そうですね、1.何をされても笑顔で耐えなさい
お待たせしました!連載再開です。
アシュレイ視点
俺の好きな人はドSという性質らしい。
ドSという言葉の意味がよくわからなかったが、とある情報によると、ドSというのは加虐嗜好があり、活き活きと人を痛めつける性質がある人の事を指すのだという。
だが、そんなところが俺はたまらなく好きだ。冷たい目で俺を見つめるワインレッドの瞳も、愉しそうに嘲笑を浮かべて俺を見つめるその表情も、ぞわりとして、ずっと見ていたいと思ってしまう。
きっと俺はおかしいのだろう。自分でもそう思う。だけど、彼女のそんな性質に堪らなく惹かれるのだ。
だから従者になりたいと申し出てしまった。
その事は後悔していない。ほんの砂粒ほども。
「アシュレイ」
彼女───エドナ様が魅惑的な笑みを浮かべて俺の名を呼んだ。それだけで胸の中に甘い感情が広がって、悦びに揺れる。
「はい、エドナ様」
エドナ様の名を呼ぶ。エドナ様が俺を見つめる。ただ、それでけで俺は幸せだ。
この人の傍にずっといたい。例え、どんな形であっても。
「殿下の従者をやって見て、どうだったかしら?」
ふふ、と愉しそうにエドナ様は笑って言う。
そんなエドナ様の質問に、俺は思わず顔を顰めた。
イーノス殿下の従者をやった一週間は地獄だった。思い出したくもない地獄の日々とはあのことを指すのだろう。
そんな地獄の一週間を乗り越えて、俺は改めて思ったのだ。
俺を殴るのも罵るのもエドナ様だけでいい、と。
いやむしろ、エドナ様だけが特別だ。エドナ様以外の誰かに同じことをされたらとても不愉快だ。復讐してやると誓う程度には、不快に思うはずだ。
「…ふふ。あなたのその顔が見れてわたくしは満足よ。それでこそ、殿下にあなたをお任せした甲斐があるというものだわ」
「…酷いです、エドナ様」
「なんとでも仰ってくれて結構よ。酷いことでなければ、罰にはならないでしょう?」
心から楽しそうに笑うエドナ様を見て、ショックに思うのと同時に、エドナ様はこうではなくては、とも思った。
鞭のような言葉を使い、俺を罵る。それでこそエドナ様だ。
思わずうっとりとした顔をしてしまったのか、エドナ様はそんな俺の顔を見て嫌そうに顔を顰めた。
「…まだ、お仕置きが足りないみたいね?」
「え」
お仕置きが足りない? ということは、まだ何かお仕置きをされるのだろうか。
そのお仕置きの内容とはどんなものだろう?
できれば口汚く罵ってくれたり、言葉責めをされながら鞭で打たれるというものがいい。
その光景を思い浮かべるだけで、俺の胸は熱くなる。そんな俺はこの上なく異常だと自分でも自覚はしている。
なにがいいかしら、と顎に手を添えて悩むエドナ様を、俺はドキドキして見つめる。
いったいどんなお仕置きをされるのだろう。この間のように、また殿下のところに従者としてつけ、と言われたらとても嫌だが。
「……決めたわ。ねぇ、アシュレイ?」
「なんでしょうか」
「命令よ。今すぐ女装をしてきなさい」
「……え?」
今、エドナ様はなんと?
