第二話 カストリアへの旅立ち
「このような夜分に失礼致します。魔法使いリーブル殿の家はこちらでしょうか?」
玄関扉を開けると、見知らぬ男が立っていた。
「私はカストリアより使わされた使者にございます」
背丈はオレより小さかったが、顔中をぐるりと取り巻くもじゃもじゃとした髭から察するに、立派な大人のようだった。肩掛けの胸部に白薔薇と魔法の杖が縫い付けられている。カストリアの紋章だ。
「カストリア国教会総主教エメット三世は、ルリア王女がカストリア国を訪ね、数週間ほど滞在することを希望されておられます」
突然の招聘に対応しきれず、「はあ、そうですか」と間抜けな返事をしてしまった。すると、カストリアからの使者は、「王女がこのように美しく成長され、感激の極みにございます」とおもねるような笑顔を浮かべた。
「あの、オレ、王女じゃありません。ていうか、オレ男なんですけど」
すると、チビもじゃ男はひどく真面目に慎んだ態度で頷いた。
「なるほど。身分を隠すために男のふりをして暮らしておられたのですな。王女の知恵に深く感銘致します」
「いや、そうじゃなくて……」
それまで暗闇の中にいたので見えなかったが、チビもじゃ男の背後には淡いブルーの三角帽子を被った魔法使いらしき女性が立っていた。真珠の丸ぶち眼鏡の向こうから、涙で濡れた瞳をこちらに向けている。魔法使いはよろよろと近づいてくると、がばりとオレの体を抱きしめて甲高い声を張り上げた。
「ルリア王女! お目にかかれて光栄でございます! 王室付き魔法使い兼教育係のシェル・ペルルにございます!」
「ちょっと、待ってください! オレ、王女じゃありませんってば!」
すると、騒ぎを聞きつけたルリアとリーブル先生が玄関先に姿を現した。「どうしたの? メグ」
チビもじゃ男は自分より背の低いルリアを見ると、あからさまに子供扱いしてこう言った。
「おやおや、これは可愛いお嬢様ですな! よもや王女がご結婚されて、こんなに大きなお子を授かっておられたとは知らなんだ」
その言葉に、来訪者が何者かわからぬままにもなんとなく状況を察したのか、リーブル先生はゲラゲラと笑い出し、ルリアは敵意剥き出しでオレに尋ねた。
「メグ、このちっちゃいおじさん誰?」
チビもじゃ男は小さいと言われたことに憤り、真っ赤な顔でルリアのことを睨みつける。二人の間にバリバリと見えない火花が飛び散った。しかし、言わせてもらえば怒りたいのは既婚の王女に間違われたオレの方だ。
ルリアが本物の王女だとわかるや否や、チビもじゃ男は慌てて失礼を侘び、シェル・ペルルと名乗った王室付き魔法使い兼教育係は、泣きながらレースのハンカチを噛み締めて、今度はルリアに抱きついた。
修道院からもらってきた薔薇のハチミツを溶かした紅茶を淹れて差し出すと、ダイニングの椅子に腰をかけたペルルさんはそれを一口啜り、ようやく落ち着きを取り戻したようだった。真珠の眼鏡をハンカチで拭きながら、ひどく恥ずかしそうにおどおどと身を縮める。
「ああ、申し訳ありません。あのように取り乱してしまい、お恥ずかしい限りです。ルリア王女があまりにもマリア様と似てらしたものですから、つい昔を思い出してしまって……」
スプーンで紅茶を掻き混ぜていたルリアは、手を止めて顔を上げた。
「お母さんのこと、知ってるの?」
「もちろんですとも。幼い頃のマリア王女をお育てしたのはこのあたくしです。泉のように清らかで純粋なお優しい方でした。心ない宮廷の方々には、王女が病弱で内気で大人しい性格になってしまったのはあたくしのせいだとよく陰口を叩かれたものですわ。マリア王女は魔法が得意ではありませんでしたけれども、あたくし、それは一生懸命教えて差し上げましたのよ。あの方はダンスもあまりお上手じゃありませんでしたけれど、それでも、毎日レッスンして……」
言いながら、ペルルさんは喉を詰まらせ、再びウオンウオンと泣き出した。彼女が泣き止むのをしばらく待ってから、やがて、リーブル先生が尋ねた。
「それにしても、一体何だってエメット三世は急にルリアをカストリアへ? もしかして、カストリアの王政がとうとう復活することになったとか?」
ペルルさんはここで初めてリーブル先生の存在に気がつき、真珠の眼鏡をかけ直してじっくりと相手の顔を覗き込んだ。
「んまあ、なんて素敵な殿方でしょう! 久々に感じる胸のときめき。こっそり惚れ薬を飲ませて一生恋の奴隷にしてしまいたい……」
独り言をすっかり口に出してしまってから、我にかえったように言う。「あら、あたくし今何か申しまして?」
先生もオレもルリアも、揃ってブンブン首を横に振った。聞かなかったことにするのが一番だ、と三人とも無言のままに意見が一致していた。
王室付き魔法使い兼教育係は、小指を立てて厳かに紅茶を啜ると、ハンカチで丁寧に口元を拭いながら言葉を続けた。
「お察しのとおり、カストリア王室が復活することになったのです。ルリア王女が王位継承権を放棄されたため、現フェストリア公妃ソフィー・アシュバートン様の嫡子、チェシャ・フォシェル=アシュバートン様が戴冠なさることになりました。つきましては、その戴冠式にルリア王女にも出席して頂きたく、こうしてお迎えに上がった次第にございます」
すると、そのときサンルームの扉ががたりと開き、裏庭に足を運んでいたチビもじゃ男が部屋の中に入ってきた。彼の腕には土にまみれたカボチャが抱えられている。
