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雷に打たれた軍神に拾われた少年、やがて西国無双になる ―立花宗茂戦記―  作者: 筑紫隼人
第四章「義の人」

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第50話 宋雲院

柳川が、見えた。


水路が——光っている。


秋の日差しが、堀の面を白く染めていた。


葦が、風に揺れる。


岸に並ぶ柳の木が、枝を垂らして水面に触れそうになっている。


何も——変わっていなかった。


関ヶ原で天下が動いた。


西軍が潰えた。


立花が敗れた。


それでも、この水は、変わらず流れていた。



「……柳川だ」


宗茂は、舳先に立つ。


風が、顔に当たる。


潮の匂いから——水草の匂いに変わっていた。


九州の匂い。


柳川の匂い。


「帰ってきた」


誰に言うでもなく、呟く。



十時が、隣に立つ。


「……長かったですね」


「ああ」


「朝鮮から数えれば——」


「長かった」


十時は、水路を見る。


「変わっていませんね」


「そうだな」


「……柳川は、待っていてくれましたね」


宗茂は、答えない。


ただ——水面を、見ていた。



船が、岸に着く。


綱が投げられ、杭に結ばれる。


家臣たちが、次々と降りていく。


宗茂は、最後に降りた。


足が、土を踏む。


柳川の土。



宋雲院が、宗茂の手を借りて岸に立つ。


大坂から連れ出した時よりも、顔色が良くなっていた。


船旅の疲れはあるだろう。


それでも——目が、穏やかだった。


「……懐かしい匂いだ」


宋雲院が、深く息を吸う。


「はい」


「水の匂い。柳川の」


「母上——」


「宗茂」


宋雲院が、宗茂を見る。


その目が——


じっと、息子の顔を見ていた。


出陣の時より、少し痩せた顔。


戦場を駆け抜けた目。


「……よく、帰ってきた」



宗茂は、答えない。


ただ——頷いた。


それだけで——十分だった。



城門をくぐる。


家臣たちが、道の両側に並んで頭を下げている。


柳川に残った者たち。


薦野増時が、その先頭に立っていた。


「……お帰りなさいませ」


増時の声が、かすかに震えていた。


「増時」


「はい」


「柳川を——頼んだな」


「はい」


「守ってくれたか」


「……はい」


増時が、顔を上げる。


その目が——赤かった。


「立花の城は——まだ、ここにあります」



宗茂は、増時の肩を——一度、叩く。


言葉は、なかった。


それだけで——増時には、届いたはずだった。



廊下を、歩く。


板張りの廊下。


柳川城の廊下。


足音が、響く。


朝鮮の土の上では聞けなかった音。


大坂城の混乱の中では聞けなかった音。


自分の城の、廊下の音。



庭に出た。


花宗川が、流れていた。


出兵の前、誾千代と並んで見た川。


「帰ったら、また二人でここに立とう」


あの日、言えなかった言葉を——宗茂は胸の中で反芻する。



誾千代が、そこにいた。



川岸に——立っていた。


宗茂に気づいて——振り返る。


その顔が、いつもと変わらない。


凛とした目。


乱れない姿勢。


立花の女城主。


道雪の娘。



宗茂は、足を止める。


誾千代も——止まっている。


庭の向こう。


花宗川の水音だけが、二人の間に流れていた。


しばらく——


誰も、動かなかった。



先に口を開いたのは、誾千代だった。


「……お帰りなさいませ」


静かな声。


いつもと——変わらない声。


関ヶ原で負けても。


柳川が危うくなっても。


この女は——揺れない。


宗茂は、そう思っていた。



「ただいま」


宗茂が、言う。



それだけだった。



誾千代は——


宗茂を、見ていた。


出陣の朝に見送ったその顔を。


朝鮮へ渡り、関ヶ原へ向かい、大坂を脱して帰ってきた男の顔を。


ただ——見ていた。



やがて。


一筋。


頬を、伝った。



誾千代は、拭わない。


表情も——変えない。


ただ立っている。


まるで——気づいていないように。


まるで——当然のことであるように。



「……勝敗に拘らず、と」


宗茂が、言う。


「書いたな」


「はい」


「読んだ」


「……はい」


「伊勢の野営で——読んだ」


「……はい」


「助かった」



誾千代は、答えない。


もう一筋——


頬を、伝う。


それでも——


声は、静かだった。



「花宗川が——待っていました」



水が、流れる。


風が、吹く。


柳の枝が、揺れる。


宗茂は——


その言葉を、胸の中で転がした。


待っていた。


川も。


誾千代も。



「……そうだな」


宗茂は、川を見る。


「俺も——ここへ帰りたかった」


「はい」


「ずっと」


「……はい」


「朝鮮でも。大津でも。大坂でも」


「はい」


「柳川のことを——考えていた」



誾千代は、川を見る。


二人で——並んで、川を見る。


水が、流れる。


秋の光が、水面に散る。



「また——二人で、ここに立てた」


宗茂が、言う。


誾千代は、答えない。


ただ——


小さく、頷いた。



後ろで、気配がした。


宋雲院が——廊下から、庭を見ていた。


二人の後ろ姿を——


静かに、見ていた。


その目が——


そっと、細くなる。


袖を、口元に当てる。



柳川の水が——流れていた。



夜。


陣の間。


十時が、報せを持ってくる。


「殿」


「なんだ」


「……鍋島直茂殿の軍が、動いています」


「方角は」


「柳川へ——向かっているかと」


「兵数は」


「まだ——はっきりとは。しかし、相当数かと」



宗茂は、地図を広げる。


柳川の周囲。


水路。


城の配置。


「……来るか」


「はい」


「直茂殿が、自ら動くか」


「……家康公の意を——受けているかと」



宗茂は、地図を見たまま——


しばらく、黙っていた。


花宗川の水音が——遠くに聞こえる。


誾千代の声が——耳に残っている。


待っていました。



「……分かった」


宗茂が、顔を上げる。


「迎え撃つ」


「はい」


「立花は——まだ、終わっていない」


十時が、頷く。


「承知」



立花の旗が——


夜風に、揺れていた。

あとがき


「花宗川が——待っていました」


次回、第51話「江上の陣」。

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【2日で500PV突破!】西国無双・立花宗茂、その圧倒的武勇と義理を貫いた生涯を描く本格戦記。雷神・道雪に拾われた少年が、乱世を駆け抜ける!
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