逆に喜ばれたら、2.足蹴にしてみましょう
VS イーノス
どうしてこうなった。
私は目の前でアルカイックスマイルを浮かべて私を見つめる殿下を呆然として見つめた。
ここは訓練場。今は実技の模擬戦の最中だ。
本来なら殿下の相手はアシュレイが務めるはずだったのに、アシュレイはどこかの先生に呼び出されてしまっていて、今この場にはいない。
殿下の相手はアシュレイ――それが実技訓練の暗黙の了解であった。
が、その相手役のアシュレイが不在で、では誰が殿下の相手をするか、という話になった。
殿下の相手役に立候補する者はいず、時間だけが無常に過ぎていく。
それはそうだ。殿下の相手はよほど腕が立つ者でなければ務まらない。下手に相手役をすれば無様を晒すだけ。保守に走る気持ちはわかる。
私は「うっわぁ。殿下がぼっちだざまぁ」と思い、表面上では心配そうに殿下を見つめ、内心では嘲笑っていた。
それがいけなかったのだろうか。不意に殿下と目が合い、殿下はにっこりと笑う。
その笑みに嫌な予感を覚え、残念なことにその予感は的中してしまった。
「先生」
「どうなさいましたか、殿下」
「私の模擬戦の相手なのですが…エドウィーナ嬢にお願いをしたいのですが」
どうでしょう、と殿下がチラッと私を見て教師に言う。
殿下のお願いにただの一教師が逆らえるわけもなく、そして私が逆らえるわけもなく、私はあっと言う間に殿下の模擬戦の相手役をすることになってしまった。
まじか。
「お手柔らかによろしく頼む」
「…それはこちらの台詞ですわ」
ご機嫌そうに私を見つめる殿下。それにイラっとした。
うん、もうこうなったら思いっきり暴れて憂さ晴らしをしよう。
殿下に敵うわけはないけれど、暴れるだけ暴れてやる。
私と殿下は位置につき、礼をする。そして教師の掛け声と共に模擬戦が開始された。
先手必勝。
教師が言い終わらないうちに私は屈んで殿下に足払いを仕掛けた。
卑怯ですって? これくらいしたって大丈夫。殿下なら華麗に避けるはずだ。
案の定、殿下はすっと避けた。これくらいは予測済み。私は両手を床につけてそのまま逆立ちをする。
狙いは顎だ。その顎砕いてやる。そんな意気込みで思いきり足を振り上げた。
私の足が殿下の顎を掠める。ちっ、当たらなかったか。
私はよっと両手で跳びはね、宙でくるりと回転して殿下から距離をとり、殿下と向き合う。
殿下は少し目を見張ったあと、にやっと笑う。
「…エドナ、どうして今まで手を抜いていた?」
「相手を選んでいただけです。か弱い方に怪我を負わせる訳にはいかないでしょう」
「なるほど。…やはり君は面白い」
殿下はとても上機嫌に笑う。
「さすが将軍の愛娘だ」
将軍――それは私の父のことだ。お父様は武芸に秀でた人で、国内でも指折りの実力者だ。
そんな父に一目惚れしたお母様があの手この手を使い、お父様を陥落――という名のドM化――させて、お父様はフィルポット公爵家に婿入りをした。
そのお父様の血はお兄さまではなく私に受け継がれた。
私は来る破滅エンドに備え、お父様に武術を習うことにした。国外追放になったら一人で生きていかねばならないので、私は必死に稽古をした。
始めは渋々と私に稽古をつけていたお父様だったが、私に武術の才があると分かると否や、実はお父様ってドSだったんじゃないかと疑いたくなるような勢いで稽古を付けだした。
同時にお兄さまにも稽古をつけていたのだが、お兄さまには私のような武術の才はなく、かわりに魔法の才があるようだった。父はお兄さまの稽古はほどほどに、私の稽古は鬼のような厳しさで稽古をつけた。
お陰ですっかり私はそんじょそこらの貴族のご令息には負けないくらい強くなった。
しかしその事が殿下にバレると稽古に託つけてドSなことをやらされそうな予感がしたので、家族には恥ずかしいから、という理由で黙って貰っていた。
しかしそれも殿下のこの気紛れな提案のせいでパーとなった。
私が手を抜けば良かったのかもしれないが、下手に手を抜くとバレそうなので、全力で憂さ晴らしをさせて貰うことにしたのだ。
どちらにせよバレてしまうなら、殿下にあっと言わせたい。日頃の恨みだ。
しかしどうやらそれも失敗したようだ。あっと言わせるどころか、楽しませてしまっている。
この時ばかりは私のこのハイスペックさが嫌になる。
エドウィーナ・シャルル・フィルポットという悪役令嬢はとてもハイスペックなキャラなのだ。
武術にも秀で、魔法も得意。頭もそんなに悪くはないし、容姿はこの通り悪役顔だけど美人だ。さらには公爵家という生まれもあって、礼儀作法も完璧。
顔よし、身分良し、魔法の才もあって武術にも秀でている。まさに死角なし。優秀なヒロインの障害となるに相応しい。
…その優秀さが仇になってますけどね。
殿下の容赦ない攻撃に私は躱すので精一杯だ。
なにこの執拗な攻め。殿下、実はドSだったんですか。そんなの貴方のキャラじゃなくってよ! と心の中で叫びつつ、私は精一杯動く。
「手加減をくださる優しさはっ、殿下にはないのですかっ」
「手加減をしたらすぐに君にやられてしまいそうだからね。…ああ。でもそれも捨てがたいな」
このド変態!
