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雷に打たれた軍神に拾われた少年、やがて西国無双になる ―立花宗茂戦記―  作者: 筑紫隼人
第四章「義の人」

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第51話 江上の陣

夜明け前。

柳川城の庭に——霧が出ていた。

花宗川の水面が、白く霞んでいる。

昨日まであれほど穏やかだった水が——今朝は、冷たく光っていた。

葦が、風に揺れる。

遠くで、水鳥が鳴く。

それだけが——静かな朝だった。

宗茂は、具足を身に着けながら——庭を見ていた。

五日前、この庭で誾千代と並んで立った。

花宗川を、二人で見た。

「また——二人で、ここに立てた」

そう言った。

その川が——今朝は、霧に沈んでいる。

「殿」

十時が、廊下から声をかける。

「鎮幸が——揃っております」

「分かった」

兜の緒を、締める。

立ち上がる。

廊下に出ると——

誾千代が、立っていた。

具足姿の宗茂を——真っ直ぐ、見ていた。

「……誾千代」

「はい」

「起きていたのか」

「眠れませんでした」

二人は、向き合う。

誾千代の目が——揺れない。

いつもと同じ、凛とした目。

しかし——

その目が、宗茂の顔を、ゆっくりと見ていた。

額から。

目から。

口元から。

まるで——刻み込むように。

「……行ってきます」

「はい」

誾千代は、答える。

「ご武運を」

それだけだった。

それだけで——十分なはずだった。

宗茂は、踵を返す。

一歩。

二歩。

「宗茂様」

誾千代の声が、背中にかかる。

宗茂は、足を止める。

振り返らない。

「……なんだ」

「一つ——聞いてもよいですか」

「……ああ」

「勝てますか」

宗茂は——

しばらく、答えない。

廊下の板が、冷たかった。

霧の匂いが、漂っていた。

「……分からない」

正直に、言う。

「鍋島は——強い」

「はい」

「直茂殿は——老獪だ」

「はい」

「だが——」

一拍。

「立花が、弱いわけでもない」

誾千代は——

しばらく、黙っていた。

「……そうですね」

静かに、言う。

「父上の兵法を——受け継いでいます」

「ああ」

「紹運様の意地も——」

「ああ」

「立花は——負けません」

宗茂は、振り返る。

誾千代が——

まだ、そこに立っていた。

その目が——

一瞬だけ、揺れた。

ほんの一瞬。

すぐに——元に戻る。

「帰ってきてください」

誾千代が、言う。

「必ず」

その声が——

かすかに、震えていた。

普段の誾千代の声では、なかった。

宗茂は——

その声を、胸の中に、仕舞う。

「ああ」

一言だけ。

踵を返す。

今度は——振り返らない。

城門を、出る。

霧の中に——立花の旗が、並んでいた。

小野鎮幸が、前に出る。

五十を過ぎた男。

しかし——その目は、二十の武者のように燃えていた。

道雪の頃から立花に仕えた男。

誰よりも早く駆け、誰よりも深く切り込む。

立花の「攻め」の象徴。

「殿」

「鎮幸」

「先鋒——お任せください」

「ああ」

「鍋島ごとき——立花の敵ではありません」

宗茂は、鎮幸を見る。

この目だ。

いつも、この目をしている。

戦場に出ると——他の何も見えなくなる目。

「鎮幸」

「はい」

「突出するな」

「……はい」

「深追いするな」

「はい」

「分かったか」

鎮幸は——

少し間を置いて。

「承知」

その目が——まだ、燃えていた。

江上の野。

霧が——まだ、残っていた。

鍋島軍の旗が、霧の向こうに見える。

「丸に剣花菱」の旗印。

鎮幸は、馬上で前を見ていた。

「……来たな」

隣の家臣が言う。

「ああ」

「直茂自ら——ですか」

「旗印からすれば——そうだ」

「相当な兵数です」

「見れば分かる」

鎮幸は、刀の柄に手をかける。

鍋島直茂。

九州の雄。

しかし——

立花に勝てるか。

「……かかれ!」

立花の先鋒が、動く。

霧を裂いて——駆ける。

鍋島の前列が、銃を構える。

「撃て!」

銃声が、野に響く。

煙が、立ち上る。

先頭の兵が、倒れる。

しかし——鎮幸は、止まらない。

「怯むな! 立花の名を——見せろ!」

鎮幸の槍が、鍋島の前列を——薙ぐ。

一人。二人。三人。

「押せ! 押せ!」

鍋島の前列が——崩れる。

退く。

また退く。

「……逃げるか!」

鎮幸の目が、光る。

「追え!」

家臣の一人が、叫ぶ。

「鎮幸様——深追いは!」

「黙れ! 今こそ——」

「罠かもしれません!」

「立花が——ここで退くか!」

鎮幸は、構わない。

駆ける。

駆ける。

鍋島の旗が——遠くなる。

遠くなる。

やがて——

気づく。

周囲が、静かになっていた。

霧の中。

左右から——旗が、現れる。

鍋島の旗。

前からも——旗が、現れる。

釣り野伏せ。

「……やられた」

「鎮幸様! 包囲されます!」

「……」

鎮幸は、馬を止める。

前。後ろ。左。右。

鍋島の兵が——じわじわと、迫ってくる。

霧の中から——旗が、増えていく。

鎮幸は——

笑った。

「……さすがは、直茂」

低く、呟く。

「老獪な男だ」

一拍。

「島津と同じ——釣り野伏せか」

刀を、抜く。

「だが——」

馬上で、構える。

「立花の武を——見せてやる」

城内。

宗茂は、物見台に立っていた。

遠く——江上の方角から、煙が上がっている。

銃声が——風に乗って、聞こえてくる。

「……始まったか」

十時が、隣で言う。

「はい」

「鎮幸は——」

「先鋒として、押しているとの報せです」

「そうか」

「……殿は、行かないのですか」

宗茂は、答えない。

煙を——見ていた。

「行けば——」

十時が、口を閉じる。

「家康への申し開きが、できなくなる」

「……はい」

「立花が——完全に、潰れる」

「はい」

「分かっている」

しかし——

煙が、上がっている。

家臣たちが、あの野で戦っている。

鎮幸が——駆けている。

「……分かっていても」

宗茂の拳が——

固く、握られた。

その時。

報せが、来た。

「殿——!」

使者の顔が——蒼白だった。

「鎮幸様が——包囲されました」

宗茂は——

目を閉じる。

一拍。

「……鎮幸が」

「はい」

「突出したか」

「……はい」

「言ったのに」

煙が、増えていた。

江上の野の——煙が。

「……行く」

「殿!」

「行く」

「しかし——政治的に——」

「家臣が死ぬのを——黙って見ていられるか」

十時は——

一瞬、黙る。

やがて。

「……承知」

「馬を——」

「すでに、用意してあります」

宗茂は、十時を見る。

「……分かっていたか」

「殿が——黙って見ていられる方なら」

十時が、静かに言う。

「立花の家臣には、なりません」

城門が、開く。

宗茂が——駆ける。

立花の旗が——霧の中へ、消えていく。

廊下から——

誾千代が、その背を見ていた。

何も——言わない。

ただ——見ていた。

その手が、柱を——静かに、握った。

指が、白くなるほど。

花宗川が——流れていた。

霧の中を。

変わらず。

ただ、流れていた。

江上の野に——

立花宗茂の旗が、現れる。

次回、第52話「八院の決戦」。

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