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マリア教の魔法使い  作者: Lis Sucre
マリア教の魔法使いと聖地巡礼
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第十二話 ずっと一緒に

 オレは驚きのあまり、大口を開けたまま師匠の顔を見上げていた。夜空に浮かぶ満月のようなオレンジ色の髪。光の加減によってさまざまな色調を帯びる美しいブルー・アイズ。

「ナイトメアじゃ……ないよね?」

 夢の続きでも見ているのかと思った。だが、どうやら夢ではないようだった。リーブル先生は砂の上に仮面を落とすと、身をかがめてオレの体をぎゅっと抱きしめた。温かな体温が触れた頬からじんわりと伝わってくる。

「どうして……漆黒のローブなんか羽織って、オレとルリアから隠れてたの?」

 オレの問いに、先生は少しばかり困ったような顔をして口ごもった。「それは――」

 そのとき、彼の言葉を引き継ぐように、背後から第三者の声が降ってきた。

「それは、君たちのことが心配だったからだよ」

 振り返ると、そこには白い法服を纏ったエメット三世が立っていた。背後にはペル・サラームの大聖堂で『魔法使いの試練』の開会の際に見かけた三角帽子の魔法使いたちが並び、さらに後方には白馬に跨るファインズ総長を筆頭に、聖ユーフェミア騎士団の騎士たちもいた。彼らの姿を見た瞬間、脳裏にあるひとつの考えが過ぎり、これまでに起こったさまざまな出来事が頭の中でひとつの線となって結ばれた。

「まさか、今までの出来事は全部……」

 エメット三世は穏やかな笑みを湛えると、ゆっくりとした口調でオレの言葉を代わりに続けた。

「『魔法使いの試練』だったのです」

 ルリアがオレの後方で「えええええ!?」と驚きの声を上げる。それを受け、エメット三世はより一層深い笑みを湛えた。

「あなた方は我々が魔法で創り出した幻想の中にいたのです。各々の悪夢が具現化された幻想世界。それを乗り越えることこそが最大の『試練』だったわけです。生み出された悪夢を食べられてしまわないように、我々はあらかじめ夢喰う者――バクたちを隠しておき、『試練』を乗り越えた者だけが彼らを呼び出せるよう魔法をかけておきました」

 つまり、大聖堂の蛇や雷も、巨大な迷路も珍獣も、あの恐ろしい裁判も、暗闇の魔法陣も、神や聖人たちの姿もすべては幻想であり――オレたち自身が創り出した悪夢だったのだ!

 ルリアは未だに信じられないといった表情のまま考え込んでいたが、やがてぽつりと呟いた。

「なんだかよくわからないけど、つまり、メグは『試練』を乗り越えたんだね」

「そのとおりです」

 エメット三世が彼女の言葉に頷いた。

 彼らから賞賛の眼差しを向けられて、嬉しさや誇らしさが胸に芽生えた。同時にこのとき、決して自分ひとりの力だけで試練を乗り越えたわけではないということを強く感じた。その事実は本来己の未熟さを痛感すべきところなのに、今はどうしようもなくあたたかな灯火となって心の内を照らし出す――。


『僕が君を守るから』


 大聖堂や迷路で危機を救ってくれたのも、ナイトメアの悪夢からオレを守ろうとしてくれていたのも、漆黒のローブの魔法使い――もとい、リーブル先生だったのだ。


 先生は、ずっとオレたちのそばにいてくれたのだ。


 優しい微笑を浮かべ、先生はその場から立ち上がり片手を差し出してくれた。その大きな手をしっかりと握り締め、オレも砂漠の大地に立ち上がった。

「ありがとう、先生」

 寄りかかるようにして抱きつくと、先生は少し驚いたようだった。だが、すぐにオレの体に両腕を回して、きつく抱きしめ返してくれた。ふたつのシルエットが月光によって照らし出され、一本の長い影となって夜の砂漠に映るその先で、二番弟子が唇をきゅっと結んでオレたちのことを見つめていた。

 ルリアは先生と目が合うと、何も言わずにすぐに俯いてしまった。辺りに重たい沈黙が訪れた。その沈黙の意味を察してか、エメット三世がルリアに尋ねた。

「ルリア、『魔法使いの試練』が終わったら、答えを聞かせてくれる約束だったね」

 表情を固くしたルリアは、足元の砂を見つめたきり黙りこくっていた。オレは思わず先生の顔を見る。先生はルリアのことを真っ直ぐに見つめていたが、相変わらず彼女を引き止めるような言葉は何ひとつとしてかけなかった。

