第60話 江戸へ
江戸は、新しい町だった。
京とは——違う。
大坂とも——違う。
まだ、できあがっていない町。
あちこちで——槌の音がしていた。
材木が、運ばれている。
石が、積まれている。
「……作っているな」
宗茂は、馬上で言う。
「はい」
十時が、隣で答える。
「家康公が——天下を、作り直している」
「ああ」
「徳川の——江戸を」
「ああ」
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京の古い町並みとは——
何もかもが、違った。
秩序がある。
計算がある。
この町の一本一本の道に——
家康の意志が、通っていた。
「……恐ろしい男だ」
小さく、呟く。
「家康公が——ですか」
「ああ」
「関ヶ原から——もう、次を見ている」
「はい」
「戦が終わる前から——もう、次の百年を作っていた」
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十時が、静かに言う。
「……だから、勝ったのですね」
「ああ」
「殿とは——違う」
「そうだな」
「殿は——目の前の義のために動く」
「ああ」
「家康公は——百年先のために動く」
宗茂は、答えない。
江戸の町を——見ていた。
「……どちらが正しいとは——言えない」
やがて、言う。
「ただ——俺には、家康殿のようには生きられない」
「はい」
「それだけだ」
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徳川の屋敷。
通される。
広間。
家臣たちが、両側に並んでいる。
その視線が——宗茂に、集まる。
西軍の将。
関ヶ原の敗将。
浪人。
そういう目が——いくつか、あった。
しかし——
宗茂は、その視線を——真っ直ぐ、受けた。
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上座に——
徳川家康が、いた。
六十を過ぎた男。
肥えた体。
しかし——その目は、鋭かった。
天下を取った男の目。
百年先を——見ている目。
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「立花宗茂——参上」
宗茂が、頭を下げる。
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畳に——額をつける。
この瞬間を——宗茂は、何度も想像した。
屈辱か。
あるいは——
いや。
屈辱では、なかった。
「柳川へ帰るために——雷も、頭を下げる」
そう決めた時から——
この頭を下げることは、義の一つだった。
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「……面を上げよ」
家康の声が、響く。
低く。
しかし——重い声。
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宗茂は、顔を上げる。
家康と——目が、合う。
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家康は、宗茂を——
じっと、見ていた。
値踏みする目ではなかった。
測る目、でもなかった。
ただ——見ていた。
この男が、何者かを——確かめるように。
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しばらく——
広間が、静まり返る。
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「立花」
「はい」
「関ヶ原で——西軍についたな」
「はい」
「勝ち目がないと——分かっていたはずだ」
「はい」
「それでも——ついた」
「はい」
「なぜだ」
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宗茂は、答える。
「義のために」
短く。
しかし——重く。
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広間が——また、静まり返る。
家康の目が——
少し、動く。
「義」
「はい」
「秀吉への——義か」
「はい」
「秀吉は——死んでいたぞ」
「知っています」
「死んだ者への——義か」
「はい」
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家康は——
しばらく、宗茂を見ていた。
その目が——
何かを、考えていた。
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「……大津城を——落としたな」
「はい」
「高次を——助けたな」
「はい」
「なぜだ」
「約束したからです」
「約束」
「矢文で——一命を助けると」
「敵将に——約束を守ったか」
「はい」
「……島津義弘を——助けたな」
「はい」
「実父の仇だろう」
「はい」
「それでも——」
「敗軍を討つは、武家の誉れにあらず」
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家康は——
目を閉じる。
長い間。
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広間の家臣たちが——
静かに、宗茂を見ていた。
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やがて。
家康が、目を開く。
側近に——何かを、耳打ちする。
側近が、頷く。
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「立花」
「はい」
「お前は——恐ろしい男だな」
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宗茂は、答えない。
家康が、続ける。
「勝ち目がなくても——動く」
「はい」
「敵将を——助ける」
「はい」
「父の仇を——助ける」
「はい」
「全部——損だ」
「はい」
「損と分かって——やる」
「はい」
「なぜ——そういう男が、できる」
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宗茂は——
少し間を置く。
「二人の父に——育てられたからです」
「二人の父」
「立花道雪と——高橋紹運」
家康が、目を細める。
「雷神と——岩屋城の」
「はい」
「あの二人の——息子か」
「はい」
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家康は——
しばらく、宗茂を見ていた。
その目が——
初めて、柔らかくなった。
「……そうか」
小さく、言う。
「あの二人なら——そういう息子を作るかもしれん」
「はい」
「道雪は——落雷で足を失っても、戦場を離れなかった」
「はい」
「紹運は——七百で三万を相手にして、笑って死んだ」
「はい」
「その二人の義が——お前の中に、ある」
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宗茂は、答えない。
家康が、続ける。
「立花」
「はい」
「お前の義は——本物だ」
「……」
「関ヶ原で西軍についたことも」
「はい」
「高次を助けたことも」
「はい」
「義弘を助けたことも」
「はい」
「全部——本物の義だ」
一拍。
「だから——恐ろしい」
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宗茂は——
家康を、見る。
この男も——
義を、知っている。
天下を取るために、義を曲げてきた男が。
だからこそ——
本物の義が、分かる。
「……家康殿」
「なんだ」
「一つ——お願いがあります」
「言え」
「柳川へ——帰りたい」
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広間が——
また、静まり返る。
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家康は——
宗茂を、見る。
長い間。
その目が——
何かを、決めようとしていた。
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「……今は——まだ、早い」
やがて、言う。
「しかし——」
「はい」
「いつか——考えよう」
「……はい」
「お前の義は——覚えておく」
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宗茂は、頭を下げる。
「ありがとうございます」
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広間を、出る。
廊下で——十時と鎮幸が、待っていた。
「……どうでしたか」
十時が、聞く。
「いつか——考えると」
「いつか」
「ああ」
「……今すぐ、では」
「ない」
十時が、目を伏せる。
「そうですか」
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鎮幸が、腕を組む。
「しかし——」
「ああ」
「可能性は——あります」
「ある」
「ゼロでは——ない」
「ゼロでは、ない」
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宗茂は、江戸の空を——見上げる。
晴れていた。
京を出た朝と——同じ、冬の青い空。
「……待つぞ」
小さく、言う。
「水のように——待つ」
「はい」
「誾千代に——教わった」
「はい」
「待つことは——負けではない」
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鎮幸が、低く言う。
「……承知」
十時が、頷く。
「承知」
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江戸の空に——
冬風が、吹いていた。
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立花は——
待つ。
雷は——
消えていない。
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次回、第61話「棚倉」。




