第47話 西軍、崩れる
夜明け前。
大津を、出る。
立花の旗が——大坂へ向かう。
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道が、変わっていた。
来る時とは——違う。
敗軍の兵が、道を歩いている。
旗を失った者。武具を捨てた者。
目が——虚ろだった。
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「……負けたんだな」
十時が、小声で言う。
「ああ」
「これほど——」
「ああ」
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宗茂は、その兵たちを——見る。
止まらない。
声もかけない。
ただ——見る。
「……気の毒だな」
「はい」
「だが——」
「はい」
「立ち止まれない」
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行軍を、続ける。
大坂へ。
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大坂城。
城門をくぐる。
城内が——混乱していた。
諸将が、右往左往している。
「どうする」「どこへ行く」「家康が——」
声が、飛び交う。
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宗茂は、その中を——真っ直ぐ歩く。
「毛利輝元殿の——御前へ」
「立花宗茂、参上」
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輝元の前。
大広間。
諸将が、並んでいる。
その顔が——一様に、暗い。
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輝元が、宗茂を見る。
「立花——大津城は」
「落としました」
「そうか」
「高次は——生かしました」
輝元が、頷く。
「……ご苦労だった」
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宗茂は、前に出る。
「輝元殿」
「なんだ」
「申し上げたいことが——あります」
輝元の目が——動く。
「言え」
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宗茂は、広間を見渡す。
諸将の顔。
疲れた顔。諦めた顔。
そして——輝元の顔。
「……籠城を——お願いしたい」
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静寂。
誰かが、息を飲む。
「籠城——だと」
「はい」
「関ヶ原は——負けたぞ」
「知っています」
「家康が——動いてくる」
「知っています」
「それでも——」
「大坂城は——堅い」
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宗茂は、続ける。
「兵糧は——まだあります」
「……ある」
「城の守りは——十分です」
「……そうだな」
「籠城すれば——家康も、簡単には攻められない」
「……」
「その間に——諸将を糾合する」
「諸将は——すでに、東軍に降っている」
「全員では——ない」
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輝元は、黙っていた。
広間が——静まり返る。
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「立花」
「はい」
「お前は——負けを知らんのか」
「……知っています」
「関ヶ原で——西軍は潰えた」
「はい」
「もはや——」
「輝元殿」
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宗茂が、輝元を見る。
「岩屋城を——覚えていますか」
輝元が、目を細める。
「……高橋紹運の」
「はい」
「七百で——三万を相手にした」
「はい」
「勝てない戦でも——意地を見せることが、できる」
「……」
「それが——後の世に、残ります」
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広間が——
しばらく、静かだった。
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輝元は——
目を閉じる。
長い間。
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やがて。
「……立花」
「はい」
「気持ちは——分かる」
「輝元殿——」
「だが」
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輝元が、顔を上げる。
その目が——疲れていた。
「これ以上——血を流したくない」
「……」
「民が、苦しむ」
「はい」
「兵が、死ぬ」
「……はい」
「それだけは——」
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宗茂は、答えない。
輝元の言葉が——
間違っているとは、言えなかった。
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「……恭順する」
輝元が、言う。
「家康に——頭を下げる」
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静寂。
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宗茂は——
目を閉じる。
一拍。
「……承知しました」
頭を、下げる。
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広間を、出る。
十時が、廊下で待っていた。
「……どうでしたか」
「恭順する、と」
十時が、目を伏せる。
「そうですか」
「ああ」
「……殿は」
「なんだ」
「悔しくは——ないですか」
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宗茂は——
廊下から、城の庭を見る。
秋の木が——葉を落としている。
「悔しい」
静かに、言う。
「ですが——」
「輝元殿の言葉も——分かる」
「……はい」
「これ以上、血を流したくない」
「それは——」
「正しい気持ちだ」
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十時は、黙る。
宗茂が、続ける。
「だが——」
「はい」
「立花は——まだ、戦える」
「はい」
「柳川が——ある」
「……はい」
「帰るぞ」
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その時。
使者が、来る。
「立花殿——」
「なんだ」
「大坂城に——人質がいる者は」
「……」
「家康の命で——抑留されます」
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宗茂の目が、鋭くなる。
「母が——いる」
「宋雲院様——はい」
「島津義弘殿の——内室も」
「はい」
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宗茂は、十時を見る。
十時が、頷く。
「……動きます」
「ああ」
「今夜——」
「ああ」
「人目を——避けて」
「鶴田と風斗を——呼べ」
「承知」
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夜。
大坂城の裏手。
松明が——少ない場所を、選ぶ。
「急ぐ」
小声で、言う。
「はい」
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宋雲院を——見つける。
「母上」
「宗茂——」
「急いでください」
「……どこへ」
「柳川へ——帰ります」
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島津義弘の内室も——連れる。
「義弘殿の——奥方だ」
十時が、言う。
「父上の仇の——」
「構わない」
短く。
「義弘殿には——世話になった」
「露梁で」
「ああ」
「……義理は、返す」
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一行が、城を出る。
夜の大坂を——急ぐ。
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関所。
番卒が——立っている。
「止まれ」
「……」
宋雲院を——抑留しようとする。
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宗茂の目が——変わる。
「退け」
低く。
しかし——重い声。
番卒が、動かない。
「退けと——言った」
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「踏み殺して——馳せ過ぎよ」
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一行が——関所を、破る。
番卒が——道を開ける。
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走る。
港へ。
船へ。
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船が、出る。
大坂の灯りが——遠くなる。
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宗茂は、甲板に立つ。
大坂城が——霞の向こうに消えていく。
「……終わったか」
十時が、隣に立つ。
「はい」
「関ヶ原が——」
「はい」
「西軍が——」
「はい」
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一拍。
「だが——」
「はい」
「立花は——まだある」
「はい」
「柳川が——ある」
「はい」
「誾千代が——待っている」
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波が、船を揺らす。
夜の海が——暗い。
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だが——
宗茂は、前を向いていた。
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柳川へ。
帰る。
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そして——
また、戦う。
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立花は——
まだ、終わっていない。
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次回、第48話「島津義弘と共に」——実父の仇と、肩を並べて帰る。
あとがき
輝元への進言が退けられる場面を、この話の核心として書きました。
宗茂は「籠城せよ」と言う。輝元は「これ以上血を流したくない」と言う。どちらも——正しい。その二つの正しさがぶつかって、宗茂が折れる。「承知しました」の一言に、この男の器の大きさが出ていると思います。
「踏み殺して馳せ過ぎよ」は史実にある言葉です。普段は静かな宗茂が、母を守るために怒りを見せる。珍しい場面として、短く、しかし強く描きました。
次の48話は島津義弘との帰還です。実父の仇と肩を並べて歩く——この矛盾をどう宗茂が受け止めるか。家臣たちの怒りをどう抑えるか。第四章の中でも、特に人間を描く回になります。
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