クリスマスらしさは、食べ物だけで結構です
カタカタ、軽いタイピング音から、ガタガタガタガタ、と激しいタイピング音に変わる。
この音の時は、調子が良くて乗っている時だ。
そういう時には、声をかけない方がいい。
聞こえないだろうし、変に声を掛けたりした場合は、データが吹っ飛ぶこともある。
過去にそのことを知らなかった幼馴染みが、彼女の肩を叩いた時に、驚いた彼女が変なキーボードを叩いて、数時間分のデータが吹っ飛んでガチ泣きをしていた。
あの時を思い出すと、頭が痛くなるのでその時の回想は割愛。
それにしても、クリスマスだと言うのに、彼女は自分の作業場に篭って、ひたすらにタイピングを続けている。
完全なるクリぼっちだ。
――私も人のことは言えないのだが。
作業をしている彼女の部屋の隣で、窓の外を見ながら本を開く私。
彼女の作業場にある本は、多種多様にあり、正直読んだことない本が大量にあるので、ここにいて飽きることは無い。
分厚い革の表紙を開きながら、ちらちらと降ってきた雪を見ていても、風情のないタイピング音が聞こえてくる。
あれだけ普段は早く打てるのに、変に人の気配がしたりすると、途端に打ち込むのが遅くなるから、気を使わないといけないのが、面倒だ。
クリスマスって感じがしない。
雪が降っていて、俗に言うホワイトクリスマスに当たるはずなのに、年末って感じすらしない。
年々そういう行事に関心が薄れていって、そういう感じすらも分からなくなる。
本に集中出来なくなって、未だにパソコンと向き合っている彼女が作ってくれた、青みがかった紫のブックマーカーを本に挟み込む。
半分も読み終えていないそれを、机の上に置いて、隣の部屋を覗き込んだ。
雪が降っているせいで、部屋も薄暗いのに、明かりも点けずにパソコンの画面の光だけがその部屋にはあって、視力を落とす原因になるだろう。
元々の視力も良くないくせに、眼鏡もかけずに裸眼で過ごす彼女の視力、低下の一途を辿るばかり。
「……あー」
ガタガタガタガタガタ……カタン、そんな勢いでキーボードの上を、高速で動き回っていた彼女の手が止まる。
力のない呻き声が聞こえて、多分、そろそろ声を掛けてもいい頃だと判断した私は、まず部屋の電気を点けた。
「終わった?」
「……んー、あー、まぁ、多分」
電気が点いたことに、一瞬だけ肩を揺らした彼女だったが、私の言葉には振り返らずに、酷く濁った返事を返して来た。
ふわふわもさもさな癖毛を、自分の手で乱しながら、回転椅子の背もたれにぐったりと凭れ掛かる彼女。
あー、とか、うー、とか変な呻き声を漏らしながら、右手でグリグリと眉間を伸ばしていた。
目を酷使し過ぎなのだ。
そのせいで頭痛が、肩凝りが、という癖に加減を覚えようともしない。
いい加減忠告するのも飽きたので、放置。
「お腹は?」
「あー、んー?どうだろ」
ギシッ、と椅子が軋む。
彼女が勢い良く起き上がったせいだ。
パソコンに向かっていた時の、あの鬼気迫る感じは一切しなくて、生き物としての覇気すら感じない。
それくらいに彼女は、他のことになると駄目なのだろうけれど。
このクリスマスに、女子高校生というブランドを掲げたクリスマスに、一人で部屋に引き篭りながら、ひたすらに小説をパソコンの中に打ち込む彼女。
作り上げることしか知らない、私の幼馴染み。
眠そうに大欠伸をしながら、時計に目をやる姿は、締切間際の修羅場を乗り越えた戦士だった。
「あー、クリスマスかぁ」
椅子から飛び降りた彼女は、癖毛を揺らしながら私の方へと歩いてくる。
ペタペタ、と素足でフローリングとカーペットを踏み付ける彼女は、気だるそうだ。
元々死んでいる目を細めると、目付きが悪くなるので止めた方がいいと思うのだが、本人は大使的にした様子もなく、リビングのソファーに倒れ込む。
一目惚れしたらしい黒い革張りのソファーが、一度沈んでから、ふわり、と彼女の体を包み込んだ。
「ごめんねぇ」
「何が」
お腹が空いた、とか、そういう感覚に鈍い彼女は、昨日の夜ご飯以降何も口にしていないだろう。
そうしていつも貧血を起こして、一人でフラフラしている。
買って来た、唯一のクリスマスらしさを演出する食べ物を出そうと、キッチンへ向かう時、背中に情けない声が掛けられた。
足を止めて振り返ったが、当の本人は、ぐったりとソファーに倒れ込んだまま。
ピクリとも動かない。
それなのに、情けない声で言葉は紡がれる。
「本当に申し訳ないとは思ってるんだよ。クリスマスだし。花の女子高校生だし。MIOちゃんはデートらしいし。文ちゃんは可愛いし。オミくんはバイトらしいけど。こんな時期にまで面倒見させてさぁ。悪いとは思ってるんだけど。思ってるんだよ。本当だよ。でもさぁ今更止められないんだよ。甘えるのも保護されるのも介護されるのも全部全部。だからごめんね」
情けない声だ。
か細くてか弱くて、欠片も自信なんてありません、本当にごめんなさい、むしろ生きててごめんなさい、みたいな声だ。
そんな声なのに、紡がれる言葉は矢継ぎ早で、どこのヤンデレだよ、と突っ込みたくなる。
未だに窓の外では雪が降っていて、もしかしたら根雪になるかもしれないなぁ、と思うと非常に面倒くさい気分になる。
雪掻きもしなきゃいけないし、外は歩きにくくなるし、冬は何かと面倒だ。
冬以上に面倒な、年中無休で手の掛かる奴は、今まさに私の目の前にいるのだが。
「……今更気にしないけど。どうでもいいから、買って来たやつ、残さず食べなさいね」
クリスマスらしい食料は、正直二人です食べ切れる量ではないし、彼女がそんなに食べる方じゃないのを理解していての言葉。
それでも彼女は、ほんの少しだけソファーに埋めていた顔を上げて、口元に笑みを乗せて頷くから、色々とどうでも良くなるクリスマスだったりする。