 やがて、ルリアはふいに顔を上げると、小さな声で、しかしはっきりとこう言った。

「あたし……カストリアに行きます」

 彼女の答えにオレは思わず声を上げる。「そんな……っ」

 二番弟子は無理矢理笑顔を取り繕って、オレたちの方に振り向いた。

「ごめんねメグ。あたし、カストリアに行く。だって、ずっと前からお姫様に憧れてたんだもん。大きなお城で暮らすの、夢だったんだ。だから……あたし、カストリアに行きたいの」

 その言葉に重なるようにして、ルリアの手首にはめられていた嘘探知ブレスレットが突如として光り輝いた。夕暮れの太陽を連想させるその切ない輝きに、オレは胸が詰まる思いだった。口ではあんな風に言いつつも、ルリアはやはりカストリアに行きたいだなんて思っていやしないのだ。ルリアはオレたちと――リーブル先生と、ずっと一緒にいたいのだ。

 三度目の嘘を見破ったブレスレットの鎖は切れ、役目を終えたように二番弟子の手首を解放した。砂の上に落ちたブレスレットが徐々に光を失っていく様を、その場にいた誰もが無言のままに見届けていた。

 沈黙を破ったのはルリアだった。

「ずっと……そばにいるって、約束したじゃない」

 喉を絞られたような、小さく、苦しげな声が夜の砂漠に響き渡る。

「ずっとあたしと一緒にいるって、先生そう言ったじゃない!」

 瑠璃色の瞳から大粒の涙が溺れ落ちた。

「一緒にいるって、言ったのに……! 先生の嘘つき! どうして……あたしのこと、引き止めてくれないの?」

 リーブル先生は苦しそうに顔を歪め、二番弟子の姿を見るまいとして目を閉じた。

「どうして……あたし……の、こと……」

 悲痛な泣き声が砂漠の夜風にさらわれて、後にはしゃっくりのように不定期な嗚咽だけが残された。

 再び目を開いた先生は、葛藤するように揺れ動く瞳をルリアに向けた。きっと、苦悩とはこのような表情のことを言うのだろう。彼は静かな声で語り始めた。

「君の幸せを願ったんだ」

 顔を上げたルリアは、おかしな呼吸で小さな体を揺らせながら、黙って先生の言葉に耳を傾けた。

「ずっと昔から、ときどき夢の中にマリアが現れるんだ。ここのところは頻繁で……彼女はいつも心配そうな顔をして、生前僕らが交わした約束を、僕が守れるのかどうか問うんだ。……ルリア――君を護る……君のことを必ず幸せにする……僕はそう、マリアと約束したんだよ」

 先生は静寂な砂漠の海に視線を移し、それから、ゆっくりと夜空を仰いだ。

「君が僕のそばにいることは、果たして君にとって本当に幸せなのか。君にとって、本当に安全なのだろうか? 夢の中でマリアが言うんだ。カストリアで暮らした方が、君は幸せになれるのではないかって。……血の繋がった父親の元で、君の血を信じる者たちに愛され、護られることこそが、君にとっての真の幸福ではないか――。僕自身、そう思わずにはいられなかった」

 そこまで話してから、先生はしばしの間、迷うように言葉をつぐんだ。まるで、無理やり感情を押さえ込むみたいに、沈黙の中に身を委ねていた。だが、再びその視線がルリアに対して向けられたとき、彼の中で交錯していたさまざまな思いが決定的にかき消えたようだった。

