第四章
第4章 水に揺られて…
(いったい何があったんだ?)
純一は、見つかるはずのない答えを求めながら隣にいる奈緒のことも忘れてひたすら池に向かって走っていた。
明らかに何かおかしかったと思われる彰の声とせかされるように切られた電話。
どれも純一の不安を後押しするばかりで考えれば考えるほど不安は募り、その感情を携帯を握り締めることで必死に抑えていた。
ただ、一人の親友を信じて……………………………純一は走った。
「まったく、人間とは脆い生き物だ…。」
「………くっ…」
「彰っ!」
麻樹は必死で彰の名を叫んだ。
何故だか、池に入ってから吐き気や頭の痛みは引いてきていた。
ヒカリはどうやら亡霊にやられたらしく、」彰と同じく矢をその体に浴びて地面に伏していた。
亡霊を見ないように半泣きで麻樹は負傷した彰の背中をさすろうとした。
しかし、彰の倒れた背中に触れた麻樹の手にはぬっとりとしたのりのような液体の血が手のひらについただけだった。
彰の背中を伝って、肩に、地面に、血がたれていく。
見るに耐えなくなった麻樹はひっと息を呑んだが、
(今動けるのは私しかいない…。私がどうにかしなければ…!)
と思い、自分に言い聞かせた。
どうしようもない状況に麻樹はただ眼のない目をきつくみすえて、恐怖心を押し込んだ。
「あなたは私に用があるのでしょう?だったら、私を攻撃すればいいじゃないですか!
彰やあんな女の子にまで・・・・・・。なんで,なんでこんなことするんですか!」
その問いに楽しげに、低くのどを絞り出すかのような凄みの聞いた声で答える。
「あなたは、人間ではないのだよ。」
「え……。」
「彼らはあなたに有害だ。あのような愚か者とともにいるべきではない。われわれにはあなたが必要なのだ。」
答えることができなくて、ただ話に取り付かれるように耳を傾けていたとき、麻樹の声に聞きなれた声がした。
「麻樹!何処!?」
「彰!」
必死で自分と彰を呼ぶ声を麻樹は聞いた。
かなり近くまで来ているようだ。
叫ぶ純一たちに対して麻樹は何も応答ができない状況。
途中で椿と鹿内会長に合流し、純一と奈緒の4人が池に到着した。
夏とはいえ、夜は暗くこの神社では懐中電灯と月明かりしかあてにならないので、彼らには麻樹や亡霊が見えていない。
「あなたは人のおろかさと結末をその場で見届けていれば良い。」
「…………何をするつもり?」
麻樹はその言葉に反射的に答えたが、その言葉に答えるともなく亡霊は飛ぶように4人の元へと向かっていた。
麻樹は直感した。これは、『殺し』なのだと…。
そしてあの亡霊は、“本気”であるのだと……。
「4人とも逃げて!椿、お願い逃げて!」
あらん限りの声で叫ぶ麻樹だったが、その声は遠くにいる椿には声しか聞こえずただその場にとどまらせる理由にしかなりえなかった。
「ん・・・麻樹?」
スッと冷たい風が彼女たちのそばを通り抜けた。
ひんやりとした緊迫した空気が肺に流れ込み、身震いした。
風とともに声がした。
「愚かものどもが・・・・・。」
「え・・」
はっとして、4人は寄り添い椿は声のした方向へ懐中電灯の光を当てた。
「ひっ・・・・・・・・・」
高く鋭く短い悲鳴が漏れた。皆、息を呑んでその姿を見つめた。
逸らしたくても目が食いついて感情に突き動かされ亡霊を凝視してしまう。
その姿は、月明かりにすけてみえ、一枚の薄い布のように存在が弱く、しかし見る者の気を引き立てた。
麻樹はなおも必死で叫び続けたが、4人は石のように、術にでもかかったかのようにまったく動かず、声すら届いていない様子だ。
そのとき、麻樹の瞳に映ったのは池の中央にかかっている神橋に落ちている正敏からもらった透きとおるような水色のした石のペンダント。
麻樹からおよそ30メートルは離れている石は妙にはっきりと見え、あたりをぼやかした。
そして、石の内部に輝く何かと、
目…が…合った…。
麻樹の記憶はそこで途切れ、折り重なるように彰の上に倒れこんだ。
彰は半ば消えかける意識の中でそれを見た。
瞬間、池の水が噴水のごとく空を舞った。
耳元で水の音がして、はっと我に返り池を見るとおぼろげに人が倒れている影が二つ見えた。実際はヒカリと彰だったのだが、ヒカリを知らない彼らはあれが麻樹と彰なのだろうと誰もが思った。
二つの影に機を取られていた瞬間に隙ができた。
「くたばるがいい・・・・・・・。人間どもよ・。」
いつの間にか、亡霊が4人の2メートルも手前にいた。
かなり距離が狭くなっていて、内心あせりながら何かにすがるような気持ちで椿は目を閉じ、純一と鹿内会長は亡霊に無力ながらの戦闘態勢をとり前に出て、奈緒はその場にしゃがみこんだ。
ひゅっという鋭い風の音がし、亡霊は自らのよろいに刺さっている矢を抜いて椿たちに投げつけた。
頬に矢の先端が当たって暖かい血が自分の頬を垂れていくのを椿は感じた。
その瞬間に、耳元の水音が大きくなり、やがて池の水は竜のような、うねりを見せながら噴水と化し椿たちと亡霊に向かって、彰に向かって、ヒカリに向かって、麻樹を凝視する彰に向かって水を力の限りぶつけた。
思いっきり頭から水を浴びて、4人とも目を瞑った。
亡霊は声なき声を上げながら、満足そうにすうと消えるように水に溶けるように、空へ帰っていった。
噴水の中心の神橋の上では、麻樹が一人ぽつんと水面に立ち池の水たちに指示をするかのように、堂々と立ち手を空へかざしていた。
その姿は、水神のような神秘的なものだった。
彰はその後ろで倒れながらも朦朧とした意識の中で神橋に立つ麻樹を見た。
(何だ!?一体何が起こってる…?)
