鬼と評される上司なのに。
無理もないか。
3歳になった可愛い盛りの孫が昨日微熱を出したのだ。ついに流行り病になったと気が気でないのだろう。
「私も何人かのアマゾネスを知っているが、これ程の美丈夫は初めてだな」
期待に満ちた上司の瞳の先には、城に到着したばかりの女性たちが並んでいた。その数8名、背が高く、褐色の肌を覆うのは皮で出来た防具のみで、ほぼ晒していると言っていい。何とも煽情的だ。
皆、美しい顔立ちをしている。
特にあの赤くも見える金髪の女は美しい。
まるで神話の中から抜け出した女神のようだ、謁見の間に集まった皆が静かに騒めくのも無理はない。だが見えないのか、その下にある二の腕や腹や二つの大腿と脹脛を。
鍛え抜かれ鋼のようだ。
女のくせして、腹筋が割れているなど、いくら美しくても俺には興ざめだ。
「背の低い者もいますね」
「ああローブを纏ったあの者たちは、普通のアマゾネスとは別格と聞いたことがある。賢者とも。今回は2名も派遣されたようだな、破格の扱いだ」
その賢者らしき2名が進み出たので、上司と共に口を噤んだ。私たちの側、つまりはザザ国王の前で正式な礼をした。だがローブを解こうともしない。
我が王と対等でも言いたいのか。
一歩前に出たのは紺色のローブの裾に金糸で刺繍された女だった。緩々と述べる口上も堂に入ったもので、こうした場面には慣れているらしい。
「貴国を覆う災いが晴れますよう、我ら隣人は手を貸すとお約束いたします」
「心より感謝する。どうか頼む」
王は次いでこちらに視線を寄こした。今回我が隊に責任を申し付けられたが、医師団の方が適当であったのではないだろうか。いや、部下は諸手を挙げていたが。
「ザザ国騎士団第2青嵐所属、第1隊が貴殿らの帰国までお世話をいたします。私はアリョーシャ、こちらは副官のイルファンです」
上司の挨拶に、立礼し顔を上げると青いローブの女も頭を上げるところだった。後方の女も。
濃い色の瞳と目が合って、驚いた。そして失敗した。
つい本音が口から洩れた。
「…子ども?」
☆☆☆
むっとした。
明らかにあの人は私を見ていた、間違いない。薄青のマントを羽織った騎士さんは、事もあろうに、子どもだと呟いたのだ。
はっと口を大きな手で覆ったけれど、明後日の方を向いたけれど、遅いよ?
ちゃんと聞こえたもの。
なんて失礼な人だ。自分は背が高いからって、私の気にしていることをよくも言ってくれたわね。よし決めた、この国にいる間中、あの人は無視しよう。名前だって憶えない。
ええ絶対に。
自分でも子どもっぽいと思うけれど、だって、失礼しましたくらい言ってもいいじゃない。謝罪しないなんて、自分は間違っていないと主張しているってことよね。
お髭のおじ様が城内を案内して下さり、滞在する部屋へ導いて下さった。後ろから菫色の視線を感じたけれど、決心は硬いのよ、一度も振り向かなかった。
流石にザザ国は大国だけあって、お城の規模からして我が国とは違う、奥庭のこじんまりした宮を丸ごと派遣隊に貸していただけるみたい。
すごい。わあ、毛皮が一杯敷き詰められている。
私は先生と相部屋。姉さんと同室でも良かったのだけど、私と先生以外は皆〈戦士〉だ。もちろん姉も。
夜の事情は考慮すべき点ですよ、これ重要。
「ああ、暑い暑い」
部屋に入ったとたん、先生はローブを脱ぎ捨ててしまう。あ。空を舞った衣装を慌てて手にして、先生、今からまだこれ着ますよ。皺になります。
「ネネは脱がないの?」
「寒がりって知っているくせに。もう、先生は」
きちんと折り畳んでベッドの上に置くと、あっ、その上にごろんと寝転ばれてしまう。まあ、こんな子どもっぽいところも大好きですが。
私も先生のように小麦色の肌だったならなあ。
色々な種族が混じった国民なので目立たないけれど、私の肌は黄色っぽい。そして寒さにとても弱い。〈戦士〉は機動力を誇るので、僅かな布と皮甲冑だけでも仕方ないと思うけれど、文官さえローブの下は胸当てと下着だけってどういうこと?