「でも、君も知ってのとおり、僕は……とてもわがままな人間なんだ」

 偽りのない心の声が、ルリアに向けて放たれる。

「君を放したくはない。ルリア……。僕は……君とずっと一緒にいたいんだ」

 真珠の粒のような涙がルリアの頬をぼろぼろと流れ落ちた。それは後から後から溢れ出て、まるで止まることを知らないかのようだった。

 ルリアは涙で濡れた頬を必死に袖口で拭うと、オレたちから背を向けてエメット三世の元へと歩いて行った。月明かりの下で、彼女の長い影が父親のそれと向き合う。

「……ごめんなさい。……やっぱり、カストリアには行けません」

 エメット三世は初めから何もかもわかっていたように、穏やかに微笑んだ。

「君が幸せであれば、それが私の幸せだ」

 その言葉を聞いて、ルリアの瞳から再び大粒の涙が零れ落ちる。彼女は泣きながらエメット三世に抱きついた。「ありがとう……お父さん」

 エメット三世は娘の体をいとおしそうに抱きしめると、優しい声でこう言った。

「ひとつだけ約束しておくれ、ルリア。いつか必ずカストリアに遊びに来てくれると。君の母君が子供の頃に見た風景を――彼女が愛した国を、私は君に知ってもらいたいのだ」

「うん。……約束する」

 ルリアはエメット三世の手を取って、彼の小指の先に自分の小指を結びつけた。

 微笑ましい光景に目頭が熱くなり、こっそりと袖口で涙を拭っていたまさにそのとき、突然、背後から忍び寄ってきた何者かによって、オレは握り締めていた魔法の杖を奪われた。走り逃げようとしていたのはラサだった。ラルフ君が鋭い鳴き声を上げながら後を追う。その直後、リーブル先生の魔法によって召喚された蛇が、風紋を描くように砂を這い逃亡者の足元に絡みついた。砂の上に倒れたラサの手から、杖は乾いた音をたててオレの目の前に転がった。

「君は一体何者だ?」

 先生がラサに向かって自らの杖を突きつけた瞬間、上空に突如として月明かりを遮る黒い影が現れた。闇のような漆黒のローブに身を包んだ魔法使いが、箒に跨り二人の間に舞い降りてきたのだ。

 魔法使いは素早くラサを箒の後部に拾い上げ、砂の上に転がっていた杖の元まで猛スピードで飛んできた。オレは慌てて手を伸ばし、彼らより先に自分の杖を取り戻した。箒が横をかすめ飛んだとき、魔法使いの顔を隠す黒いローブの隙間から、背筋が凍るほど冷たい眼差しに射抜かれた。

 箒はそのまま物凄い勢いでルリアとエメット三世の隣りを抜け、三角帽子を被るマリア教の老魔法使いたちを蹴散らすようにして飛んで行った。だが、前方には愛馬の手綱を強く引いたファインズ総長と聖ユーフェミア騎士団が待ち構えていた。

「逃がさぬぞ!」

 馬の嘶きに合わせるかのようにして、次の瞬間、魔法の呪文を唱えていたリーブル先生の杖から一筋の閃光が迸り、箒に向かって雷のごとく放たれた。漆黒のローブの魔法使いは後部に乗せていたラサを先生の攻撃から庇うため、箒の向きを即座に変え、自らの右腕を犠牲にして魔法の力を跳ね除けた。

「くっ……!」

 彼はかすかな呻き声を漏らすと、そのまま宙を切るようにして勢いよく掌を振りかざした。魔法使いの手から生み出された光が辺りを包み込み、その場にいた誰もが眩しさに視界を閉ざされた。再び目を開けたとき、箒はすでに遠い砂丘の向こうを飛んでいた。

 ファインズ総長の掛け声と共に、聖ユーフェミア騎士団が彼らの後を追いかけて砂漠の丘を駆けて行く。それはどんどん遠ざかり、やがて豆粒のようになって、そして、次第に見えなくなった。

「彼らは一体何者なのでしょう?」

 遠い暗闇の先を見据えながら、エメット三世が険しい表情で眉根を寄せた。

 オレの推理が正しければ、もしかすると、彼らは――。

「彼らは――魔法教徒なのかもしれません」

 頭の中で考えていたことをリーブル先生に口にされ、オレは驚きに包まれた。「『魔法使いの試練』で、僕が……いや、僕の姿になっていたナイトメアが魔法教を愚弄したとき、あの黒髪の青年はひどく怒っていた」

 その考えはオレとまったく同じだった。

 ラサが魔法教徒であるのなら、彼を庇う漆黒のローブの魔法使いもまた、魔法教徒なのだろうか? そもそも、彼は魔法祭のときにセルジオーネやカウリー聖父が言っていた漆黒のローブの魔法使いと同一人物なのだろうか? だとしたら、聖マリア修道院やばあちゃん、それからオレに向けて例の奇妙な手紙を送りつけてきた差出人は彼ということになる。

 手紙の内容を思い出そうと頭を巡らせ始めたところで、ルリアが不思議そうに呟いた。

「でも、どうして魔法教徒がメグの杖を盗もうとしたんだろう?」

「もしかしたら、聖エセルバートの杖と勘違いしたんじゃないかな? ほら、エデンでマーラさんが言ってたじゃない? この杖と聖エセルバートの杖についている星飾りが似てるって……」

