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【なろう歴史月間100位!/日間18位】雷に打たれた軍神に拾われた少年、やがて西国無双になる ―立花宗茂戦記― 【完結済/一気読み推奨】  作者: 筑紫隼人
第四章「義の人」

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第56話 肥後の女

肥後の朝は、早かった。

鶏が鳴く前に——誾千代は、目を覚ます。

床の中で、しばらく——天井を見ていた。

体が、重かった。

このところ——ずっと、そうだった。

起き上がると、目が回る。

食が——細くなっていた。

「……また、か」

小さく、呟く。

誰にも——聞こえない声で。

起き上がる。

着物を、整える。

鏡を——見ない。

見れば——顔色が分かる。

顔色が分かれば——

所員たちが、心配する。

心配させるのは——

誾千代の性分に、合わなかった。

縁側に出る。

肥後の朝の空気が——冷たかった。

深く、息を吸う。

肺に——冷たい空気が入る。

「……柳川とは、違う」

小さく、言う。

柳川の朝は——水の匂いがした。

堀の水。

花宗川の水。

この肥後の空気には——その匂いが、ない。

加藤家の女中が、やってくる。

「誾千代様——朝餉の用意が」

「ありがとう」

「……お顔の色が」

「少し、眠れなかっただけです」

「お医者を——」

「大事ありません」

誾千代は、微笑む。

その笑顔に——

女中は、それ以上、言えなくなる。

朝餉を、少し食べる。

箸が——進まない。

しかし——

女中の目が、気になる。

無理に、口に運ぶ。

「……おいしい」

「本当ですか」

「本当です」

食べ終わって——

文机に、向かう。

宗茂への文を——書く。

毎月、書いていた。

柳川を出てから——ずっと。

筆を、取る。

「京は寒うございますか」

書く。

「こちらは——加藤様の御世話になり、息災にしております」

書いて——止まる。

息災。

その言葉を——見つめる。

嘘ではない。

死にかけているわけでは——ない。

しかし——

完全に、正直でもなかった。

「宗茂様のご無事を——毎朝、祈っております」

続ける。

「家臣の皆も——達者とのこと、安心しました」

「柳川の水は——今日も、流れているそうです。増時が、知らせてくれました」

筆が、止まる。

柳川。

水路。

花宗川。

増時からの文に——柳川の様子が書いてある。

城は、今、鍋島の管轄になっている。

しかし——水は、変わらず流れているという。

誾千代は、目を閉じる。

花宗川が——見える。

秋の光が、水面に散っている。

宗茂と並んで——立っていた川。

「また——二人で、ここに立てた」

あの日、宗茂が言った言葉。

目を、開く。

文机の前に——戻る。

筆を、走らせる。

「このところ、少し体の具合が優れません。大事にはありませんが、ご心配なきよう」

書いて——

その一行を、見る。

消そうか、と思う。

心配させたくない。

しかし——

宗茂に嘘は、つけなかった。

「勝敗に拘らず」と書いた時と——同じだった。

この人には——正直に、書く。

それだけでいい。

文を、折る。

封をする。

縁側に、戻る。

空を、見上げる。

冬の空。

高く、青い空。

「……宗茂様」

小さく、呟く。

「京は——寒いですか」

答えは、返らない。

風だけが、吹く。

その時。

女中が、水を持ってきた。

白湯だった。

「体に——よいそうです」

「ありがとう」

誾千代は、受け取る。

両手で、椀を包む。

温かかった。

水が——温かかった。

誾千代は、その水を——見ていた。

白湯の面が、静かに——揺れている。

「……水は」

小さく、言う。

「待っています」

柳川の水が——待っている。

花宗川が——待っている。

宗茂が帰ってくる日を。

立花が戻る日を。

待っている。

水は——いつも、待っている。

流れながら。

変わらず。

ただ、待っている。

誾千代は——

椀を、両手に包んだまま。

しばらく——目を閉じていた。

夜。

再び、文机に向かう。

今度は——別の文を、書く。

宗茂への——もう一通。

筆を、取る。

しばらく——白紙を、見ていた。

書きたいことは——たくさんあった。

柳川のこと。

道雪のこと。

花宗川のこと。

二人で並んで立った、あの朝のこと。

しかし——

筆を走らせると。

言葉が——一つに、絞られていく。

「水は、待っています」

それだけだった。

それだけで——

全てが、言えた気がした。

文を、折る。

封をする。

「……届くといいですね」

小さく、呟く。

誰に言うでもなく。

行灯の火が——揺れていた。

肥後の夜が——静かだった。

誾千代は、床に就く。

目を閉じる。

体が——重かった。

しかし——

心は、不思議と——軽かった。

言いたいことは——書いた。

伝えたいことは——伝えた。

あとは——

待つだけだった。

水のように。

次回、第57話「報せ」。

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