なんでそれで風邪ひかないのかな。うう、羨ましい。
「この国も暖かいけどねえ。きっとみんな裸だよ」
荷解きを終えて、居間に戻ると、派遣団のみんなが思い思いに寛いでいた。
先生の言ったとおり、ほぼ全裸、で。
に、にゃっ。
揃いの衣服を身に着けた侍女さんが赤くなって視線をさ迷わせている。ええ、そうでしょうね。すみません。我が国では家に居る際には裸で過ごす方が多いので。
この習慣は、慣れた私でも目のやり場に困る。
「あら、見られて困る様な体はしていないわ」
そ、そうですね。
私たちの身の回りの世話を、と、侍女さんをご用意してくださったのだろう。ザザ国王のお心遣い、ありがとうございます、でも、丁重にお断りしますね。
本を含め、我が国秘蔵のものを多く持参しているし、まして、今回は疾病対策。危険な薬品もあり、成人には罹らないと聞いているけれど、用心に越したことはないから。
宮に出入りする人間は最小限に、が、鉄則。
そそくさと退散してくださったので、置いて行かれたお茶をいただきつつ、簡単な会議を開始。今日の計画と今後の方針を決定した。
☆☆☆
「今から、ですか」
しばしの休息の後、上司の下へアマゾネスから調査を始めたいと申し入れがあった。迅速な行動には感心するが、医師団と王子の診察をする者と城下に下りる者、城内を巡回する者とに分かれると言う。
見上げた空で太陽は、輝きながら少し傾いている。
城下の診療所を出立する頃には夕闇も迫るだろう、せめて今日は城内のみにしてくれないだろうか。
「ええ。一刻も早い解決をそちらもお望みでしょ?」
身の心配をしたのに、本人たちには届かなかったようだ。
それにしても口元だけ笑うとはなかなかにいやらしい、上司が折れたのも仕方がないだろう、こういった女を彼は苦手としている。
班編成は俺に一任してきたが、俺だって、ちくちくやられるのは嫌だ。筋肉だらけの女の方がまだマシだ。
そんな訳で部下2名と城下組に廻った。もちろん上司は王子の組だ。狙った通りだな、あの女は王子を担当するらしい。
ひどく睨まれたが当然だろう、上司だから。
城下組にはもう一人の青いローブの女がいた。裾には銀糸の縫い取りがあり、近づくとますます小さく思える。やはりどう見ても子どもだ。
馬に乗せようと手を伸ばしたら、脇から出てきた腕にばしりと払われた。は?
「銀の小枝に触らないで」
大柄な女が緑の瞳でこちらを睨みつけ、銀の小枝と呼んだローブの女をさっと自分の馬に乗せてしまった。腹立たしいが、部下の手前でもある、我慢する他ない。
そうして城下内で最も近場にある診療所に着いた。
担当者に簡単に挨拶したのち、ベッドが並ぶ部屋に通されたが、全て子どもが横たわっていた。室内に満たされているのは、はあはあと荒い息づかいと、辛いよと涙交じりの声。
傍らには濃い疲労が滲む親が、神よと祈りながら、付き添っている。
俺も部下も、つい、躊躇してしまった。
朱金の髪をしたアマゾネスさえ足を止めた。なのに、一人だけ何の迷いもなく、部屋に飛び込んだ者がいた。翻る紺のローブ。
止める間もなかった。
近くのベッドに膝を付いて、そっと汗の浮かぶ子どもの額に触れる。手袋さえしていない、その手の白さ。
「…っ、莫迦かっ」
お前は子どもだろう、感染したらどうする。
咄嗟に引き寄せた右の手の平、怪我など一つも負っていなかったのに、びりっと痺れた。
「うっ」
衝撃に思わず手を離して、何だ、自分の手を見たが厚い手袋には異常がなかった。何が起こった?
きょとんとする女の顔は、初めてきちんと目にしたが、焦げ茶の瞳をした少女だった。どちらかと言えば可愛い、いや、かなり。
「…あの?」
フェンファムル、だ。
☆☆☆
しまった、声をかけてしまった。
確認のために患児にかけた手、勢いよく後方に引っ張られてしまい、とてもびっくりした。何するの。
抗議の言葉は、出てこなかった。無視するぞと決意した相手に手を引かれたから、ではない。
銀に見える白金の髪の下、ひそめられた眉根に、じっと菫色の眼で凝視されたからだ。な、何、この迫力は。
「フェンファムル」
はい?
