第62話 御伽
御伽衆——という役職がある。
将軍や大名のそばに侍り、話し相手となる者たちのことだ。
武勇の誉れ高い将が、座敷に座って昔話をする。
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宗茂は、その役を——
複雑な気持ちで、受けていた。
戦場ではない。
馬上ではない。
槍を持つのでもない。
ただ——座って、話す。
「……これも、義か」
夜、一人で呟く。
答えは——出なかった。
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江戸城。
秀忠の居室。
宗茂は、呼ばれた。
「立花を——呼べ」
そう言ったのは、秀忠自身だという。
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広間ではなかった。
小さな部屋。
畳十枚ほど。
行灯が——一つ、灯っている。
静かな部屋だった。
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秀忠が、座っていた。
三十を過ぎた男。
家康の三男。
徳川の二代目将軍。
関ヶ原では——遅参した男。
その顔が——どこか、影を帯びていた。
「立花か」
「はい」
「座れ」
「御意」
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宗茂は、座る。
秀忠と——向き合う。
しばらく——
二人は、黙っていた。
行灯の火が——揺れる。
「……立花」
秀忠が、口を開く。
「はい」
「関ヶ原を——覚えているか」
「はい」
「あの時——俺は、遅参した」
「……はい」
「知っているか」
「聞いております」
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秀忠は——
行灯を、見る。
「父上には——叱られた」
「……」
「天下分け目の戦に——間に合わなかった」
「はい」
「今も——悔いている」
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宗茂は、秀忠を——見る。
この男は——正直だった。
将軍が、臣下に——悔いを語る。
珍しいことだった。
「……殿下」
「なんだ」
「俺も——関ヶ原に、間に合わなかった」
秀忠が、目を上げる。
「大津城を——攻めていたからです」
「そうだったな」
「間に合わなかった」
「ああ」
「しかし——」
宗茂は、言う。
「後悔は——ありません」
「なぜだ」
「やるべきことを——やったからです」
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秀忠は——
しばらく、宗茂を見ていた。
「……やるべきこと」
「はい」
「それは——なんだったんだ」
「高次を——生かすことです」
「敵将を」
「はい」
「なぜ——そこまで」
「約束したからです」
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秀忠は、首を傾ける。
「……約束だけで、動くのか」
「はい」
「損得は——考えないのか」
「考えません」
「なぜだ」
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宗茂は——
少し間を置く。
「教わったからです」
「誰に」
「二人の父に」
「……道雪と、紹運か」
「はい」
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秀忠の目が——
少し、変わる。
「……話してくれ」
「はい」
「道雪のことを」
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宗茂は——
行灯の火を、見る。
道雪の顔が——浮かぶ。
輿に乗ったまま、戦場を駆けた男。
落雷で足を失っても——槍を手放さなかった男。
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「道雪殿は——雷に打たれた男です」
「知っている」
「足が——動かなくなった」
「ああ」
「それでも——輿に乗って、戦場へ出た」
「ああ」
「なぜか——分かりますか」
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秀忠は——答えない。
宗茂が、続ける。
「民を——守るためです」
「……民を」
「はい」
「将軍が——民を守るのは当然だろう」
「はい」
「しかし——」
宗茂は、言う。
「足が動かなくても——出る、というところが」
「……」
「道雪殿でした」
「できない理由が——あっても」
「はい」
「やるべきことが——あれば、やる」
「……それを、学んだか」
「はい」
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秀忠は——
しばらく、黙っていた。
行灯の火が——揺れる。
「……紹運は」
「はい」
「岩屋城の——紹運は」
「俺の——実父です」
「知っている」
「七百で——三万を相手にした」
「はい」
「勝てないと——分かっていたはずだ」
「はい」
「それでも——戦った」
「はい」
「なぜだ」
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宗茂は——
答える前に、空を見る。
夜の江戸城の天井。
その向こうに——
筑前の空が、見える気がした。
岩屋城の炎が——見える気がした。
「……俺を——生かすためです」
静かに、言う。
「俺が——立花山城を動けなかった」
「はい」
「動けば——筑前が、島津に呑まれる」
「はい」
「だから——紹運殿が、岩屋城で時間を稼いだ」
「……父が、息子のために」
「はい」
「死んだのか」
「……死んでくれました」
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秀忠は——
目を閉じる。
長い間。
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「……お前は」
やがて、言う。
「その父の死を——どう受け取った」
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宗茂は——
答えない。
しばらく——
行灯の火を、見ていた。
「……生きろ、と」
静かに、言う。
「父の死が——そう言っていました」
「生きろ」
「はい」
「それだけか」
「それだけです」
「……お前は、生きた」
「はい」
「義のために——戦い続けた」
「はい」
「敗れても——生きた」
「はい」
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秀忠は——
目を開く。
宗茂を——見る。
「……誾千代は」
「はい」
「お前の妻だったな」
「はい」
「肥後で——死んだな」
「……はい」
「どんな女だった」
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宗茂は——
少し間を置く。
「怖い女でした」
秀忠が、目を細める。
「怖い——か」
「はい」
「近寄りがたい女でした」
「しかし——」
「しかし——」
一拍。
「誰よりも、正直な女でした」
「……正直」
「はい」
「俺が関ヶ原で西軍についた時——」
「ああ」
「手紙を、くれました」
「なんと書いてあった」
「……勝敗に拘らず、と」
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秀忠は——
その言葉を、受け取る。
しばらく——黙っていた。
「……それだけか」
「それだけです」
「批判も——心配も」
「一切、ありませんでした」
「……信頼していたのだな」
「はい」
「お前を」
「……もったいない女でした」
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行灯の火が——揺れる。
二人は——
しばらく、黙っていた。
その沈黙が——温かかった。
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「……立花」
秀忠が、言う。
「はい」
「お前は——今、何を望んでいる」
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宗茂は——
秀忠を、見る。
この男は——正直だ。
遅参を悔いている。
宗茂の話を——真剣に聞いている。
「……柳川へ——帰りたい」
正直に、言う。
「柳川」
「はい」
「九州の——」
「はい」
「お前が——改易された城か」
「はい」
「なぜ——そこへ帰りたい」
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宗茂は——
答える前に、懐を——押さえる。
誾千代の文が——そこにある。
「水は、待っています」
「……水が、待っているからです」
静かに、言う。
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秀忠は——
その言葉の意味を——
しばらく、考えていた。
やがて。
「……水が」
「はい」
「待っている」
「はい」
「……そうか」
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秀忠は、立ち上がる。
「今日は——ありがとう」
「恐れ入ります」
「また——来てくれ」
「御意」
「立花の話を——もっと聞きたい」
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宗茂は、頭を下げる。
部屋を、出る。
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廊下で——
夜の江戸城の空気が、冷たかった。
「……座敷で戦う、か」
小さく、呟く。
「これも——戦か」
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分からなかった。
しかし——
秀忠の目が、変わった。
話を聞く前と——聞いた後で。
何かが——
その目に、宿った気がした。
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「……道雪殿」
小さく、言う。
「言葉でも——雷は落とせますか」
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答えは——返らない。
しかし——
廊下の行灯が——
一度だけ、大きく揺れた。
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次回、第63話「大坂冬の陣」。




