第46話 矢文
昼。
大津城の攻防が——続いていた。
銃声。矢。怒声。
だが——
宗茂の目は、城を見ていなかった。
高次の馬印を——見ていた。
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「世戸口」
「はい」
世戸口政真が、前に出る。
弓の達者。
立花家中で——最も、遠くへ届く男。
「あの馬印が——見えるか」
「……見えます」
「届くか」
世戸口は、馬印を見る。
しばらく——黙っていた。
「……届かせます」
「届くか、と聞いている」
「届かせます」
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宗茂は、世戸口を見る。
その目が——揺れていない。
「……そうか」
頷く。
「頼む」
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矢に——書状が括りつけられている。
「一命を助ける」
その一文だけ。
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世戸口が、弓を構える。
周囲が——静かになる。
兵たちが、固唾を飲む。
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風が、吹く。
世戸口が——風を読む。
息を、止める。
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放つ。
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矢が——空を裂く。
弧を描いて。
城壁を越えて。
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静寂。
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「……届いたか」
十時が、息を詰める。
誰も——答えない。
城の中が、見えない。
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しばらく——
動きがなかった。
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「……外れたか」
誰かが、呟く。
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その瞬間。
城内から——
声が、上がった。
「馬印に——当たった!」
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どよめき。
立花勢の間に——
静かな興奮が、広がる。
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宗茂は——
目を閉じる。
一拍。
「……よし」
それだけだった。
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十時が、言う。
「殿——」
「待て」
「はい」
「高次が——読む」
「……はい」
「読めば——分かる」
「何が、ですか」
「この書状が——本物かどうか」
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一刻。
また一刻。
攻城の音が——続く。
だが——
宗茂は、動かなかった。
待つ。
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やがて。
城から——使者が、出てきた。
白い布を——持って。
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「……来た」
十時が、言う。
「ああ」
「降伏の——使者です」
「ああ」
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使者が、宗茂の前に来る。
「京極高次様より——」
「聞く」
「立花殿の書状——確かに、受け取りました」
「そうか」
「……一命を、助けていただけますか」
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宗茂は、使者を見る。
「条件がある」
「はい」
「高次は——園城寺へ入れ」
「剃髪、ですか」
「ああ」
「……承知します」
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使者が、戻る。
十時が、宗茂を見る。
「……本当に、助けるのですね」
「約束した」
「敵将を」
「約束は——守る」
一拍。
「それだけだ」
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翌日。
城門が、開く。
高次が——出てきた。
剃髪した姿で。
静かに。
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宗茂は、高次の前に立つ。
二人が——向き合う。
高次は、宗茂を見る。
しばらく——黙っていた。
「……立花殿か」
「そうだ」
「若いな」
「そう言われる」
高次は——
小さく、笑った。
「矢文——驚いた」
「届いたか」
「馬印に——見事に」
「世戸口の腕だ」
「……なぜ、助ける」
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宗茂は、高次を見る。
「意地のある男を——殺すのは、惜しい」
高次は——
その言葉を、聞いた。
しばらく——
「……立花殿は」
「なんだ」
「変わった武将だな」
「そうか」
「褒め言葉だ」
⸻
宗茂は、一族の立花政辰を——人質として城中へ送る。
高次は、園城寺へ向かう。
その背を——宗茂は、見送る。
「……生きろ」
小さく、呟く。
誰にも——聞こえない声で。
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十時が、隣に立つ。
「大津城——落ちました」
「ああ」
「次は——」
十時が、言いにくそうに。
「関ヶ原の——報せを、待ちますか」
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宗茂は、空を見る。
秋の空。
「……もう、動いているかもしれない」
「はい」
「間に合わない」
「……はい」
「分かっていた」
「はい」
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風が、吹く。
琵琶湖の波の音が——遠くで、聞こえる。
「殿」
十時が、言う。
「なんだ」
「……後悔は、ありますか」
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宗茂は——
しばらく、空を見ていた。
「ない」
静かに、言う。
「大津城を——落とした」
「はい」
「高次を——助けた」
「はい」
「やるべきことを——やった」
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一拍。
「それだけだ」
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だが——
その夜。
報せが、来た。
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「関ヶ原——西軍、壊滅」
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宗茂は、報せを——
黙って、聞いた。
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予想していた。
分かっていた。
それでも——
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「……そうか」
一言だけ。
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十時が、隣にいる。
何も——言わない。
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夜が、深くなる。
大津城の松明が——揺れている。
勝った城が——今は、虚しい。
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「十時」
「はい」
「……大坂へ、行く」
「はい」
「まだ——終わっていない」
「はい」
「輝元殿が——いる」
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十時は、頷く。
「承知」
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立花の旗が——
夜の中で、揺れていた。
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敗れても。
義は——終わらない。
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次回、第47話「西軍、崩れる」——関ヶ原の余波、宗茂が大坂へ。
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あとがき
矢文が馬印に命中する瞬間を——音で描きました。
放つ。弧を描く。静寂。そして城内からの声。宗茂自身は「よし」の一言だけ。この静けさが、この男らしいと思います。
高次との対面も、この話の核心です。「変わった武将だな」「褒め言葉だ」——この短い会話で、二人の間に妙な友情のようなものが生まれる。敵同士なのに。それが宗茂という男の引力です。
そして——関ヶ原壊滅の報せ。予想していた。分かっていた。それでも「そうか」の一言だけ。叫ばない。嘆かない。次を見る。この一貫性が、宗茂という男の強さです。
次の47話は大坂城。毛利輝元への進言と、それが受け入れられない場面——宗茂が初めて「どうにもならない現実」に直面する回になります。
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