「殿下のそういうところが、わたくしは嫌いですわっ!」
そう叫びながら私は昔殿下から頂いた鞭をしならせ、殿下と距離を取る。
殿下のように剣での接近戦ではなく、鞭を使った中距離が私の間合い。殿下の間合いにいつまでもいるのは危険だ。殿下相手なら尚更。
「…君に嫌いと言われるとぞくぞくするな」
そう言って殿下はにやりとした。
ぞわぞわっと鳥肌が立つ。殿下こそが真のドM…。
アシュレイの素直さを見習ってください。
「フフ。君と模擬戦をやるのもいいな。君に鞭を振るってもらえる理由として最高だ」
「…今日だけですよ、わたくしが殿下のお相手するのは。殿下のお相手はアシュレイでしょう」
「そう決まっているわけじゃない。たまには君と手合わせをするのも悪くない」
「ご遠慮させて頂きますわ」
「つれないことを言わないでほしいな」
にこにこと、私の辛辣な言葉に殿下は笑顔で答える。
殿下はなんでも極めてしまう人だが、まさか変態まで極めるとは思わなかった。
私はなんとか時間いっぱいまで逃げ切り、結局殿下との勝負は引き分けに持って行けた。
ほっと息を吐く。呼吸が荒くなってしまうのはしょうがない。
殿下が私に手を差し伸べる。私はその手を取り、殿下と握手を交わす。
ほう…と周囲からため息が零れる。きっと私たちの白熱した試合に魅入られたのだろう。
殿下は全然本気じゃなかったけどね。私に怪我をさせないように手加減をしてくれたのだ。
変なところで優しい人だ。もっと違うところに優しさがほしい。
だけど、ね。
私は殿下と握手を交わしながら殿下ににっこりと微笑みかける。
殿下は少し不思議そうな顔をして私を見つめる。
私は笑顔のまま、殿下の脛目がけて思いっきり蹴りをいれた。
「……っ!」
殿下が顔をしかめ屈む。私はそんな殿下を心配そうに見つめるふりをして、殿下の足を思いっきり踏みつけた。
殿下が苦痛に顔を歪め、私を見上げる。私はそんな殿下を見下ろす。
「わたくし、手加減をされるのは好きではありませんの」
そう言いながら、私はグリグリと殿下の足を踏んづけた。殿下が小さく呻き声をあげる。
ああ、なんて良い気味なの。
殿下のその様子に満足して笑みを溢す。
「よく覚えておいてくださいな、殿下?」
クスッと笑う。
殿下は苦痛に顔を歪めながらも、私を見る目は恍惚としている。
このドM! どうしたらこの殿下を懲らしめることが出来るのだろう…。
私は蔑んだ目で殿下を見る。そしてしばらくの間、見つめ合う。
殿下から視線が外せない。変態で、気持ち悪いと思うのに、殿下から目が離せない。どうしてだろう?
「すみません、遅くなりまし…」
アシュレイがようやく戻ってきた。
殿下は私から視線を外し、アシュレイの方を向く。それをなんだか少し惜しく思いながら、私も殿下に倣いアシュレイの方を向いた。
アシュレイは私と殿下を見て目を見開いた。私と殿下が模擬戦をしていたのがわかったのだろう。
アシュレイ、なぜもっと早く帰って来なかった。
そんな思いを込めてアシュレイを見つめると、アシュレイがわなわなと震え出した。
アシュレイのその様子に、私は内心で首を傾げる。
アシュレイは殿下と模擬戦がしたかったのだろうか。ならもっと早く帰って来てくれれば良かったのに、と思った。
顔を真っ赤にしてギロリと私と殿下の方を睨むアシュレイ。
…なんでアシュレイに睨まれているんだろうか。
「…ずるいです!」
カツカツと靴を鳴らし、アシュレイがこちらに近づいてくる。
私はアシュレイに文句を言われると身構えたが、アシュレイは私の横を通り過ぎ、未だに屈んでいる殿下を見下ろして睨む。
「殿下ばかりずるいですよ! 俺だってエドナ様に痛い目に遭わせて貰いたかったのに!」
殿下ばかりずるい、ずるい、とアシュレイは主張する。
いや、どうしてそうなるんだ。
「エドナ様! 次は俺の相手をお願いします!」
「駄目だ。エドナの次の相手も私を決まっている」
「…初耳なのですけれど」
私のその呟きは舌戦に突入した殿下とアシュレイに届くことはなかった。
私の話を、聞け!!
「エドナ様、次は俺の相手をしてくださいますよね?」
「いや、次の相手も私だろう?」
ねえ、エドナ様、エドナ、と私に詰め寄る二人。
私は大きく息を吸い込む。
そして、高々に宣言をした。
「どちらの相手も致しません!」
実にどうでもいいことなのですが。
あと7文字書けば7777文字だったな…と、7文字書かなかった自分が悔しいです…。