 それか、もしかしたら本当に聖エセルバートの杖なのかもしれない――。というセリフは、その場に居合わせたマリア教の老魔法使いたちを呆れさせるに違いないと思ったので、胸の内に留めておくことにした。

 リーブル先生は何やら思いあぐねている様子で砂丘の向こうを見つめていたが、オレの視線に気がつくと、弟子たちを心配させまいと笑顔を浮かべ、優しくオレとルリアの肩を抱いた。



 翌朝、ペル・サラームの大広場で行われる法王のミサを訪れたとき、オレたちはラサと漆黒のローブの魔法使いの行方がわからずじまいであることをエメット三世の遣いによって知らされた。

 さまざまな思いを断ち切るように、荘厳な鐘の音が辺りに鳴り響く。まもなく、人々の歓声に応えるようにして現れた法王の姿に、オレは驚きのあまり目を丸くした。群集から崇め称えられるその人物は、『魔法使いの試練』の最中に黒い砂漠で出会ったあの不思議な老人だった。マリア教の信者でありながら法王の顔を忘れるとは不届き者にも程がある。どおりであのとき、初めて会ったはずなのに、初めてのような気がしなかったわけだ。

 ル・マリア法王ローゼンクルス十七世は、聖書マリアバイブルからさまざまな言葉を引用しながら、聖女マリアの教えに沿って信じることの大切さについて説いた。そして、ランズ・エンドを引き合いに出し、世界の平和を唱え祈りを捧げるのだった。


 カルマの宿に戻ると、改めてルリアの誕生日パーティーが催されることになった。相変わらず忙しそうに魔法の杖を振り回して部屋の飾りつけをしていたばあちゃんが言う。

「主役は一体どこにいっちまったんだい? メグ、悪いけどちょっとその辺探してきておくれよ」

 オレが出ていくのと入れ替わるようにして、仮装したじいちゃんが得意げに不気味なマスクをつけて部屋に入って行く。ほどなくばあちゃんの悲鳴が聞こえてきたので、思わず肩に乗っていたラルフ君と笑いあった。

「そう言えば、ラルフ君にかけられた魔法、いい加減先生に解いてもらわなくちゃね」

 今の姿に慣れてしまったのか、ラルフ君は自分がオウムであるという事実をすっかり忘れているようだった。だが、急に思い出したように憤慨して、けたたましく騒ぎ始めた。

 ルリアを探しがてら廊下を歩いていくと、少しばかり扉が開いていたリーブル先生の部屋から話し声が聞こえてきた。

「ラルフの馬鹿が作ったおかしなブレスレットも、少しは役に立ったみたいだ」

 先生の言葉を耳にして、ラルフ君が肩の上で暴れだした。「しーっ! 静かにラルフ君!」

 オレはバタバタともがくオウムの口を抑えながら、扉の影で耳をすませた。

「君はなんだかんだ言ったって、結局僕と離れたくなかったんだね」

「それはリーブル先生の方でしょう? 先生があまりにもかわいそうだったから、一緒にいてあげてもいいかなって思っただけだもん」

 どうやら、主役を探しに行く手間が省けたようだ。ちょっぴり怒ったような口ぶりで言葉を返したのはルリアだった。

「相変わらずムキになっちゃって。やっぱりルリアは――」

「お子様じゃありません!」

「僕はそんなこと言おうと思ってなんかなかったよ。君の事はお子様扱いしないってエデンで約束したからね」

 部屋の中を覗いてみると、ルリアは頬を真っ赤に染めてぷりぷりと怒っていた。対して、向かい合う先生は相変わらず意地悪そうに口端を上げ、幸せそうに微笑んでいる。そんな彼らの普段どおりの光景がなんだか物凄く久しぶりに感じられて、オレも自然と笑みがこぼれてしまった。

 先生はおもむろに二番弟子の左手を握りしめ、「お誕生日おめでとう」と彼女の薬指にそっと指輪をはめた。それは、ルリアがずっと前から欲しがっていた、マーラ・セ・ゼラの宝石店にあった瑠璃色の宝石がついた指輪だった。先生は一体いつの間に指輪を買っていたのだろう?