「わたくしの言ったことがわからなかったのかしら? お馬鹿さんね」
「えっ。いえっ、そのっ。い、言われたことはわかったのですが、ちょっと許容範囲から超えていた、と言いますか…」
「まあ、なにを言っているの、あなたは? 今まで散々してきたことでしょう? ならば今更どうってことないのではなくって?」
「それは、そう…なのですが……」
それでもエドナ様の前で女の格好なんてしたくない。
俺にだって男としてのプライドがあるのだ。可愛いと思われるよりも格好いいと思われたい。
「ならば、早くしなさい。わたくし、あまり気が長い方ではないの」
わかったかしら、と言われれば頷くしかない。
俺はこの人の従者なのだ。主人の命令を聞くのが従者の役目。
渋々と俺は頷き、寮の自室へ戻った。
そして部屋にあるワンピースを引っ張りだした。捨てようと思っていたのだが、ただ捨てるのは勿体無い。何かに活用できないかと思い、そのままにしておいたのだ。
髪は地毛で、切ってしまったので短いままでいるしかない。
こんな姿のまま、エドナ様のもとへ行かなければならないのかと思うと憂鬱だが、命令なので逃げるわけにはいかない。
俺は色々と諦めて、エドナ様の元へと戻った。
「…あら。髪はどうしたの?」
「髪は地毛でしたので。見苦しい格好ですみません」
女装した俺の姿を見たエドナ様のひとことがそれだった。
謝るとエドナ様は「いいえ。それはそれで似合わっているわ」と微笑んだ。
似合っている、と言われても複雑だ。鏡を見て、あ、いけるかも、と思ってしまった自分がいたことは忘却の彼方に捨てた。
「さあ、こちらに座ってちょうだい」
「は、はい…」
言われるままに座ると、エドナ様は化粧箱らしきものを持ってきた。
それにとても嫌な予感を覚えた。
「アシュレイの髪にはこの髪飾りが映えるわね。次に化粧を…」
「ま、待ってください! あの、エドナ様。何をする気で…」
「見ての通りよ。アシュレイに化粧をするの」
「な、なぜですか?」
「決めたの。今日一日、わたくしはあなたの侍女となるわ。あなたはわたくしに仕えることに喜びを抱くのでしょう? だから、その喜びを今日一日とってしまおうと思って」
とても良い罰でしょう、と微笑むエドナ様の目は輝いていた。
それとは対照的に、俺は焦った。
エドナ様に仕えられる!? それも今日一日!?
今日は始まったばかりで、まだまだ一日は終わらない。
エドナ様に仕えられるなんて、気まずい以外のなにものでもない。それに、周りからどんな目で見られるか…! おまけに女装までしている。俺の事情は大方の人が知っているとは思うが、俺に女装癖があると勘違いされるのは嫌だ。
「か、勘弁してください、エドナ様…」
「あら。今日一日わたくしはあなたに仕えるのだから、わたくしに敬称は不要よ。…ああ、そうね。わたくしも言葉遣いを改めなくてはならないわね」
ふふ、と愉しそうに呟くエドナ様に俺は冷や汗が止まらない。
明日以降がとても怖い。なんと噂をされることやら。
そして殿下の反応がとても恐ろしい。負けるつもりはないが、彼は曲りなりともこの国の王太子なのだ。そんな彼の反応を恐ろしく思ってしまうのは庶民たる性なので仕方ない。
「アシュレイ。…いいえ、アシュレイ様。笑顔をなさってくださいませ」
…これは命令なのだろうか。笑顔にしろと、そういうことなのだろうか。
「……あの。俺はいつまでこの格好を…?」
「今日一日に決まっていますわ。それよりも笑顔をなさって。アシュレイ様は戸惑った顔も可愛いですけれど、笑顔の方がもっと素敵ですもの」
…これは一種の拷問なのだろうか。
気まずいし、エドナ様の丁寧な口調に慣れない。
だけど、これはこれでいい…かもしれない、と思ってしまう俺がいて。
結局俺は、エドナ様のすることならなんでも許せてしまうのだ。
なぜなら、エドナ様の事が好きだから。
エドナ様が笑顔でいろと言うならば、例え命に関わりのあるような大怪我を負っても笑顔でいよう。
エドナ様の命ならば、俺は喜んで受けよう。
俺はエドナ様の言う通りに、にっこりと笑顔を作る。
そんな俺にエドナ様は満足そうに頷くのであった。