第55話 京
京は、冷たかった。
九州とは——違う冷たさ。
骨の芯まで染みてくる、底冷えの街。
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宗茂は、京の町を歩いていた。
浪人になって、半年が経つ。
熊本を発ち、京へ来た。
清正の食客として世話になり続けるのは——
この男の性分に、合わなかった。
「自分の食い扶持は、自分で稼ぐ」
それだけのことだった。
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しかし——
京での暮らしは、想像より厳しかった。
立花宗茂という名は、知られている。
西国無双。
関ヶ原で西軍についた男。
今は——浪人。
「仕官の口は——ありますか」
尋ねるたびに、相手の目が変わる。
値踏みする目。
同情する目。
あるいは——
「西軍の残党を、抱える余裕はない」
そういう目。
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十時が、戻ってくる。
「殿」
「どうだった」
「……今日も、駄目でした」
「そうか」
「五軒——当たりましたが」
「そうか」
十時が、目を伏せる。
「申し訳——」
「お前のせいではない」
「しかし——」
「十時」
宗茂が、言う。
「お前が謝ることは——何もない」
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借りている部屋は、狭かった。
四畳半。
宗茂と十時と鎮幸の三人で、使っていた。
他の家臣たちは——近くの長屋に、分かれて暮らしていた。
「皆——食えているか」
「……なんとか」
「なんとか、か」
「はい」
「正直に言え」
十時が、少し間を置く。
「……厳しいです」
「そうか」
「しかし——誰も、文句を言いません」
「……そうか」
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鎮幸が、夕方に帰ってくる。
風呂敷を、抱えていた。
「……何だ、それは」
宗茂が聞く。
「米です」
「どこで」
「……働いてきました」
「働いた」
「荷運びを——少し」
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宗茂は、鎮幸を見る。
立花の先鋒を務めた男が。
戦場で笑える男が。
京の町で——荷を運んでいる。
「……鎮幸」
「なんですか」
「すまない」
「何が、ですか」
「お前に——そんなことをさせている」
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鎮幸は——
風呂敷を、下ろす。
宗茂を、見る。
「殿」
「なんだ」
「荷運びの何が——恥ずかしいのですか」
「……」
「民は、毎日やっています」
「そうだが——」
「俺は今——民と同じです」
一拍。
「それの、どこが悪いのですか」
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宗茂は、答えない。
鎮幸が、続ける。
「殿が——民のために城を開けた」
「ああ」
「民と同じ暮らしを——するのは」
「……」
「当然ではないですか」
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宗茂は——
しばらく、鎮幸を見ていた。
「……お前は」
「なんですか」
「昔から——そういう男だな」
「どういう男ですか」
「核心を——突く」
鎮幸は、腕を組む。
「褒め言葉として——受け取ります」
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その夜。
文が、届いた。
誾千代からだった。
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「京は寒うございますか。こちらは——加藤様の御世話になり、息災にしております」
几帳面な文字が、並んでいる。
「宗茂様のご無事を——毎朝、祈っております」
「家臣の皆も——達者とのこと、安心しました」
「柳川の水は——今日も、流れているそうです。増時が、知らせてくれました」
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宗茂は、文を読む。
一度。
また、一度。
「……達者か」
小さく、呟く。
十時が、隣で言う。
「奥方から——ですか」
「ああ」
「……よかった」
「ああ」
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文の最後に——
一行、付け加えられていた。
「このところ、少し体の具合が優れません。大事にはありませんが、ご心配なきよう」
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宗茂は——
その一行を、見る。
しばらく——見ていた。
「……大事にはない、か」
「殿——」
「大事にはない、と書いている」
「はい」
「誾千代が——そう書くなら」
「はい」
「大事にはない、のだろう」
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しかし——
筆を取る。
返文を、書く。
「体の具合が優れないとのこと——無理をするな。医者に診てもらえ」
書いて——止まる。
「こちらは——達者だ。家臣たちも、共にいる」
「必ず帰る。それまで——待っていてくれ」
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筆を、置く。
文を、折る。
「……待っていてくれ」
小さく、もう一度、呟く。
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翌月。
報せが、来た。
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加藤清正——死去。
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宗茂は、報せを——
黙って、聞いた。
「……清正殿が」
十時が、言う。
「はい」
「いつだ」
「先月——慶長十六年、六月のことです」
「そうか」
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しばらく——
誰も、口を開かなかった。
四畳半の部屋が——
静まり返っていた。
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「……開城を、勧めに来た男だった」
宗茂が、言う。
「はい」
「嘘をつかない男だった」
「はい」
「仕官の口は約束できない、と——正直に言った」
「……はい」
「それでも——世話をしてくれた」
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宗茂は、目を閉じる。
清正の顔が——浮かぶ。
「変わらないな」と言った顔。
「強いな——というより、揺れない」と言った顔。
「……義のある男だった」
小さく、言う。
「秀吉公への恩を——最後まで抱えていた」
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十時が、静かに言う。
「……清正殿がいなくなれば」
「ああ」
「後ろ盾が——」
「なくなる」
「はい」
「分かっている」
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宗茂は、目を開く。
窓の外——
京の空が、見えた。
灰色の、冬の空。
「……それでも」
前を——向く。
「立花は——まだ、ここにある」
「はい」
「清正殿の分まで——生きる」
「……はい」
「必ず——柳川へ帰る」
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鎮幸が、低く言う。
「……承知」
十時が、頷く。
「承知」
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京の空に——
冬風が、吹いていた。
冷たく。
しかし——
宗茂は、その風を——
正面から、受けていた。
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次回、第56話「肥後の女」。