 ルリアは驚きのあまり息をのんで薬指を見つめていた。

「その指輪が似合うくらいに、早く大人になってくれると嬉しいんだけど」

 リーブル先生は軽口を叩いてルリアのことをからかった。だが、二番弟子は手元を見つめて俯いたまま、何も言葉を返さない。部屋にひとときの沈黙が訪れる。

「ルリア?」

 心配した先生が彼女の顔を覗きこんだ瞬間、ルリアの薔薇色の唇が先生の頬にそっとキスをした。

 オレは静かに部屋から離れると、肩に乗っていたラルフ君に尋ねた。

「魔法解いてもらうの、もうちょっと後でもいいよね?」

 桃色のオウムは渋々と頷いてから、呆れたように「ロリコン、ロリコン」と呟いた。



 その日の午後、オレたちはゴドウィンさんの異端審問に出席するため、ペル・サラームの裁判所へと向かった。審問は裁判所内の『光の法廷』で行われるらしい。

『魔法使いの試練』でオレとルリアは一方的な裁判というものの恐ろしさを経験した。それを踏まえて、昨晩先生はオレたちに本気でゴドウィンさんの異端審問へ証言をしに行く気があるかどうか尋ねてきた。オレはもちろん行くと答えた。ルリアはナイトメアが見せた裁判の恐怖が一瞬心に蘇ったようで、即答とまではいかなかったが、それでもやはり行くと言い張った。

 今まで先生がオレたちにゴドウィンさんの裁判について隠していた本当の理由を、裁判所までの道すがら隣を歩くじいちゃんが教えてくれた。幼い頃から宗教裁判の厳しさを目の当たりにしてきた先生は、純粋にオレたちを心配し、法の場に立たせたくなかったのだという。

「リーブルだけじゃない。私もハリーも、出来ることならおまえたちには関わって欲しくなかったんだ。魔法教徒に対して酷く嗜虐的な審問官がいる事実は否めない。教会側の異端に対する悪辣なまでの権力誇示に、おまえたちの心が壊れることを怖れたんだ」

 話しながら、じいちゃんは遠い目をして抜けるような聖地の青空を仰いでいた。大都市エデンで読んだ彼の日記によれば、エリアス叔父さんが自ら命を絶ち、母さんが悪魔喚起に関わったとき、絶望的なまでにつらく長い裁判が行われたそうだ。もしかしたら今、じいちゃんは当時のことを思い出しているのかもしれない。

 ペル・サラームの裁判所は大聖堂の裏側に位置していた。衆人の注目を集める裁判なだけあって、建物の中は多くの人で溢れ返っている。人波に押され、オレはいつの間にか皆から離れてひとりはぐれてしまっていた。

 人混みを掻き分けるようにして進んでいく途中、ふいに見覚えのある顔とすれ違った。

「ル・カインさん」

 オレが声をかけると、ル・カインは涼やかな笑顔で立ち止まった。

「ご機嫌よう、メグさん」

「裁判を傍聴に来たんですか?」

「ええ。魔法教徒の異端審問が行われると聞いたので、気になって立ち寄ったのですが……残念なことにどうやら時間が無いようだ。私たちは理由あって今日この地から旅立たなくてはならないのです」

「そうなんですか」

 オレが少しがっかりしたように肩を落とすと、ル・カインはかすかな笑みを傾けた。

「貴方とはまたいずれ、必ずお会いすることになるでしょう」

「……聖女マリアがそう仰っているんですか?」

 オレの言葉に、ル・カインは満足そうに頷いた。「その通りです」

「じゃあ、今度会えるその日まで」

 握手を求めて片手を差し出すと、ル・カインは快くその手を取ってくれた。オレたちが固い握手を交わしたとき、彼はほんの一瞬だけ顔をしかめ、服の上から右腕をさするように労わった。

「どうしたんですか? もしかして、怪我してるんですか?」

「……いや。不注意で……ちょっとどこかにぶつけたようです。なに、たいしたことはありません。どうかお気になさらずに」

 そう言って、ル・カインはにこりと微笑んだ。

 人々のざわめきを突き抜けるようにして、辺りに高らかなラッパの音が鳴り響いた。どうやらそれは審問が開始される合図のようだった。ル・カインと別れ、オレは『光の法廷』のある場所へと駆けて行く。

 法廷内には裁判を一目見ようと多くの人々が集まっていた。ちょっとした緊張に包まれて、オレは扉手前の廊下で気を落ち着かせようと何度か深く息を吸い込む。

「よしっ、行くぞ」

 そして、胸を張って『光の法廷』へと大きく足を踏み出した。

マリア教の魔法使いと聖地巡礼・完

(執筆期間:ニ〇〇四年九月~二〇〇五年十二月)

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