ジャスティスハリケーン(1)
柔らかな日差しが、曇りガラスを透過しふわりと降り注ぐ。爽やかな涼風が葉桜の残り少ない花びらをそっと誘い舞い上がらせ、時折二階の教室まで春の名残を運んできてくれる。春眠暁を覚えず。うん、全然意味違うけど。この心地よい風と光の中、昼前に眠くなってしまうのは無理からぬことではないだろうか。自己弁護乙。
今は四限目。現国の授業の時間だが担当教師が急病で休みらしく自習。課題として配られたプリントを早々に適当に解き終えた俺は、筆入れを枕にまどろんでいた。
五月初旬、春の残り香と夏の匂いが混じるこの時期が俺は嫌いじゃない。俺が大魔王だった夢を見てからおよそ二週間が経っていた。初めはどうなることかと思ったが特に何事も起こらず、穏やかな日常を謳歌出来ている。ただ、すももがちょくちょく俺のクラスまで遊びに来るので、級友たちの風当たりが強い。主に男子。
取り立てて顔が良いわけでもなく、スポーツや勉強が出来るわけでもない俺に、美少女であるすももが懐いているのが不思議なのだろう。とりあえず適当に昔近所に住んでた幼馴染ということにしておいた。割と間違ってないはずだ。言えるかよ、前世では大魔王だった俺の部下でしたとか。
これはクラスの女子に後から聞いた話だが、江原の家は大層古くから続く家柄らしく、日本有数の大企業に出資する程の名門財閥らしい。俺の予想より遥かにお嬢様だったわけだ。ホント嘘みたいな話だよ。そんなスーパーセレブ美少女が、あの魔王バラスモの生まれ変りだなんて。
俺の夢(前世の記憶)に出てきたバラスモは、鳥類の頭に人型の体躯を持つ異形の怪物だった。屠殺直後の鶏のように産毛がまばらな頭頂部。獰猛な碧眼には怪しい光が揺らめき、歪な嘴からは糸鋸のような牙が不揃いに並ぶ。煌びやかな装飾を施された指輪をはめた三本の指からは、猛毒を孕んだ黒爪が鋭く伸び、豊満な肉体には薄汚れた黄緑色の袈裟を纏っている。その醜悪で滑稽な姿からは想像も出来ないような膂力、頭脳を兼ね備えた魔物の王が、今は可愛らしいゆるふわツインテガールになっている。しかも巨乳。神様マジぱねぇっす。
とまあ、当初考えていた高校生活とは若干、いや大分離れてしまったものの、比較的平和な日常を送っていた俺は、あの夢を忘れつつあった。早い話が油断していたのだ。
スピーカーからモスキート音のような粗雑なノイズが聞こえた。恐らく終礼のチャイムが鳴る予兆だろう、ほら鳴った。小中高と聴き慣れた鐘の音を半覚醒状態で聞き流していた俺は、日直の号令を無視しそのまま眠りこける。誰も注意しない。まぁ自習だったし。
昼休みに入り、一気にやかましくなる教室の喧騒を子守唄に、俺は眠り状態を継続していた。あと五分、五分寝させてくれ。
「相馬君」
「ふぁっ!?」
そんな俺の願望を打ち砕くように、冷徹な声が降り注ぐ。別に大きな声じゃなかったのに、凛としたその声は、まっすぐに俺の脳に響き覚醒させる。
跳ね起きるように顔を上げると、一人の女子生徒が俺を見下ろしていた。
俺と同じ二年A組で、学級委員長を務める露戸亜鈴が射殺すような眼差しを俺に向けていた。怖いよぉ。
絵に描いたような優等生スタイルを貫くこの少女が俺は苦手だった。きっちりと真ん中で分かれた前髪。背中まで伸びる艶やかな黒髪は、見事なまでな三つ編みとなり左右に流れている。鮮やかな赤縁の四角い眼鏡からは猫のような瞳が覗いている。いつの時代の委員長像だよ。スカートの丈も膝下。学校指定のハイソックスが眩しい。
高校生活をのんべんだらりと過ごしたい俺にとって、学業や行事ごとに積極的に取り組む彼女のような人種は天敵なんだ。中学にもいたな、『ちょっと男子ー、ちゃんと歌ってよー』的な。歌ってたっつうの。大体、右端の女子がなんで左端の男子が歌ってないって分かるんだよ。お前らはフィルハーモニー管弦指揮団のマエストロかなんかか? どこからでも音が聞き分けられるんですかい?……話が逸れた。とにかく、出来れば露戸とは関わりたくないのが本音だった。
「えっと、何かな?」
「課題」
「は?」
「さっきの時間の課題プリント。提出してないの相馬君だけなんだけど」
無駄話をしたくないと言いたげに淡々とした口調で話す露戸。そりゃ出してなかった俺が悪いけどさ、なんでそんなに刺々しいの? 泣くぜ?
