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美人司書に教えてもらった書棚は、読書スペースを越えてさらに向こうに並んでいた。
本棚は、ちょうど受付席と並行になるように並べられているから、本棚と本棚の間に入ってしまうと、受付席からはまったく見えない死角となる。
オレは椅子にぶつからないように気を付けつつ読書スペースを抜けた。本棚の並ぶエリアに差し掛かる。
一、二、三、四……
一列ずつ数えながら奥へと進む。そうしないと、いや、そうしていたとしても、今自分が何列目にいるのかわからなくなりそうだ。
それにしても、八列目って、相当奥だぞ。この図書室、結構広かったんだな。
それに、現在地をロストしないように意識しつつ、本が崩壊しないように気を付けねばならないというのは、意外と難しい。
それでもようやく八列目の本棚に辿り着き、オレはこの写真資料集を納める場所を探すべく、俯きながら本棚と本棚の間に入った。
意外なまでにというほどでもないが、本を入れるべき場所はすぐに見つかった。彼女の言うとおり、八列目の本棚の一番下の段にはオレが今運んでいる本と同様のぼろぼろの態をした資料集の背表紙が並んでいたわけなのだが、その列に入って三歩と行かないところに、オレはちょうど一冊分くらいの空きスペースを見つけたのだった。
ここだな。
一応、持っている本と書棚にある本との巻数を確認する。うむ、合ってる。
オレはそこにしゃがみ込み、慎重に、運んできた写真資料集をそのスペースに当てがった。ぎりぎりの幅だ。このまま押し込むのはまずい。
オレは持ってきた本を自分の脚に凭せ掛け、腹筋に力を入れつつスペースの左右の本をそれぞれ左と右に押し詰めた。ちょっとだけ、先程よりもスペースに余裕ができる。それを確認してから、それでも未だきつい感じの空きスペースに、持ってきた写真資料集を押し込んだ。
ゆっくりと、確実に、押し込んでいく。やがて、背表紙が他のシリーズと同じ位置になった。
ふぅ。
手を本から離し、しゃがんだままため息をついたとき、ガタンという音が頭上から聞こえてきた。驚いて見上げる。
同じ本棚の一メートルほど奥に、一人の女子生徒がいた。高さ六十センチくらいの脚立に乗って、それでも届くか届かないかくらいの高さの段にある本を取り出そうとしていたらしい。背伸びして手を上に伸ばしたまま、固まったようにオレの方を凝視している。
雰囲気からして、随分前からそこにいたらしい。全然気付かなかった。
確かにオレはずっと下を向いていたけど、気付かなかった理由は多分それだけじゃない。それくらいに、その女子生徒は大人しそうに見えた。
校内で何度か見かけたことのある少女だった。可愛なって思ったから覚えてる。オレの記憶が正しければ、同じ学年の生徒のはずだ。でも、名前は知らない。
ピンク色のクリアなセルフレームの眼鏡と二本のお下げ髪。そのコンビが、非の打ちどころがないほどに完璧なまでの調和を見せ、スレンダーな身体つきなのに出るところは丸く出っ張っているという、実に男心くすぐるプロポーションだ。白いシャツにベージュのベスト、そしてチェック柄の布地で作られた膝上丈のプリーツスカートという制服姿は、清々しいまでに校則に則っていて、彼女に似合っていた。
しかし特筆すべきは、何と言っても、その絶対領域の眩さだろう。
スカートの裾から膝下丈の紺色のニーソックスまでの、その不可侵な柔肌が、堪らない魅力と絶大な破壊力を持って、オレの視覚に直接攻撃を仕掛けて来る。オレの方が目線が低いせいで、通常よりも見える面積が明らかに広い。その面積に比例して攻撃力が倍増されているのは明らかなわけで。
美人司書に、美少女に、密室のごとき図書室。
嗚呼、今まで毛嫌いしていたが、梅雨もなかなかいいもんだ。
そうオレが思ってしまったのを責めるような、無粋なヤツがいないことを願いたい。
まったく動かないオレの視線がどこに向けられているのか気付いたらしく、少女は顔を真っ赤に染めると手を本から外してスカートの裾に当てた。そしてスカートを抑えたまま、ゆっくりと脚立を降りた。
さすがにオレも立ち上がる。
「えっと……ごめん」とりあえず謝った。「いるの、気付かなくて」
少女はオレの方に身体を向けたものの、俯いてしまって顔をまともに見ようとしない。手を胸の前でもじもじと擦り合わせ、身を縮めて立ち竦んでいる。
「ほんと、ごめん」
オレがもう一度言うと、少女は、小さく、小さく、本当に目を凝らしていないとわからないほど小さく、頷いた。