困惑を続ける彰の目に映った麻樹は濡れた髪は輝きを失わずに月明かりに照らされ水のごとく光り、半透明の一本一本の髪が風に揺れては水を揺らした。
眼も色が黒でなく深い藍になっており、凛とした視線は先ほど木をつたって現れたレイを冷たく見据えていた。
レイもまた冷たく麻樹を見据えた。
(ヒカリはしくじったのか・。)
レイもまた自分の手を空にかざし、ぼそりと何かをつぶやいた。
するとふっと麻樹が視線を逸らし、そのまま崩れるように水へ倒れこむところをレイが支え、彰の隣に置いた。
そして、ヒカリを背負って逃げるようにその場を立ち去った。
椿たちは水を浴びて呆然としたものの、懐中電灯を持ち直し先ほど人影が見えたところへ走った。
不思議なことに水がかかっても懐中電灯は壊れなかったし、椿の頬の傷も治っていた。
怪奇現象とはこういうものなのだろうか…。
恐る恐る光を当てると倒れている麻樹と彰だった。
二人とも樹を失っているだけのようで、全身びしょぬれだが彰の傷も治っていた。
しかしシャツににじんだ血はそのままで、破れたシャツを見て、純一はあわてて彰のところへかけた。
「彰!」
返事がない。
何度もあわてて名を叫ぶと暫くして彰が目を覚ました。
「あえ?ごほごほっ・・・」
水が口に入っていたらしく少々むせてはいたが、以上はない様でほっと息を漏らして純一は彰に微笑んだ。
はっとして彰は純一の服を掴んで、必死に訴えた。
「鈴宮が狙われてるんだ!変な亡霊と女の子が戦ってて…。
なんか鈴宮はほんとの名前じゃないとか、死ぬとか、俺どうしよう!もう意味わかんなくて…」
息が上がって、必死な彰を見て純一は安心させるように言った。
「落ち着けよ、彰。麻樹は大丈夫みたいだ。お前の横にいるだろ。」
「へ?」
彰は自分の横にいる麻樹を見て驚きながらも安心して純一の手を借りて立ち上がった。
確かに麻樹はそこにいた。いつもとかわりのない黒目と黒髪。
しかし彰は見てしまったのだ。
急に彰は純一に対して後ろめたさを感じて無言で純一の手をなにげなく振り切った。
「純一君!麻樹の目が覚めないの!どうしよう・。」
奈緒があせった様子で純一に言う。
彰は引きつった顔で一連のことを言うべきかどうか迷ったが、皆が信じるはずもないと思いただ自分の記憶の片隅に封じ込めた。
「麻樹!」
必死で純一が呼んでも、麻樹は目を覚まさなかった。途方にくれていると、正敏がやってきた。
「おじさん!」
すがりつくように椿が正敏のもとへかけていく。
自信がないが、椿はありのままの先ほどの怪奇現象の話をした。
説明がうまくいかずに、何度も何度も説明を繰り返した。
正敏は質問もせず、椿の話をうなずきをしながら聞いていた。
話が終わると正敏は一瞬顔を厳しくしてからすぐに皆に言った。
「麻樹も疲れているだけだろいう。もう10時だしな。君たちは今日は帰りなさい。」
渋々とうなづき、樹にかかることをそれぞれの胸に多く抱いたままバラバラな気持ちのまま、一同は解散した。
神橋にはレイとヒカリが立ち、細かく割れたあの麻樹のものだったペンダントを見下ろしていた。
粉々に細かく割れたペンダントは石の輝きを失い、澄んだ水色はよどんだ灰色になっていた。
そして、負傷しているヒカリは自分を自分で何か光を体から発し、治癒している。
それをみてレイが空の月を振り返りぼそりとつぶやいた。
「………惣殿…。」