「あーすまん。忘れてた」
慌てて机の上に放置されていたプリントを露戸に手渡す。若干よだれがこぼれていたらしく、プリントの端が透けていたが気にしない。
「次から気をつけてね。 ……っ!」
受け取ったプリントを無表情で眺めていた露戸だったが、裏を見た瞬間、目を見開き驚いていた。しまった、落書きを消してなかった。
「悪い、すぐ消すわ――?」
落書きを消そうとプリントに手を伸ばすと、露戸は躱すように一歩後ろに下がり、俺の落書きを指差しながら、震える声で訪ねてくる。
「相馬君……こいつは、何?」
なんか目に付くようなもん描いたっけ? そう思い視線をプリントに向けると、露戸が指差していたのは、俺が記憶で適当に描いた魔王バラスモだった。まさか。
「え? あー、そいつはアレだよ。昔やってたゲームの敵キャラ。うん」
「……名前は?」
咄嗟に出まかせを言ったが露戸の質問は続く。この食いつきようはおかしい。実は露戸がグロかわ好き、ゲーム好きの線も考えられるが、露戸の表情にはあまりにも鬼気迫るものがあった。まるでバラスモに敵意を持っているような――とりあえず適当に誤魔化した方がいい気がした。直感。
「名前? なんだっけかな、バ、バ、バーズラだ! バーズラ!」
「バーズラ?」
「そう! シャモシャモの実の能力者で軍鶏人間に変身するんだよ! そいつがマジ汚くて。二回行動する上に毎ターンHP回復すんだよ。俺それ知らなくてさーずっと防御しつつ攻撃してたら全然倒せねえの! 不死身かよっつって」
「そ、そう。私はゲームしないからよく分からないけど」
胡乱なものを見るような目を俺に向ける露戸だったが、俺がまくし立てるように嘘情報を並べ立てると、若干引き気味になった。この年代の女子は、この手の趣味の話題に拒絶反応を示すことが多い。ふはは、知りたくもない情報を賢しげに話されるとウザいと思ってしまうだろう? ましてや別に仲良くない男子が相手だと尚更話に付き合いたくない。その心情を逆手にとった高度な話の逸らし方なのだ。ま、普通に女子の好感度が下がるのでおすすめは出来んが。
「あ、そうなの? 興味あるなら何か貸そうか? ちょっと古いのしかないけど」
「せっかくだけど遠慮させてもらうわ」
「そうか。あ、俺購買行かなきゃ。悪かったな、プリント」
片手を軽く上げ謝罪と別れを告げる。自然過ぎる。さのまま流れで教室を立ち去ろうと試みるも露戸に呼び止められ敢え無く失敗。畜生。
「あ、相馬君」
「な、まんだむ?」
振り返り、『なんだい?』と言おうとして吃って噛んだ。案の定意味が伝わらず、露戸は首を傾げる。なんまいだーにも聞こえたかもしれん。愛想笑いで誤魔化そう。へ、へへ。
「? まあいいわ。二週間程前の話なんだけど、運動場の近くにあるガーデニング広場に大きな穴が空いていたの。相馬君何か知らない?」
「知らないな」
即答。知っていたけどしらを切る。知らないはずがない。だってその穴は、俺が『ゲオ』の呪文で作ったものなのだから。
内心動揺しまくる俺のを見透かすように、露戸はじっと俺の顔を見つめる。獲物を見つけた荒鷲のような鋭い目で。そして、何でもないことのように、平然と俺の嘘を暴いた。
「そっかぁ。でも私見たんだけどな……相馬君と女の子が一緒に居る前で、花壇が爆発するところ」
「え?」
露戸の唇がゆっくりと弧を描き笑みを形作る。普段全く笑わない、鉄仮面とすら揶揄されている彼女の笑みを、俺は初めて目の当たりにした。どくんと鼓動が跳ね上がる。
「あっすっらっ様っ!」
とすんと、背中に軽い衝撃を感じる。振り返ると、軽くウェーブがかった黄緑色の髪を耳の後ろで二つ結びにした少女が、人懐っこい笑みを浮かべ俺に寄り添っていた。
「すもも……」
「今日もお弁当作って来ましたの。一緒に食べましょう」
忙しなくツインテールとスカートを揺らしながら、弁当の入った黄色の包みを見せびらかしてくる可愛い後輩に苦笑しつつ、露戸を一瞥する。話すことはもうないのか、何も言わずに自分の席に戻って行った。
「? あすら様?」
「何でもないよ……」
訝しむような目で俺を見上げる後輩にそう答えつつも、女友達と談笑しながら教室を出て行く露戸の後ろ姿から、俺は目を逸らすことが出来なかった。