「ありましたぞ、ペルル殿。このカボチャでよろしいか?」
「よろしくてよ、ボンガン。入り口に置いて少し離れて下さいませ」
チビもじゃ男の名前はボンガンというらしい――彼は裏庭の土の上にごろりとカボチャを転がした。ペルルさんが袖口から取り出した杖を一振りすると、魔法をかけられたカボチャはみるみるうちに膨れ上がり、なんと巨大な馬車に変身してしまった。
魔法の凄さにルリアが驚きの声をあげる。オレは大切に育てていたカボチャを無断で収穫されてしまったことに少しばかりショックを受けたが――生クリームとバターたっぷりのスイートパンプキンを作ろうと楽しみにしていたのだ――メルヘンチックな魔法に魅せられて、そんな気持ちもすぐに吹っ飛んでしまった。
ペルルさんは続いてサンルームに立てかけてあったオレたちの箒と自分の箒に魔法をかけると、羽のある四頭の馬に変えた。さすがに王室付き魔法使いだけのことはあって、見事なお手並みだった。
「さあ、参りましょう。この空飛ぶ馬車で皆様をカストリアへお連れ致します」
あまりにも唐突だったが、エメット三世直々の招聘とあっては足を運ばざるを得なかった。慌しく旅の準備を整えると(ルリアは好奇心で浮かれ、リーブル先生はやれやれと言った様子であった)、星降る丘の家に鍵をかけ、オレたちは四頭立てのカボチャの馬車に乗り込んだ。
ボンガンさんが御者を務める馬車は音もなく夜空に舞い上がり、美しい月光に照らされて北へ向かって飛び立った。
流れ星を目で追いながら、オレはこれから向かうカストリア城や国教会の総本山であるカストリア大聖堂を想像して気分が高揚した。ルリアは王子の存在が気になっていたようで、向かい合わせに座っていたペルルさんに無邪気な様子で尋ねた。
「チェシャ王子ってどんな人? その人、フェストリア公国の王子なんでしょ? 別の国の王子がカストリアを治めるの?」
「チェシャ王子のお母様である現フェストリア公妃ソフィー・アシュバートン様は、ジルベール王の妹君にあたる方なのです。つまりチェシャ王子は先王の血を引いているわけです」
カストリアの東にある小国フェストリアはル・マリアを信仰しているが、数年前に憲法が改正されて信教の自由な国となった。つまり、チェシャ王子はカストリア王室のアイデンティティを失わずして信仰の自由を保護する立場にあり、未だ諍いの耐えないル・マリアとカストリア国教会の和解を導くのに最適の統治者なわけだ。
ペルルさんはルリアの両手を取って言葉を続けた。
「今ならまだ間に合いますよ、ルリア王女。あなた様はカストリア王室最後の王であらせられたジルベール王の孫。ソフィー・アシュバートンの息子などより王位を継ぐのに本来相応しい方なのです」
ルリアはがっしり囚われた両手を邪険に振り払えず、困ったようにリーブル先生の顔を見た。すると、先生は彼女を試すみたいに意地悪なことを言う。
「いいんじゃない? 君、お姫様に憧れてたんだし、王子から継承権を取り戻してカストリアで暮らしたら? そうじゃなければ、僕と一緒にいたいから王位は継ぎませんって断わりなよ」
「あたしは別に先生と一緒にいたいから王位継承を断ったわけじゃないんだからね! メグと一緒にいたかっただけだもん!」
「可愛くないな、君は。もうちょっと素直になったらどうだい?」
ルリアはふむくれた様子で言い返す。「それに、例え王位を譲ったって、いつかチェシャ王子と結婚すれば王妃様にだってなれるんだから!」
「ああそうかい。いい機会だから言っておくけど、僕以外の男と結婚するって言うんなら、僕より魔法の出来るやつじゃなきゃ、絶対君を嫁には出さないからな! まあ、そんなやつは世界中探したっていないだろうけど」
世の父親のような先生のそのセリフに、オレは思わず吹き出した。
国境を越えてカストリア入りした馬車は、黒い森の上空を駆け抜け、谷間を流れる川を遡ってゆく。やがて、夜明けと共に山間を抜けると、古い城壁に囲まれた宝石のような街が見えてきた。その先には蒼い湖が広がり、白鳥のように優雅な城が荒涼とした岬の上に佇んでいた。カストリア城だ。
仮眠をとっていたルリアが目を覚まして、オレの横から一緒になって窓の外を見下ろした。「きれい……」
それはまるで、物語から抜け出てきたみたいに幻想的な風景だった。
リーブル先生は眠り続けていたが、目を覚ましたら機嫌が悪いに決まっているので(箒に跨れば後から見れる景色だし)着くまで起こさぬことにした。
馬車は湖の手前に降り立つと、木の跳ね橋を渡って城門塔に入った。城に近づくと、西側の居住塔と思われる建物の窓辺にぼんやりと人影が見えた。姿までははっきりとわからないが、確かにじっとこちらを見ているようだった。
「どうしたの? メグ」
オレがずっと同じ方角を見つめていたものだから、ルリアが不思議そうに尋ねてきた。
「あそこの窓から、誰かがこっちを見てた」
すると、オレたちの話を聞いていたペルルさんが、痩せぎすの顔を曇らせる。
「そんなはずはありませんわ。だってあそこは――」
そのとき、ちょうど馬車が到着し、ペルルさんはそこで話を切り上げてしまった。オレたちは言葉の続きが気になったものの、心はたちまち開かれた扉の向こうに見える美しい城館の虜となるのだった。