いい物を見せてもらったけど、後悔はしてないけど、オレに対する印象はサイアクだよな。
用は済んだ。不可抗力だったとはいえ謝罪もした。だから、いつまでもこうしてここに突っ立っていても仕方がない。オレは踵を返して立ち去ろうとした。
――のに、腕に抵抗を感じて立ち止まる。
振り返ると、先ほどのお下げ美少女が、オレの腕を捕まえていた。その顔はやっぱり真っ赤で、上目遣いでオレの方を見る瞳は眼鏡のガラス越しでも潤んでいるのがわかった。オレは、その成熟し切っていない不完全な妖艶さに、息を呑んだ。
彼女はオレと目が合うとパッと視線を逸らした。そして、オレの腕を掴んだまま、オレに話しかけもせず、オレの方を見ようともせず、迷路のような書棚の奥の方へとオレを引っ張る。
仕方なく、オレはそれについて行くように脚を動かした。
しばらく歩いた後、ようやく彼女が脚を止めたのは、図書室の最奥にある日本文学の書棚の前。
そこまで来て、彼女はオレの腕を放し、またオレと向かい合って俯いた。
そのまま再び両手を胸の前に当てて、もじもじと身体を動かす。たまに窺うように上目遣いでオレの方を見、目が合うとパッと離す。そのループが、一定の間隔で何度も何度も繰り返される。
そろそろ、それも十回目だ。その間オレはずっと阿呆みたいに突っ立ったまま。
……というかだ。この状況下で、オレに、どうしろと?
話しかけるべきか? 何のためにオレをここまで引っ張ってきたのか、声をかけて聞いてみるべきか?
そのとき、ふと思った。これはもしや、あの日本最大手の某掲示板サイトでよく言われている『フラグ』とか言うヤツか? そう考えるのは、さすがに自惚れというか、時期尚早だろうか。
いやでも、この目の前にいる美少女は、明らかに照れている。オレに対して。
であれば、だ。これは待つのがベストだろう。彼女が話しかけてくれるまで。
オレは勝手に結論付けて、彼女が口を開くのを待った。
彼女は相変わらず落ち着きなくうろうろと視線を彷徨わせ、ときたま口を開きかけてはまた閉じる、という一連の動作を繰り返している。
そしてついに、赤い顔を逸らせたまま、声を発した。
「あ、あの……」
「ん? 何?」
オレは期待に胸を熱気球のように膨らませながらも、クールさを忘れないよう勤めて応える。
彼女は、そんなオレに視線を合わせないようにしながら、右腕を少しだけ挙げ、蚊の鳴くような声で言った。
「社会の窓、開いてる」
――え?
身体中の血が下がっていくのに比例して、オレの視線も下がる。その先、ちょうど、彼女が挙げた手の指の延長線上に映ったのは、オレの履くチェック柄のパンツのほぼ中央から覗く、制服のシャツ……。
マジかっ!
慌ててファスナーを引っ張り上げる。その音に重なるようにして、彼女の走り去る足音が聞こえて来た……。
ぐっ……。
やっぱり梅雨なんて、大ッ嫌いだ!
ここまでお読みくださいまして、ありがとうございました。
雨の日の告白……になってないですかね? ホラ、『告白』って何も恋心を言うためだけに使う単語じゃないじゃないですか。胸に秘めていたことを言葉にして外に出すことを言うじゃないですか。
――え、やっぱりだめ?
まぁ、それはさておきまして。
久しぶりのライトノベル風味の文体は、書いていてとっても楽しかったです。ストーリーも複雑と言うわけじゃないので、遅筆な私でも割とサクサク進みました。
それにしても、2500文字ほどの短編企画のはずが、いつの間にやら延びに延びて、その約3倍、連載3回分となってしまいました。そうじさん、ホントすみません……。
企画に早々たる参加メンバーが揃う中、ついついコメディに走ってしまったこの物語が、ぽつねんと哀愁を帯びて浮いていないことを祈ります。
あ、そうそう。「社会の窓」って言葉、わからない方がいらっしゃったらすみません。
要するに、ズボンの前ファスナーです。私が子供の頃は「社会の窓」って表現をしていたんですけど、もしかしたら今はそんな言い方しないかもしれませんね。
それと、もう一つ。タイトルにある「うきよ」は「浮世|(憂き世)」と「雨季」とに掛けております。
改めて調べてみたら、『浮世』っていろんな意味があるんですよね。物語にもその言葉が持ついろいろな雰囲気が醸し出したいなって思って書きました。なーんとなく、感じ取っていただけたなら、作者がとっても喜びます。
最後にもう一度お礼をば。
最後までお読みくださいまして、本当にありがとうございました。
感想や評価などいただけると、とっても嬉しく思います。
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