第58話 喪失
三日が、過ぎた。
誾千代の報せが届いてから——三日。
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宗茂は、毎朝——起きていた。
食べていた。
十時や鎮幸と——言葉を交わしていた。
傍目には——変わらなかった。
しかし。
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夜になると——
眠れなかった。
床に就く。
目を閉じる。
誾千代の顔が——浮かぶ。
眠れない。
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四日目の夜。
宗茂は、床を出た。
文机に向かう。
誾千代の最後の文を——取り出す。
「水は、待っています」
几帳面な文字。
いつもと変わらない、几帳面な文字。
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「……几帳面な女だった」
小さく、言う。
誰にも——聞こえない声で。
「文字まで——几帳面だった」
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最初に会った時のことを——思い出す。
立花山城。
道雪の娘。
凛とした目。
乱れない姿勢。
「女城主」と呼ばれていた、その姿。
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宗茂は、その時——正直に思った。
怖い女だ、と。
近寄りがたい女だ、と。
しかし——
道雪が言った。
「誾千代は——強い子だ」
「強いが——孤独だ」
「お前が——そばにいてやれ」
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そばにいた。
ずっと——そばにいようとした。
朝鮮へ渡っている間も。
関ヶ原で離れている間も。
浪人になってからも。
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しかし——
誾千代は、肥後で死んだ。
宗茂のそばではなく。
柳川でもなく。
肥後で。
一人で。
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「……すまなかった」
小さく、言う。
「そばにいられなかった」
一拍。
「最後まで——そばにいると、言ったのに」
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雨が、降り始める。
窓を——雨が叩く。
京の冬の雨。
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宗茂は、文を——胸に当てる。
目を閉じる。
誾千代の声が——聞こえる気がした。
「花宗川が——待っていました」
柳川に帰った時の、あの声。
「帰ってきてください」
出陣の朝の、かすかに震えた声。
「水は——なくなりません」
開城の夜の、静かな声。
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全部——覚えていた。
一言も——忘れていなかった。
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「……声まで」
目を開く。
「几帳面に——覚えている」
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その時。
襖の外から——気配がした。
「殿——」
十時の声。
「起きていますよ」
宗茂が答える。
「……失礼します」
襖が、開く。
十時と鎮幸が——入ってくる。
二人とも、起きていた。
「眠れなかったか」
宗茂が聞く。
「……殿が眠れていないのに」
鎮幸が言う。
「俺たちが眠れるわけがありません」
「お前たちまで——」
「当然です」
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三人は——
並んで、座った。
文机の前。
誾千代の文が——一枚、置いてある。
「水は、待っています」
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十時が、静かに言う。
「……奥方は」
「ああ」
「最後まで——柳川を、想っていたのですね」
「ああ」
「殿のことも——」
「ああ」
「……羨ましい」
十時が、小さく言う。
「そこまで——想われる殿が」
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宗茂は、答えない。
文を——見ていた。
「十時」
「はい」
「誾千代は——怖い女だった」
十時が、目を細める。
「……そうですか」
「最初に会った時——近寄りがたかった」
「しかし——」
「しかし——」
一拍。
「誰よりも——正直だった」
「はい」
「勝敗に拘らず、と——一言で書いた」
「はい」
「水は、待っています、と——一言で書いた」
「はい」
「余計なことを——一切、書かなかった」
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宗茂は、文を折り直す。
懐に、仕舞う。
「……俺には、もったいない女だった」
静かに、言う。
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鎮幸が——
低く、言う。
「殿」
「なんだ」
「奥方は——」
「ああ」
「もったいないとは——思っていなかったと思いますよ」
「……そうか」
「はい」
「根拠は」
「ありません」
一拍。
「しかし——そういう女でしたから」
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宗茂は——
鎮幸を、見る。
この男は、いつも——核心を突く。
「……そうだな」
小さく、笑う。
初めて——三日ぶりに、笑った。
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雨が、続く。
三人は——
しばらく、黙っていた。
その沈黙が——不思議と、温かかった。
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やがて。
宗茂が、口を開く。
「十時」
「はい」
「鎮幸」
「はい」
「一つ——聞く」
「なんですか」
「柳川へ——帰りたいか」
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二人は——
顔を見合わせる。
やがて。
十時が、言う。
「……帰りたいです」
「そうか」
「花宗川を——もう一度、見たいです」
「ああ」
鎮幸が、続ける。
「俺も——帰りたいです」
「そうか」
「あの城で——もう一度、戦いたいです」
「……そうか」
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宗茂は、立ち上がる。
窓を——開ける。
冷たい雨が、顔に当たる。
京の夜の空が——暗い。
しかし——
その向こうに。
九州がある。
柳川がある。
花宗川が——流れている。
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「誾千代」
小さく、呟く。
「水は——待っていると、書いたな」
雨が、降る。
「……俺も、待っている」
「柳川へ——帰る日を」
「お前が待っている——あの水のほとりへ」
「必ず——帰る」
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窓を、閉じる。
振り返る。
十時と鎮幸が——見ていた。
「行くぞ」
「どこへ、ですか」
「江戸へ」
「……家康公に」
「ああ」
「頭を——下げるのですか」
「下げる」
一拍。
「柳川へ帰るためなら——何でもする」
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鎮幸が、立ち上がる。
「……承知」
十時が、立ち上がる。
「承知」
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雨が——
少し、強くなっていた。
しかし——
宗茂の目は、晴れていた。
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誾千代が——
待っている。
水が——
待っている。
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立花は——
まだ、終わっていない。
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次回、第59話「立花は、まだ終わらん」。