「フェンファ?えっと?」
説明を求むと意味を込めたつもりだったが、どうもこの騎士さんは何かにやられてしまったらしい。固まって動かない。
「フェンファムル」
繰り返されても、あの私、そんな名前じゃないです。人違いでは。
お耳が聞こえませんか、まさか、蔓延する流行り病に感染ですか。そうでありませんように。お祈りくらいはしてあげますよ。
ナデリア姉さんにどうしたのかなと首を傾げてみたけれど、ふるふると横に振られるばかり。ザザ国の騎士さんは驚いた様子で目をむかれ、役に立ちそうもありません。
うん、分からない。こうなれば無視していい、よ、ね。
ここには診察しに来たのだもの、お仕事しよう、そうしよう。
だけど、再び熱の具合を測ろうと伸ばした手は、えっ、大きな体に阻まれてしまった。
「俺のフェンファムル」
そう言ってぎゅっと抱きしめられて、ぐぇっ、変な音が口から飛び出した。ななな何、一体、何なの。何で抱きしめるの、は、放して。
助けて、ナデリア姉さん。
☆☆☆
俺のフェンファムル。
魂の一対は、生まれ落ちたその時から心より求める存在。
だが、一生の間に出会えるとは限らない。足りないと確かに感じるのに、多くの人は出会うことなく生を終える。
だから幸運にも出会えたなら、神に感謝して、何をもってしても離れない。
小さな体を抱きしめると、ああ、体中を巡るこの充足感。頭から爪先まで、今までに感じたことがない程の多幸感に支配される。
本物だ。
本物のフェンファムルに出会えた。
「た、助けて」
ああ助けるとも。俺が助けてやる。苦し気な声すらも愛しく感じる、お前の望み通り、すぐにベッドに連れて行こう。俺もそうしたい。
そう囁くのに何故そんなにももがく?
まさか俺から離れようとしているのではないだろう?
ああそう言えば、フェンファムルだと感じるのは男だけだったか、女にはこの痺れも、この陶酔も何も感じないらしい。
お前は俺を感じてくれないのか。
俺だけの、名前も知らないフェンファムル。
☆☆☆
「放して、放してったら」
何、この人、何なの。
涙目になってぼかぼか背中を殴っているのに、必死なのに、全然堪えた様子もないなんて。更に私を抱えたままどこに向かっているの、お、お仕事はどうなったの?
真面目そうだと思った、私の第一印象を返してよ。その後は散々で、更に下降して、今やこの人は人さらいだ。最悪だ。最低だ。
「姉さん、姉さんっ、ねえさーん」
莫迦みたいに同じ言葉しか出てこない。
「待ちなさい」
くぐもって聞こえたナデリア姉さんの声、それに重たげな金属の擦れ合う音。がいん。ぴたりと揺れは止まったけれど、うう、姉さん剣はやめて。
切っ先に刻まれた『挑戦こそ人生』の文字は、もう目の前だから。
「銀の小枝から手を離せ、私の妹だぞ」
「姉だと、似ていない姉妹だな。姉殿、許可を願う、どうか俺にくれ」
「ザザは一体どんな国だ、嫌がる女を浚う男を騎士にするなど。阿呆か」
「嫌がってなどいない。嬉しくて震えているだけだ」
高速で動く剣が閃いて、刃同士がぶつかり合って、弾かれる。いや、そんなの至近距離で見たくない。普通、ここで私を解放しない?
