第48話 大阪城
大坂城が、見えた。
天守が——秋の空に、聳えている。
秀吉が建てた城。
天下人の城。
その城が——今、敗軍の城になっていた。
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城門をくぐる。
城内が——違った。
来たことがある。
秀吉存命の頃、この城に登城した。
廊下には活気があった。諸将の声があった。天下の中心にいる熱があった。
今は——
人が、右往左往している。
目が、虚ろだった。
どこへ行けばいいか分からない目。
何をすべきか分からない目。
「……負けた城とは、こういうものか」
宗茂は、小声で言う。
十時が、隣で答えない。
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廊下を歩く。
武将たちが、声をひそめて話し合っている。
「家康が動けば——」「もはや西軍は——」「早く東軍に——」
宗茂は、その中を——真っ直ぐ歩く。
立ち止まらない。
誰とも目を合わせない。
「毛利輝元殿の——御前へ」
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大広間。
諸将が、並んでいる。
その顔が——一様に暗かった。
輝元が、上座にいる。
五十を過ぎた男。
毛利の当主。
西軍の総大将として担ぎ上げられ——
そして今、敗軍の将として座っている。
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宗茂は、前に出る。
「立花宗茂、参上」
輝元が、顔を上げる。
「立花——大津城は」
「落としました」
「そうか」
「高次は——生かしました」
輝元が、小さく頷く。
「……ご苦労だった」
その声に——
覇気がなかった。
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宗茂は、広間を見渡す。
諸将の顔。
疲れた顔。諦めた顔。
次の身の振り方を——すでに考えている顔。
「輝元殿」
「なんだ」
「申し上げたいことが——あります」
輝元の目が、動く。
「……言え」
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「籠城を——お願いしたい」
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静寂。
誰かが、息を飲む。
「籠城——」
輝元が、繰り返す。
「はい」
「関ヶ原は——負けたぞ」
「知っています」
「家康が——動いてくる」
「知っています」
「それでも——」
「大坂城は、堅い」
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宗茂は、続ける。
「兵糧は——まだあります」
「……ある」
「城の守りは——十分です」
「……そうだな」
「籠城すれば——家康も、簡単には攻められない」
輝元は、黙っている。
「その間に——諸将を糾合する」
「諸将は——すでに、東軍に降っている」
「全員では——ない」
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広間が——静まり返る。
宗茂は、輝元を見る。
輝元は——
地を見ていた。
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「輝元殿」
「……なんだ」
「岩屋城を——覚えていますか」
輝元が、顔を上げる。
「……高橋紹運の」
「はい」
「七百で——三万を相手にした」
「はい」
「勝てない戦でも——意地を見せることができる」
「……」
「それが——後の世に、残ります」
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広間が——
しばらく、静かだった。
諸将の誰も、口を開かない。
宗茂の言葉が——空気の中に、漂っていた。
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輝元は——
目を閉じる。
長い間。
その顔に、何かが過ぎった。
迷いか。
痛みか。
あるいは——かつて抱いていた、何かへの惜別か。
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やがて。
「……立花」
「はい」
「気持ちは——分かる」
「輝元殿——」
「だが」
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輝元が、顔を上げる。
その目が——疲れていた。
戦の疲れではない。
もっと深いところの、疲れだった。
「これ以上——血を流したくない」
「……」
「民が、苦しむ」
「はい」
「兵が、死ぬ」
「……はい」
「私が籠城を続ければ——大坂の町が、戦場になる」
一拍。
「それだけは——」
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宗茂は、答えない。
輝元の言葉が——
間違っているとは、言えなかった。
義のために戦うことと、血を流さぬために折れること。
どちらも——正しかった。
どちらも——武将の、一つの答えだった。
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「……恭順する」
輝元が、言う。
静かに。
しかし——決然と。
「家康に——頭を下げる」
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広間が——静まり返る。
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宗茂は——
目を閉じる。
一拍。
「……承知しました」
頭を、下げる。
これ以上、言うことはなかった。
言えることも、なかった。
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広間を出る。
廊下に出た途端——
城の空気が、変わっていた。
さっきよりも、重かった。
あるいは——
宗茂自身の中に、何かが沈んだのかもしれなかった。
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十時が、廊下で待っていた。
「……どうでしたか」
「恭順する、と」
十時が、目を伏せる。
「そうですか」
「ああ」
しばらく——
二人は、廊下に立っていた。
城の外から——風の音が聞こえてくる。
「……十時」
「はい」
「輝元殿は——正しいか」
十時は、少し考える。
「……正しいと、思います」
「そうだな」
「殿も——正しい」
「そうか」
「二人とも——正しい」
一拍。
「だから——難しい」
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宗茂は、廊下から庭を見る。
大坂城の庭。
秀吉が愛でた庭。
今は——誰も、見ていない庭。
「……秀吉公」
小さく、呟く。
「あなたが——いれば」
答えは、返らない。
風だけが、吹く。
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その時。
使者が、来る。
「立花殿——」
「なんだ」
「大坂城に——人質がいる者は」
「……」
「家康の命で——抑留されます」
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宗茂の目が、鋭くなる。
「母が——いる」
「宋雲院様——はい」
「島津義弘殿の——内室も」
「はい」
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宗茂は、十時を見る。
十時が、頷く。
言葉はいらなかった。
「鶴田と風斗を——呼べ」
「すでに——呼んであります」
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夜。
大坂城の裏手。
松明が少ない場所を、選んで歩く。
足音を、殺す。
「急ぐが——急ぎすぎるな」
「はい」
「人目を——引くな」
「はい」
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宋雲院の部屋に、辿り着く。
襖を、開ける。
宋雲院が——起きていた。
「宗茂——」
「母上、急いでください」
「……来てくれたか」
「はい」
「分かっていた」
宋雲院が、静かに立ち上がる。
「お前が——必ず来ると」
「話は——後で」
「ええ」
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島津義弘の内室も——見つける。
「義弘殿の奥方だ。連れていく」
十時が、小声で言う。
「……父上の仇の」
「構わない」
短く。
「義理は——返す」
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一行が、城を出る。
夜の大坂を——急ぐ。
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関所。
番卒が——立っている。
「止まれ」
宋雲院の顔を——見る。
「この方は——抑留の——」
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宗茂の目が、変わる。
「退け」
低く。
しかし——重い。
「立花宗茂が——通る」
番卒が、動かない。
槍を、構える。
「退けと——言った」
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番卒の目に——
何かが、宿る。
恐怖、ではない。
この男が——本気だという、確信。
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「踏み殺して——馳せ過ぎよ」
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馬が、動く。
一行が——関所を、抜ける。
番卒が——道を開ける。
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走る。
港へ。
船へ。
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船が、出る。
大坂の灯りが——遠くなる。
遠くなる。
やがて——霞の向こうに、消える。
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宗茂は、甲板に立つ。
夜の海が——暗い。
波が、船を揺らす。
「……終わった」
十時が、隣に立つ。
「はい」
「関ヶ原が——」
「はい」
「西軍が——」
「はい」
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宗茂は、波を見る。
輝元の目が——浮かぶ。
疲れた、深いところの疲れ。
あの目は——何を見ていたのか。
「……輝元殿」
小さく、呟く。
「あなたも——義のために、折れた」
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波が、揺れる。
「それでも——」
宗茂は、前を向く。
「立花は——まだある」
「柳川が——ある」
「帰るぞ」
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船が——西へ向かう。
夜の瀬戸内を——進んでいく。
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次回、第49話「島津義弘と共に」。