それにめいっぱい、ちからいっぱい、これでもかってくらい嫌がっているから。どうして通じないの。この人、おかしい。
「やめて、やめてったら」
どんどんナデリア姉さんの表情は喜色で塗りつぶされていく。もう私の声なんて聞こえていないみたい。頭のおかしな人だけど、この騎士さんはすごく強いのだろう。いや、ちょっと姉さん、二刀流って本気過ぎだから。
「俺が勝ったらこいつはもらう」
「やってみろっ」
いやいや姉さん、それ肯定だから。ほら、おかしな人の剣がますます冴えわたってしまったよ、隙を付いて、長い脚で姉さんの左の剣を蹴り上げてしまう。
飛んで行った剣を眼で追ってしまい、もう一方の剣も絡め取られるような騎士さんの動きに、つい、姉さんの指は開いてしまう。
ざくりと音を立てて、剣が大地に突き刺さった。
「これでこいつは俺のだ」
いやいやいや。
「い、いい加減にしてくださいっ。私はお仕事をしに来たんですっ」
ここでようやく厚い胸から放されて、開いた隙間に手をねじ込んだ。本当ならばしりと頬を張りたいところだけれど、脱力甚だしい手ではぺしりともいかなかった。情けない。
「仕事も出来ないような人、私、大っ嫌いですからっ」
☆☆☆
大っ嫌い。
俺のフェンファムルが、俺を。
☆☆☆
一体全体、私の周りで何が起こったのか。
理解できない、というか、したくもない。ともかくザザ国は私にとって鬼門だ、早く国に戻りたい。
だけど逃げ帰っては、私の進退は窮まってしまう。派遣団からも降格されるかもしれなくて、そんなの嫌。ニイニが待っているのに、ちゃんと働かないと。
そう決意した私は眠る間も惜しんでお仕事をした。本を漁って、ザザ国の書物も借りて、先生とザザ国医師団と討議を重ねた結果、疾病を完治することはできなかったけれど予防法を見出した。
対処療法に過ぎないけれど、失われた体力を整えて、脱水予防に努めると、高かった死亡率はぐんと減った。
ああ、良かった。
これで帰国できるね、ねえ、姉さん。
「嫌よ、あの男の子種を貰うまで帰らないわ」
ねえさーん…。
ナデリア姉さんに限らず、私の国の女性は負けず嫌いで情熱的だ。自分より強い男性がいては、子どもが欲しいと思っても仕方がないだろう。
よし、姉さんは強い人だ。一人でも何とかなるだろう。置いて帰ろう。
他の〈戦士〉の方々は、きょろきょろ見回してみても宮には誰の姿もない。どうもそれぞれお気に入りを見つけたみたい。よし、みんな置いて行こう。
先生は、えっ、王子が気がかりですか。いくら何でも歳の差があり過ぎますが、まあ賢そうな子でしたし、何とかなるよね。きっと。置いて帰りますよー。
「フェンファムル、どこへ?」
「城外の診療所です。騎士様。あ、私はそんな名前ではないですからね」
しつこい騎士さん対策に、姉さんを呼んで、ついでに他の騎士さんと上司の騎士さんも呼んで、わいわい騒がしい中、治療中仲良くなったザザ国の一般の方々に助けてもらって逃亡した。
「いくらフェンファムルと言っても子どもに手出しはいかんだろう」
「青嵐所属の副隊長ともあろう人が」
変装はちょっと楽しかったけれど、酒樽も絨毯も、もううんざり。とても息苦しい。それに揃いも揃って何故みんな子どもの恰好にしようとするのか。
「いや似合うから」
あの、成人しています、私。
ザザって、ほんと、鬼門だ。
無事帰国できたのは奇跡かもしれない、お母さんとヌー姉さんのぼっふんぼっふんな胸に癒された。ああ久しぶりにぐっすりと眠れそう。
明日からは、本来のお仕事に戻れる。
ザザ国で得た情報とか資料とかきちんと整理して、文章化するのだ。それも又きっと楽しい。真面目に働いて、いつかまた、国の派遣団の一員に選ばれたい。
いや、まずは派遣先を聞いて、ザザ国でないと確認しよう。
そして、ニイニ、あなたのいる国だったらいいな。
私の大好きな妹、今宵は、おやすみなさい。
そんな期待を抱きながら眠りについた私が莫迦だったの?奇跡の代償?
目が覚めた時、にやりと笑う騎士さんが目の前に立っていた。
は?
「俺のフェンファムル、一緒に帰ろう」
ど、どうしてここに。
「お前が望むならいくらでも出世してやる。仕事もする。だから」
だから、の続き。
聞きたくないでしょ?
そうよね?
そうだと言って?
だから、それはまた別のお話し。
息抜きのつもりが長く…。
一気に書き上げたため、誤字脱字、言い回しがおかしいです。それにも関わらず、お読みいただき、嬉しいです。ありがとうございました。